刻を止めて
「あかね、明後日の夜はお暇ですか?」 夕食の後、なごやかな時間をコーヒーを飲みながらすごしつつ、頼久はあかねに向かって聞いた。 「明後日……23日か。空いてますよ。サークルで飲み会があるみたいだけど私は行かないから」 カレンダーを見ながらあかねはそう答えた。 「よかった。では、外食をしませんか?」 天真に教えてもらったよい店があるのだと、頼久は嬉しそうに誘う。 自分の誕生日を祝ってくれるのだろう。 何年も付き合っていると、こういうのは年中行事になって容易に想像がついてしまうのだが、頼久のその気持ちが嬉しくて、あかねは満面の笑顔で喜んだ。 「ほんと!? 行きたい!」 その笑顔を見て頼久もほほ笑む。 「あ、でもお仕事は大丈夫なんですか? 最近忙しいみたいだし……」 あかねははたと我に返って頼久に聞いた。 最近頼久の帰りが遅いことを、あかねは知っている。 たまに早く帰ってくるが、そんなときはいつも仕事を持ち帰っていることも。 「大丈夫です。その日は早く終わらせるようにしますから」 心配ないというふうにほほ笑んでみせる頼久。 「そう? 無理はしないでね」 祝ってくれるのは嬉しいんだけど、無理してまで外食したくない。 上目使いで覗き込まれ、頼久は苦笑した。 「はい、わかりました」 「よっ、誕生日おめでとっさん」 そう言って小さな紙袋を投げてよこしたのは天真だった。 あかねの誕生日当日。 その日は平日であるから、当然のように昼は大学の講義があった。 「あかねちゃん誕生日おめでとう〜」 ランはかわいくラッピングしてある小包をあかねに手渡した。 「ありがとう、天真君、ランちゃん」 大学のカフェで昼食をとりながらの出来事である。 二人の許可を取ってあかねがプレゼントを開けると、天真からのプレゼントはメンズのネックレスで、ランからは香水だった。 「あ、コレ見つけてきてくれたんだ!」 「ああ、いつも行ってる所でたまたま売ってたからな」 前々から天真の着けているアクセサリを見て、かっこいいとうらやましがっていたあかねだ。 そんなあかねが着けてもおかしくないような、シンプルでクールなネックレス。あまり女々した服じゃなければ、あかねにも似合うだろう。 ランからもらった香水のビンを手に取り、ほんの少しだけ手首に垂らしたあかねは、その香りを嗅いで歓声をあげた。 「ねぇコレ、あれじゃない!? あのホラ有名な店の限定品!!」 なんともさわやかな香りの香水。 ランはにっこりとうなずいた。 「よく買えたね〜。本当、二人ともありがとう!」 プレゼントをひとまずしまい、再び食事を再開したところで詩紋が遅れてやってきた。 「遅くなってごめんなさ〜い」 「詩紋君。レポートは教授に渡せた?」 「うん。高瀬教授ってばすぐにどこかへいっちゃうから……。あ、二人とももうプレゼント渡したんですか? それじゃ、あかねちゃん、これボクから」 そう言って詩紋が差し出したのは平べったい箱と少しのクッキー。 箱の中には品のいいスカーフが入っていた。 「わぁ〜。詩紋君ありがとう!」 「そういえばあかねちゃん、今日の飲み会来ないんでしょ?」 「うん」 「ど〜せ頼久とデートだろ」 やれやれごちそうさま、というように天真がつぶやく。 「あ、もしかしてお兄ちゃんが教えたトコに行くつもりかなぁ?」 「たぶんな」 兄妹の会話に、あかねは身を乗り出した。 「ねぇ、そこってどんなところ?」 「ん〜、きれいな所だよ。っていうか、あかねちゃんは後でのお楽しみにしといたほうがいいんじゃない?」 「そうなんだけど……。なに料理の店か分からないと、どんな服着ていいかわかんないもん」 そんなに衣装を持っている訳ではないが、それなりに合わせたいと思うのは乙女心だ。 「結構いろんなのあるよ。お店はきれいでおいしかったけど、メニューは多国籍だった」 めずらしいよねとランは苦笑した。 「ま、フランス料理でも食べに行く気でいればいいんじゃねぇ?」 天真がそう言ったので、あかねはそのようにコーディネートして行くことに決めた。 本日最後の講義が終わったとき、待っていましたというようなタイミングであかねの携帯に着信が入った。 