桜大樹

「はぁ〜。やった〜、パーフェクトだ〜」
 具現化をして見事成功したあかねは、力の抜けたように大きく息を吐き出した。
「おいおい、そんな所に座り込むな。汚れるぞ」
「だって〜」
 昔から神経衰弱が苦手だったあかねは、具現化がどうも苦手だ。
 しかし、怨霊と戦う上でも、八葉との交流のためにも、具現化をしない訳にはいかない。あかねは心中複雑な気分だった。
「全く、しょうがねぇヤツ」
 それを知っている天真は、あかねの考えていることが分かり苦笑する。
「だったら、早く帰ってゴロつこうぜ。もう少しすれば陽も落ち出すし」
「……それでは少し味気ないね。この辺りの春を愛でるのはいかがかな、神子殿?」
 本日の外出の、もう一人の同行者である友雅が提案した。
「へっ?」
「館に戻るにはまだ早いが、かといって他の場所に行くにはいささかゆとりがないしね。神子殿は初めてこの場所に来たようだから、すぐそこの桜並木を御存じないだろう?」
 へたりこんだままのあかねに向かって、手を差し伸べながら言う。
 あかねはその手に引き上げられながら腰を上げた。
「そんな所があるんですか?」
「ああ。美しい桜が君を迎えてくれるよ」
「いいですね。天真君はどう思う? ……何変な顔してるの?」
「別に……」
 実のところ、自分が助け起こそうと思っていたのに友雅に先を越されて、それで不機嫌になっていたのだが、そんな事は言えない。
 ぶっきらぼうに返事した天真を不思議に思いながら、あかねはもう一つの答えを聞くべく再び聞いた。
「で、天真君はどう思う? 散歩」
「……いいんじゃねーの」
 いろいろと思うところはあるのだが、反対する理由もないため天真はやる気なさげに頷いておいた。
「も〜。なんでそんなんかなぁ〜? もういいよ。友雅さん、行きましょ」
 あかねはプリプリ怒って行ってしまった。
 置いて行かれた天真は、情けなさそうな笑みを浮かべて空を仰いだ。
「ったく、俺もガキくせー」
 しかし、そんな自分も嫌いではない。
「だいだいよ、あいつがニブすぎんのが悪いんだよな。いくら何でも、もう少しこう……」
 天真はずんずん歩いて行くあかねには聞こえないように独りごちた。
 しかし、しょうがない。そんな天然記念物級ににぶい少女を好きになってしまったのだから。
 ふっ、と天真は笑って、あかねたちの後を追いかけた。




