夢 現 幻
〜ゆめ うつつ まぼろし〜
あかねは暗闇を走っていた。 なぜ走っているのかも、どこを走っているのかも見当がつかなかったが、走るのをやめることはなかった。 どこまでも続く暗闇。 何もない空間に、あかねの荒い息づかいのみ響く。 「待って!」 あかねは叫んだ。 なぜ自分は叫んでいるのだろう? 何に対して? 声が聞こえた。 自分を呼ぶ声だとわかった。どこか聞いたことのある声……。 「待って! 行かないで! お母さん!」 ──がばっ 勢いよく布団をはねのけ、あかねは起きあがった。 ひどい汗だ。単衣をびっしょりと濡らしている。 まだ呼吸が荒いあかねに、穏やかな声がかけられた。 「神子殿。大丈夫ですか?」 「あ……頼久さん……」 「すみません。うなされていたので起こしてしまいました。悪い夢でも見ましたか?」 頼久の静かな声に、自分が落ち着いていくのがわかる。 あかねは頼久に微笑んだ。 「大丈夫です。ありがとう、頼久さん」 薬湯をお持ちしましょう。と、頼久は室から出ていった。 頼久の後ろ姿を見つめながら、その姿が御簾の向こうに消えるのをまって、あかねはつぶやいた。 「……お父さん、お母さん……」 鬼との戦いが終わって、京には平和が戻った。 龍神の神子としての役目が終わり、あかねたちは現代へと戻るはずだったのだが……。 いまだにこの世界にいるのは、自分の元へと残ってほしい、と頼久に言われたからだ。 まだ答えていないが、心は決まっている。京に……彼の元へ残ると。 しかしそれでは、現代へ残してきた家族や友人に会えなくなる。 それでもここへ残ると、あかねは決めた。しかし、こんな夢を見て……。自分はやはり心残りなのだろうか……。 「神子殿、薬湯です。これを飲んで落ち着いて下さい」 「あ、ありがとう頼久さん」 礼を言って茶碗を受け取る。少しにがいが、そのにがみがかえってあかねを落ち着けた。 「では、私はこれで失礼します」 そういって頼久は室の外へ出ようとでようとした。 が、それはかなわなかった。服の裾をあかねが握っていたからだ。 「あ……、私……ごめんなさい。なんでもないです。お仕事頑張って下さいね」 慌てて手を放してあかねは言った。 恥ずかしさから、顔がうっすらと朱に染まる。 頼久は微笑んだ。そして、あげかけていた腰を再び下ろした。 「頼久……さん?」 「じつは、昼間に騒動があったため少し疲れているのです。神子殿のご機嫌伺いということになれば、もう少しここで休んでいられるのですが……」 頼久はどうかご内密に、というように指を唇に当てた。 あかねにはわかった。頼久が自分のために残ってくれたことが。 わざわざ理由を付けたのは、あかねに気にさせないためだろう。 あかねはコクンと頷いた。 「ありがとうございます」 頼久は礼を言って、少し楽な姿勢をとった。 「何かの話を聞かせていただけませんか? 座っているだけというのも退屈ですし、よろしければ」 あかねは頼久を見た。 あかねの話をよく聞くので、頼久は少なからずあかねの世界に興味を持っていた。今までに数えるほどだが、現代の話を、と請うことはあった。 だが今の場合、うなされていたことを指しているのは明白だ。話して気を紛らわすことができるなら、というのだろう。 あかねは不意に、涙が出そうになった。 どうしてこんなにも優しくしてくれるのだろう。嬉しくて泣きそうになる。 同時に、本当に好きだなぁ、と思う。やっぱり彼のそばにいたい。 「なんでもないんです。本当に、ちょっとお化けの夢を見ちゃって……」 涙を必死にこらえて、無理やり微笑んでいった。 「よ、頼久……さん……」 今返事をしよう。現代への思いを断ち切るためにも。 「なんでしょう?」 「あの……ね、私ね…、京に……残ろうと思うの」 とたんに頼久の顔がほころんだ。 「ほ、本当ですか!?」 「うん。私も頼久さんのそばにいたい」 「ありがとうございます!!」 言うなり頼久はあかねを抱きしめた。 「あ、す、すみません」 慌てて離れようとする頼久に微笑みながら、あかねは自分からも腕を回した。 たくましい腕に抱かれながら、頼久の温もりを堪能する。 とても安心する温もり。これがある限り、自分はこの世界でもやっていけるだろう。大丈夫だ。 安心したと同時に、眠気が襲ってきた。 「? 神子殿?」 頼久が腕を放したときには、あかねは夢の世界の住人となっていた。 頼久は微笑んで、そっとあかねを布団の中に戻した。 「ん……。お父さん、お母さ……ん」 頼久は気づいてしまった。寝言を言うあかねが涙を流していたことに。 その瞬間に、頼久はわかってしまった。 あかねはこの世界に残ると言ってくれた。しかし、それに伴う犠牲を。 決断までに悩み、苦しんだことだろう。しかし、この少女はそれを微塵も見せなかった。 つぶやいて、頼久の表情は堅いものとなった。深く、考え込むような表情をする。 「あなたの世界は……どのようなところなのでしょうね」 そして、あかねの頬にかすめるような口づけを残して、顔を赤くし警備の仕事へと戻っていった。 鳥のさえずる声が聞こえる。 あかねは起きあがって、鈍く痛む頭を振った。 