ずるい人

 私の好きな人は、ずるい人だ。
 一緒にいたいのに、もっとくっついていたいのに、近づこうとするとスルリとかわしてしまう。
 困らせてみようと思ってわざと怒ってみても、苦笑いしながら耳元で囁いてくる。
 ずるいな。そんな事されて、いつまでも私が怒っていられないのを知ってるくせに。
 一度泣いてみた事もあったけど、泣き声は唇に塞がれてしまった。
 私の攻撃は何一つ効かない。
 私の好きな人は、とてもずるい人。



 陽の沈んだ音楽準備室。下校時間はとっくに過ぎて校舎は静かだ。
 金澤は時計をちらりと一瞥し、ペンを置いてのびをした。
「たばこ、吸いてーなぁ」
 ここは職員室ではないので灰皿がない。だからたばこが吸えない。そう思ってため息をついた。
 だが唐突に携帯用の灰皿があることを思い出し、金澤はにやりと笑う。
 取り出した携帯灰皿を見て思い浮かぶのは香穂子の顔。
「真っ直帰ったかな、アイツ?」
 いくら灰皿が見つかったからといって、準備室にある楽譜やCDなどに匂いがつくのはよろしくない。
 金澤は窓に近寄りながら火をつけた。
「あ〜、至福の時〜」
 窓を開けて煙を吐き出し、金澤は独りごちる。
 その時、コンコンとノックの音がした。
「なんだよ、まだちょっとしか吸ってねーのになぁ。……はーい?」
 金澤は灰皿にたばこを放り込みながら返事をする。
 返事に応えて準備室のドアを開けたのは香穂子だった。
「先生!」
「日野……」
「えへへ、来ちゃった。ちゃんと仕事してます?」
「……おいおい、なんだってお前さんがこんな時間にココにいるんだ? 下校時刻は過ぎてんぞ? 生徒は帰る時間だろうが」
「だって、会いたくて……」
「ほぅ、じゃあもう顔見たからいいな? ホレさっさと帰った」
 俯く香穂子に金澤はいつものものぐさ教師口調で言う。
 香穂子が怒ったように言った。
「ちょっとくらいいいじゃないですか! 少しおしゃべりしたいのに!」
「だ〜め〜だ、話すのは明日でもいいだろうが。こんな所を他の先生に見つかったら、お小言くらっちまうのは俺なんだぞ?」
「先生のケチ!」
 “他の人に見つかったら”金澤はいつもそう言う。
「ケチで結構。話は明日にしろ」
 その場を動こうとしない香穂子を、肩に手を置き方向転換させる。
 だが香穂子はドアにへばりつく形で耐え、さらに叫んだ。
「明日はムリだもん!」
 香穂子のあまりの剣幕に、思わず金澤の手が離れる。
 その隙に香穂子は、するりと準備室の中に入り、金澤の机の所まで侵入した。
「明日からテストで、放課後は練習できないないもの! 昼休みもないから会いに来れない! 一週間近く会えなくなっちゃうんですよ!?」
「……全く会えなくなる訳じゃないだろうが」
 金澤はため息をつく。
 そんな金澤を香穂子は恨めしげににらんだ。
「そんな事言って。どうせ明日も、テスト期間だからって追い払うんでしょ?」
 香穂子に図星を突かれ、金澤は天井を見上げながらポリポリと頬を掻いた。
「少しでもたくさん一緒にいる時間が欲しいのに、先生はそうじゃないんだ……?」
 低い声で香穂子が言う。泣きたいわけではないが、段々と目が熱くなってきた。
 今にも泣き出しそうな香穂子に、金澤はため息をつきながらもドアを閉めた。その瞬間、香穂子の表情がぱぁっと晴れる。
(わかり易すぎるぜ、お前さん)
 こういう所が可愛い。憎めない。
 参ったなぁ、危ない橋は渡りたくねーんだが。金澤は困ったような、だが楽しそうな顔で笑った。
 金澤に見つめられて、香穂子は照れくさそうに微笑む。
「で、なんの話がしたいんだ?」
 ペタペタとやる気のない足取りで机まで戻ると、どっこらせ、という親父くさい声と共に腰を降ろした。
「えっ? なんのって……。その、別に……」
 内容なんて考えてなかった。ただただ、会いたかったから。
 正直にそう言うと、金澤は呆れた顔で香穂子を見上げた。
 それきり会話が止まってしまい、準備室に沈黙が流れる。
 きぃ、と回転イスを揺り動かしている金澤に、香穂子はおずおずと話しかけた。
「あの……先生?」
「ん〜?」
「膝に座っても……いい?」
「ん」
 金澤は組んでいた足をほどき、香穂子が座れるようにスペースを作った。
 その表情は変わらないが、金澤に受け入れられて香穂子は嬉しくなる。
 幸せ半分照れ半分な顔で、いそいそと金澤の膝の間に座った。
 両足を揃えてちょこん、という感じに座った香穂子を、金澤は抱き寄せ、抱きしめる。
 香穂子は金澤にもたれかかった。
「先生……」
「ん?」
「テストのヤマ教えて?」
「横着者」
「先生ほどじゃないよ」
「言ったな?」
 そこで二人顔を見合わせて、笑う。
 どちらからともなく顔を近づけ、唇を重ねた。
「……タバコの味がする」
「お前さんが来る前に一口吸ったからな」
「禁煙しないの?」
「お前さんがイヤなら考えるが、別にイヤじゃないんだろ?」
「うん。タバコの匂いがしない先生って、なんだか先生じゃないみたいだし」
「おいおい……」
 自分から話を振っておいて……。金澤は苦笑した。
 先ほどからの香穂子との会話は微妙に訳がわからない。
 しかしこういう他愛のないやりとりで、香穂子は十分幸せなのだろう。
「先生、私の事好き?」
「さーなぁ、ど〜だろうなぁ」
「……先生のバカ」
 香穂子がヘソを曲げる。
 いつもこの質問をされるのだが、その度に金澤はこの答えを返す。そして香穂子はいつもヘソを曲げる。
 まったくもう。そういう事にしとけって言ってるだろうが。
 だがそれが香穂子のお気に召さないらしく、でもそうしないといけないことも判っているので、余計にスネる。
 金澤は小さく笑って、いつものように耳元に唇を寄せた。
「香穂」
 低い声に、香穂子がぴくりと身動ぐ。
「スネるなよ」
 俺の気持ち、わかってるんだろ?
 言外に含まれる金澤の言葉。堪心な事は何一つ言ってくれないのに、わかりすぎるくらい心を伝えてくる。
 だから尚更、言葉にしてほしいんだけどな。
「……ずるい」
「ん〜?」
 ポツリとつぶやく香穂子に適当に相槌をうちながら、金澤は香穂子の髪に唇をつける。
 香穂子はゆっくりと金澤から離れた。振り向いて正面から見つめる。
「私は先生の事、好きです」
「…………」
「好きなんです……」
 切なそうな瞳が、金澤を見つめる。
 しばらく見つめ合って、ふと金澤は口を開いた。
「あと一年……だろ?」
「……はい」
 他の人にばれないように、学校では教師と生徒でいる約束。
 香穂子は俯いて、小さくだがうなずいた。
「さ、そろそろ暗くなるぞ。今日はもう帰れ」
 香穂子の頭をぽんぽんと叩いて金澤は言った。
 香穂子は促されて、渋々と立ち上がる。
「テスト頑張れよ」
「先生もお仕事さぼらないでね」
「採点が済むまではさぼりたくてもさぼれないんだよなぁ」
 億劫そうなため息をつく金澤に、香穂子は思わず吹き出した。
 それを微笑んで見守る金澤。
「……じゃぁな。気を付けて帰れよ?」
「は〜い」
 金澤はドアの前まで来て、手ずからドアを開けて見送ろうとした。
 自分を見上げている香穂子の目が悪戯にキラリと光ったと思った瞬間、香穂子の唇が触れて離れる。
「また、明日」
 エヘヘと笑う香穂子に、自分でも知らないうちに手が伸びる。
「先生?」
 不思議そうな香穂子を抱き寄せドアに押しつけ、金澤は強引にキスをした。
「んっ!」
 顎を捕まれて上を向かせられたと思ったら、情熱的なキスをされたので香穂子は驚いた。
 だが驚いたのは最初だけで、甘くしびれるような口付けに積極的に舌を絡ませた。
「せんせ、い」
 やっぱり、タバコの味がする。そう感じた次の瞬間には金澤は香穂子から離れていて、少し仏頂面をしてそっぽを向いて言った。
「早く帰れ」
 ちらりと見た横顔が、赤く染まっていたのは夕日の赤ではないだろう。
 鼻先で閉められてしまったドアを見つめ、香穂子はふいに笑いだした。声を出すとバレるので、こっそりと。
 ずるいなぁ。あんな事不意打ちでするなんて。なのにまだ言葉ではくれないなんて。
 金澤は頑なに言葉に出すのを拒んでいるが、これでは大して変わらないのではないか?
「せんーせ、大好き」
 香穂子はドアに向かってつぶやいた。金澤には聞こえないように。
 聞こえるとまた「そういう事は言葉にするなって」とか言われてしまうから。
 ドアににこっと笑いかけて、香穂子は家路についた。
 濃い赤の空を見上げながら思う。在学中に一回くらいは「好き」と言わせてやろうと。



