初づくし

 この道を歩くようになってからまだそんなに時間が経過してないけど、道順はしっかり覚えてる。
 考えずとも体が覚えている道のりを、火原は自転車で全速力で走っていた。
「やばいなぁ、こんなに遅れちゃうなんてっ!」
 駅で友人と会ったのは幸いだった。その友人がいままさに自転車を停めようとしていたのも。
 焦る火原の邪魔をするかのように、向かい風が強く吹いている。前をしめるヒマもなかったダウンが、思いきり風を受けてしまう。
 自転車をこぐ環境としては最悪だが、駆け足よりはだんぜん早い。
「香穂ちゃん……ごめん!」
 公園を右に曲がると、赤い屋根の家が見える。
 時計とにらめっこしながら待っているであろう彼女の顔を思い描きながら、火原はラストスパートをかけた。



「…………遅い……」
 香穂子はリビングのソファで大きなクッションを抱えたまま、何度となくその言葉をつぶやいた。
 約束の時間から、1時間も経過した。
 その時間の経過とともに、香穂子の表情はどんどん曇っていく。
 本当の待ち合わせは駅前だったのだけど、「家にいて。迎えに行くから」とメールが来たから、ここで待ってる。
『ゴメン! ちょっと遅れます』
 最初にそうメールが来た時は、ちょっとだしまぁいいかなんて思っていた。
 申し訳なさそうに謝る火原を想像して、しかられた子犬みたいなんて思って、笑う余裕もあった。
 でも最初のメールから30分経っても連絡がなくて、40分経ったところで「家にいて」メールだ。
「まったく! 説明もなしに謝られたって、わけがわかりませんー!」
 もしかしたら事故とか病気とか……そう思うと不安にもなってくる。
 そういうわけで、香穂子はプリプリと怒っているのであった。いつもだったらこんなに怒んないけど、今日は怒ってた。
 だって、火原が遅れているせいで、叶わなくなったことがあった。
 せっかく見せたいものがあったのに……。

──ワン! ワンワン!

 隣で飼っている犬が吠える声をきいて、香穂子は立ち上がった。
「来たかも……」
 隣の犬は人が来ると吠える。それが火原だという確証はないから、そう思いたいだけなんだけど。
 玄関の向こうに、人の気配を感じる。
 先輩かな? そうだといいな。
 おもわずそう思ってしまう自分にちょっとムッとしながら、香穂子はほんの少し玄関のドアを開けた。
 なぜほんの少しかというと、違ってたら恥ずかしいからとか、待ち望んでいたように見えると悔しいからとか、まぁ意地っ張りな乙女心というやつだったりなかったり。
 しかし玄関の向こうの人物は、香穂子に気がついたようだった。
「あっ! 香穂ちゃん!」
 自転車を停めるのももどかしげに、火原は振り向いて香穂子に謝った。
「ごめん! こんなに遅れて……怒ってる、よね? 本当にごめん! じつは突然ばーちゃんが家にきて、それちょうど家を出ようとしてたところで……。久しぶりなのにゆっくり挨拶もできんのかってつかまって、それで……」
 怒涛のように謝る火原に、香穂子はこっそり安心した。
 よかった。事故とか病気とかじゃなくて、本当によかった。
「べつに……いいですよ。先輩がそう言うなら、強引だったんでしょ? 私、怒ってませんから」
 なんとなく物分りのいい彼女のフリをしてしまった気がして、複雑。
 怒ってしまえば楽だし、せっかく見せたいものがあったのに見せられなかった自分の気持ちも少しわかってもらえるのだろう。
 でもその気持ちは、ただの子供っぽい八つ当たりだとわかってるから、だから物分りのいい彼女のフリ。
「ほ、本当!? 本当に、ごめんね?」
「はい」
 わずかながら微笑んだ香穂子に、火原はようやく安堵した笑みを見せた。
「よかったぁ〜」
「私、仕度してきますね」
 香穂子はそういって一度玄関を閉めた。
 コートやハンドバックをもって玄関に戻ると、火原は門の外で待っていた。香穂子が声をかけなかったこともあるのだろうが、敷地の外で待っているなんて、律儀な男だ。
 コートをはおって門まで出ると、香穂子は自分の格好をみおろしてため息をついた。
「……あの……香穂ちゃん?」
「はい?」
 伺うような声に顔をあげると、申し訳なさそうな火原が自分を見つめていた。
「あの……本当に、遅れてごめんね? 待たせちゃって……」
「…………」
 それはまさしく駅前で待っていた時に思い描いていた「しかられた子犬火原」だったが、今実際に見ると、ちょっと恨めしい。
「あのさ、今日はなんでもするよ? 君のいう事なんでもかなえてあげる! あ、あとで屋台でなにか食べようか? 俺おごるからさ!」
 必死にいう火原に、ぽろりと香穂子の口から願いがこぼれた。
「……じゃぁ、時間を戻して……」
「えっ?」
 その呟きは本当に小さなものだったので、火原には聞こえなかったらしい。もう一度言って、という風に聞き返され、香穂子は曖昧な笑みを浮かべて首をふった。
「なんでもないです。さ、行きましょう、初詣!」
 この日、二人は学校近くの神社へ初詣に行く約束をしていた。



