それぞれの想い

 栞姫の邸を辞したときには、重い雲を抱える空が涙を流していた。
「雨、か……」
 少し前までは雲の切れ間から見えていた満月も、今はその存在を示す月光さえもわからなくなっていた。
 桂を雨よけにしながら、友雅は独り夜道を歩く。
 藤姫の館へと向かう道を歩きながら、しばらくして友雅はふと立ち止まった。
 小さな音が、聞こえたのだ。
 その音は段々と大きくなり、水音を帯びた足音だと気づいた。前からやってくる人影を見つける。
「天真!」
 それが自分の知人であることを見とめると、友雅は声をかけた。
「このような雨の中、どうしたのかな? 夜遊びに行くのなら、濡れたままでは先方に失礼……」
 言葉を途中で止めたのは、天真がものすごい顔で自分を睨んでいると気づいたからだ。
「これは、どうかしたのかな? ……おっと!」
 近づくなり殴り掛かって来た天真の拳を、友雅は難無く受け止める。被っていた桂がヒラリと落ちた。
「久しぶりに会ったというのに、ずいぶんと乱暴な挨拶だね」
「うるせぇ!!」
 噛み付かんばかりの表情と声で天真が怒鳴る。
 もう一度殴り掛かろうと手を引いて、その手が振りほどけないことに舌打ちした。
「離せっ!!」
「いやだね。いかな理由があろうと殴られるのは御免こうむる」
 涼しい顔でさらりと言う友雅に、天真はもう片方の拳をきつく握り締めながら腕の力を抜いた。
 そうだ、こんな男に構ってはいられないのだ。
 早くあかねを見つけたかった。
 おもしろくないという顔であっさり背を向けた天真に、友雅は訝しんで声をかけた。
「一体どうしたというのか、このような雨の夜に。何か事件でも……」
 そこまで言って、はっと息を呑んだ。
「神子殿になにか?」
 鋭い声で言う友雅を振り返って、天真はふんと鼻を鳴らした。
「あんたでもそんな顔するんだな。まだあかねの事が気になるのか? 浮気しまくってるくせによ!」
「待ちなさい。どういう意味だ?」
 再び問いを口にする友雅に、天真はまだ言うかと怒鳴った。
「お前があかねを捨てて他の女のところに通っているってことだよ! あかねは泣いちまった!」
 その瞬間、友雅が厳しい表情を浮かべ、その迫力に、天真は息を呑んだ。
「あかねは!?」
「し、知らねぇ。館を飛び出したままだ」
 思わず素直に答えてしまった。
 こんなヤツに教えてやることはなかったのにと、少し自分に腹を立てながら、くるりと背を向けた友雅をあわてて引き留めた。
「待てよ! お前、どこに行くつもりだ!」
「もちろん、あかねを迎えに行く」
「な! お前が行ってどうする気だよ! またあかねを弄びにか!?」
 その声に、友雅が歩みを止めた。
 そして自嘲気味に笑い出す。
「そうだな……私が行ってなにを……」
 くっくっくっと喉の奥で笑う友雅を、天真は奇妙なものを見るような目で見つめた。
「と、とにかく。お前が迎えに行くなら、力ずくで止めてやる。もうあかねは傷付けさせない!」
友雅は小ばかにするように天真を見下ろした。
「止めることができるのかな? 先程私を殴ることができなかったのに」
「う、うるせぇ! ぶっ殺す!」
 顔を赤くし、天真は叫んで友雅の胸をつかんだ。そして再び拳を繰り出す。
 がっと音がして、友雅はよろけた。天真の拳がまともに左頬に入ったのだ。
「なんで……」
 殴った天真自身、当たるとは思わなかった。先程あんなに鮮やかに止められてしまったのに。
 呆然とした中、友雅が体勢を立て直し、唇の端に流れている血を拭った。
「熱い男だ」
 少し乱れた髪をばさりと後ろに払い、友雅は言った。
「そんなにも神子殿の事を想っているのなら、君に譲ろうか?」
 友雅は笑いながら言った。
 いつもと同じ調子で紡がれた言葉に、天真は怒るべきだった。もう一度殴って、最低だと捨てゼリフを残して、あかねを探すのを再開するべきだった。
 しかしそれをしなかったのは、友雅がそれを望んでいるように思えたから。
 その笑顔も口調もなにもかも同じなのに、どこか違って見えた。
 さらに言うなら、その奥にある、友雅の本心に一瞬触れた気がした。
「なんでそんな事言うんだ?」
 天真は拳を降ろし静かに聞いた。
「神子殿が好きなら君にあげようと言ってるんだよ?」
 おや? という風に眉を上げ、裕福な者が貧しい者におこぼれをやる、という風な尊大な口調で繰り返す。
「だから、なんだってそんな……自分を悪者にしようとしてるんだって聞いてるんだよ」
「………………」
 なにを言うのかと、友雅は笑い飛ばそうとして失敗した。
 探るような視線で自分を見る天真に、ため息を一つついて答えた。