「誰だろ……。あ、頼久さんだ。…もしもし?」 (あかね、今は平気ですか?) 聞こえてきたのは、心なしか低い頼久の声。 「はい、今講義終わったから大丈夫ですよ。どうかしたんですか? はい……。えっ? 取り消し!?」 頼久はすまなそうな声で話す。 (実はトラブルが起こってしまって、時間には帰れなくなってしまったんです) どうやら仕事先でトラブルが起こり、それに対応しなければならなくなったらしい。 そのトラブルの対応さえも、いつ終わるか分からないという電話だった。 頼久は心底申し訳なさそうに、予約をキャンセルさせてくれと言ってきた。 「うん、わかった。やだ、気にしないでください。じゃ、お仕事頑張ってくださいね」 あかねは努めて明るい声で返事をし、通話を切った。 携帯を見つめてため息をつく。 「ふぅ……。仕方がないか……」 頼久は社会人なのだ。 恋人のために仕事をほうり出すなど許されないことだろう。 結構楽しみにしていたのだが、たまにはこういうこともある。別に頼久に会えなくなる訳ではないのだからと、あかねは自分を納得させた。 「ってことは、今日は夕飯作らなくちゃだ。何にしようかなぁ」 愛しい恋人のために自分ができることは、疲れた体を休める場所を作ること。 あかねはおいしいご飯を作ろうと、近所のスーパーによって帰ることを決めた。 「頼久さん、帰ってくるの何時くらいになるかなぁ……」 あかねはほこり除けのナフキンをかぶせた夕飯を前に、なにをするでもなくぼ〜っとしていた。 足をブラブラさせながら、ちらりと時計に視線を走らせる。 (11時半……あと30分で今日が終わっちゃう……) 特に意味がある訳ではなかったが、今日のうちにもう一度頼久の顔が見たくて、あかねは待っている。 頼久がいつ帰れるかわからないと言うときは、大抵2時3時の帰宅時間になる。 それでももしかしたら早めに帰ってくるかもという思いが、あかねがダイニングでぼ〜っとしている理由だった。 頬づえをつきながら、あかねは何度目になるか分からないため息をついた。 秒針が時を刻む音が耳に残る。 「あと……20分……、無理かなぁやっぱり。…でも…もしかしたら…。……でもダメかなぁ〜」 突然、勢いよく玄関ドアを開ける音がして、あかねは心底びっくりした。 「えっ! なに!?」 期待はしていたが、なかばあきらめかけていたので、その音がなぜ起こったかということに考えがいかなかったのだ。 やがて考えにいたり、あかねは期待を胸に玄関へと向かった。 「お、お帰りなさい!」 はたしてそこには頼久がいた。 急いで帰ってきたためか、呼吸が乱れて、靴を脱ぐ動作がぎこちない。 「あかね! 今、何時ですか!?」 「えっ、えと12時前ですけど……」 「よ、かった。間にあい、ましたね」 そして最後に大きな深呼吸をして息を整えると、あかねに歩み寄った。 「誕生日、おめでとうございます」 そして5センチ四方の包みを取り出して、あかねの前に差し出した。 ドキドキが収まり、やっと頼久に会えたことや祝ってもらえた嬉しさなどを実感し始め、あかねはとびきりほほ笑んで頼久に抱きついた。 「ありがとう! 頼久さん!!」 そんなあかねを優しく抱きとめ、頼久もほほ笑んだ。 頼久のために夕食を温めながら、あかねはダイニングの時計の電池を抜いた。 「あかね、何をしているのですか?」 問われて、あかねはエヘヘと笑って、 「こうすれば、ここはもう少し今日でいられるでしょ? せっかくだから今日のうちにもう少し頼久さんと一緒にいたくて……」 それを聞いて、頼久も時計を外した。 「好きなだけ今日でいられますね」 頼久が食事をするのを眺めながら、あかねはふともらった小包を取り出した。 「開けていいですか?」 「どうぞ、もちろんです」 穏やかな表情を向けられ、あかねは少し照れながら包みを開けていった。 形から想像したとおり中身は指輪のショーケースだった。開けてみると、ピンクダイヤのシンプルな指輪。 「きれ〜」 「すみません、贈り物というとあまり思いつかなくて……」 以前にも指輪をもらったことがある。