 ほぅ、とあかねはため息をついた。
 目の前に広がるのは、どこまでも続くかと思われる桜並木。
 今まで見た桜の中で、一番綺麗だと思った。
「きれ〜い」
 他にもっと気の利いた賛美はないものかと思うのだが、それ以外の言葉が思い浮かばないほどの美しさの前には、他の言葉は出てこないのだ。
「墨染もいいが、案朱もなかなかに桜が美しい。お気に召したかな?」
「はい! すごく綺麗ですね。ね! 天真君もそう思うよね?」
「ああ、そうだな」
 本当に綺麗だったので、天真も心から頷いた。
「あれ? あそこにあるのは?」
 幻想的な桜色の中に、一カ所だけ土気色が見える。誇らしげに花を咲かせる他の桜とは明らかに違う、それは、悲しい色だった。
 気になったので近づいてみると、それも桜の木だった。ただし一つの花も咲かせていなければ、枝にも覇気が無い。
「どうしたんだろ。こんなに大きな樹なのに……」
 その桜は、とても大きな桜だった。
 この辺りでも一番の大樹であるというのに、あまりにも悲しい姿にこちらの表情も曇る。
「……もう散った……ってワケじゃねーな。この季節じゃ、いくらなんでも早いよな」
 同じ気持ちになったのか、天真も静かに桜を見上げる。
「…………桜大樹…………」
 ぽつりと友雅がつぶやいた。
「えっ?」
「あん? なんだ?」
 桜を見上げたまま小さくつぶやかれた言葉に、発言者ではない二人は聞き返した。
「桜大樹。桜の大樹という、そのままの意味だよ。ここにあったのか、知らなかったな……」
 そしてまた、桜を見上げたまま黙ってしまった。
 取り残されたあかねと天真は、互いに顔を見合わせた。
「えっ〜と」
「だから、それは何だってんだよ?」
「ああ、すまない」
 友雅は二人の方を向き直って話始めた。
「古い話でね、この辺りに回りの空気を感じ取る不思議な桜があると言い伝えがあるんだ。その桜は古よりずっと京の都を見守ってきた桜で、始祖の桜とも言われているくらい古い樹なのだよ」
「回りの空気を感じ取る? って……どう言うことですか?」
 あかねが首をかしげながら聞いた。
「まぁ、いろいろだよ。個人の強い想いに引っ張られることもあれば、世界のありようを感じ取ることもある。
 ……さしずめ今は、日に日に穢れていく京を、嘆いているのかな?」
「そんなぁ……」
 あかねが泣きそうな顔で桜を見上げる。
「っていうより、もしかして枯れてないか? この樹」
 情緒のないことに、天真がどうでもよさげな突っ込みを入れる。
「そんな〜。そんなことありませんよね、友雅さん?」
 もう枯れているだなんて、そんな事は悲し過ぎる。
「さぁ、どうだろうねぇ。なにせ古い桜だし」
「ええ〜」
 否定して欲しくて友雅に同意を求めたのだが、あっさりとかわされ、あかねは少し泣きたい気分になった。
 そっと桜に近寄り、土気色の幹に手を当てた。

――トクン

「えっ?」
 小さな小さな鼓動を感じて、びっくりして手を離す。
「どうした、あかね?」
「神子殿?」
 何かに気づいたらしいあかねを、心配そうに見守りながら二人が声をかけてきたが、あかねの耳には入らなかった。
 その声より、目前の桜の、小さな火種のような鼓動を感じていた。
「生きてるよ」
「はぁ?」
「この桜。生きてるよ、ちゃんと」
 そして再び、ゆっくりと幹に手を当てた。
「頑張って生きてるんだよね?」

――ドクン

 ほほ笑みながら問いかけると、先程より鮮明に鼓動が聞こえた。
「お〜い、あかねぇ〜?」
 桜の鼓動が感じ取れないのか、手持ち無沙汰な天真が、遠慮がちに声をかけた。
「えっ? あ、ゴメンゴメン」
「桜の声が、聞こえたのかい?」
「はい、そんなようなものです。友雅さんたちには聞こえませんでした?」
「ぜ〜んぜん」
 天真はさっぱりだ、という風に手をあげてみせた。
 友雅も同様のようだった。
「そうなの?」
 変なの、と首をかしげるあかね。
 そのあかねの肩を抱きながら、友雅が言った。
「きっと、龍神の神子にしか聞こえなかったのだろう。少し残念だけれどね。
 さぁ、そろそろ戻ろうか。もうすぐ陽が落ちるから、じきに暗くなる」
「……はい」
 まだ少し腑に落ちないものを感じていたが、あかねは素直にうなずいた。
 そして背を向ける前にもう一度幹に手を当て、想った。
(私、この京を救うために頑張ってみるよ。あなたが悲しまないように。だから、それまであなたも頑張ってね!)
 そう、桜にほほ笑みかけた。
「きゃぁ!」
 そのとき突然突風が吹き、辺りの桜が鳴った。
「大丈夫かい?」
「はい、すごい風でしたね。アレ?」
 乱れた髪を撫でつけながら、あかねはふと桜を見た。
「どうかしたのか?」
「う……ん。なんか桜が元気になったような気が……しない?」
 あれ? でも気のせいかな? でも……う〜ん。
 あかねはそんな風に悩んでしまった。
「神子殿が穢れを払ったのかもしれないね。さ、今度こそ本当に戻ろう。暗くなってしまうよ」
「はい」
 今度は振り返らず、あかねは先導する友雅と天真のあとを追いかけて行った。

