月 まどわす

 唇に温かな感触を受け、友雅は目を覚ました。
「あら、起こしてしまいましたかしら、少将様?」
「……鷺姫。寝てしまっていたのか? 私は。すまない、ほったらかしにしてしまって」
 鷺姫と呼ばれた女性はふふっ、と笑って、
「貴方の寝顔が見られたのでよろしいですわ。こんなところで寒くありませんでしたの?」
「大丈夫ですよ。それほどやわな体でもない。貴女こそ、このような顔を見ていて、飽きなかったのか?」
「いつもは私の方が先に眠ってしまうのですもの。貴方の寝顔は初めて見ましたわ」
「……さぁ、中に入りましょう。残暑といっても夜は冷える」
「そうですわね。でも、月がとても綺麗だわ」


ウツクシイ ツキ?


「少将様?」
「ああ、なんでもない。さぁ、中に入ろう」
 姫を促しながら友雅は空を仰ぎ見る。そこは雲一つまとうことなく、不思議な魅力を放った月が、友雅を見下ろしていた。
「……神子殿……・」




 友雅は歩いていた。
 先ほども見た、とても、とても美しい月を進路にいだき。
 先ほどの姫のところから、たいした時間も過ごさず退出してきた。鷺姫は、めずらしいこともあるのですね。と、送り出してくれた。
 鷺姫はとても似ている。そして、全く違う。あの月の姫と。
 初めて会ったのはいつのことだろうか。あの少女と同じ微笑みに惹かれた。
 でも、違う。
「まったく同じ人間など存在しないのにね。あの少女は遠い時空の彼方だ」
 友雅は自嘲気味につぶやいた。
 ほしいものは、手の届かないところへ行ってしまったのだ。




 いつの間にか友雅は、自分の邸へと帰ってきてしまっていた。
家僕が、いつもより早い主人の帰宅に、少々驚きながら迎え入れてくれた。
「今夜はこのまま、月見酒とでもいこうか」
 酒を用意させながら、庭へ続くさきばしへ腰を下ろす。
 ふと、橘の残る庭を見ると、白い陰が木々の間にたたずんでいた。
「……今夜は重傷だな。まだ酔っていないつもりだったが、月にでも当てられたか……」
 髪を掻き上げ、かの少女に似ている陰を凝視していた友雅は、置いておいた酒に手を伸ばした。
 しばらくしても幻影は薄れることなく、むしろだんだんとその姿を鮮明にしていった。
「まさか………………神子……殿?」
 霞のような淡い光は、やがて人型へ。そしてついには実体がそこにあるかのように感じられるようになった。
 突然、あかねの姿をした者は、友雅に背を向けて走り出した。
「!! 神子殿!!」
 友雅は慌てて後を追って駆け出した。




 風のように走っていくあかね。
 無理をすれば追いつく速度だ。しかし、友雅はそうしなかった。
 頭の隅ではあり得ないことだと、これが現実ではないと、分かっているから。
 彼女は月へ戻ってしまったのだ。
「まったく、月の姫は、そうしてこう……、自由奔放なのだろうね……」
 走りながらつぶやく。知らずに笑みが浮かんだ。
「もう、若くは、ないのだから……、もう少し、手加減してくれてもいいと、思うのだが……」
 ついた場所は神泉苑だった。
 かの少女が最初にやってきた場所。力を試した場所。そして、見送った場所。
 水辺まで走って、ようやくあかねは走るのをやめた。
 友雅もあかねから少し距離を置いた位置に立ち止まった。
 再び夜の神泉苑に静寂が降りる。
 あかねが手を挙げて、空を指し示した。
 暗くてよく見えなかったが、……あれは……空間の歪み?
「な……、また開いたのか?」
 友雅はあかねを見た。
 相変わらず微笑んでこちらを見ている。
 不意に、あかねが口を開いた。


──ホシイモノハ?


 あかねの真意が分からず、訝しみながら。しかし、顔には出さずに、
「君がほしいね。神子殿」


──ホントウニ?


「ああ」


──ナニヲオイテモ?