もう一度同じ夢を見ることはなかった。ほっ、と胸をなでおろす。 伸びをしながら庭へ出ると、声がかけられた。 「おはようございます。神子殿」 「頼久さん。おはよう」 振り向いた先には頼久が立っていた。しかし、真剣な表情をしている。 「頼久さん?」 「神子殿、大事な話があるのですが、少しお時間をいただいてもよろしいですか?」 「う、うん。いいけど……」 あかねは不安になった。 もしかして、昨日の夜のことは夢だったりしないだろうか? または、寝ぼけてしまって、残ると言ったつもりが、帰ると言ってしまっていたり……? 二人は庭に置いている大きめな石に並んで腰掛けた。 「あなたは……、あなたの世界へ帰った方がいい」 「えっ……!!」 「あなたは、私の元へ残ると言ってくれた。私が残ってほしいと願ったから。 でも、それはあなたのご両親などから、あなたを引き離してしまうことだったのですね」 頼久はため息をついた。 「私は聞いていたのに、知っていたのに。……あなたがまだ龍神の神子であったころ。ご両親に会いたいというあなたの気持ちを」 「頼久さん……」 「なのに、残れといってしまった。私はどんなにあなたを悩ませたでしょう」 申し訳ありません。と、頼久はつぶやきの小さな声で言った。 「ご自分の世界へ帰られるべきだ。親と離れるべきではない……私は……そう、思います」 「ひどい!!」 「えっ!?」 あかねは怒りを爆発させた。 立ち上がって怒鳴る。 「頼久さんひどい!! 確かにそのことでは悩んだけど……でも、頼久さんと一緒にいたいから、離れたくないから、昨日頑張って言ったんじゃない!! なのに、今日になって帰れだなんて、ひどいよ!!」 「神子殿、落ち着いて下さい! 話を最後まで聞いて……」 頼久はあかねをなだめようと、肩に手をかけた。しかしあかねは、その手を振り払ってしまった。 「触らないで!! 頼久さんは私のこと嫌いなんだ!! だから帰れなんて言えるんだ!! 私の気持ちなんかどうでもいいんだ!!」 「そんなことはありません!!」 「じゃあ、どうしてよ!! どうして今頃になって……んっ」 あかねの言葉は最後まで紡がれることはなかった。頼久の唇によって、口がふさがれてしまったからだ。 頼久がゆっくりと唇を離す。あかねは脱力してしまった。 「ずるい」 「すみません。話を最後まで聞いてほしかったので……つい……」 あかねは力無い声で言った。 「……私はキスくらいでこんなになちゃうのに、そのくらい好きなのに……」 もうほとんど泣き顔だ。 頼久はあかねを立ち上がらせ、流れた涙を拭きながら、 「すみません。でも続きがあるのです。聞いていただけますか?」 言う頼久の顔が、ほんのり赤い。 あかねは無言で頷いた。 「私もあなたが好きです。そのことは今も変わりません」 頼久はあかねをあやすように言った。 「私の元へ残ると聞いたとき、本当に嬉しかった……。ですが、その犠牲になるものの存在に気づいたのです」 二人で石に座り直しながら、頼久の話は続く。 「決心したとはいえ、やはり寂しくなるときはあるでしょう。でも神子殿はその時が来ても、きっと私の前で笑っているはず。……それが嫌なのです。あなたにはいつも心の底から笑っていてほしい。それに陰りをさしたくはない」 「頼久さん……」 「だから……私があなたの世界へ行こう。そう決心しました」 「えっ!? ちょ、……頼久さん!?」 あかねははじかれたように頼久を見た。 あかねの視線を受け止める頼久の目は、穏やかだが確固たる決意が見て取れた。 「……本当に……いいんですか?」 「はい。もう決めましたから」 あかねは頼久に抱きついた。 「頼久さん!」 「はい」 「頼久さん! 頼久さん! 頼久さん!……大好き!!」 あかねは力一杯頼久に抱きついて言った。頼久は見えないが、泣いているのがわかる。 「はい、私もです」 頼久もあかねを抱きしめながら言った。 「行きましょう一緒に……あなたの世界へ」 「ねぇ、頼久さん」 「はい」 「もし私が頼久さんと同じふうに、"あなたには笑っててほしいから京に残ろう"って言ったら、どうする?」 少し意地悪かと思ったが、聞いてみたかった。 「えっ!!」 案の定頼久は困ってしまって、必死にどう答えようかと悩んでいる。 それを見てあかねはふふっ、と笑った。 「うっそ〜。冗談だよ頼久さん。まわりくどい言い方をして私を泣かせた罰よ」 そんなことを言ってみると、頼久は何とも情けないような顔をした。 「ば、罰……ですか……」 「そう、罰」 「す、すみません」 「ふふっ、頼久さん。大好き。一緒に頑張ろうね」 「私も、愛しています」 そして二人は、深い、深い口づけを交わし合った。 |
〜あとがき〜 コレ、第二作品だったっけかな? これのこともあんまり覚えてません(爆) つか、頼久さんの話って苦手なのに、よく書けたなぁ。しみじみ。 あ、そうだ。夢に見たんだコレ。夢のおかげです、ありがたやありがたや。 |
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