雨、そして晴れ
――トゥルルルルル トゥルルルルル 出ない電話に、あかねはため息をついた。 雨の日の午後。ここはあかねが暮らしているアパートのリビング。クッションに寄りかかり、ひざを抱えながら、あかねは電話をしていた。 「……もしもし?」 もう一度ため息をつき、切ろうとしたその時、やっと相手からの応答があり、あかねはあわてて受話器を持ち直した。 「もしもし! 友雅さん!?」 「すみません、友雅さんは今、撮影中なんですが……」 勢い込んで話そうとしたあかねに、電話相手は申し訳なさそうにいった。 「あ、なんだ長谷川さんか……。」 相手が話したかった恋人でないとわかり、あかねは脱力してしまった。 「はは、なんだはひどいなぁ」 「あ、ごめんなさい」 「いえいえ。ところでご用件は? 緊急の用事ですか?」 「いえ、ちょっと声が聞きたくて……すみません、かけなおします」 仕事を邪魔してはいけないという気持ちが、本心を無理やり押さえ込んだ。心の奥がかすかに痛む。 「そうですか、いつも電話に出られなくてすみません。友雅さん最近お疲れなようで、休憩時間とかすぐ寝ちゃうんですよ」 長谷川という電話の相手は、申し訳なさそうにいった。 「いえ、いいんです。友雅さんにお仕事頑張ってくださいって、伝えてください。またメールとかしますからって」 「はい、承りました」 それでは、といって通話を切った後、あかねはツーツーをいう受話器を見つめたまま、本日何度目になるかわからないため息をついた。 「……会いたいなぁ」 高校生になったとたん、京という異世界に召喚されてしまったあかね。たくさんの不思議な出来事に遭遇した。 敵対していた鬼を倒し、この現代へ戻ってきたあかねのかたわらには、一人の男がいた。もと左近衛府少将、橘友雅である。 彼はあかねと時を過ごすうちに彼女にひかれ、離れたくないと切望し、すべてが終わった後、彼にとっては異世界であるこの現代へ来てしまったのだった。 友雅は現在モデルを職業としている。甘いマスクのせいか大人の色気のせいか、かなりの人気があり、テレビこそ出ないものの、どんなファッション雑誌にも1カットは載っているであろうという知名度である。 そんな有名人であるから、当然スケジュールもキツイ。あかねはここのところ、全く友雅と話していないのだった。 ちなみに、さきに出てきた長谷川という人物は、友雅のマネージャーである。なにかとあかねの世話を焼いてくれるのだが、今回のスケジュールラッシュは中々うまくいかないらしい。 どれほどの時間が経過したであろうか。あかねはひざを抱え込んで、じっと雨の音を聞いていた。 しかし、そろそろ夕食の準備に取りかからないと…、とキッチンへ向かった。 あかねは大学生になった。遥かなる世界より帰ってきて、もう四年になる。現在はこのアパートで一人暮らしをしている。 大学生になったから。と一人暮らしをさせてもらったが、本当の理由は、少しでも友雅と会える時間を増やすため。 しかし、あかねの時間があっても、友雅になければ会えない。仕事場には行けない。じゃまをして困らせる、嫌な女にはなりたくない。 でももう、限界かもしれない。 頭の隅で友雅のことを考えながら、食事や風呂をすませた。髪をタオルで拭きながら、あかねは自室に向かった。 「あ〜、レポートがあるんだっけ……」 パソコンの電源を入れ、レポートの資料を取り出しながらも考えるのは友雅のこと。 レポートは全く進まない。 友雅に会いたい。 はかどるという言葉には程遠い速度で、キーボードをたたきながらレポートを作成していると、玄関のベルが鳴った。 時間を見ると、11時半である。 「誰だろう、こんな時間に……」 パタパタとスリッパの音を響かせながら玄関へ向かい、のぞき穴から外を見た。 「と、友雅さん!!」 いそいでチェーンを外しドアを開ける。 そこには、ずぶ濡れの友雅が無表情で立っていた。 「友雅さん、どうしたんですか!?…こんなに濡れて……」 あかねの姿を見留めると、ようやく友雅は微笑みを浮かべた。 