懐中時計

――カツン

 制服の内ポケットから滑り落ちたものを見て、あかねは懐かしさのあまり顔をほころばせた。
「あ〜。そういえばコレ、持ってきてたんだよね」
 落ちたものを大事そうに持ち上げて、ほほ笑む。
 ポケットから落ちた物。それは懐中時計だった。
 手のひらに収まってしまう、比較的小さな懐中時計。その色は金色で、結構な年代物であろう金属のにぶい光沢輝いていた。
「ずっと持ち歩いてたもんな〜」
 あかねは懐中時計の蓋を開け、その瞬間目を見開いた。
「あ! 割れてる!」
 見るとガラスにひびが入り、時計の針は止まってしまっている。
「ショック〜、いつ割れちゃったのかな?」
 この世界に呼ばれてしまうずっと以前から、どんな時も持ち歩いてきたものだ。今着ている水干へ着替えてからは、持ち歩くことを失念していたが。
「ううぅ〜。ってことは、この世界に来た時?」
 その時以外に、考えられる出来事はない。
「…………」
 時計を見つめるうち、あかねはだんだんと表情を曇らせていった。
 時を刻むことを止めた時計が、自分と重なって見えた。
「私はいつまでこの世界にいられるのかな……?」
 鬼との戦いが終わり、とある人に請われ、自分は京に残った。
 しかし、時々ひどく不安になってしまう。
 これは夢じゃないかと考えてしまう。
 目が覚めたらすべての出来事が夢で、自分がやってきた事は幻なのではないか。
 愛しい人とは、もう二度と会えないのではないか……。
「もう一度、動かないかな〜」
 ため息をつきながら、時計を撫でる。
 せめてもう一度動いてくれたら、夢ではないと思える気がするのに……。
「だめだめ! 弱いぞ自分!」
 …………でも、弱いんだよね。
 再び暗い思考に沈もうとするあかねの後ろで、空気が動いた。
「何を持っているだい?」
 艶やかな声がかけられ、あかねは振り向いた。
「きゃ!」
 振り向いたとたん見慣れた顔と視線がぶつかり、あかねはびっくりして悲鳴をあげた。
「おや、驚かせてしまったかな?」
 あかねの反応がおもしろかったのか、友雅はくすくすと笑いながら言った。
「もう! 脅かさないでください! 友雅さんってば、いつも唐突に現れるんだもの……」
「これでも一応武官だからね。身のこなしは軽いつもりだよ」
「……軽すぎですよ……」
 いつも唐突に現れて、そのたびにあかねは驚かされてしまう。ただでさえ友雅の魅惑的な声は、心臓に悪いというのに……。
「それで、何を見ていたのかな?」
「あ、コレです」
 再度聞いてきた友雅に、あかねは持っていた懐中時計を差し出した。
 あかねの隣に腰を下ろしながら、友雅はあかねの手の中を見つめ首をかしげた。
「なんだい? それは」
「これは懐中時計ですよ」
「かいちゅう……?」
 言葉の意味が分からないらしく、首をかしげたまま復唱する。
「懐の中の時計、って書くんです。時計は……えぇっと、時刻を計ってくれる機械です」
「ほう……。便利なものだね。それで、どうやって計るんだい?」
「えっと〜……」
 常識の違う相手に物事を説明するというのは難しいものだ。普段何の疑問も抱かないで使っていた言葉も、言葉自体の意味を説明しようとするとわからなくなる。こういうとき辞書があれば……。などと思っても、所詮ない物はない。
 それでもあかねは、友雅のために一生懸命身振り手振りで説明を試みた。
 好奇心があるのか、それとも単にあかねの声が聞きたいのか、友雅はいつものことながらよく聞いている。
 あかねはそれがとても嬉しくて、なるべくわかりやすいように、と言葉を取っ替えひっ替えしながら、話をした。
「なるほどね。しかし、その時計は止まっているね」
「あ、はい。壊れちゃったみたいで……」
「直せないの?」
 直したいのはやまやまなのだが、じつはあかねは、この時計をバラしたことがない。
 この時計が止まったときは父が直してくれていたし、なによりネジを開けるドライバーがない。なおかつ機械オンチの自分が触って、一層壊してしまうのも怖い。
 あかねはため息をつぃた。
「多分……、無理だと思います。蓋を開けて、中を見ることもできないもの」
「そうか……」
 そう相槌をうちながらも、友雅の視線は懐中時計に注がれている。
