+ 賛美歌 +

「先生! ねぇ、先生ってば!」
「あん?」
「クリスマスにどこか行こうよ〜」
 振り返った金澤に、香穂子はかなりのにこにこ顔で言った。
 終業式とホームルームを終えた校舎は静かだ。さっさと帰ってしまった生徒が大半だし、部活動で残っている生徒も、まだ昼食を食べている頃だろう。
 普段は隣の音楽室から聞こえてくる楽器の音に包まれる準備室も、今は二人の会話しか響かない。
 笑顔の香穂子をしばらく無言で見つめ、金澤は言った。
「却下」
 その一言を残し、金澤は再び香穂子に背を向ける。
 机に向かって仕事でも始めるのかと思いきや、新聞を広げて読み始めた。相変わらずやる気のない教師である。
 香穂子はその背中に向かって膨れっ面をした。見えないとわかっていても、そうせずにはいられないのだ。
「えぇ〜! なんで〜! 折角のクリスマスなんだから、どこかに行きましょうよ!」
「なんで折角の休みに人混みに行かなきゃならん」
「……じゃぁ、先生の家、行きたい」
「それも却下。散らかってる」
「先生のケチ!」
「ケチで結構。家でごろごろしたいんだよ」
「先生のオヤジ!」
「オヤジで結構。どうせお前さん達高校生から見れば、俺は立派にオヤジだからな」
 何を言っても金澤は取り合わない。
 香穂子はしばらく膨れ面のまま唸っていたが、ふと思いついて、金澤の首に抱きついた。
「うわっ! お、おい日野やめろって。お〜い、香穂さん? やめてくださ〜い」
 後ろから抱きつかれた金澤は慌てる。
 香穂子はそれに機嫌をよくし、ますます強く抱きしめた。
「大丈夫だよ先生。ここにも音楽室にも誰もいないから」
 くすくす笑いながら言うと、ようやく諦めたらしい金澤が、大きなため息を共に力を抜いた。再び新聞に目を落す。
「ねぇ、先生は人混み嫌いなの?」
「嫌いというか苦手だな。いつどこで誰に会うかもわからんし」
「……どこか遠くに行けばいいじゃん」
 この学校の人間にも。この街の人にも会わないような遠くへ。
「だからって、その場所で顔見知りに会わないって確証はないだろ?」
「……ないけど」
 諭すように言う金澤の言葉に、香穂子もしぶしぶながら頷いた。
 でも、折角のイベントなのに、デートの一つもできないなんて寂し過ぎる。香穂子はすんと鼻を鳴らして、金澤の肩に顔を埋めた。いつも着ている白衣からは、ほんのりとタバコの匂いがする。
 金澤はそんな香穂子の頭を、ぽんぽんと優しく叩いた。
「……ねぇ! デートがダメなら、何がプレゼント下さいよ!」
「プレゼントぉ〜? 何でまた」
「だって記念になるようなことが欲しいんだもん。あ、歌なんてどう?」
 金澤の声は耳に心地よく、香穂子は大好きだ。なのに、今までまともに金澤の歌声を聞いた事がない。
 歌と聞いた瞬間、金澤が心底嫌そうな顔をした。
「歌ぁ? 嫌だぜ。第一お前さん、クリスマスに男から歌贈られて嬉しいのか?」
 ごもっともな言葉を言う金澤に、しかし香穂子も負けじと返した。
「だって先生のナマ歌聞いたことないもん。賛美歌とか、クリスマスソングとか歌ってよ〜」
「却下。それも却下だ!」
「え〜、そんな〜!」
「え〜じゃない。この話題は終わりだ!」
 照れくささも手伝って、少しぶっきらぼうに話題の終了を告げたが、香穂子はなおも食い下がる。
「先生お願い! ねぇ、いいでしょ?」
 終了宣言さえ受け付けない香穂子に打つ手をなくした金澤は、渋い顔で香穂子を睨む。
 香穂子はそれを平然と受け止め、にっこりと笑った。
「……〜ったく!」
 眉間にしわを寄せてむっつり黙り込んでいた金澤は、大きくため息をつくと同時に香穂子の腕に手を添え引っ張った。
「んきゃぁ!」
 いきなり引っ張られて体勢を崩すと思った瞬間、金澤と上下が逆転していて、香穂子は目を白黒させる。
 自分が机に押し倒されているのだと知って、顔から火が出るほどうろたえた。
「せせせせっせっせっせんせい!? ここ、学校……っ!?」
 今にも目を回しそうなほど驚いている香穂子に、金澤は「ここには俺たち以外、誰もいないんだろ?」と不適に笑う。
「日野。お前さんに選択権をやろう。二択だ」
「えっ? えっ? えぇっ??」
「クリスマスプレゼントに歌を歌うか、それとも今キスするか。どっちがいい?」
「えっ? えっ? そ、それってズルイ!?」
 これ以上ないはぐらかし方だ。
 香穂子にはどちらも選べない。だって歌声を聞きたいし、でも普段全くキスしてくれない金澤のキスも欲しい。
 驚きの興奮で頬を染めたまま、香穂子は金澤を睨んだ。
 しかし金澤は涼しい顔で、にやにや笑っている。
「どっちも欲しい!」
「ダメだ。二択だって言ったろ?」
 どうする? と耳元に囁かれる。そしてそのまま頬にも唇を落された。
「……や……」
 ちろり、と金澤の舌の感触に首を竦める。ずるい攻撃だ。
 金澤が得意げな笑みのまま唇を離すと、潤んだ瞳の香穂子がいた。
「どうする日野? お前さんの希望通りにしてやるよ。……香穂子」
「………………キスがいい」
 かなり迷って香穂子が出した答えは、金澤の笑みをますます深くさせた。
 だって頬にキスされて、名前まで呼ばれて、そこで終わりなんて耐えられないもの。
「OK」
 了承の意を、金澤は言葉と額に口付けることで表した。そして香穂子が目を閉じるのを待って口付ける。
「ん……」
 香穂子が鼻に掛かった声を上げたが、それさえも吸い取るように深く口付けた。
 香穂子も金澤のキスに、どこまでも応えてゆく。
 軽く強く何度も口付けて、二人は一度唇を離した。
「メリークリスマス、香穂」
「メリークリスマス」
 二人はくすりと笑うと、再び唇を求め合った。

 この後、香穂子が再び歌を歌ってとせがむのと、それによって金澤が歌った歌わないは、それはまたのお話で。

 

〜 あとがき 〜
 …………一発目からまぐまぐした話過ぎましたかね。
(注 『まぐまぐ』とか某様の造語。すなわち生々しいキスの事である(爆)

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