静寂の降りるとき
「友雅。ご苦労であったな」 「はっ」 清涼殿のある一室、友雅は帝と杯を交わしていた。 それは、新年の催しの警備を勤め上げた友雅へ、帝からの采配であった。 「今日は屋敷に帰るのか?」 友雅は催しの多さのため、ここ何日か参内したまま屋敷に帰っていなかった。 「はい。しかし、土御門によってから帰ろうと…」 「ああ、愛しの神子殿だな」 「主上…」 喉の奥で笑いながら、からかうように帝は言った。今までの浮名を知られているだけに、友雅はばつが悪い。 ゆっくりと酒を喉に流し込みながら、帝はほがらかにいった。 「しかし、神子殿が体調を崩されているとなると、おまえも心配だろう」 「……それは本当ですか」 声を荒げることはしなかったが、その声に勢いを感じ、帝は友雅を振り返った。 「知らなかったのか? 永泉から風邪を引いて寝込んでおられると聞いたのだが?」 もう一口酒を口に運び、杯を見て帝は重ねて言った。 「おっと、こんな風に飲んでいては引き留めているようだな。早く行ってあげるといい」 「あつい〜。だるい〜。頭痛い〜」 すべての言葉に濁点が付きそうな声で、あかねはうめいた。 正月そうそうだというのに風邪を引き、みなが楽しそうにやっているのを聞きつつ、布団に入ってぐったりしているわけなのだが…。 「風邪って、なんでこんなに心細い気持ちになるのかなぁ…」 風邪が移るからと、見舞いに訪れた八葉や看病したいという藤姫を遠ざけたが、せめて誰か一人くらいは来てもらうんだったかな。 そんなことを考えると、浮かぶのは愛しい人の顔。 「あ〜、もう! 友雅さんは仕事中!」 「私が、どうかしたのかい?」 「えっ、と、友雅さん? なんで、仕事は!?」 みると御簾に向かって歩いてくる人影がひとつ。それから聞き慣れた魅惑低音の声。 「いつんまでも私に仕事をさせないでおくれ。さっき終わったよ」 とじた扇で御簾を跳ね上げつつ現れたその人は、紛れもない友雅本人であった。 動いた空気に乗せて侍従の香りが近付くと、あかねは急に我に返って叫んだ。 「いや! 友雅さん、来ないで!」 友雅の動きが止まった。かすれた声であかねに問う。 「…な、ぜ?」 「だって、私、今、変な顔してる!」 きっと風邪のせいでひどい顔をしてることだろう。そんな顔を友雅に見せたくはない。 あかねが来るなと言った意図が分かり、友雅はほっと息を吐いた。 「君の顔なら、どんな顔であろうと極上の織物のように美しいというのに?」 枕元にひざを付き、あかねの顔をのぞき込むように友雅は言った。 「見ないでぇ〜」 いっそう布団に顔をうずめて、かぼそい声で言うあかね。その気になれば布団を剥ぐこともできたが、友雅はそれをしなかった。 やれやれと言ったふうに枕元で居住まいを正すと、小さな姉君の声が聞こえた。 「友雅どの!!」 ふだんの大人びたしぐさはどこへやら、肩を怒らせ、すごい勢いで御簾内に入ってきた藤姫は、友雅をにらみつけて言った。 「もう! 勝手にここまでいらっしゃるのはやめてくださいと、何度も申し上げたではないですか!」 怒った藤姫は鬼より怖い。 「わかったわかった。今度からはそうするよ。ところで藤姫」 「なんですか!」 「一応こちらに病人がいるのだから、もう少し静かに。ひとまずは御簾の外に行こうか」 友雅に言われて藤姫は、大きな目をぱちくり。そして唐突に状況を把握した。 「み、神子様〜。申し訳ありません! 看病をするどころか、ご迷惑をお掛けしてしまって、私ってばなんてことを!」 ちなみに声の音量は先程の十分の一。とてつもなく申し訳なさそうにする藤姫の、先ほどとの勢いの違いにあかねは笑ってしまった。 「大丈夫だよ。それより風邪移っちゃうから、せめて御簾の外に行ってもらっていいかなぁ?」 「はい、すみません。では失礼致しますわ」 あかねに優しく言われて、藤姫は友雅とおとなしく御簾の外へ出ていった。 「なぜ、私にあかね殿のことを教えてくれなかったのかな?」 御簾の中には入らないことを条件に、とりあえず、同じ室の中にいることを許可された二人は、あかねの退屈を少しでも解消できるようにと、琴と琵琶の合奏をしていた。 友雅の台詞は、合奏中の二人にしか聞こえないような、小さい声で発せられたものだった。 「神子様が、お仕事の邪魔になるから知らせないでくれとおっしゃって…」 「なるほどね。やはりあかね殿は優しくて残酷な方だな」 友雅は苦笑交じりにつぶやいた。 「? それはどういう意味ですの?」 いくらあかねが好いている人物でも、あかねの侮辱は許さない。そんな藤姫の問いを受け流し、友雅はあかねの容体について聞いた。 「それが……。頭痛と咳があるようで、あまりお眠りになってませんの。