清野さん物語
「清野さ〜ん!」 名前を呼ばれて、清野は振り返った。 「詩紋様。何か御用でしょうか?」 手を振りながら近づいてくる詩紋を待って、清野は言った。 短距離とはいえ、全力疾走できた詩紋は軽く息を弾ませ、手にしていたものを清野に差し出した。 「これを、見つけたんです」 そこには、薄青紫色の小さな花。 「これは……つき草ですね」 「今日は早起きしたから、朝から羅城門跡まで散歩に行ったんです。そしたらこの花が咲いていて……。こんな花が咲いてるなんて知りませんでした」 とっても綺麗だから、あかねちゃんにあげようと思って。と詩紋は言った。 「つき草は早朝に咲く花ですからね。朝露に濡れたつき草は、とても美しいそうですよ」 清野がそう説明すると、詩紋は感心したようにうなずき、続いて首をかしげた。 「あれ? 清野さんは見たことないんですか?」 「露に濡れているところをですか? はい、残念ながら。朝早くからお屋敷の仕事はありますし。庭のどこかにつき草が咲いているかもしれませんが、私はあまり庭に出ませんので……」 そういって清野は、残念そうな、静かな笑みを浮かべた。 詩紋は少しの間考えてから、 「……これ、清野さんにあげます」 「よろしいのですか? しかし、神子様に差し上げるのでは?」 詩紋は手に持ったつき草を、清野に差し出し笑った。 「いいんです。あかねちゃんとだったら見に行けばすむことだし、いつもお世話になってるお礼です。朝露はここに来るまでに乾いちゃったみたいだけど……」 花を渡し、詩紋は申し訳なさそうに頭をかいた。 「あ、それとも迷惑ですか?」 清野にはまだまだ仕事がある。 邪魔なものを押し付けてしまったかと、詩紋は慌てて聞いた。 「いいえ、そんなことはありません。とってもうれしいです。ありがとうございます、詩紋様」 清野は心なしか頬を染めて、たおやかな微笑みを浮かべた。 そして清野は、詩紋の取ってきたつき草を、器用に花と葉一枚にし、あらわになった茎を束ねて、そのよく櫛の通ったつややかな髪にさした。 「わぁ、とっても綺麗です。清野さん」 清野はにっこりとほほ笑み、残った花を同じようにくくって、詩紋の着物の合わせ目にさした。 「もう少し乾くと、柔らかなよい香りがしますよ」 そういいながら、よけておいたつき草の葉を片付けると、立ち上がった。 「私はこの手桶を運ばなければなりませんので、これで失礼しますね」 「あ、ごめんなさい。お仕事の邪魔をしちゃって」 「いいえ、そんなことありませんわ。では詩紋様。美しい花をありがとうございました」 そういって清野は、長い廊下を母屋へと向かいだした。 「初めてお目にかかります。これより貴方様の身の回りのことをさせていただきます……清野と申します……」 初めて会ったときは怖かった。 室の入り口に手をついた、その指先が震えていた。 この館の主は、なぜ鬼の子供を屋敷に入れたのか。不吉なだけだというのに。 しばらくして、大臣の末の姫である藤姫より、詩紋が龍神の神子に使える八葉だと聞かされる。鬼ではないと。 しかし、頭ではわかっていても、やはり怖かった。 そういえば、と清野は詩紋を振り返りながら思った。 振り返った先では、部屋へ帰ろうとする詩紋の後ろ姿が見えた。 出会ってからずいぶんの間、詩紋様のお顔を拝見しようとはしなかったような。 ただ恐ろしくて、いつも顔を伏せていたから。 あのときまでは。 「お、お膳を……お下げいたします」 「あ、ごちそうさまでした」 清野の方へ差し出される膳を、震えの残る手で片付けようとしたとき、詩紋は清野に声をかけた。 「あ、あの……」 「はっ、はい!」 かっしゃん!! その声に身構えてしまった清野は、今まさに持ち上げようとしていた膳を落としてしまった。 「も、申し訳ありません! す、すぐ片付けますので。―――つっ!」 「あ、大丈夫ですか!?」 割れた器を膳に戻していた清野は、慌てるあまり尖った破片で手を切ってしまった。 かなり深く切ってしまったようで、血は滴となって、腕を流れ落ちていった。 「うわぁ、痛そう!」 「だ、大丈夫です。申し訳ありません、とんだ粗相をいたしまして。お許しを…」 清野は傷口を押さえながらも、片付けようとした。 その清野の腕を優しくつかみ、詩紋は言った。 「だめです、傷の手当をしなきゃ。そんなのは後でいいですってば。あ、ちょっと待っててくださいね」 そういて詩紋は、制服の胸ポケットにしまってあるはずのハンカチを取り出そうとした。 