恐いということ

 時刻は夕刻。
 今にも沈みそうな日と、小さな明かりのおりなす無彩色の空気の中で、一人の少女が布団から起き上がった。
 怖い夢でも見たのか、今にも泣きそうな顔で辺りを見回し、母を呼んだ。
「かあさま? どこ?」
 しかし返事は返ってこず、室は静まり返ったままだ。
 少女は急に心細くなって泣き出した。
「かあさま〜!」
 泣き声とともに再び母を呼ぶ。
 しばらくして、こちらに向かってくる静かな足音が聞こえて来た。
 その人物は御簾を押し上げながら、少女に語りかけた。
「綾姫、どうかしたのですか?」
「とおさま〜!」
 綾姫と呼ばれた少女は、布団から出て、父親に駆け寄った。
 突進するようにして抱き着いてきた綾姫を、鷹通は受け止め、腰を落として目線の高さを同じにした。
「怖い夢でも見たのですか?」
 綾姫はしゃくりあげながらうなずき、舌足らずな口調で話始めた。
「あのね、おにがね、がおぉ〜っておっかけてきて、あやひめをね、たべちゃうぞ〜、するの」
 どうやら鬼に追いかけられる夢を見たらしい。
 ゆっくりと頭をなでてやりながら、鷹通は優しくなだめた。
「大丈夫ですよ。怖いものはもう来ません。怖いことは何もないですよ」
「こわくない?」
「怖くないです」
 そう言うと、少女はやっと安心したようににっこり笑った。
「とおさまは、こわいものないの?」
「そうですね……」
 時と場合にもよる……。そんな答え方では子供を混乱させてしまうので、鷹通はほんの少しの真実を言った。
「母様や綾姫に嫌われることだけは、どんなときでも怖いですね」
「あやひめはとおさまのこと、すきだよ!!」
 間髪入れずに答えた綾姫に、鷹通は穏やかな笑みを浮かべつつ抱き上げた。
「ありがとうございます。さて、涙をふいて。友雅殿がみえてますよ、一緒に来ますか?」
「ともまさのおじちゃん? 行く!」




「かあさまー!」
 室に入るなり、綾姫は酒や料理を並べていたあかねに抱き着いた。
「綾姫。どうしたの? 甘えん坊さんね」
 こぼさないように銚子をおいたあかねは、抱き着いてきた我が子を抱えた。
「あ、鷹通さん、綾のところへ行っていたんですか?」
 続いて入って来た夫に、あかねは声をかけた。
「ええ、泣いていたようでしたから」
「えっ、ごめんなさい。私、気づかなくて……」
「あかね殿のせいではないですよ。これを用意してくださっていたのでしょう?」
 そういって鷹通は、自分の席に座った。
「だいぶ父親が板についてきたみたいじゃないか、お父様?」
「友雅殿、からかわないでください」
「いやいや、姫が生まれた当初、抱き方がわからなくって、おろおろしていた人物とは、とても思えないね」
 それを聞いて、あかねもくすくすと笑い始める。
「あかね殿も……」
「だって鷹通さん。本当に困ってたから……」
 その時のことを思い出しているのか、ころころとおかしそうにあかねは笑った。
「さ、綾姫。友雅さんに挨拶しないとね」
 母にうながされて、綾姫は友雅の方に顔を向けた。
「こんばんわ」
 何度も会ってはいるが、まだ恥ずかしいのか、若干はにかみながら綾姫は挨拶した。
「こんばんわ、綾姫。日に日に美しくおなりだね」
「………友雅さん、ウチの娘を口説かないでくださいね」
 すかさずあかねがクギを刺す。
 友雅はふふふ、と曖昧に笑っただけだった。
 しばらく四人で話をしていたが、夜も更けてきたので、友雅は帰っていった。
「さぁ、綾姫もお風呂に入って寝ましょうね」
 現代ほどではないが、鷹通の配慮でなかなかまめに風呂に入っているあかねだった。変な寝汗をかいてしまったようだし、綾姫を洗ってあげようと、二人で湯殿に向かった。
「じゃぁ、鷹通さん、後で」
「どうぞごゆっくり」




「ねぇ、かあさまはとうさまのこと、きらい?」
 湯浴みの後、綾姫を寝かせようと布団に入ったときのことであった。
 なぜそんな話になったのか、我が子の真意が分からずあかねは目をぱちくりさせた。
「どうしたの? 急に」
「あのね、とおさまがね。かあさまとあやひめに、きらいっていわれるのがこわいって、いってたよ」
 やはり質問の経緯はわからなかったが、綾姫が何を聞きたいかはわかった。
 あかねは母親の穏やかな笑みを浮かべて、綾姫の頭をなでながら言った。
「母様は父様のこと、大好きよ」
「ほんと!」
「うん、ほんとう。それにね、母様も父様に嫌いって言われるのは怖いから、絶対大丈夫。自分の怖いことを、わざわざ父様にしたくないでしょう?」
 だから大丈夫。安心して眠りなさい。
 そう母に言われて、綾姫は嬉しそうにほほ笑んで、眠りに落ちていった。