(やっぱり怒ってる……よね)
 少しまえを歩く香穂子のうしろ姿を見ながら、火原は心の中でつぶやいた。
 香穂子は優しいから、こんなことで心底怒ったりはしないと思う。けど1時間以上も待たされて気持ちがいい人間がいるはずがなかった。
 祖母に自分と彼女、どちらが大切かと言われ、かんぱついれず「彼女」と答えた火原。
 本当はどっちだって選べないくらい大切だけど、でも今年は香穂子と過ごす初めての正月なのだから、ちょっとくらい大目にみてほしい。お年玉もらえなくってもいいから。
 もう解放された後とはいえ、祖母に向かってつぶやかないではいられない。
(う〜ん。どうやって許してもらおう?)
 もう怒ってないって言っても、今現在の後姿が、香穂子の怒りを表していた。
 怒りというより、拗ねている感じかな? 自分より少し前を歩き、少しも振り返ってくれないあたりが。
 どうやって機嫌を直してもらおう?
 先ほどすでに謝ってしまい、香穂子は怒ってないといったから、それ以上謝るのはなんが変。逆に「怒ってないって言ってるのに!」と怒らせてしまいかねない。
 かといって、香穂子を追い越してみたり、隣に並ぶ資格が、自分にあるようには思えない。
(……しばらく、このままいるしかないかなぁ)
 それはとても寂しいのだけれど。
 駅で強奪するようにして借りてきた友達の自転車が、元気なく転がされてカラコロと気の抜ける音を出していた。



 たとえ近所の小さな神社だって、正月の正午あたりになると混雑しているもの。
 学校のそばの神社も、たぶんに漏れず人出がすごかった。
 社までの道の両側に、いろいろな屋台が並んでいるのも関係しているだろう。
 でもそんな人ゴミも、怒っているというか拗ねている香穂子には関係ない。さくさく人の間を縫うようにして社まで進んでいった。
「…………」
 いつまでも黙っているのは大人気ないかな。
 そう思って香穂子は振り向いた。
「先輩、とりあえずお参りして……先輩?」
 振り向いた先には、火原はいなかった。
「せ、先輩!?」
 もしかして呆れていなくなってしまった?
 いや、そんなことはない。火原はそういう人じゃない。
 ならどうしていないの? 香穂子は瞬時に真っ青になった。
「せんぱい……どこ!?」
 辺りを見回すが、火原らしき人影はない。
 香穂子は迷子の子供のようにおろおろと歩き出した。
「そ、そうだ自転車!」
 火原は自転車に乗ってきていた。
 電車で学校に通っている火原がなぜ自転車で来ていたのかわらないが、とにかく自転車で来ていた。とすると、もしかしたら自転車を停めているのかもしれない。
 香穂子は鳥居のそとに向かって駆け出した。
 思えば自分は後ろを気にしないでどんどん歩いてきてしまっていた。途中までは自転車を転がす音が聞こえていたし、火原が自分の後をついてくるのを、何の疑問ももたずに信じていたから。
「せんぱい?」
 火原らしき背格好の男がいたので呼んでみたら、違う人だった。
 そういえば今日の自分は拗ねていて、火原がどんな格好をしているのかも知らない……。
 神社の入り口に停められている自転車たちのところには、火原の姿はなかった。
 せめて自転車を見つけて、火原が神社の中にいるという確証だけでも持ちたかったが、どんな自転車かも知らなかったので無理だった。
「や、やだ先輩……」
 呆れて帰っちゃったりしてないよね?
 なんだか涙が出そうになってくる。
 それからうろうろと神社中を歩き回って、おみくじ売り場の前まで来たときに、香穂子は後ろから腕を掴まれた。