詩紋はなれない衣服で、取り出すのに時間がかかってしまったが、取り出した綺麗なハンカチを清野の傷口に当てた。白いハンカチが、血の赤に染まっていく。 「少しきつく縛りますね。ちょっと痛いかもしれないけど、そのほうが血が早く止まると思いますから」 清野はただ黙って、詩紋を見守っていた。 傷を縛りおえて、続いて割れた器を片付けながら、詩紋は聞いた。 「清野さん。……清野さんは、僕のこと怖い?」 詩紋は視線は膳に向けながら、静かに清野に聞いた。 「あのね、屋敷の人が言ってるのを聞いちゃったんだけど、僕って“鬼”って呼ばれる人達と同じ格好してるんでしょ? だから、怖い?」 片付け終わって、やっと詩紋ははこちらに顔を向けた。 初めて見た顔。詩紋も清野も座り込んでいたので、初めて正面から顔を見た。 鬼の一族と同じ、金髪碧眼。しかし髪は光のように輝き、その瞳はどこまでも澄んで、清野を見つめていた。射貫くのではなく、ただただ見つめていたのだった。 その表情は何とも悲しそうな笑顔で、清野は自分の心ににぶい痛みが走った気がした。 「も、申し訳ありません。御前失礼します」 答えることができなくて、そこにいることができなくて、清野は片付けられた膳を持って逃げるように室を後にした。 時刻は夕暮れにさしかかったばかり。 もう少したてば、雲が朱に染まりきるだろう。 「あのときは、何も知ろうとせず、怯えていただけでしたわね」 清野は小さな盆を手に、詩紋の室に向かっていた。 盆の上には、お茶と花の蜜を使った練り菓子。朝の出来事の後、龍神の神子あかねと一緒に散策へ出た詩紋のための、夕食前の一服というわけである。 「あれからしばらくの間は気まずくて、それでも詩紋様は明るく話しかけてくださいました」 いつのまにか、間柄は気易いものになっていた。詩紋の笑顔のおかげだ。 屋敷で働く者達の中でも、詩紋に優しい目を向けるようになった者は多い。 詩紋を世話する役目を与えられている清野は、屋敷の者が詩紋をほめるたび、こっそりと得意げになってしまうのだ。 そんな自分がおかしくて、清野は楽しげにくすくすと笑った。 「詩紋様のお優しさに、私はずいぶんと救われていますわ」 詩紋に恐いかと聞かれたあの時、自分は答えることが出来なかった。 己の心が弱いばかりに、目の前の少年の優しさよりちっぽけな先入観をとってしまった。 きっとあの純粋な心は傷を負っただろう。 それなのに、詩紋は今日も自分に笑いかけてくれる。 今日、伝えたいと思う。あの時自分はどう思っていたのかを。 そして、もう一つ。言えなかった言葉を。 「……………少し、緊張しますわね」 「詩紋様。失礼してよろしいでしょうか?」 室の外で声をかけたが、返事はなかった。 静かに室に入ってみると、詩紋は畳の上で寝息を立てていた。 「まぁ」 清野はその寝顔を見て、起こさないように小さくくすくすと笑った。 詩紋を寝所まで運ぶことが出来ないので、変わりに衣をかけた。 「ん〜……あ、…れ?」 「起こしてしまいましたでしょうか? 申し訳ありません」 清野の顔を見ながらゆっくりと体を起こした詩紋は、 「いいえ、大丈夫……って、いけない! 僕どのくらい寝てました!?」 「さぁ、つい先ほど、私が参りました時からお休みになられてましたけど」 なにか用事でもおありになりましたの? と聞く清野に、詩紋はかぶりふった。 「いえ、中途半端な時間に寝ちゃったなぁって」 頭をかきつつ言う詩紋に、清野はくすりと笑いながら、 「きっと、お疲れになっていたのですわ。寝る前に眠れるお薬湯でもお持ちしましょうか?」 「いえ、大丈夫ですよ」 「そうですか? 眠れないときはおっしゃってくださいね。……あら?」 「えっ? どうかしました?」 清野が何かに気がついた声を上げたので、詩紋はその視線の先を追った。 「あ……花がしおれてる」 それはそうだ。水にもつけず、ずっと服に挿していたのだから。 詩紋はため息をつきながら挿していた花をはずした。 「残念ですわね」 「仕方ないですよ。そういえば、清野さんの花はどうしました?」 朝清野の髪についていたつき草が無くなっていることに疑問を覚え、詩紋は聞いた。 聞いてから、あっ、と思う。 いくら何でも今の時間ではしおれているだろうし、仕事の邪魔になりそうな物なのにいつまでもつけているとは思えない。 答えにくいことを聞いちゃったかな、と詩紋はバツの悪い顔をした。 そんな詩紋を見て、清野は微笑んだ。 