「……ずりぃよなー」
 香穂子を締め出すようにして送り出した後、金澤はイスに沈みこんで呟いた。
 不意打ちでキスしてくるなんて。あんな顔で見上げてくるなんて。
「俺は教師で……男なんだぞ」
 窓に寄る気力も失せて、金澤はその場でたばこに火をつけ、煙を吐き出した。
 正直ここまで夢中になってるとは思わなかった。
 くしゃり、と髪の毛をかき混ぜる。
「……まいったなぁ」
 後一年か。長げーなぁ。
 自分がいつ口走ってしまうのか。いつ手を出してしまうのか。不安に感じながら、金澤は重いため息をついた。
「まぁ……いいか。なるようになるだろ」
 できる限りは、気を付けなければならないが。
 そう心の中で付けたして、金澤はまた煙を吐き出したのだった。

 

〜 あとがき 〜
 友達のうちでゲームをやらせてもらった時にですね、金やんのスートーカー状態になって解釈を聞かせまくってた時にですね、先生を探していたら火原とイベントが起きてしまい、それに時間をとられて解釈練習できなかった事がありましてね、そりゃもうオーマイガッ!的な事があったのですよ。
 くそぅ、なぜこの学校の生徒は真面目に下校時刻を守っているんだ!!
 そう思って、不良香穂子ちゃんの話を書いてみました(笑)
 あと先生の心の葛藤とか。やはり面白いです、学園ステージ。

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