想い、月に照らされて

 上弦と呼ばれる月の出る夜、あかねは簀子の勾欄――廊下の手摺り――に突っ伏して沈んでいた。
 せっかくの月なのだが、今は切れ切れに広がる薄い雲に隠れてしまっている。まるで自分の心を表しているかのようだと、あかねは思う。
 あかねは重いため息をついて独りごちた。
「……もう、嫌になっちゃう」
 そう言って上げた顔は涙こそ流れていなかったものの、目と鼻の頭は赤く、少し腫れている。あかねはぐすぐすと鼻を鳴らした。
 今日は最悪だった。
 恐らく今までで一番最悪だ。まさかあんな事になるなんて……。
「友雅さん、大丈夫だったかな……?」
 本日は友雅と二人だけで散策に出掛けた。
 二人だけの日は大変であるから怨霊と戦うのは避けようと、普段なら具現化をするだけなのだが……。ちょっとした事情があって、急遽怨霊を祓うことにしたのだった。
 十分に気をつけていたつもりだったけど、戦闘の中で友雅はあかねを庇って怪我を負ってしまった。
「二人だと余裕がないから、やめようって言われたのに……」
 それでも時間がなかったから、無理やりに友雅を連れて行った。
 友雅も"いざとなったら、友雅さんが守ってくれるんですよね?"とにっこり笑うあかねに、結局は逆らわずに戦いに挑んだ。

