続・心の涙

「…さ…ん……泰明さん……」
 遠くで自分を呼ぶ声がする。
 優しい声で自分を呼ぶ。暖かな光のように、美しい絹のように、自分を包み込む。 心地いい。
 ……だが、不快だ。
 お前は、まだ私を呼ぶのか? 置いていったくせに……。




「…き……泰明…」
 以外に真実味を持って聞こえたその言葉に泰明は覚醒した。
「泰明」
「あ……お師匠か……」
 頭の奥がしびれているような感覚を起こし、泰明は背もたれにしていた木から体を起こし、頭を押さえた。
 少し耳鳴りがする。
 聞こえていたのは中性的な男の声。師匠であり泰明の生みの親でもある安倍晴明の声だった。
「こんなところで寝ていては風邪を引くぞ」
「なにか用か、お師匠?」
 いつもの話に入る前に、先手を打って聞いてきた泰明に、晴明はやれやれと嘆息しながら言った。
「一つ、仕事を頼まれてはくれるか?」
「……わかった」
 本当は仕事も…なにもしたくなかったが、泰明はうなずいた。
 じっとしているよりは、動いて入る方が考えないと思ったからだ。




 月の夜の静寂を、しばし破る邸があった。さる貴族の邸だという。
 その邸に住まう姫が、高熱に倒れしてまったのだ。薬などは全く効かず、熱にうなされ、はかなくなっていく一方だとか。
 泰明が呼ばれたのは、その姫の穢れを祓ってほしいということだった。
 龍神の神子が鬼に勝ち、怨霊を祓っても、京はもともと妖しの都。妖怪、精霊、人の手による呪い……陰陽師の仕事がなくなった訳ではないのだ。
「邪気粉砕、急々如律令! 悪しきものよ、立ち去れ!」
 姫に取り憑いていた呪詛は、風になり姫から分離した。そのまま泰明の持つ札に吸い込まれ、符を赤黒く染めた。あとはこれを燃やし、それで終わりだ。
 が、符が砕け散った。
「くっ」
 札から再び出てきた呪詛は、泰明の左頬に朱を走らせた。鮮血が狩衣に赤い染みをつくった。
「火神招来、急々如律令。十二神将、凶を焼き尽くせ!」
 泰明に招喚された火が、形ないものを焼き尽くしていく。
 やっと、室に静寂が降りた。