――イキグルシサガ ナクナッタ……。




「天真君、付き合ってくれない?」
「えっ!?」
 突如告白されたのかと思い、天真はびっくりしてのけぞった。
「……なに驚いてるの?」
 変なの。という風なあかねの笑顔に、告白ではなかったことを悟り、情けないようなほっとしたような複雑な気分になった。
(ったく、人の気も知らないで……)
「天真君?」
「あ、ああ、いいぜ。どこへ行くんだ?」
「えっと……。あ、あの桜のところ」
 行き先を聞いてきた天真に、あかねは少しおずおずとしながら答えた。
「はぁ? 一昨日も行っただろうが、その前の日も」
 さすがに毎日ではないが、あかねはここのところ二日に一度は桜大樹のもとを訪れていた。
 また行くのかよと呆れる天真に、あかねは頬を染めながら言い訳した。
「だって〜、気になるんだもん」
「他にも行かなきゃいけない所があるんだろ? あそこに行ってばかりでいいのかよ」
「ううぅ〜、だって……。ほ、他の所に行くついででもいいから、ちょっとだけ寄りたいの」
 気になって気になって落ち着かないのだと言うあかねに、天真は苦笑しながら頭に手を置いた。
「しょうがねぇヤツ。いいぜ、他のヤツは?」
 自分の他に同行者はいるのか。……いない方が自分としてはおいしいのだが。
「まだ誘ってないよ。頼久さんでも声かけてこようかな。……あ、泰明さん!」
 ちょうどそこに通りかかった泰明を、あかねは呼び止めた。
 ちっ、そうそう二人で散策にはならないか。
「何だ、神子?」
「今、おヒマですか?」
「暇というほどではないが、急ぎやることがあるわけでもない。……それより神子」
「はい?」
「なぜそんなに濃い桜の気をまとっている?」
「はっ? えっ? 木……?」
 泰明に聞かれたことの意味を取り違え、自分の回りに桜の枝でも生えたかと、あかねはびっくりして見回した。
「木ではない。なぜそんなに桜の気配をまとっているのだと聞いたのだ」
 勘違いのあかねに呆れつつ、泰明は訂正した。
 ようやく意味を飲み込んだあかねは、顔を少々赤くしつつ答えた。
「桜の……気……ですか? さぁ、わかりません。そんなのあります?」
「ああ」
 自分には気配が読めないので、全然実感のないあかね。
 同じく気配を読むことのできない天真だったが、一つ思い当たることを発見した。
「お前最近、あの桜のところに行ってばかりだからじゃねぇか?」
「あの桜とは?」
 そこであかねと天真は、桜大樹のことを泰明に説明した。
「なるほど、老齢の桜か。樹は宿るものだ、長い年月を経ているものならなおさらのこと」
「あの……。泰明さん……」
「なんだ?」
「その桜の気って、わ、悪いものなんですか?」
「別に悪くはない。むしろ好意の波動だ。それがあまりに強いものだったので聞いただけだ」
「そ、そうですか」
 怪しいものではないとわかり、あかねはほっとした。
 安心したところで、本来呼び止めた目的を思いだし、あかねは泰明にむかって聞いた。
「あ、で、泰明さん。これから散策に付き合ってくれませんか?」