「ああ、なんでもないよ。ちょっと…雨に降られてね」 「やだ、唇真っ青! と、とにかく上がってください。今、タオル持ってきますから」 友雅を玄関に招き入れると、あかねはタオルを取りに洗面所へ行った。 タオルを手に戻ってくると、友雅は先ほどのままで立っていた。様子が変だ。 「もう! 風邪引いちゃいますよ! 上着も脱いでください」 バスタオルを友雅の頭にかぶせ、ジャケットを脱がせる。 冷えた体を温めなければと、かいがいしく世話をしながらも、あかねの心は、友雅に会えたことに満たされていた。そうすると次の欲望が生まれてくる。――彼のぬくもりを感じたい。 友雅の髪を拭きながら、抱き着きたい衝動に幾度もかられたが、ひとまずは我慢。友雅が無言のままなのも気になる。 「友雅さん……。いきなりどうしたんですか? 撮影は終わったんですか? ああもう〜、こんなに唇が冷たい…」 「では……温めてくれるかい?」 「え?」 「……会いたかった」 頭が理解する前に唇を奪われ、その瞬間に思考が停止してしまった。 ただ、唇が触れる瞬間に友雅が言った言葉が、耳に残る。 「……んっ……」 なつかしいぬくもり。友雅の体は冷えきっているはずなのに、抱き締めてくる腕は、不思議と暖かかった。 何度も角度を変えて接吻けられ、頭の奥がしびれてくる。思考が遠くなる。この光景を客観的に見ているようで、自分が自分でないようで……。 友雅はあかねの唇から頬、首筋へと接吻けていった。 時折強く吸って、あかねの首筋に桜を散らした。 「…んっ、ちょ……友雅さん……!」 友雅の与える刺激に、なにかが背筋を駆ける。あかねは立っていられなくなって、その場にへたり込んでしまった。 「……と…友雅さ…ん……」 気が付くと、友雅はあかねの首筋へ顔を埋めたまま静止していた。 「と……友雅…さん?」 もしかして具合が悪かったんじゃぁ……。 あかねは恐る恐る顔をのぞき込んでみた。 「…………寝てる……」 友雅は安らかな寝息を立てて寝ていた。 その寝顔を見て、あかねはクスクスと笑った。普段の顔からは想像もつかないほど、あどけない寝顔だったから。 「カワイ〜〜。友雅さんって、こんな顔して寝るんだ。ふふ。……でも……重いなぁ……」 力の抜けた人間は重い。それが自分より体の大きい男性ならなおのこと。 二人して玄関にへたりこんだまま、あかねは解決策を探した。しかし、あかねの腕力でどうにかなる問題ではないのだ。 「起こすのはもったいないしなぁ……」 その時、どこかで音楽がなりだした。友雅の携帯の着メロらしい。 音は友雅のジャケットから聞こえてくる。なんとか手を伸ばし、携帯を取り出した。表示は長谷川となっている。 「もしもし?」 つかのま迷ったが、きっと友雅のことを探しているんだと思い、あかねは電話に出た。 「もしもし! えっ? アレ? あかね…さん?」 「はい、そうです」 「ってことは……友雅さん、またあかねさんの家にいるんですね。まったくもう〜!」 言葉から、友雅の常習犯ぶりがわかって、あかねは苦笑した。 「すみません」 「あかねさんが謝ることじゃないですよ。まったくもうあの人ったら、夕食の途中で消えちゃうんですから」 「大変ですね」 「そうなんですよ! わかってくれます〜〜!?」 苦笑しながらそう言うと、長谷川は鼻息も荒く訴えてきた。 「あ、ところでどうしましょ。今友雅さん寝ちゃって……」 「あ、大丈夫です。消えたから探してただけですから。でも、どうしようかな。明日も撮影入ってるんだよな」 「………………」 そう聞いて、胸の奥が痛む。友雅の突拍子もない行動に戸惑ってはいたのだが、もう少しこのままでいたい。 「……ま、いいや。明日は休みにしちゃいましょう」 あかねの沈黙を見やってか、長谷川はそう言ってきた。 「えっ!! いいんですか!?」 「……あかねさん、お願いだから嬉しそうにしないでくださいよ……ボクもういっぱいいっぱいなんですから……ホントに……」 「あ、すみません」 電話の向こうで長谷川が苦笑しているのがわかった。 