――いつもと同じように、勝てると思ったのだ。

 友雅の五行属性や手持ちの札の事を考え、無理のない戦いだと思っていたのだ。たとえ二人だけでも。
 だが、怨霊の攻撃を避けようとした時、あかねはつまずいて転んでしまった。
 迫り来る気の固まりからあかねを助けたのは、無論友雅。
 しかしとっさの行動だった為か、続けて怨霊から攻撃されて、友雅はその攻撃をまともにくらってしまった。
 友雅の腕には、ざっくりと赤く斬り傷が走った。
 そこまで思い出して、あかねは再び瞳を潤ませた。
「……………っっ!」
 その時の恐ろしさは今でも鮮明に思い出せる。
 あの瞬間飛び散る血を見て、友雅を失ってしまったかと思った。
 すんっ、と鼻を鳴らすと、今更ながらに震えが来た。なんだが胸の奥が痛い。
「でも、友雅さんはもっと……痛かったんだろうな」
 何とか怨霊を倒したはいいが、血まみれの友雅を前に、自分はただ泣きじゃくることしかできなかった。
 友雅は大きな傷を負いながらも、あかねに大丈夫だと笑いかけてくれたのに。
「もう……………ゃだ……」
 自分が嫌になる。
 今やっていることもやめてしまいたい。
 何もかも投げ出して、消えてなくなることができたらいいのに……。
「何が嫌なのかな?」
「のひゃぁ!?」
 突然耳元に聞こえた声に、あかねは心底びっくりして素っ頓狂な声を上げた。
「……もう少し色気のある反応をしてほしいねぇ……」
 背後から現れたのは友雅だった。
 苦笑しながらくすくすと笑う友雅の衣に、もう血の赤は見えない。きっと着替えたのだろう。
 友雅はゆったりとした動作であかねの隣に腰を下ろした。
「あ……友雅さん……」
「なんだい?」
「あの……、腕、大丈夫でした?」
「ああ、出血の割りには傷は浅かったし、大したことはないよ」
 言いながら、あかねの頭を軽く叩く。
 そうしたのは、今にも泣き出しそうなあかねの顔を見たからだろうか。
 友雅はほらね、と簡単に腕を動かして見せた。
 ちらりと袖口から覗く白い布が、少し厚めに巻かれていて痛々しい。
「…………ごめんなさい」
「君があやまることはないよ。それよりも、君に怪我がなくて良かった」
「でも……痛かったでしょ? わ、私が無理に戦いに行ったから……友雅さんは止めた方がいいって言ってくれたのに……」
「済んだことは仕方がないだろう? 本当に大丈夫だから。
 私はこれでも武官だし、根はそこそこ頑丈に出来ている。こんな怪我などすぐに治ってしまうよ」
 友雅はそう言って柔らかい笑みを浮かべた。
 あかねを前にした時だけ、その秀麗な顔に表れる温かい微笑み。恐らく友雅自信も気づいてはいないだろうが。
 その笑顔を見たというのに、あかねの表情は哀しげに沈んだままだ。
 でも……と言いながら、友雅の傷ついた左腕を取った。
「でも、痛かったでしょ?」
 あかねはとうとう涙をこぼしながら続けた。
「……痛かったでしょ……!」
 私を、守るために……。
 友雅の手を握り、涙に濡れる頬に擦り寄せた。
 守ってくれたのはすごく嬉しかったし、大きな胸の中に庇われて、安心もした。
 でもそれと同時に、自分の不甲斐なさがすごく情けなくなった。その気持ちは、今もこの胸の内で心を締め付けている。
「ご、ごめんなさ……っ」
 あかねの瞳から落ちた涙が一雫、友雅の衣に落ちて染みを作った。
 目の前で頼りなさげに嘆く少女を、友雅は自分でも気づかないうちに引き寄せ、その涙に濡れた目尻と、震える唇に口付けた。
「……んっ……」
 いきなりの口付けて驚くあかね。反応するのを忘れたかのように呆然としている。
 一度だけされた深い口付けは、ゆっくりとあかねの身体に染み渡った。
「と……友雅さん?」
 唇を解放され、うっすらと頬を染めて友雅を伺い見るあかね。
 友雅は少し困ったような表情をした。
「すまないね。君があまりにも可愛らしいので……つい」
「えっ……」
 戯れのような友雅の物言いに、どう取ったのかあかねは傷ついたような顔をした。
「……神子殿?」
 固まってしまったあかねを見て、友雅が不思議そうに声をかける。
 頬に触れようと伸びてきた手を、あかねはとっさに振り払った。
「神子殿?」
「……つぃ……何なんですか?」
「えっ?」
「つい、なんとなく、しちゃったんですか、こんなこと!」
 いきなり叫んだあかねの真意がわからなくて、友雅は困惑しながらあかねを宥めた。
「落ち着きなさい、神子殿」
「いやっ!」
 今度は背に手が伸びてきたけれと、あかねはそれも振り払った。
「なんとなくでこんな事……しないで下さい! 友雅さんがそんなだから私は……」
 それきりあかねは俯いてしまった。声を殺して涙を流す。
 いつまで経ってもあかねが何も言わないので、友雅は静かに問いかけた。
「私は……?」
「いつもやりきれなくなるの! そんな風に接しないで下さい!」
 友雅には、なぜあかねがそんな事を言うのか、それはどういう意味なのかがいまいち分からない。
「…………口付けたのを怒っているの?」
 ぶんぶんと首を振るあかね。
 友雅はますます分からなくなった。
「では、私はどうすればいいのかな?」
 そう聞くと、しばらくの沈黙のあと、あかねはぽそりと言った。
「…………私に優しくしないで下さい」
 そうすれば、耐えられる。あかねは友雅に聞こえないようにつぶやいた。
 そんなあかねの心中を知ってか知らずか友雅は、
「それは、無理だね」
「どうして!?」
「私は八葉で、君は私が守るべき存在の龍神の神子だ。それに男とは女性を守るものだよ。その役目を私から奪うつもりかい?」
 ただ聞いただけだったのに、あかねは涙を溜めたまままた俯いた。
「……れが…、……ゃなの……」
「えっ?」
「それが嫌なんです! 役目だとか、女だからとか、そういうので優しくしないで下さいっ。……私を………てほしいのに……」