「なるほど。これがその桜の樹か」
「そうなんです。大きい桜でしょう?」
 帰り道、再び案朱へと立ち寄った一行。
 桜大樹も含めた案朱の桜たちは、変わらぬ姿であかねたちを迎えた。……が、
「あぁ!!」
「なんだ!?」
 あかねが突如上げた声に、天真は心底驚いて振り向いた。
「見て見て見て天真君!! つぼみが付いてる!!」
 桜大樹の枝の先に生まれた小さな花の蕾に、あかねははしゃいだ声を上げた。
 びっくりしただけに、反対に脱力した天真は、
「なんだ、そんなことか……。びっくりさせんなよ」
「なんだはないじゃない。蕾を付けたってことは、そのうち花が咲くってことじゃん!」
 まるで自分が育てた草花の成長に喜ぶかのようなあかね。
「だが、この成長は異常だ」
 静かな目で桜やあかねを見ていた泰明が、唐突に口を開いた。
「えっ? どこがですか?」
「なにもかもだ」
 あかねの話によるとつい数日前までは枯れ木のようだった桜なのだ。それが今には蕾を付けている。他の桜に紛れて気づきにくいが、上の方には開きかけている蕾もある。老齢の大樹にはあるまじき成長ぶりだ。
「……もうこの桜には近付くな」
 泰明は、桜に向けていた鋭い視線のまま、あかねに振り向いた。
「えっ? でも危険じゃないって……?」
「それは先程までの話だ。おそらくこの桜は、神子の生気を吸っている。神気に溢れた神子の気は、穢れを浄化しつつ養分になる」
 だからこのような目覚ましい成長を遂げているのだろう。
 あかねは、心なしか不安に表情を曇らせながらつぶやいた。
「私の気を……吸ってる?」
「そうだ。微々たる量であるから気にならぬかもしれないが、いつどんな変化があるやもしれぬ。体の負担になれば、穢れも受けやすくなるぞ」
 泰明の声は単調だ。それだけに深刻なことのように聞こえてくる。
「て、天真くん〜」
 あかねは心細いような声を出しながら天真を振り返った。
 だが、振り返られたからといって天真にできることは何もない。
 天真は苦笑しながらあかねの頭に手を置いた。
「ま、しょうがねぇよな。ちゃんとさよならしてやれよ?」
「う……ん…………」
 あかねは名残惜しいような、でも怖いような、複雑な表情で頷いた。
 それから怖々と桜に手を触れながら言った。
「えっと…、もう来ないかもしれないけど、あなたが頑張れるようにいつでも応援してるから。ね? きょ、京も、必ず助けてみせるから!」
 なんとも微妙な顔であかねが離れると、吹く微風に桜の枝がしなった。
 それは風による産物であるのに、天真の目にはなぜか、桜が駄々をこねて嫌がっているように映った。
「……じゃぁ、帰るか」
「うん」
 なんとなく居心地悪いように感じ、あかね達は帰路へつこうと桜に背を向けた。
 しかし泰明は、じっと桜に鋭い視線を投げたまま、こうつぶやいた。
「やっかいな事にならなければいいが……」
 そして自分を呼ぶあかねの声に、視線を外して歩きだした。




 夜用の薄明かりの中で、あかねはむくりと起き上がった。
 なんだかひどく体が熱くて寝付けなかったのだ。
「……なんだろ〜」
 この、風邪引いたときや運動した後のようなのとは違う、体の奥に燻るような熱さは。
 よくわからないけど、不快だ。
 あかねは凝った熱を持て余すかのように大きなため息をついた。そして眉を寄せる。
 あかねは外の空気を吸って落ち着こうと、御簾を持ち上げて廊下に出た。
「んん〜。冷た〜い」
 春の宵は、冷たいというほどの気温ではないけれど、微風が吹いているのも手伝って、まるで雪の降った朝みたいな気がした。
 いつも庭に控えているはずの頼久の姿はなかった。といっても、いつも同じ場所にいるのではなく、この辺りを周回しているのだから、いなくてもおかしくはないのだけれど。
 冷たい空気に触れているというのに、体を巡る不快な熱は、一向に収まろうとしない。
 階段に腰を下ろして、あかねはつぶやいた。
「お水でも飲んでこようかな」
 つぶやいたはいいが、行動を起こすまではいかなかった。
 眠れないと言いつつも眠気だけはあって、あかねは目をトロンとさせたままたたずんでいた。
「………………行かなきゃ……」
 唐突につぶやいて、あかねは立ち上がった。
 そのままふらりと歩きだす。……その瞳には、光りはなかった。