 なんとか直せないものかと考えているのがわかり、あかねはほほ笑んで懐中時計を胸に抱いた。
「大丈夫ですよ。動かなくても、思い出がなくなった訳じゃないもの 」
 大事そうに抱えながらそう言うあかねに、友雅は穏やかな笑みを浮かべた。
「……強いね、君は」
「そうかなぁ?」
 自分は弱い。
 さっきまで考えていた不安も、他人から隠すことしかできないし。
 わかってはいるが、なかなか改善できるものではない。
 だが友雅にそう言ってもらえたことが嬉しくて、あかねは照れ笑いを浮かべた。
「そういえばその時計。結構年代物なんじゃないかい? 金の冠だって、そこまでいい色になるには時間がかかるものだが」
 友雅にそう指摘されて、あかねは懐中時計に視線を戻した。
「お母さんの形見なんです」
 実は、あかねの母はすでに他界していた。この時計は父と母が結婚するときに、父から母へ贈られたものだという。
「それだけじゃなくて、お父さんの両親の形見でもあるんです」
 祖父もまた、恋人にこの時計を贈った。そうやって時を越えてきた時計は、今あかねの手の中で時を止めている。
「おじいちゃんやお父さんががそうしたように、いつか結婚するときに相手に渡しなさいって」
 目を細め、優しい目つきで時計を見つめるあかね。
 そんなあかねを視界に捕らえつつ、友雅は口を開いた。
「では、贈っていただけるように頑張らなくてはね」
 言われて、初めて自分が何を口走ったかを実感したあかねは、友雅の言葉に顔を真っ赤に染めた。
「ええええええぇ〜っと」
「いやかな?」
「いいいいやってワケじゃ……ないんです……けど……」
 照れて焦っているあかねを見ながら、友雅は楽しそうに笑った。
「もう! 笑わないでください」
「ふふ、すまないね。君があまりにも可愛らしいのでつい、ね」
 そしてまじめな顔になって、
「まぁ、ふざけるのはここまでにしておいて、…そろそろ良いころだと思ってね」
「えっ?」
「私の邸に、来ないかい?」
 ほほ笑んだままではあるが、真摯な輝きを増したその瞳と、安らぎをくれるその声に、あかねは心臓が早鐘を打ち始めたのを感じた。
 現代で言えば、プロポーズにも等しいその言葉に、頭が真っ白になってくる。
 こんなとき、なんて言えばいいのだろう?
「えっと、その……」
 ありがとう? 嬉しい? 言葉は脳裏をかすめるだけで、上手く口から出てこない。
 まごまごしているあかねに、友雅は再び口を開いた。
「無理にとは言わないよ。こちらにいたいならそれでもいい。ここには藤姫もいるしね。私は毎日君に会えればよいのだから」
「あの、あの、えっと……」
 友雅の優しさがあかねの思考停止に拍車をかけた。
 それを困惑と悟ったか、友雅はあかねの髪にさわったあと、ゆっくりと腰を上げた。
「ゆっくり考えなさい、ね」
 そういって立ち上がってしまった友雅を見て、あかねは焦った。
 行っちゃう……!
「違うの!」
 御簾を閉じた扇で押し上げようとしていた友雅は、あかねの声にびっくりして振り返った。
「あかね?」
「違うの。ここにいたいわけじゃなくて、あっ、別にいやじゃないけど、そうじゃなくって、その、えっと……」
 焦るあまり、何を言っているのか自分でもわからない。
「だから、友雅さんと一緒にいたいの!」
 何がだからなのかまったくわからないが、ああかねはとりあえず一番伝えたいことを叫んだ。
 心なしか息を弾ませながら叫んだあかねに、友雅は驚きのあまり目を見開いた。
 そして心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
 なめらかな動作であかねのそばまで戻ると、あかねの頬に手を置いた。
「あ……」
 恥ずかしさにうつむいてしまったあかねに、友雅の穏やかな声がかけられた。
「私の元へ、来てくれるの?」
「……はい……」
 耳まで真っ赤にして、あかねが答える。
「ずっとそばに?」
「……はい!」
 声自体は小さかったが、しっかりと頷いたあかねを友雅は抱きしめた。
「ありがとう。ありがとう、あかね」
 たくましく力強い腕に抱かれながら、あかねは友雅に体を預けた。
「……大好きです。友雅さん」
 恋人たちは誰もいない室の中で、ゆっくりと口づけした。