「神子殿に触れる資格などないと、気づいてしまったからだよ」
 天真はどういうことかと眉を寄せる。
「今までいろんな女性を泣かせてきた男だ。そして戯れに渡り歩いたあげく、曖昧の中にすべてを置き去りにして来た。
 こんな愚かしい男のままで、あの清らかな存在に触れられるわけがない。戯れに睦言を紡いだ口で、唇をなぞることができる訳がない。
 いまさら過去を清算して来たとしても、そのことが変わる訳がないと……、今、気づいたのだよ」
 君に殴られてね。と友雅は苦いほほ笑みを浮べながら締めくくった。
「なんだよ、それ」
 天真は震える口調で言った。
「あいつはなぁ! お前が浮気してるって聞いて、傷ついた後でも、お前のことが好きだって言ったんだぞ!? 泣いて混乱しながら、それでも好きだって!」
 天真の言葉に、友雅は驚いたように目を見開いた。
「それに応えないで逃げるなんて卑怯だろ! せめて全部話してあやまってきやがれ! その後を決めるのはあかねだ。逃げてんじゃねぇよ!!」
 勢いよく言ったために、呼吸が荒くなった。
 少し顔を赤くして息を整える天真を見ながら、友雅は唐突に笑い出した。
 さっきとは違う、どこかふっ切れたような笑いだった。
「君に説教されるとはね」
 自分もまだまだ修行が足りない、などと言うわりには楽しげにつぶやく。
 そして天真に背を向けて歩きだしながら、一言言った。
「……世話になったね」
 それを聞いた天真は、けっ、と悪態をつきながら、その背中を見送った。
 友雅の後ろ姿が見えなくなって、天真は頭を抱えて座り込んだ。
「あ〜、もうくそっ! 俺ってバカ! すげぇバカ! どうしようもねぇバカじゃん!!」
 なぜあの手のかかるカップルのために、自分が働いてしまったのだろう。いくら割り切っていると言っても、この馬鹿さ加減はもはや処置なしだ。
 これで二人がよりを戻してしまったら……。
「…………グレてやる」
 そんな天真を、雨は切なく優しく包み込むのだった。




 まるで自分の影をどこかに置いてきたように、ふらふらとあかねは彷徨っていた。
 雨に受け、全身をぐっしょりと濡らしていたが、目元が不釣り合いなほどに赤いのは、確かにあかねが泣いている証拠だった。
 あてもなく歩き続けて着いた草原に、あかねはとすん、とひざを着いた。
「消えたい」
 このまま雨に溶けて消えたら、大地に帰依れたら、どんなに楽だろう?
 この、よくわからない気持ちに、苦しむくらいなら……。
 友雅との楽しい思い出だけを、静かに思い描いている方がいい。
「消えたい」
 もう一度。ポツリとつぶやいた。
「それはどうか、思い止どまってはくれまいか?」
 いきなり後ろから抱きしめられ、何が起こったのかわからなかった。
 言われた言葉も、その声も。そして抱きしめている人物を認識することも。
「こんなに体を冷やして……」
 あかねに覆いかぶさる体躯は、あかねより大きく、温かかった。
「とも……ま、さ……さん?」
「私だ、あかね」
 ゆっくりと振り返った先には友雅がいて、寂しい目でほほ笑んでいた。
「や……」
 いつの間に近づいてきたのだろう? 雨音は足音や気配を消してしまうのだ。
「や……、離して……」
「駄目。離さないよ、私の話を聞いてくれるまではね」
「いやぁ……!」
 振りほどこうとしても、びくともしない。
「お願い、離して! 私を見ないで!」
 あかねは友雅から顔を隠すようにうつむいた。
 抱きつかれてるのが、後ろからでよかったと思う。
 こんな、嫉妬や悲しみ、そしてたくさんのよく分からない感情で、醜くなった自分の顔を見られないですむから。
「私なんか、友雅さんのそばにいていい人間じゃないもの! 醜くて、自分勝手で。お願い、離してよぉ!?」
 泣きながら懇願する。
 すると、友雅はより一層力を込めて抱きしめた。
「あかね、そんな風に言わないでおくれ。君が醜いと、誰が言ったの?」
「だって……」
「君が醜いならば、私など救いようがない。たとえ禊をしたとしても、事実は消えはしないのだからね」
 そんな手で、君に触れている。
 友雅は、吐息のような声で言った。
「君を穢しているのは十分承知だ。どんな罰も受けよう。それでも、私は君のそばから離れたくない。君だけのそばに……」
「…えっ……?」
 びっくりして、のろのろと友雅の方に顔を向ける。
 そこには、傷だらけだが優しい目をした野生の獣がいた。
「天真から聞いた。……知っているのだろう? 私がここ何日か、何をしていたかを」
「………知っています」
「では真実は?」
「……………」
 真実?