――コッチヘ オイデ。




「ん?」
 同じくなんとなく眠れなくて、こちらは水を飲んできた後の天真が、あかねの部屋の前を通り過ぎようとして足を止めた。
 見ると御簾が少しだけよれている。夜はぴちっと閉まっているはずのあかねの部屋の御簾が。
 見るからに不自然に引っ掛かって乱れている御簾に、天真は顔をしかめた。
「またフラフラ起き出してんじゃねーだろうな?」
 とりあえず、布団が盛り上がっているのを遠目に確認しようと部屋に入った天真だが、几帳の陰に隠れた寝台には、感じた予感のままに空であった。
「ったく、アイツ!!」
 なんでアイツはこんな真夜中にフラフラと。そんな顔をしながら天真は部屋を出た。
 水を飲みに行ったという可能性も考えはしたが、つい先程まで自分が出掛けていた場所だ。その可能性は極めて低いだろうと決めつけた。
 他の八葉とのんきに夜の散歩でもしているのなら構わないが、そうでなかった場合一大事である。
「でも、どこへ行ったんだアイツ……」
 そのとき、天真の脳裏に、あの桜大樹のビジョンが浮かび上がった。
「でも、泰明に脅されて怖がってたよな?」
 だが、なんとなく思い出したというような代物ではなく、まるでカメラのフラッシュを浴びたみたいな鮮明な映像に、天真は疑問を確信に変えて歩きだした。
 向かうは案朱。あの桜大樹の元へ。




「なっ、なんだ!?」
 案朱に着いた天真は、一瞬場所を間違えたかと思った。
 天真にそう思わせるほど、この辺りの空気が違っていたのだ。
「確かに、夜にここに来たことはねぇけどよ……」
 天真は髪を掻き上げながら、キツネにつままれたような顔をした。
 なぜ尽きないのかと思うほどの桜吹雪。
 そして桜の樹々は、まるで発光しているかのように白く浮かびあがっていた。
「なっ!?」
 桜大樹の元へと向かった天真は再び、しかも先程とは比べられないくらいに驚いた。
「さ、桜が……咲いてる!?」
 京の昼間に来たときには少しの蕾であった桜大樹が、花を咲かせている。ほぼ満開と言っていいような開花ぶりであった。
 まるで魅入られたようにしばらくそこに佇んでいた天真だったが、大樹の根元に人影を見て、はっと我に帰った。
「あかね!」
 あかねが振り返った。
「オマエ何やってるんだよ!? しかもそんな格好で!! さっさと帰っ……」
 言いかけた言葉を飲み込んでしまったのは、振り向いたあかねがひどく冷たい顔をしていたから。
 顔色はまるで生気がないように色白く、瞳は虚ろで冷めた目をしていた。
 歩みかけていた足も止まってしまい、天真は乾いた唇で、何度も失敗しながら声を絞り出した。
「あ、あか…ね?」
 一体どうしたのかと問いかける天真の声を無視し、あかねは桜大樹の根元に向かって歩みを再開した。

――ソウ コッチヘ オイデ。

「なんだ!?」
 突然誰かの声が聞こえて、天真は周りを見回した。
 が、周囲には誰もいなく、不気味に静まり返ったこの場所にいるのは、天真とあかねだけだった。
「まさか……この桜…?」
 あかねにだけ聞こえていた桜の声。それが今、天真の耳にもはっきりと届いた。
 信じられないような面持ちで固まっていた天真だったが、あかねが樹の幹に手を伸ばそうとしたのを見て再び我に返った。
「よ、よせあかね!」
 あかねの手が触れた瞬間、気を中心の突風が起こった。いつかあかねが触れたときに起こった風と同じ風だ。
「よせって! 帰るぞ、あかね!」
 しびれたようにうまく動かない体を無理に引きずって、天真はあかねの腕をつかんで引き戻そうとした。……が。

――ジャマヲ スルナ!!