「コレ、友雅さんの物ですね」
 そう言って懐中時計を差し出すあかねを、友雅は制した。
「それは君が持っていなさい。私には扱い方がよく分からないし、大事なものだろう?」
「それは、そうですけど……」
 名残惜しくないと言えばウソになる。が、大切なものを大切な人に持っていてもらいたい。
 あかねがそう言うと、しかし友雅は首を振って、
「私はもっと大事なものをいただいてしまったからね。それに、持っている君が私と共にいてくれるなら、私が持っているも同然じゃないかい?」
「……ありがとうございます」
 じつはうまく友雅に丸め込まれたのだが、あかねは気づかない。
 なんだかんだ言いつつも、思いでの品が手元に残ったので、あかねははにかみ笑いを浮かべながら友雅に礼を言った。
「……ところで、もっと大切なものってなんです?」
 友雅のひざに座りながら、あかねは疑問に思って聞いた。
 友雅の考えそうなことといえばわかりそうなものだが、鈍感なあかねにはわからないらしい。
 小首をかしげつつなあかねに、友雅は顔を近づけ、
「手の届かないはずの月を、手に入れることが出来たのだよ」
 そう言って、あかねの耳に息を吹きかけた。
「きゃ!」
「同じ懐に入れるものでも、桃源郷の月を懐に入れることが出来たのだからね」
「ちょっ、友雅さん。懐って…きゃぁ!」
「愛しているよ」
 そうささやいて、耳たぶをなめる。
「ひゃぁ!」
 あかねは耳が弱いようだね。
 くすぐったさに耳を手で押さえたあかねに、忍び笑いをもらしつつ、
「月と、その月が持つ大事な品。両方とも手に入れることが出来た私は、なんとも贅沢な男だと思わないかい?」
「〜〜。 もう! 知りません!」
 そっぽ向きながら、あかねは考える。
(もしかして、早まった判断だったのかな〜……)
 この調子でからかわれては、身がいくつあてっても足りないのではないか。
 早くもあかねは前途多難な思いに陥っってしまった。

――カツン

「あっ!」
 思考が他に飛んでいたために、あかねは持っていた懐中時計を取り落としてしまった。
「あ〜あ、また落としちゃった」
 自分のおっちょこちょいさが恨めしい。
「大丈夫かい?」 
「多分……、これ以上は壊れていないと思うんですけど……」
 そういって、懐中時計の蓋を開ける。
「あっ!」
 蓋を開くと、止まっていたはずの針が動き出していた。
 秒針が動くその音は、聞き慣れた時を刻む音。
 その音を聞いているうちに、ふいにあかねの目から涙がこぼれた。
「あかね? おやおや、動いたのがそんなに嬉しいのかい?」
 友雅に涙を拭われながら、あかねは懐中時計を抱きしめた。
「うれし……」
 時が動いた。
 その事実が、あかねの心に安らぎの波紋を起こす。
 愛しい人と大事な物。
 この二つと共にある限り、自分は負けないでいられるだろう。
 あかねの時は動き出した。
 その目に映る全てのものを、美しく生まれ変わらせるために、あかねはきっと歩いていけるだろう。

 

〜あとがき〜
 お知り合いサイトさん開設のおめでとう作品でした。
 すっごくすっごく遅れましたが、やっとお祝いをお贈りできます(^^;)
 それにしても〜。懐中時計ってスキです。持ってないんですけども。
 なんとかソレをネタに書いてみたかったのがこの話。お粗末さまでした。

 

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