頼久はそれを指しているのだろう。 あかねはううんと首を振った。 うっとりと眺めた後、少しドキドキしながら指にはめてみた。指輪はあかねの指によくなじんだ。 指輪をはめた手を照れた笑みを浮かべながら頼久に見せると、頼久も嬉しそうに言った。 「よく、お似合いです」 とりあえずは、汚さないようにとひとまず箱にしまった。 包装紙などを片付けながら、あかねは頼久に提案した。 「お風呂とか入って一休みしたら、あとでケーキを食べませんか?」 「ケーキ……あるのですか?」 頼久は意外そうにつぶやいた。 本当は外食後にあかねに選んでもらって買ってくるつもりだったのに、こんなに遅くなってはケーキ屋も閉まっており、買ってくることができなかったのだ。 あかねは恥ずかしそうに手で頬を押さえながら、 「実は、あるんです。自分のケーキを買うなんて、とも思ったんですけど、頼久さんと食べたくて」 ダメですか? 上目使い気味に問われ、頼久は小さく笑った。 「……よろこんで」 そんな話をしている間に頼久の夕食は終わり、二人は交互に入浴をした。 あかねがバスルームから戻ってきたとき、ダイニングには頼久がお茶とケーキの用意をして待っていた。 「お待たせしました」 「いえ。さぁ、どうぞお座りください」 紳士が淑女にするようにいすを引いてもらい、あかねはちょっとぎこちなく、だが嬉しそうに座った。 ウエイターにお茶を入れてもらうようにしてカップを差し出され、ますます幸せになった。 「では改めて、誕生日おめでとうございます」 「ありがとうございます頼久さん」 ホールを買うと食べるのが大変なので、買ってきたのは切ってあるケーキ。ロウソクを立てるスペースはなかったけれど、あかねにはそんなこと関係なかった。 ケーキの甘さと頼久とともに過ごす時間を感じながら、幸せでいっぱいだった。 「そういえば、お仕事は大丈夫だったんですか?」 帰ってきたということは平気なのだろうが、あかねはなんとなく聞いてみた。 すると頼久は苦笑して、 「じつは……まだ終わってないんです」 「えっ!? だ、大丈夫なんですか!?」 抜け出してきたりして。 そんなに無理をしなくてもいいのにという風にあかねが言うと、頼久は優しく否定した。 「無理はしていませんよ。ただあかねの事を課長に話す機会がありまして」 朝から心なし落ち着かない頼久に、上司はなにかあるのかと聞いたのだった。 「そのとき話したのを覚えていて下さって、一段落したときにこう言われました」 若くいる秘訣は恋人といつまでもラブラブでいることだ。俺みたいなおやじになる前に、恋人にサービスするんだな。 あかねはそれを聞いて笑ってしまった。 それが真実かどうかは判断できないが、なかなかユニークな上司だと思った。 頼久にそれを言うと、頼久も笑った。 「そうですね。課長は愛妻家なんです」 「私たちも若いままでいられるかなぁ?」 あかねはおちゃらけてそう言ってみた。 「さぁ? ですがどんなに時を過ごしても、あかねを愛しているというこの気持ちは、変わらないでゆけると誓えますよ」 「そうかも。私も頼久さんに誓うね」 そういってあかねは頼久の手を握った。 その手にもう一方の自分の手を重ねながら、頼久も言った。 「私も誓います」 二人はテーブルご越しに口づけを交わした。 時を刻む音さえしないこの空間の中で、二人は永遠を誓い合ったのだった。 |
〜あとがき〜 知り合いの誕生日祝いに書いた物です。 本文中にはわざと明記しなかったんですが、あかねちゃんと頼久さん、一緒に暮らしてます。 しかし結婚はしていません。あかねちゃんの方は大学生だし。 つまり、同棲ですね。あら、やらしいわねぇ(なにがだ!) 当初は入れられたら“同棲”って明記するつもりだったんですが、あえて書かないで、分かってもらえる人がいるかどうかというのに挑戦しました。 いや、わかんなくっても支障はないんで、楽しんでもらえればそれでいいんです。ハイ。 とにもかくにも、読んで下さってありがとうございました。 |
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