「そんなことを、綾姫が……」
 綾姫を寝かしつけ、再び鷹通のいる室に戻ってきたあかねは、ちかごろやっとうまく弾けるようになってきた琴を弾きながら聞いた。
「そうなんです。でも、どうしてそんな話になったんです?」
「ああ、それはですね」
 鷹通はあのときの綾姫とのやり取りを、簡単に説明した。
「なるほど。それで……」
「しかし、子供に何かを説明するというのは、なかなか大変ですね。なまじ言葉を知っているだけに、どれが適切かと考えてしまう」
 鷹通のつぶやきに、あかねはくすくすと笑った。
「考え込まない方がいいですよ。以外となんとなく、で答える方が、子供は納得するみたい」
 かつで龍神の神子であったころにはなかった大人の女性の輝きに、鷹通はまぶしそうに目を細めた。
「あかね殿は、強くおなりですね」
「そりゃあ、赤ちゃんを産んでしまったら、怖いものなんでそうそうないですよ」
 そうですね。と、鷹通は苦笑しながらあいづちを打った。
「ところで、綾姫になんて答えたのですか?」
「えっ? あ、聞かれたとき?」
 あかねはそれまで弾いていた琴の手を止めて、鷹通の隣に座った。
 からになっていた鷹通の杯に、ゆっくりと酒をつぎながら言う。
「私も鷹通さんに嫌いって言われるのが怖いから、絶対言わないのよって言いました」
 嫌いになるはずがない。それは願いではあったけれど、確信に近かった。
「私もです」
 しばらくの間、静寂が降りた。
 お互いの気持ちが染み込むような、暖かい静寂ではあった。
 いきなりあかねが静寂を破った。
「ねぇ、鷹通さん。ほかに怖いものとかないの?」
 上目使いで鷹通を見上げる。眼が輝いて楽しそうであった。
 そんなあかねに少したじろきながら、鷹通は考えた。
「そうですね……。友雅殿……ですかね」
 鷹通のことをすぐからかうあの御仁は、なかなかどうして情報通だ。綾姫のことで何かあれば、それが次の日にでもすぐに会話に出てくるのだから、これはどういうからくりだろうと勘ぐりたくなる。
 しかも、わざわざ同僚のいるところで話を出したりするものだから、綾姫が生まれてからというもの、同僚や上司から温かい目で見守られ、……からかわれているのっだった。
 笑ってはいけないと思いつつも、眉間にしわを寄せて話す鷹通に、あかねは忍び笑いを漏らした。
「あかね殿はないのですか?」
 お返し、とでもいうように、鷹通はあかねに話を振った。
「えっ? う〜ん。あ、夜……とか」
「夜? 物の怪でもいましたか?」
 泰明殿に今度来ていただきましょうか。そんな鷹通を制し、あかねは言葉を紡いだ。
「あ、ううん。そうじゃなくて……」
 そして黙り込んでしまう。
「あかね殿?」
「あ、うん。……時々ね。ほんと、時々なんだけど、眠るのが怖いときがあって……。もちろん眠れないからとかじゃなくて。その……。起きたら全部夢だったんじゃないかって……」
「……………」
「目を覚ましたら、いるのは現代の自分の部屋で、これから入学式で、私は十六歳に戻ってて、天真君と詩紋君がいて……」
 言うあかねの目から、涙が出てきた。
 鷹通はそんな妻を見て、そっと肩を抱いた。
「朝起きるのが怖くて、目を開けたら世界が消えてしまうんじゃないかって思って、それでも朝は来るから、鷹通さんの声を聞いて目を開けて、綾姫を起こして抱き締めてやっと安心するの」
 ここのところ見せなかった、会った当初の不安げなあかね。
 鷹通は直衣のそでであかねの涙を拭った。
「それは私も恐れています。そのように思うことは私もあります。時に逆らって出会った私たちですから、それは仕方がないのかもしれません」
 そう語る夫に、あかねは今夜初めて鷹通を見たような視線を向けた。
 そんなあかねの視線をそらさずしっかりと受け止め、続きを、一番伝えたい言葉を紡いだ。
6「ですが、私はあなたに会えてよかったと思いますよ」
「私も……」
 鷹通はあかねの髪を取った。まだ少し濡れているあかねの髪。普段は髢を使って長く見せている。何年も延ばしているとはいえ、まだまだ尼の長さと変わらない。しかし鷹通は、この髪が好きだった。
「私がいます。綾姫もいます。これは現実です。大丈夫、三人でいれば定めにも逆らえますよ」
 そう言葉を紡いだ鷹通の唇は、ふいにふさがれた。
 次の瞬間には、頬を染めて照れ笑いをしているあかねの表情が見えた。
「えへへ」
 一瞬口元に手をやった鷹通は、あかねと同じ穏やかだが照れたほほ笑みを浮かべた。
「大好き、鷹通さん! ずっと一緒にいようね、綾姫も一緒に」
「ええ、共に」
 そして夫婦はひそかに笑い合った。
「さぁ、そろそろ寝ましょうか。綾姫と三人でね。明日も必ずやってきますから」
「はい」
 それは望みではあったが、確信に近かった。
 思いは力になり、世界を変えていけるだろう。

 

〜あとがき〜
 200Hitのキリ番を奪いやがった(爆)藤本様からのリク。
 単なる「鷹通×あかね」としか聞いてないから、あんまり甘くないよ。
 むしろ熟年夫婦・ぼのぼのラブドリ〜ムって感じ(笑)
 そういえば、二人の子供の名前、私の妹と同じ名前なんだよな(漢字は違うけど)……なんか、ものすごくしゃくだ(爆)
 しかし、頭の中で固定されちゃって、ほかの名前にならなかったから、まぁ、今回は大目に見るということで。
 なにはともあれ、200Hitありがとうございました!

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