 再び起こった突風が、小石を巻き上げ天真を襲った。

――コノムスメハ ワタシノモノダ! ジャマヲスルナ!!

 相変わらず続く小石を巻き上げた悪意ある風。
 桜の花びらも襲ってきて、目を開けていることさえ適わずに、天真は膝をついてしまった。
「こ、この……!」
 あかねが樹の幹に頬を寄せる。
 そのあかねを包むように、大樹の根が、ゆっくりとあかねに巻き付いていった。

――イマコソ コンインノトキ。

「婚姻だってぇ!?」
 天真は呼吸を荒くしながら吐き出した。
 樹はあかねと取り込もうとしているようだ。冗談じゃない。
「くそっ!!」
 顔を両腕でかばいながら、天真は桜に向かって突っ込んでいった。
 無我夢中で手を伸ばし、あかねの肩をつかんだと思った瞬間、天真は力任せにそれを引いた。
 細かい根を引きちぎりながらこちらに倒れてきたあかねを抱きとめると、突風から守るように胸に抱いた。

――オノレェ!!

 悪意ある風は勢いを増し、天真の頬や腕にいくつもの細かい傷を作った。
「だぁ! もういい加減にしやがれ!」
 天真は風に負けないように叫んだ。
「こいつが優しいからって、いつまでも甘えてるんじゃねぇ!」
 そう叫んだ瞬間、突如風が止んだ。
 巻き上げられていた小石や枝、それに花びらが、音もなく地に戻っていった。
 薄目を開けて桜を見ると、なんとなくだが、桜が戸惑っているような気がした。
「コイツは誰にでも優しい。植物だってのに、やっかいな特性をもったお前を哀れむくらいにな。でも、それはあかねがどんな物にも分け隔てなく優しくできる奴だからだ。お前のためだけじゃねぇ!」
 そう、あかねは優しい。
 かつてはその優しさを誤解して、自分だから優しいのだと思い込もうとしていた時期があった。
 その優しさに、すがりたかったからだ。
 だが、こちらの世界に来て気が付いた。あかねの優しさは、自分だけに向けられるものではないことを。
 それを知ったとき、少し悲しかった。自分を愛してくれているわけではないのだと。
 だがそれは違った。あかねは確かに天真を愛してくれていた。ただしそれは愛情ではなく友情だったけれど。
「……コイツが、好きか?」
 天真は桜に向かって聞いた。
「俺も、コイツのことが好きなんだ。今のとこコイツは俺のことをただの友達だと思ってるけど、いつか好きにならせてやる」
 天真は不敵に笑った。
 そう、あかねが自分のことを友達と思っているなら、それ以上に感じるように思わせればいい。
 そして、そう思ってもらえるように、自分は自分を誇れるような人間になればいい。好きになってもらえるような。
「お前も、コイツに好きになってもらえるような生き方をすればいい」

――モウ コナイト イッタ……。

 昼間のことを思い出して、天真はあぁと頷いた。
 ったく、火を付けたのは泰明かよ。
「それは接し方を間違えたからだよ。
 あかねは今京を救おうとしてる。俺たちはコイツを守るためにいるから、こんな方法でアプローチしてくる奴だったら放っておけないしな」

――イッショニ イタイノニ……。

 天真はははっと笑って、
「それは贅沢だな。俺だってそういう訳にはいかねーんだから」
 そう、なかなか二人きりになるのは難しい。
 天真はだんだんと愉快な気持ちになりながら、穏やかな気分で桜に語りかけた。
「なぁ、コイツは京を救うよ? 俺はそう信じてる。お前が穢れに苦しむ必要がなくなるような、綺麗な都にしてくれるさ。それを待っててくれよ」