 泰明は一人で室にいた。
 御簾を上げ、柱に背をもたせ掛け、ただ月を見ていた。
「めずらしいな、お前が傷を受けるなど」
 うつろげに視線を動かすと晴明がいた。盆を片手にこちらへ向かってくる。
「どうした? お前がてこずる相手とも思えなかったが?」
「てこずってなど……」
「そうか? あんな相手に十二神将など持ち出して……。それでもてこずってはいないというんだな?」
「……………」
 押し黙った泰明を見て、晴明は喉の奥で笑った。
「力が安定しないのは、神子殿のせいかな?」
 とたんに泰明の視線が鋭くなった。突き刺すような視線。その瞳が、言うなと語っている。
 そんな視線も、晴明はどうじない。心の中が読めない飄々とした笑顔で、酒を口に運んだ。
「神子殿も、ずいぶんとわが子を変えてくれたものだな」
「いうな、お師匠。……忘れたい」
「忘れられるのか?」
 からかいを含んだ口調。答えを知っている者の言葉だ。
「わからない……。いや違う、わかっているんだ、私は。忘れられない。忘れられる訳がない。………忘れたくない」
 泰明の目から、一筋の光が流れた。
 それを晴明の狩衣の袖に拭われて、やっと泣いていると認識した泰明は、目を伏せた。
「今でも焦がれている、私に向けられるあの笑顔に。私を呼ぶ、あの声に。私を迎えに来てくれた夜、ただ一度だけ抱き締めた、あの温もりに」
 晴明は黙って聞いている。
 今夜は雨も風もない。泰明の告白を妨げるものは、何一つなかった。
「夢の中で、いつも私は神子に呼ばれる。残ってほしいと願った私に、否をとなえたその口で。……神子は卑怯だ。こんなにも私の心を盗んで……置いていった」
 そして沈黙。
 かたわらにいる晴明は、黙って杯を傾けていた。
 このまま時が止まるかと思われた瞬間、晴明が口を開いた。
「ならば、神子殿に苦情を申し立てに行くか?」
 あまりにも晴明がさりげなく言ったためか、しばらくは何も動かなかった。
 泰明はゆっくりと顔を上げ、静かにいった。
「何を……言っているのだお師匠」
「だから、神子殿に文句を言いに行くかと聞いた」
「なにを……」
「ずっと考えていたのだがな……」
 ばかなことを……と言いかけた泰明を制し、晴明は言葉をつづった。
「神子殿の世界へと道を開いたのは、鬼の首領だったな?」
「……そうだ」
「陰陽師でもない鬼の首領に道が開けたなら、私にも可能かと思ってな」
「そんなことが……できるのか?」
 夢を見ているような泰明の表情に、晴明はにやっと笑っていった。
「なんだ? お前は鬼の首領にできることが、私にはできんと思っているのか? 私の方弱いと?」
「陰陽道に関しては、お師匠は都一だ」
 先程の不安そうな顔はどこへやら。きっぱりと言い切る泰明に、晴明はこらえ切れず吹き出した。
「はっはっはっ、それはそれは」
 晴明の笑いが収まるのを待って、泰明はもう一度聞いた。
「できるのか、お師匠?」
「ああ、やることはできる。ただ、一つ問題があってな」
「なんだ?」
 勢い込んで聞いてくる泰明に、またも笑いそうになるのを堪えながらも、
「力が足りんのだ。鬼の首領は京の人間を犠牲にし、その力を使ったようだが、私たちはそうはいくまい。天狗とも協力することにしたが、まだ少し足りなくてな。だから……、おまえの力を貸せ」
「私は何をすればいいのだ!」
「正しくは、お前を創るのに使った私の力だ。戻してしまえば、お前の陰陽師としての力は失われる。……それでもかまわぬか?」
「……かまわぬ」
 正直なところ、本当は不安だ。ずっとこの力とともにあったし、神子を守ることが出来なくなるかもしれない。しかし、会えるのなら……。




「ちょっと待て。私の力が必要ということは、お師匠も、かなりの痛手を受けるんじゃないのか?」
「心配するな。しばらく休めば少しは戻る」
 何のことはないように、晴明は笑った。
「少しはって……」
「私の歳を、知っているか? 泰明」
「ああ」
「私は少し長生きし過ぎる。椿も死に、友も死に、昔の弟子たちも死に。残っているのは天狗だけとなってしまったよ」
 晴明は自嘲気味に笑った。
「この力は威力があるゆえに疎まれる武器のようなもの。いずれは大切な者を傷つける。」
「お師匠……」
 愁いを帯びた晴明の表情に、泰明は何も言えなかった。
「だから、その前に有効に使っておくかと思ってな。なに、それでも妖しごときには負けんし、弟子たちに遅れをとったりもせん。今とたいして変わらぬよ」
「お師匠……すまぬ」
 泰明は泣いた。静かに涙を流れさせて。
 晴明は、そんな泰明の涙を拭いながら言った。
「椿も、こうやってよく私のために泣いていた。最後は私のために死んでいった。その骸でお前を創った。そのお前が笑うなら、私はどんなことでもしよう」
「お師匠。この体が……お師匠の奥方が、お師匠といることが出来てうれしかったと……いっている気がする」
 晴明はにっこりと穏やかな微笑を浮かべた。
「そうか……。では私の選んだ道は、正しかったのであろうな」




