悲涙桜

 昔、一組の男女が桜の木下で再会を誓った。
 男は戦から必ず戻ってくると。女は何があっても待ち続けると。
 それからというもの、女は雨の日も風の日も待ち続けた。
 月日は過ぎ、女がいつものように桜の木下で待っていると、傷だらけの男が戻ってきた。
 女は歓喜し男に駆け寄った。男も腕を広げて女を待った。
 しかし、そこまでが男の限界だったのだろう、男はゆっくりと倒れ、絶命した。
 目の前で恋人を失った悲しみ、抱きしめてもらえなかった寂しさがつのり、女は音もなく泣いた。
 そして女は愛しい者をひざに抱き抱えながら、桜の木下で自害した。
 とてもうららかな春の日だったという。
 それ以来、桜は女の涙のようにはらりはらりと散るようになったという。
 満開になることも一気に散ることもなく、静かな悲しみを湛えたまま、はらりと涙をこぼす。
 それからというもの、この桜は「悲涙桜」と呼ばれるようになったそうな。



「頼久さ〜ん、早く〜」
 坂の上で手を振るあかねがいる。なつかしい光景だ。
 あかねの後ろに、真っ白い月が見える。
 その月とあかねの姿が夜の闇の中に浮き上がり、柔らかなまぶしさに頼久は目を細めた。
 場所も、着ている服も、流れている時さえも違ったが、その季節の移ろいは同じで、淡く色づく空気に頼久は安心感を覚えた。
「頼久さ〜ん?」
「今行きます」
 なつかしさに、いつのまにか歩みを止めていたことに気づいた頼久は、あかねの声に我に返り、残りの坂を登った。
「すみません。足を止めてしまって」
「どうかしたの?」
 忘れ物? とでも言いたげに顔をのぞき込むあかね。その瞳は頼久のみを見ている。
「いえ、少しなつかしく思ったものですから」
 なにが、とは頼久は言わなかったが、あかねには伝わったようだった。
「そうですね、よく二人でお花見行きましたもんね。夜桜が見たいって私がワガママ言って、頼久さんを無理やり連れ出して、あとで藤姫に怒られたりもしたっけ……」
 あかねも遠くを見るような懐かしむ表情を浮かべた。
 そんな二人の間に桜の花びらが舞い降りてきた。
 ちらりほらりと散る桜。風にさらわれるでもなく、ゆっくり降り積もっていた。
 そんな桜を見上げ、頼久は言った。
「これが悲涙桜ですか……。美しいですね」
「そうですね。でもちょっと悲しい感じがする」
 丘の上の公園に、桜の大木が一本あった。
 何十年と咲いてきたその桜は、風格が織り成す壮麗さで人々を圧倒する。
 しかし、その美しさが温かい意味でたたえられることはなく、それは悲しい伝説からなっていた。
 あかねはそんな『悲涙桜』の悲しい伝説とその美しさを見てみたくて、頼久を誘って来てみたのだった。
「確かに少し寂しい感じがいたしますね。このような丘の上に一本の大木だけとは……」
「うん……」
 確かに、伝説のとおり涙のように散る桜だ。
 女が今でも泣いているように思えて、安らぐのとは違う意味で気持ちが静まる。
 二人はしばらく、その場所に立ったまま桜を見上げていた。
 夜風が吹き抜け、髪を軽くさらう。
「あかね。寒くありませんか?」
 頼久があかねに聞いた、その時だった。
「聞こえる………」
「えっ?」


――ずっと、待っていたの。


「……あかね?」
 訝しんで、頼久はあかねの顔をのぞき込んだ。
 あかねは目の前の桜を見ているはずなのに、ひどく遠くを見つめているような虚ろな目をしていた。


――抱きしめてほしいの。


「頼久さん」
 あかねが頼久の名を呼んだ。感情の欠けた硬い¨声だった。
「はい?」
「……私を、抱きしめて……」
「えっ!?」
 唐突なあかねの言葉に、頼久は顔に朱を走らせた。
「ど、どうしたんですか?」


――抱きしめて。


「抱きしめて」
 もう随分な間一緒にいるが、あかねがこのようなことをわざわざ口に出すのは初めてだった。
 それだけに、最初は狼狽を隠せなかった頼久だが、同じことを一本調子に繰り返すあかねに、だんだん違和感を感じてきた。