「か、香穂ちゃん! ま、待って」
 思わず呼び止めたが、香穂子には聞こえなかったらしい。
 しかたなく火原は、ちゃっちゃと自転車を停めて、香穂子を追いかけることにした。
 だが、友達から借りたばかりの自転車は、簡単には停め方がわからない。
「えぇ〜っとカギカギ……。あ、これか。ダイヤルじゃなくてよかった〜」
 後輪にカギを見つけて、火原は安堵した。
 もしダイヤル式のチェーンカギだったら、再び走るときに友達に暗証番号を聞かなくてはならない。
 そうして火原はカギに手をかけたが、少しサビが浮いたカギは簡単には閉まってくれなくて、焦る気持ちがなおさら作業を困難にさせて……。
 四苦八苦してカギを閉めた時には、香穂子の姿はちらりとも見えなくなっていた。
「うそだろ……」
 年明けからなんて不運。
 元旦にしてすでに怒らせてしまったし、元旦から謝ってばかりだし、その上はぐれてしまうなんて。
「おっと」
 呆然としているヒマはない。香穂子を追いかけなくては。
 たぶんまずお参りすると思うから、社の前にいるかもしれない。
 そう思って人ゴミへ乗り込んでいったのだが、人が雑多に行き来する屋台道を通るのは困難で、しかたなく火原は屋台の裏側を通って社へ向かった。
「香穂ちゃ〜ん?」
 呟き声で呼びながら、社周辺をくまなく探す。しかし香穂子の姿はなかった。
 もしかしておみくじ? お手洗い?
 考えると同時に足を向けて探すが、見慣れた姿はどこにもなかった。
 ここが学校なら香穂子を探すのは得意なのに。火原はそう思った。こんな場所では、いろいろな格好の人々が目にちらついて探し難いったらない。
 もしかしたら見つけやすいところで待っていてくれるかもと鳥居へ行き、自転車のそばにも行ってみた。
 それでも居なかったから、屋台の人ゴミだってくまなく探した。
「あ!」
 再び社の前まで来たときに、おみくじ売り場の前で見知った姿を見つけた。
 周囲の人々に謝りながら強引に道をつくりつつ、香穂子に近づいていく。
 今捕まえないと、もう二度と会えない気さえした。それくら香穂子は不安げで、儚げで……。
「香穂ちゃん! よかった! ……見つけた」
 香穂子の腕を掴み、火原は息を切らしながら言った。
 振りむいた香穂子の目から、ぽろりと涙が落ちる。
「えっ!? あっ! ご、ごめんね! その、はぐれちゃって……だ、大丈夫だった!?」
 なんだが今日は謝ってばかりだ……。うろたえながらも火原は思った。
 香穂子の目からは止まることなく次々と涙が流れ落ちていて、火原はためらいながら香穂子を胸に抱き寄せる。
「よ、よかった……せんぱい……私おいて帰っちゃ……帰っちゃったんじゃないか、って……」
「そんなはずないよ!」
「……よ、かった……」
 ぐすぐすと香穂子が泣き出したので、火原は人ゴミをよけて、社の裏手に回った。ここは不思議なほど人がいない。
 ひとまずひっそりと置いてあるベンチに香穂子を座らせ、自分も隣に座った。
「あの……これ……」
 ポケットからハンカチを取り出して香穂子に渡そうとして、火原はゲッとうめいた。ちゃんと洗濯したハンカチを今日ポケットに入れてきたというのに、すでにハンカチはよれよれだ。
 これだから男ってのは……。
 そう思って引っ込めようとしたが、それより前に香穂子の手がハンカチをさらっていった。
「あっ! そっ。えっと、その……」
 そんなハンカチ汚いからやめなよ。そう言いかけたが、香穂子がハンカチに泣きついてるのを見て言葉をつぐむ。
「あの……ごめんね?」
 なんとなく火原は謝った。理由はわからないけど、多分悪いのは自分だ。こんなに香穂子を不安定にさせてるのは、多分自分だ。
 謝る火原に、香穂子はプイとそっぽ向いた。
 火原は情けない顔になる。自然とため息が漏れてしまった。
(これは少し距離を置いた方がいいかなぁ。俺隣にいていいのかわかんないよ)
 そう思って、座りなおしかけたその時。
「わっ」
 ダウンの裾を香穂子が握って引っ張ったので、火原は元の位置に座りなおすことになってしまった。
「……あの、香穂ちゃん?」
「そばに、居てください」
「は、はい……」