 あかねは草むらを歩いていた。
 この道を真っすぐ行くと、あの古井戸のある原っぱだ。
 京の世界から帰ってきて以来、あかねは毎日欠かさずここへ来ていた。
 授業が終わるとここへ来て、日が落ちてから帰る。そんな毎日だった。
「あかね、今日も行くのか? これからどっか行かねーか?」
 天真にそう誘われたが、あいまいに答えて、またここへ来た。
 別に、何かを期待してのことではない。ただなんとなく。
 あえて、理由を必要とするなら、帰ってきた日に雨が降っていたから。……泰明の涙に思えて……。
「ばかだなぁ……私」
 原っぱと林の境に、ちょうど座れる高さに幹を伸ばした木がある。いつもそこに座って井戸を見ていた。
「泰明さん、どうしてるかな……」
 言葉に出してしまってから後悔する。自分は泰明を置いて戻ってきてしまったのだ。必要ないとも言われたのに、泰明を今更気にするなんて。
「……間違ってたのかなぁ」
 自分の選んだ道は正しかったのだろうか? 本当に正しい道は、どの道だったのだろうか。
 ふいに涙が出そうになった。
 いろいろな思いが交錯し過ぎて、何も考えないで泣きたくなってくる。
「つ……うっく……」
 あかねは我慢した。なんとなく泣くのは卑怯な気がしたから。
 しばらくして雨が降ってきた。
 今日降るって言ってたかな? などと思いつつ、幹にもたれながら濡れていく。
「……泰明さん……」
 自分さえも聞き取れないような、小さな声。
 しかし、返答があった。
「なんだ、神子? こんなところにいては風邪をひくぞ」
 びっくりして振り返った。振り返ったひょうしにバランスを崩し、幹から落ちてしまった。
「いったぁ〜い」
 痛みに顔をしかめながら、声の聞こえた方を見てみる。
 なにも……誰もいない。
「気のせい……か」
「気のせいではない」
 今度は正面から聞こえた。
 振り返っていた首を、恐る恐る前に戻す。
「や、泰明さん……?」
「全く、神子はいつも落ち着きがない」
「す、すみません……、じゃなくて、本当に泰明さん?」
「そうだ」
 泰明はあかねの手をつかみ、起こした。
 手には温もりがある。実感がある。幻などではない。
「どうして……」
「お師匠に道を開いてもらった。……お前に会いたかった」
「私もです!」
 抱き着こうとして、あかねはふと我に返った。
 自分は泰明を置いてきたのではなかったのか? 今更好きだと言える立場か?
 あかねの躊躇を見て取って、泰明は静かに言った。
「神子には文句を言いに来た」
 あかねを木の幹に座らせた。
「文句……?」
 あかねは身構えた。自分は言われてもしょうがないことを、泰明にした。
 うつむきたかったが、うつむけなかった。泰明の緑と黄色のオッドアイに吸い込まれてしまいそうだ。
「神子は私の心を盗んだ。こんなにも盗んで神子はずるい。責任を取ってくれ」
 そこまで言って、泰明は柔らかくほほ笑んだ。
「神子は私の元へ残るのは無理だと言った。だから今度は私が神子の元へ来た。……残ってもいいか?」
 じんわりと染み込んでくる言葉。それがとても嬉しかった。
「神子……泣くな……」
 泰明が服の袖で、あかねの涙を拭ってくれた。
「ふふ、いつかと反対ですね」
「そうだな。あのときは神子がいてよかったと思った。今は……お前はそう思ってくれるか?」
「はい……はい! 思います!……や、泰明さんがいてくれて……ほんとに……」
 また涙があふれ、あかねは顔を覆った。
 そんなあかねを泰明は抱き締めた。あかねの体は雨に濡れ、少し冷たかった。
「そばにいていいか?」
 もう一度聞く。
 腕の中に、あかねが何度も頷いているのを感じる。
 泰明はあかねの腕をつかんでそっと顔からどけると、そっと口づけた。
「……ん……」
 あかねの目尻に残る涙の後も唇で拭い、
「私は神子の笑顔を見たくてここまで来たのだ。神子にはいつも笑っていてほしい」 泰明からのキスで顔を朱に染めながらも、あかねは笑った。
 少し照れくさかったから、はにかんだ風になってしまったかもしれないが、とびきりの笑顔を泰明に向けたかった。
「好き……大好き、泰明さん! ずっと一緒にいようね」
「ああ、共に……」
 雨は降っていたけど、二人は互いの温もりを感じ、温かかった。
 涙の後に笑顔があるように、きっと明日は晴れるのだろう。

 

〜 あとがき 〜
 というわけで、続編です。
 タイトルの後に「弁解編」とつづきます(笑)
 これも水蓮の所属しているサークルで発表した話。
 私ごときの力量てで連載しちゃいましたよ。ごめんなさい〜(汗)
 それでも泰明さんは幸せになったので、そんなところで勘弁して下さい。
 読んで下さった皆様、ありがとうございました。

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