――これからは、ずっと、一緒に。


「一緒に。そばにいて」
 あかねは頼久の方を向いて腕を広げた。
 しかしそれ以上は距離を縮めようとはせず、頼久が抱きしめるのを待っているようだった。
「……あなたは、誰ですか?」
 おかしな質問だ。目の前にいるのはあかねのはず。
 そうは思っても、この疑問はつい口を出てしまった。
 しかし、それは間違っていなかったようだ。
「ずっとお待ちしておりました。どうぞこれからは私の側に。一緒に時を過ごしてくださいませ」
(まさか、伝説の女性……)
 その考えを裏付けする証拠も、否定する材料もなかったが、おそらくは間違っていないだろう。
 頼久は一歩さがって、あかねとの距離をとった。
「どうなさったのですか? 早く抱きしめてくださいませ。あなたのその腕で」
 抱きしめてやれば、無念は晴れるであろうか?
 そんな考えが頭をもたげたが、あかねの姿をしているとはいえ、他人を抱きしめることが頼久には出来なかった。
 頼久が抱きしめたいと思うのは、守りたいと思うのは、世界でただ一人、あかねのみなのだ。
 しびれを切らしたのか、あかねが一歩、頼久に近づいた。
「私を、抱きしめてくださいませ」
「あなたは!」
 あかねの歩みにあわせて、同じく後ずさりながら頼久は叫んだ。
「私があなたの恋人だと思うのですか!?」
 あかねがぴくりと震えた。だが、
「何をおっしゃるの? さぁ、早く。私を抱きしめてください」
「あなたは私が抱きしめて、それで満足なのですか?」
「……!……」
 あかねの歩みが止まった。無言でその場にたたずむ。
「あなたは、この桜の下で自害した方なのでしょう? 思いを残すほどその方を慕っていたのに、他の男に抱かれて、それで満足なんですか!?」


――やめて! 言わないで!


 風がうなり、頼久に向かって桜吹雪が吹きつけた。
 言葉を風にさらわれそうになりながらも、頼久は続けた。
「なぜ言わないでほしいのですか!? 私の言っていることが、隠しているあなたの気持ちだからではないですか?」


――だって、ずっと待っていたのに……。


「あなたはわかっているはずだ。あなたの想い人は、待っていても来ないということを!」


――やめて、やめて! やめてぇ!!


 先程とは比べ物にならない風が、頼久を襲った。
 見るとあかねは、耳をふさぎ、涙を流していた。
 風が落ち着いた後、あかねの姿に重なって一人の女性が見えた。長い髪を一つに結び、絣の着物を着た、美しい女だった。
「ずっと、待っていたんです」
 いつのまにやら女の口調は、恋人ではなく他人に対するものに変わっていた。
「必ず戻ってくるから、待っていてくれと言っていたのに……」
 静かに涙を流しながら語る女に、頼久は少し近づいた。
(この方は、言霊に捕らわれている……。愛しいものが言った言霊の呪力に。
 こんなとき、どうすればいいのだろうか? 泰明殿ならわかったかもしれないが……)
 かつての仲間で、陰陽の理に詳しい陰陽師を思い出しながら、頼久はどうすればいいかを考えた。無い物ねだりをしても始まらない。
(私のやり方でやってみよう。上手くいくかどうかはわからないが)
 頼久は一呼吸おき、女に語りかけた。
「……追いかけていけば、いいのです」
「えっ?」
 女が泣き濡れた顔を上げて、頼久を見た。
「待っているだけじゃなく、追いかけていけばいいのです」
「でも、待っていてくれと……」
「あなたは一度、追いかけたはずだ。後を追って自害した。自害したのはいいことではないけれど、恋人の側にいたかったからこそ、後を追ったのでしょう?」
「あ……」
「そのまま追い続ければいい。冥府へ、未来へ。本当に共にありたいと願うなら、追いかけて行けばいいのです。待っているだけではなく」
「追いかけて……?」
 縛られた心には、そんなことは思いつかなかったのだろう。まぶしい空を見るような表情で、女は頼久を見つめた。
「私もかつて、大切な方との別れに心を痛めたことがありました。その方は風のように、どこまでも駆けていく方。それを留め置くことは出来ませんでした。
 だから今度は、共に駆けたいと願った。追いかけることは、誰にでもできるのです。私は今その方と駆けています。輝くような時を、その方と共に」
 語ってはいるものの、自分が何を伝えたいのかが分からなく名てきた。しかし、語っていることは、頼久の本心だった。
「……私にもできますか?」
「できます。いつか必ず」
 そう言う頼久に、女は初めて笑顔を向けた。
 かつて愛しいものに向けたであろうその優しい笑みに、頼久は心が軽くなるのを感じた。