 なに「はい」とか言ってんだよ俺。もう少し気の利いた言い回しとかできないのかな俺。
 人知れず火原が落ち込んでいると、ようやく涙の収まった香穂子が口を開いた。
「火原先輩のバカ」
「……うん。ごめんね」
「振り返ったらいないし、あちこち探したのにいないしっ」
「本当にごめん。自転車を停めてたんだ」
 謝りながら、香穂子が自分を探してくれたのだと思うと嬉しくなる。
「なら呼び止めてくれればよかったのに!」
「本当にそうだ」
「今日だっていっぱい遅れて、待つ理由も説明してくれないで、私待ってばかりでっ」
「……う、ごめん」
「私せっかく、着物着て待ってたのに!」
「えっ!?」
 火原はものすごく驚いて香穂子を振り返った。
 だって今香穂子が着ているのは洋服……。
 火原の視線を感じたのか、香穂子は上目使いに睨みながら言った。
「……先輩が遅れたから、着替えちゃった」
 着慣れないもので駅と自宅を往復してしまったから、家に着いたときに気分が悪くなってしまって着替えた。
 もし火原が遅れなかったら、根性で1日着続けていられたのに。
 だから拗ねていたのだ。せっかく見せようと思ったのに。
 見せたときの、火原の感激したような顔が見たかったから、お母さんに着付けてもらったのに。
「えー!? マジでー!」
 思わず、といった風に火原が頭を抱えるので、それを見て香穂子はちょっと気が晴れた。
 ザマアミロ。意地悪な気持ちでそんなこと思ってやる。
「あの……今から着に帰って出直すなんてことは……」
「ヤダ」
「うー」
 彼氏の「本気で情けない」という表情を見て、思わず香穂子は笑ってしまった。
 そうすると、再び火原を見たときに、はっとするほど優しい笑顔で包み込まれる。
「……よかった。今年、初めての香穂ちゃんの笑った顔」
 真っ直ぐに言われて、香穂子は赤面してそっぽ向く。
「今日、本当にいろいろごめん」
「……私も、ごめんなさい。いじ、張ってた」
「うん、知ってる。でもその意地を張らせたのは俺だから、だから、ごめん」
「もう……怒ってません」
「本当?」
「ほんとうです。……元旦からケンカしたままなんてイヤだし、と、特別に許してあげます」
 わざと偉そうに言う香穂子が可愛らしくて、火原は微笑んだ。
「ありがとう。お礼にたこ焼きおごるよ」
「甘酒もつけてください」
「わかったよ」
「そのお礼に私は…………明日なら、着物、着てもいいですよ」
「えっ、マジ!?」
 嬉しくて立ち上がる火原に、香穂子はくすくすと笑った。
 そう、この笑顔。この笑顔が見たかったの。
 自分だけがこの笑顔を引き出す事ができるなんて、かなり贅沢じゃない?
 だから自分はどうしても、火原を喜ばせてあげたくなる……。
「さ、お参りしようか」
「は〜い。……でもこんな顔でお参りって、神様に失礼じゃないかなぁ」
「じゃぁ、まず顔を洗おうか。……あっ、そうだ」
 一歩先にいて香穂子に手を差し伸べた火原は、真っ直ぐに香穂子の方を向いて言った。
「あけましておめでとう。今年もよろしくね」
 火原に言われて、今さらながら、この挨拶を交わしていないことに気づいた。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
 ぺこりと頭をさげて、顔を上げたとき香穂子は、いつも通りの眩しい笑顔を浮かべていた。

 

〜 あとがき 〜
 あけまして、おめでたくない二人です(笑)
 初遅刻に初怒りに初謝りに初迷子に、それから初仲直り……初強奪(自転車)なんてのもありますね。というわけで「初づくし」と名付けてみたのですが、……わ、わかった? う〜ん、今年の初詣のお願い事は、タイトルセンスくださいにしておけばよかったですかね。
 そうそう、火原は電車通学なんですと。でもぜひ火原に自転車こいでほしかった。だから今回は友達の自転車を強奪していただきました(爆) 設定資料集を買ったがゆえに悩まされる部分というのは強敵です。
 パロ書きのみなさんが、どうやって戦っているのかをぜひ教えていただきたい……。

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