ですから中々体力が戻らなくて…….」 友雅が年始のあいさつに来たときは元気であったから、それから風邪を引いたとなると、約五日もの間寝込んでいた計算になる。 「お薬湯はちゃんと飲んでくださいますし、お食事も少しは食べてくださいますから……やはりお眠りにならないと……なんでしょうか」 藤姫はため息をついた。 そのひょうしに、藤姫は音を違えてしまった。演奏が止む。 「藤姫? 大丈夫?」 御簾の中からあかねの声がした。自分もつらいだろうに、藤姫を気遣う声色である。 「だ、大丈夫ですわ。それより神子様。少しお眠りになりませんと」 「そうなんだけど〜。なんかすぐ起きちゃって……」 その語尾にもごほごほと咳の音が響く。 藤姫はなおさら心細い表情で、友雅を見た。 「そうだな、恐れ多くも帝からいいお薬湯をいただいたから、それを飲むといい。少しは落ち着くだろう」 ちなみにこれは嘘だった。不思議そうな顔をしている藤姫に耳打ちすると、友雅は藤姫を下がらせ、再び琵琶の弦をはじいた。 「あかねはどんな曲がお好きかな?」 「友雅どの」 席を外していた藤姫が戻ってきた。手には湯飲みと銚子を乗せた盆がある。 「ああ、ありがとう」 盆を受け取り、友雅は御簾の中へと入ろうとした。 「と、友雅さんってば〜」 「ああ、そうだったね。しかしこれでは君のもとへお薬湯を持って行けないよ。入ってもいいだろう?」 「だめです。私が取りに行きますから、入り口に置いといてくれませんか?」 みっともない顔を見られたくないあかねは必死だ。 「しかしねぇ」 と言いつつも、あかねがこちらえと這ってきたのを見て、とりあえず盆を入り口に置いた。 しかし、もともと寝不足で体力のないあかねだ。途中で力尽きでうずくまってしまった。 「ほら、言わないことじゃない」 友雅は嘆息して御簾内にはいった。 「友雅さん! 入らないで、って、ばぁ」 ぜえぜえと息を切らし、それでも言うあかね。 しかし友雅も黙ってはいられない。このままいたら、体が冷えてますます悪化してしまう。 友雅はあかねを抱き上げ、布団の方へ運びながら言った。 「おとなしくしていなさい。そんなにイヤなら、私は君を見ないから。でないと本当に治らなくなってしまうよ? ね、いい子だから」 「……………はい」 耳元でささやかれ、あかねはやっとおとなしくなった。うつむくようにして友雅に抱かれながら布団へ戻る。 それを見て御簾の外では、藤姫がほっと息を吐いて見守っていた。 「さぁ、これを飲んで」 御簾近くに置いた薬湯を取ってきた友雅に渡され、あかねは湯飲みを手に取った。 「この薬湯、透明なんですね」 「珍しい薬湯だからね」 薬湯も何も、実は酒であった。友雅は、あかねを酔いつぶして寝かそうという魂胆だったのである。 あかねの疑問をいけしゃあしゃあと受け流し、薬湯という名の酒を飲ませた。 「あ、つぅ〜うい」 酒に弱いあかねは、喉を通過する熱い刺激に顔をしかめた。 「喉にも効くからね。少し間をおいてからでもいいから、もう少し飲めるかい?」 「はい。なんか飲んだ瞬間甘くて、シロップみたい」 「しろっぷ? 君の世界にある物かい?」 「はい、風邪薬で、子供用に甘くしてあるんです。子供のころ、よくお母さんに、飲ませてもらいました」 そんなことを言いながらも、よっぽど酒に弱いのか、あかねの頬はうっすらと染まってきた。 友雅に促されもう一杯酒を飲むと、ろれつまで怪しくなってくる。 「ともまささん、あつぅいよぅ」 「少し休みなさい…….こんなとき、君の母上はどんなことしてくれていたのかな?」 「えっとぉ〜。てを、にぎって、くれましら」 トロンとした声で、あかねは言う。なつかしむような響きがあった。 友雅はふっとほほ笑み、 「では母上の代わりに、私ではだめかな?」 そういうと、布団からはみ出た目元がほほ笑み、友雅に向かって手が伸ばされた。 その手を握り締めたかというところで、はやくもあかねの寝息が聞こえ始め、友雅は安堵の笑みを浮かべた。 「お眠りになりました?」 小さな小さな声で藤姫が聞いてきた。 「ああ、眠ったよ。これで少しはよくなるだろう」 「病人にお酒を飲ませるなんて、と思いましたけど、大丈夫だったようですね」 友雅の言うとおりにしたものの、本当に大丈夫かと心配していた藤姫は、あかねの寝顔を御簾越しに見てやっと安心したようだ。 あかねが寝たため、邪魔をしないように藤姫は室を退出することにした。 友雅もそうするようにと促したのだが、 「久しぶりに顔を見たのだよ。もう少しこのままで」 という言葉に、起こさないようにとクギを刺して、そのまま退出した。 しんとした室の中、あかねの寝息だけが静かに聞こえる。 