「詩紋様からいただいたつき草は、押し花にしようと思いまして。露が乾くにつれてとてもいい香りが致しましたから。詩紋様もいかがですか?」 そう言って清野は、詩紋の手の中にあったつき草を同じ長さにそろえた。 その作業を見守っていた詩紋の顔に、笑顔が広がる。 「僕、日記を付けてるんです。それと一緒に挟んでおいても大丈夫かなぁ?」 「ええ、大丈夫ですよ」 「詩紋様。……少し、お話をしてもよろしいでしょうか?」 巻物にきれいに花を並べていく詩紋に、清野は話しかけた。 「? ええ、もちろんです……けど……なにかあったんですか?」 いつもの柔らかい口調ではあるが、改まった風な清野に、詩紋はなにか事件でもあったのかと思った。 清野はいくぶん緊張した面もちで口を開いた。 「いえ、なにかあったということではありません。ただ、詩紋様にお伝えしておきたいことがあったのですわ」 「へぇ。どうぞ、聞かせて下さい」 詩紋はそう言って居住まいを正し、ゆったりと微笑んだ。 「私、以前詩紋様が恐いかとお聞きになったとき、何も答えずに逃げてしまいました」 「………」 あのときの話か。と詩紋は少し驚いたが、なにも言わず清野の言葉を待った。 「自分の心の弱さを見透かされ、自分の浅はかさを知ったとき、貴方の真っ直ぐな瞳を見て、なにも答えられなくなってしまいました。貴方の悲しそうな笑顔が、自分を見てくれと言っていたのに………目を背けました」 傷つけてしまって、ごめんなさい。 うつむいて、消え入りそうな清野の声。 「そんなの……僕だって同じですよ」 「えっ?」 驚いて顔を上げると、そこには穏やかな詩紋の笑顔。 あ、いつもの顔だと安心する。 「僕だって、同じです。京の人が鬼のことをどんなに恐れているかも知らず、あんな質問しちゃって……」 「そんな! 詩紋様は……」 「僕ね、自分のことばっかりなんです。みんなで仲良くなれたらなんって言ってるくせに、自分を外見だけで判断する人に対して求めるばかりで」 詩紋は大きく深呼吸をした。 「仲良くなりたいのなら、相手に自分のことを知ってもらえるように努力しなきゃダメなのにね」 それを聞いて、清野は、あっ、と思った。 あの日以来、誰にでもにこにこと笑いかけるようになったのはそのせい? 「僕、清野さんが出ていったあとそのことに気づいて、ダメだなぁって思いました」 だから、おあいこです。 「僕からも、ごめんなさい」 「詩紋様……」 清野はそっと、目尻に浮かんできた涙を拭った。 そしてたおやかな笑みを浮かべて返事をした。 「はい」 「これからもヨロシクお願いしますね?」 「こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」 そういって、二人は微笑みあった。 「詩紋様、もう一つお伝えしたいことが……」 「? まだなにかありましたっけ?」 きょとんと聞く詩紋が可愛らしくて、清野はくすくすと笑った。 「あの時、傷の手当をして下さったでしょう? そのお礼もまだ……ありがとうございました」 「なんだ、あれくらい気にしないで下さい」 「お借りした絹。血の染みが落ちなくて……」 申し訳なさそうに言う清野に、詩紋は明るく言った。 「気にしないでくださいってば! あれね、僕の世界ではハンカチっていうんですけど、たくさんもってますから、大丈夫です」 「はんかち……ですか……」 「そう、ハンカチ」 「不思議な名前ですわね」 そういって清野は首をかしげた。 「そうですわ。お茶とお菓子をお持ちしましたのに……冷めてしまいましたね」 「清野さんが失敗するなんてめずらしいですね〜」 「もう。詩紋様、からかわないで下さいまし」 秋、空高々に晴れわたる日、詩紋の部屋にはにぎやかな笑い声が響いていた。 |
〜 あとがき 〜 久しぶりの新作です。 なんかいきなり降って沸いた話です(笑) いや、基盤はかなり昔から書いてたんだけど。 清野さんはマンガに出てきた女房さんです。 マンガに出てきた当初、かなりお気に召したキャラなんですが(綺麗なお姉さん大好き/爆)この話はかなりの間ほったらかしてました(汗)この前マンガを読みなおしたとき、情熱が目覚めたらしく(笑)あってぇまに書き上げたよ。信じられん。 最後の方がちょっとだれた文になってしまいましたが、う〜ん。 |
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