――イッショニイレバ エイエンノ ヤスラギヲ アゲルノニ。

「別にそんなこと望んじゃいないよコイツは。コイツの為を思うなら、信じて待っててやってくれ?」
 天真は乱れたあかねの髪を軽く撫でつけた。
 あかねはさっきから気を失っていた。
 だが顔色は元に戻り、表情もあどけないいつもの寝顔と同じだ。
 戸惑っているふうな桜を見やり、天真は居住まいを正して言った。
「コイツにはやることがある。帰るべき場所もある。待っている両親もいる。お前のためだけにいることは不可能なんだ。そっとしておいてやってくれ。
 俺もお前の住みやすい世界にできるように、全力でコイツを助けるから。時々はここへも遊びに来るから。……頼む」
 そう言って天真は、老齢の桜に頭を下げた。
 そんな天真に、心地いい微風が送られた。
 あかねを背負い上げて恐る恐る背を向けたが、もう攻撃してくるようなことはなかった。
 天真はそれを了解と取り、ほほ笑んで礼を言った。
「……ありがとな」
 そして案朱を後にした。




「戻ったか、天真」
「な、泰明!? それに友雅! なんでここに……」
 案朱を出たところに、泰明と友雅が立っていた。
「神子の気の乱れを感じたので参った」
「右に同じく、ということにしておこうかな。なんだか胸騒ぎがしてね」
「……高みの見物かよ、趣味悪いぜ」
 こんなに近くにいたのに助けに来なかった二人に、天真はふんっと鼻を鳴らした。
「無論、桜を調伏するために来たのだ」
「だが、私が止めた。力では解決できないことがあるとね。その通りだっただろう?」
「だったら説得に力貸せってんだよ」
「君が説得してくれると信じていたからね」
 言葉は立派だが、食えない笑みを浮かべたまま言われちゃ、全然信用する気になれない。
「ま、いいけどよ。コイツは無事だったしな」
 そのとき、天真の背であかねが身じろぎして、ゆっくりと目を開けた。
「あ……れ……? 天真くん? 友雅さん、泰明さん。……なんでこんな所にいるの?」
 さっきの記憶がないのか、あかねは寝ぼけた声で聞いた。
「ったくも〜、こっちはこっちで脳天気だな。俺だけかよ、頑張ったのは」
「? 何の話? っていうかなんで私天真君におぶさってるの?」
 恥ずかしいから降ろしてと言われたが、あかねは裸足のままだったので、天真はそのままいろと降ろさなかった。
「うう〜」
 恥ずかしさに頬を染めながら、あかねはそれを隠すように天真の背に額を付けた。
「さぁ帰ろうか。頼久も待っていることだしね。
 神子殿はお疲れだろうから、明日は休日にするといい。事情説明はそのときにするから」
 友雅の言葉に、一行は土御門に向けて歩き出したのだった。

 

〜 あとがき 〜
 桜はすっかり散ってしまいましたが(苦笑)
 あ! まだ北海道とかでは桜の季節ですよ! ええ、まだ安全圏です(何が)
 別に遙かでやりたかった訳では有りませんが、樹と結婚する話っていうのを書いてみたかったんですよ。
 まさか、書いてみたらこんなよくわからない話になるとは思ってなかったけど(苦笑)
 今回天真君にはライバルがいっぱい出てきましたね。あげく最大のライバルが木だなんてね。君も苦労が多いやね(爆笑)
 っていうか、天真君の話って、ラブラブ甘々な話少し前の話ばっかりなのはナゼ? しかも大抵苦労してます。
 まぁ、私の中の天真がそんなキャラ位置だって言えばそれまでなんですが、最近はそのうちおいしい思いをさせてやりたいと思うようになりました。
 …………ネタが思いつけばいいねどね(苦笑)

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