「……君さえいれば、それでいい」


 あかねが光った。淡く、強く。
 光が収まったあとには、一人の男がいた。
 男は神気にあふれていて、目には瞳がなく、琥珀の玉をはめ込んだように輝く光だった。
「我が神子が、あまりにも嘆くものでな」
「……もしや、龍神殿ですか?」
「そうだ。試すように連れて来てしまってすまなかったな。我が神子を思うがゆえに、真摯ではない男を連れて行くわけにはいくまい」
 龍神は笑った。慈愛に満ちた笑顔だった。
「空間の歪みに触れれば、神子に会うことができよう」
 龍神は語る。
「しかし、二度と戻ることはできない。この世界にいる人々とはもう会えない」
 友雅は黙って龍神の言葉を聞いている。
「新しい世界はそなたの知らぬ世界だ。困難が待っていよう」
「あの姫にこのまま会えぬのなら、私は狂ってしまうでしょう。困難など……」
 あかねは友雅の心に舞い降りた天女。友雅を本気にさせ、情熱をよみがえらせた、ただ一人の。
「気持ちに偽りはないな?」
 龍神は友雅をまっすぐに見た。友雅もそらすことなく視線を返す。
「ゆけ。我が神子を頼むぞ」
 龍神に促されて、友雅は一礼してから歪みにふれた。


──神子の世界へ!!




「あ〜あ。つまらない」
 あかねはため息をついた。
 元の世界に戻ってきて、空白の時間を周囲に納得させたり、勉強の遅れを取り戻したりしているうちに、時間は経った。時間は経ったのだが、気持ちは止まったままだ。
 あのとき選択肢を変えていたら、今頃どうなっていただろう? 彼のそばにいたら……。
 きっと同じだ。そのときは彼ではなく、家族に対して会えない思いを募らせるのだ。どちらもかけがえのない大切な人たち。
 もともと住む世界が違う。両方手に入れるのは不可能なのだ。どちらかあきらめなければならないのだ。
 あかねはそう、自分に言い聞かせた。
「……友雅さん……」
 つぶやいて涙が落ちた。
「な、泣いちゃダメ。弱いぞ、自分!!」
 あわてて涙を拭こうとしたが、後から溢れてきてしまい、止まらなくなる。
「友雅さ〜ん」
「呼んだかい? 姫君?」
 あかねははっとして、辺りを見回した。
 今は夜。いるのは自分の部屋。もちろん、あかねの他は誰もいない。
 幻聴が聞こえたのだ、望むあまり。
 そう思って、再び机に突っ伏そうとしたとき、先ほどと同じ声が聞こえた。
「気のせいで済ませないでおくれ、神子殿。……外を見てはくれまいか?」
 何度も聞いた声。聞きたいと願った声。間違えるはずなかった。
 窓に近寄って、雨戸とガラス戸を開ける。
 そこには、会いたくて会いたくてしかたがなかった人がいた。
 一階の屋根の部分に、腰を下ろして。
「こんばんわ。神子殿」
「友雅さん!! うそっ!!」
 あかねはへたり込んでしまった。
「おやおや、大丈夫かい?」
 あかねの部屋へ半身乗り出して、友雅は言った。
「本物ですよねぇ?」
 あかねはもはや半泣き状態である。
「そうだよ」
「ど、どうして……?」
「龍神殿が気を利かせてくれたのだよ。君の為にね」
 あかねは再び立ち上がって、友雅に歩み寄った。恐る恐るといったふうに友雅の頬にふれる。
 ふれた頬は、確かに温かかった。
 突然、友雅があかねを抱きしめた。
「と、友雅さん!?」
「神子殿。いや、あかね。……会いたかった。君がいない間、私は私でなかったような気がする。桃源郷の月の姫。……もう離したくない」
「私も、会いたかったです」
 二人はギュッと抱きしめ会った。そして、自然と唇が重なった。
「そういえば、友雅さん。こっちの服……」
「ん? ああ、龍神殿が気を利かせてくれたのだろうね。どうやら、住む場所などもあるようだよ」
「本当に、ずっと一緒にいられるんです?」
「ああ、よければ遊びに来ておくれ。まだまだこの世界には疎いのでね。色々と教えてほしい」
「はい。まかせて下さい!」
 そして二人は、もう一度キスをした。

 

〜あとがき〜
 懐かしの初駄文です。
 何度か書き直して、やっとこさ落ち着きました。はぁ、長かった……。
 つか、後書きも何も、書いたときのことはあんまり覚えてません(爆)
 なに考えてたんだろうなぁ自分……(遠い目)

 

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