 あかねは掠れた声で絞り出した。
「ほ、他の女の人と同じように、扱わないで下さい!」
 言うだけ言うと、あかねは突如立ち上がって、友雅に背を向けた。
 小さくおやすみなさいと言うと、御簾を跳ね上げ……、
「待ちなさい、神子殿」
 友雅の腕が背後から伸びてきて、御簾を上から押さえた。おかげであかねが御簾の内に入ることが適わなくなる。
「……待ちなさい」
 もう一度、友雅が静かに言う。
 すぐ後ろに友雅の存在を感じる。
 耳元にかかるような吐息と、くずぶる炎のような響きを持つ台詞に、金縛りにあったようにあかねは動けなくなってしまった。
「君は、先程私が口付けたのを、ただの戯れと思っているようだね?」
「……ほ、他になにが……あるんですか?」
 かろうじてそれだけ絞り出す。なるべく冷静に答えたつもりだったけど、どうにも声が震えてしまった。
 なんだがとてつもない威圧感を感じて、足がすくみそうになる。
 友雅はふっと笑った。少し暗い笑みだった。
「例えば……ね。私が君の可愛らしさを……愛おしいと思ったとか」
「そ、そんなわけ……」
「ないと思う? だが私は…………」
 そこまで言って、友雅は口を噤んでしまった。
「と、友雅……さん?」
 いつまで経っても次の言葉が聞こえない。
 あかねは不審に思って、恐るおそる振り返った。
 その先には、自分自身の紡ごうとした言葉に驚いている友雅がいた。
「……私は、君のことを…………愛している?」
「えっ?」
 信じられない面持ちで頬を染めたあかねに対して、友雅は口に出したとたん、急に喉の奥で笑い出した。
 その笑顔のさわやかなこと。あかねはしばし見惚れた。
「そうだね、そうだったよ」
「あ、あの……」
「私はね、君の事を愛しているよ」
「えっ? あの……」
「信じられない?」
 そう流し目で問われて、あかねは思わず頷いてしまった。
「信用ないね。それも仕方がないが。……と言うより、私自信も驚いているのだがら」
 おいで。と友雅は手を差し伸べた。
 あかねは操られるように友雅に近寄り、共に簀子に腰を下ろした。
「あの、友雅さん……。さっき言ったことは……」
 先程までの悲しさはどこへやら、ふわふわと雲の上を漂っているような気持ちであかねは聞いた。
「本当だよ。私も今自覚したところだけどね。まさか私が、誰かに夢中になっているなど考えもしなかったから」
 そう言って友雅は艶やかに笑う。
 そしてあかねに、君は? と聞いた。
「えっ?」
「君が突然怒った理由は、私に一人の女性として見てもらいたかったからではないの?」
「……えっ……」
 そう言われて、あかねは口ごもった。
 だがやがて頬を赤く染め、あかねはコクンとうなずいた。
「やはりね」
 友雅は傲慢な笑みを浮かべてあかねに微笑む。
 それは何とも艶やかだった。そして自分は、友雅のそんな所に惹かれていた。
 今その笑みを向けてくれている友雅に、あかねは懴悔をするかのようにぽつりぽつりと話し出した。
「友雅さんが私に笑いかけて、それが他の女の人にも向けられてると思ったらつらかった。だから必死で、私だけの友雅さんを探してました。それなのに……」
 それなのに"つい"だなんて言うんだもん……。
 あかねはそう唇を尖らせた。
「ふふっ、それはすまなかった。でもね」
 友雅は胸の内にあかねを引き寄せ、その耳元で囁いた。
「私は君の前ではいつも"君だけの私"だったよ。
 こんなにも心躍る気持ちは初めてだ。この京の女性にはない輝きを放つ月。きっと私は……恐らく出会った時から、君に惹かれていたんだろうね」
 そう言って、耳たぶに軽く口付ける。
 あかねの首がすくんだ。
「君はここが弱いらしい……」
「やっ、ちょっと……やめて下さいよ……」
「では口付けは?」
「えっ……や……その……」
 恥じらいながら縮こまるあかね。
 その初々しさに友雅は満足げに微笑んだ。
「どう思っているか知らないが、口付けを拒むことは許さないよ」
「えっ、あの……」
「その代わりに、私はずっと、君だけの私でいることを約束しよう。これから、ずっと、ね」
「…………はい」
 俯き気味にだがあかねが頷くのを見て、友雅はあかねに口付けた。今度は角度を変えて何度も。深く、軽く、何度も口付けた。
「……っは」
 長い口付けが少し苦しかったのか、あかねは少しだけ呼吸を荒くさせた。
 そんなあかねを見ながら、友雅は立ち上がり言った。
「夜も更けてきたことだし、私はそろそろ失礼するよ。今宵は君もゆっくりと休みなさい」
「はい」
 余韻に浸り、少し惚けているあかねに流し目を送り、友雅は背を向けた。
 2、3歩進んだ所で、友雅はふと思い出したように振り返る。
「ああ、それから」
「はい?」
「明日も、私を連れていってくれるかい?」
「はい、もちろんです!」
 あかねの笑顔が帰ってきたのを確認し、再び友雅は背を向けた。
 その進路には、いつのまにか雲の絶え間から顔を出した月が、柔らかい光で友雅を照らしていた。

 

〜 あとがき 〜
 誕生日に全然関係ないっす(爆)
 しかしなんだか、昔に帰ったような気がいたします。それもこれも「まだゲーム中の話」ってのを久しぶりに書いたからかもしれません。
 なんだかしっとりラブ……を目指したんですが、どうなんだ?(笑)
 作品的には、少し前に書いた「今宵、夜桜の中で君と」の続編的感覚で書きました。いえ、だからと言って繋がっているわけではござーませんよ。
 兎にも角にも、友雅さん誕生日おめでとう! 今年もアナタに(色々と)捧げていきます(爆)
 う〜ん、何だか今回は少しばかりマジメに後書きを書いている気がする……。

 この作品は2003年6月いっぱいはフリーでした。

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