「でも、いいんですか? 本当に」 「あ〜も〜、いいですよどうでも。どうせ写真集の撮影ですから、遅れてもあんまり迷惑はかかりませんし。発売日が遅れただけでぽしゃるような、やわな人気はしてませんから」 長谷川は投げやりに言う。しかしその中に自分たちを思いやってくれる心を見つけて、あかねは嬉しくなった。 「それに、このままだとその人キレますって。明日はゆっくり休んでください、って伝えてください」 もうキレました。…とは言わず。 「はい。ありがとうございます」 「あ、それと、遊び過ぎちゃだめですよ。明後日の仕事がありますからね!」 最後に念を押して、長谷川は通話を切った。 ツーツーとなる携帯を、昼とは違う気持ちで見つめたあかねは、 「さて……どうしようかな……」 今更だが、問題はまったく解決してない。 あかねはため息をついた。 「あ、パソコンつけっ放しだ…………」 まどろみの中で寒気を感じ、友雅は腕に抱いている温かいものを引き寄せた。 「!!」 その瞬間、我に返ってあわてて起きる。 「ここは……」 薄暗い部屋。寝ていた場所は硬い感触がし、よく見ると玄関であった。 ぼぅっとする頭を振って、ようやく友雅は覚醒した。昨日の記憶。ここはあかねの家だ。そして今の今まで抱いていたものは……。 「……あかね……」 あかねは昨日の友雅に寄りかかられた状態で眠っていた。友雅の髪を拭くのに使ったバスタオルは、少しでも温かいように、と友雅の肩にかけられていた。 友雅は手で顔を押さえ、盛大にため息をついた。 「全く……なにをやっているんだ私は」 少将、生まれて初めての汚点。 とりあえずまだ寝ているあかねを、友雅はベットに連れていこうと抱き上げた。 「体が冷たい……すまなかったね、あかね」 誰にも、おそらくあかねにさえも見せたことのないような弱気な表情で、友雅は謝った。まだ夢の中にいる愛しい姫に向かって。 朝日が昇り始めていて、あかねの部屋は明るかった。 あかねをベットに横たえると、朱の散った首筋と乱れた襟元が目に入った。 友雅はまたしても盛大にため息をついた。 「はぁ〜……。キレる寸前だったか……………」 情けない気持ちになりながら、友雅はあかねの額に接吻けした。 「私は…こんなに弱い人間だ。少し会えなかっただけで、君を傷つけそうになった。私はいつか、君を壊してしまうかもしれない」 それでも、私を欲してくれるかい? 最期の一言はかすれるほどに小さい。ぎりぎり聞き取れるかというようなつぶやきだった。 「……はい」 「あかね……起きて…」 「そばにいてください、私の。私だって、どしようもなく不安だったもの。友雅さんを信じる信じないとかいう以前に、触れていたくて不安だった」 あかねは横たわったまま腕を伸ばし、友雅の首に巻き付けて言った。 「友雅さんが好きなの。世界中の誰よりも好きなの。触れていたいの。……私だって、弱いよ。みんなそうなんだよ。だから自分の片翼をみつけて、幸せになるんだよ」 だから、だからね、お願い……私を抱き締めていて。 言葉は紡がれながら、また夢の中に消えていった。 友雅はからめられたままのあかねの腕を見て、苦笑しながら。 「やれやれ、これでは先程と立場が逆だ」 以外なほど強い力でからめられており、友雅は腕を外すことをあきらめ、あかねの髪をなでた。 だからね、お願い……私を抱き締めていて。 「お望みのままに、姫君」 恋人たちは、安らかな眠りに落ちていった。互いの温もりを感じながら。 昨日の雨はやみ、鳥の歌声が二人を導いていく。 あと少し、せめてもう少し日が昇るまで。どうか安らかにおやすみ。 |
〜あとがき〜 ちょっとクセになってしまった第2弾です(笑) しかも休日の続編的ですね。世界感が一緒です。 なおかつ本日の商品は、友雅さんが弱ってるだけじゃなくかわいそうです(核爆) |
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