――ありがとう。


「ありがとう」
 その言葉を最後に女は消え、唐突にあかねの体が揺らめいた。
「あかね!!」
 地面ぶ倒れ込もうとするあかねを、危ういところで抱きとめ、頼久は安堵した。
 あかねが気を失っていることに気づき、抱き上げて近くのベンチに横たえた。
 風に誘われ再び桜を見上げると、先程まで漂っていた悲しい空気はなくなり、桜がかすかにほほ笑んでいるような気がした。
「……あれで……良かったのだろうか……」
「良かったんだよ、きっと」
「あ、あかね」
 振り返ると、目を覚ましたあかねがゆっくりと起き上がるところだった。
 起き上がるのを手助けしながらも、頼久はあかねに問いかけた。
「大丈夫ですか? 具合が悪いなどは……?」
「う……ん、大丈夫みたい。少し疲れてるけど」
 何か飲み物でも買ってきます。そう言って頼久が去った後、あかねは一人桜を眺めていた。
 先程まで自分を支配していた意識は消え、回りには優しい空気が香っている。
 あかねは桜に向かってにっこり笑い、
「よかったね」
 散って落ちたはずの桜の花びらたちが、風に舞ってあかねの前に小さな竜巻を作った。


――ごめんなさい。ありがとう。


 竜巻は朧げながら人型をとると、あかねに向かって言った。
 それを聞いたあかねは、
「きっと待ってるよ」
 そう言うと、竜巻はほほ笑んで散っていった。
「どうか、しましたか?」
「あ、頼久さん。ううん。ありがとう、ごめんね、だって」
 あかねにジュースを渡しながら、隣に腰掛けた頼久は、自分もコーヒーを明けながら言った。
「不思議な出来事でしたね。こちらの世界でもあのようなことが起こるとは、思いませんでした」
「そうかもね。でも気づかないだけで、辺りにはたくさんあるのかも」
「たくさん……ですか……」
「どうしたの?」
「いえ、あかねを操られるのだけは、遠慮願いたいなと思いまして」
 苦虫をかみつぶしたような表情で頼久。
 あかねは悪いとは思いつつも、ついつい笑ってしまった。
 笑いが収まった後、あかねは頼久の肩にもたれ掛かった。
「あかね?」
「……頼久さん。ありがとう」
「えっ? 何がですか?」
 何にお礼を言われているかがわからずに、頼久はあかねを見た。
「うん、いろいろ。女の人も説得してくれたし」
「あれは……。あれで良かったのかは、私にはわかりませんが……」
 少々照れながら頼久。
「私ね、さっきずっと叫んでた。それは私じゃないって。
 あの人が入ってきちゃったから、私は後ろに飛ばされちゃって、そこから全てを見てた。私の体が腕を広げて、頼久さんに抱きしめてって言ってるのも見てた。
 体は私でも、他の人を抱きしめる頼久さんを見たくなくて、違うのって必死に叫んじゃった。」
 心が狭いよね。
 ぺろっと舌を出しながらあかねは続けた。
「でも頼久さんは、私じゃないって気づいてくれて。……嬉しかったの」
「あれは……。私もどうしてだか分からないのですが……」
「それでも、嬉しかったから、ありがとう」
「あなたという人は、世界でだだ一人ですから」
「私も、頼久さんを見つけることができるかな?」
 同じ状況に陥ったとき。
「できますよ、きっと。私を見つけてください」
「うん、そうだね」



「ねぇ、伝説ってこれからどうなるのかな?」
 寄りかかっていた肩から顔を上げ、あかねは頼久に言った。
「さぁ、これからは悲しく咲くとは言われなくなると思いますから、だんだん消えていくのでしょうか」
「うん、悲しみはいつか消えるよね!」
 あかねはゆっくりと伸びをして、桜を見上げた。
「あの人、恋人に会えたかな……」
「きっと再会していますよ」
「私たちも、ずっと一緒にいようね」
「はい」
「ふふっ」
 照れながらうなずいた頼久に、あかねは嬉しくなって首に腕を絡め抱きついた。
 頼久もあかねの背に手をまわし、抱きしめた。
「大好きだよ!」
「私も、です」
 温もりを確かめ合う恋人たちを見下ろしながら、桜は涙をこぼす。
 しかしその涙は悲しい涙ではなく、恋人と再会を果たした女が流す、幸せの雫となるだろう。

 

〜あとがき〜
 400hitをゲットした、和歌雛さまからのリク。ほんとにほんとにお待たせしました!m(_ _)m
 世間はあっちゅう間に初夏ですが、まだまだまだ春ですねネタは健在です。
 ええ、こんな駄作な世界でも、作者(創造主と読む)が春って言えば春なんですよ。おお、なんかブラボー。
 今年は視力が落ちたせいで、夜桜が堪能できませんでしたが、来年こそは必ず!

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