冬の張りつめた空気。しかしそばにある火鉢が暖かい。 「本当に、久しぶりだね」 友雅はあかねには聞こえないように、そっとつぶやいた。あかねの前髪を軽く撫でる。 この姫にはいつも振り回される。それが楽しいと思ったものだが、だた一つ友雅が恐れていることがあった。 それは拒絶。 先程あかねに来るなと言われたときは、全身の血が凍りつくかと思った。 「この私が、想像もしなかったな」 このように恋に溺れるなど。 飄々としているように見えて、本心はおびえている。この少女に振り向かれなくなったとき、自分は果たして生きていられるのだろうか。 あかねの額に浮いた汗を、軽く拭きながら友雅は思った。 「お願いだから、そばに置いておくれ。どんなときも。 君が天に帰ってしまうその日が来ても、君が望んでくれれば、私はいつでも命を断てるのに」 そういって友雅はあかねの額に口づけを落とした。 「ん〜!」 あかねは目を覚ますと、大きく伸びをした。 久しぶりに熟睡した。少し頭痛がするが、飲んだ薬湯が酒だとは夢にも思わないあかねは、風邪が治りきってないせいだと納得した。 ゆっくりと体を起こす。先程より体調が断然いい。 そのときふと気づいたが、あかねは友雅の手を握ったままであった。 「あっ!」 恥ずかしさのあまり、あかねはぱっと手を振りほどいてしまった。 しかし、友雅からの反応がない。 「友雅さん……寝てる?」 見ると友雅は、衣を肩に引っかけて寝ていた。うつむいた顔に、豊かな黒髪が波打っている。 「や、やだ。ずっと付いててくれたの?」 自分が眠りについたのは、たしか昼過ぎである。今は日も沈み、夜中であることは間違いがなかった。 「……おや、起きたかい? 眠り姫」 あかねがパニクっていると、友雅も起きたようだった。 「友雅さん、ごめんなさい。私…!」 「おや、なにをあやまるの? 私が好きでいたことなのに」 「でも、私……手、離さなかったでしょ?」 怒られる子供のように、恐る恐る上目使いで見上げるあかねに、友雅はふっと目を和ませた。 「私が、離さなかったのだよ。手を冷やしてしまったかな?」 「そんなこと!」 むしろ暖かかった。冷えている友雅の体で、唯一暖かい場所と言えるであろう。 申し訳なさそうにするあかねを見て、友雅の心に悪戯心が芽生えてくる。 「では、あかねに暖めてもらおうかな?」 そういって友雅はあかねを引き寄せ、自分の腕の中に収めてしまった。 「と、友雅さん〜!」 結局いつもと同じ展開。 友雅はあかねの首筋に顔をうずめて、あかねという感触を覚えるように抱き締めた。 「……あかね……」 私はいつまで、この月を抱き締めていることができるのだろう。 「……友雅さん……?」 友雅の声に、いつもとは違う真摯なものを感じ取り、あかねはしばらく友雅の腕に身を任せていた。 「…友雅さん…。あの……汗、かいてるから……」 遠慮がちに言って身じろぎするあかねをゆっくり離して、 「そうだったね、これではまた風邪を引いてしまう。早く着替えなさい。すまなかったね」 「いいえ」 そう言ってあかねはほほ笑んだ。 几帳の裏で着替えながら、あかねは友雅に話しかけた。 「友雅さん。私ね、寝ていたときに友雅さんの声を聞いたような気がするんです」 あのときの独白が聞こえていたのだろうかと、友雅は一瞬緊張した。だがそうではなかったようだ。 「なんて言ってたかは覚えてないんだけど、すごく優しく響いてたの」 友雅はあかねの言葉をゆっくりと聞いている。 「それですっごく安心して眠れたの。それでね……えっと…….あれ?」 何が言いたかったのだか。話の道筋を見失ってしまい、あかねは慌てた。 そもそも、なんでこんな話をしているのだろう。きっと、遥か海の底よりも深い、友雅の声のせいだ。 「それで?」 慌てるあかねをくすくすと笑いながら、友雅は促した。 着替え終わったあかねが、几帳の陰から出てきて言った。 「それで…えっと……えっと……。……ずっとそばにいて下さい」 捨てられた子犬のような目で見られ、友雅はなぜか笑い出した。 まったく、不安にさせるのもこの月ならば、安らぎをくれるのもこの月とは。 「友雅さん?」 笑い出した友雅の意図がわからず、首を傾げてあかね。 友雅は再びあかねを抱き締め言った。 「御意に、我が姫」 |
〜あとがき〜 11月に風邪引いて以来、ずっと暖めてきたネタなのです。 もう少し早く書くつもりだったんですけどね(汗) しかしねぇ、病人に酒を飲ませるのははたして有効なのかな〜? やっぱりこの人、いい性格してるよね。 |
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