 問われていることの意味が分からない、という風に戸惑うあかねに、友雅はゆっくりと言葉を紡ぎだした。
「私が愛しているのは君だけだよ、あかね。
 今の今まで、真っすぐな君の隣に胸を張っていられるように、過去の自分に決着をつけていたのだよ」
 友雅は一つ、深く息を吐いてから、
「今まで付き合ってきた女性に、別れを告げてきた」
「え!?」
 あかねは驚いて声を上げた。
 すると友雅は、情け無さそうに笑いながら言った。
「そのように驚かないでくれ。そんなに以外だった?」
 あかねは素直にうなずいてしまった。その後に慌てて付け加える。
「ああでも、その……。友雅さんが私に対してそんな風に考えてたんだって……思って」
 そう考えると、ただただ噂に流され一人舞台で踊っている自分がますます情けなくなる。
「は、離してください!」
「なぜ?」
「私こそ、友雅さんのそばにいる資格ない! 私がどんなに醜いか、自分勝手か、友雅さんは知らないんだ!」
 そう言って友雅の腕の中でもがいた。
「そうだね。知らないよ。そんな事はどうでもいいと思うから、知らなくても構わないんだ」
「!?」
 再び意外な言葉を聞き、あかねは動作を止める。
「あかねが自分のことをどう思おうと、全て引っくるめて君を愛しているからだよ。そんな君の側にいるために、私はどんな手段を使ってもいいと思っている。たとえ……君を穢していても」
 私こそ、自分勝手だと思わないかい? 友雅はつぶやくように言った。
「君はどうしたい? 自分勝手に生きるとしたら。私から離れたい?」
 どうか答えて。そして応えて。共に生きると。
 友雅の願いが届いたのか、あかねは躊躇いがちに口を開いた。
「友雅さんの、そばに…………いたいです」
 次の瞬間、力一杯抱きしめられた。
「と、友雅さん……苦し……」
「ああ、すまない」
 慌てて腕の力をゆるめると、こちらに向き直るようにあかねを誘導した。
「あかね、お願いだよ。罪深い私に、君の傍にいることのできる許しを……与えてくれまいか?」
「友雅さんこそ……、私でいいんですか?」
 感動に、今にも涙がこぼれそうな目であかねは問いかける。
「言葉が欲しいのならいくらでも。どうか私の側にいておくれ。ずっと……ただ一人の人として」
 あかねの目から、ついに涙がこぼれ落ちた。
 友雅がそれをそっと拭うと、あかねは小さな、だがはっきりした声でうなずいた。
「はい。友雅さんのそばにいます。友雅さんも、私のそばにいてください」




「もう一つの気持ち……見つけた」
 あかねは小さく独り言を言った。
「なに?」
 あかねが何か言ったのが聞こえたのか、友雅があかねの顔をのぞき込む。
 あかねは照れに顔を赤くしながらぼそぼそと答えた。
「あのね。嫉妬の他にもう一つ、抱えていた気持ちがあったの。それがわかった気がして……」
 それは自分の度量の狭さ。
「さっき友雅さんが"ただ一人の人に"って言ってくれたでしょ? この世界では男の人は……たくさんの女の人とお付き合いするものだって、聞いて、知ってた。
 私はこの世界に残ったんだから、この世界の常識に従わなくちゃいけないのに、……友雅さんが他の女の人のところに行ってるって聞いたとき、すごくイヤだったの」
 心の底で、その常識を憎んだ。
 友雅が、自分一人のものになればいいと、そう思った。
「ここに残ることを決めた時、友雅さんの為にこの世界に慣れる。なんてよく宣言できたよね私。だから、度量が狭いなぁって自分に腹が立った。
 でも友雅さんが、ただ一人の人って言ってくれたから、楽になったみたいです。……私って現金だなぁ」
 そう言ってペロッと舌を出すあかね。
 友雅はそれでいいと笑った。
「これからはお互い自分勝手にいこうか」
「はい。困ったことになっても知りませんよ?」
 あかねはいたずらな笑みを浮かべ挑戦的に言った。
 友雅はあかねの耳元に顔を近づけてささやく。
「君こそ、気をつけるんだね。でないと……」
 そこで友雅はあかねの耳たぶを甘噛みした。
「きゃぁ!!」
 顔を離し、耳を押さえて赤くなるあかね。
 そんなあかねに人の悪い笑みを向け、飄々と言ってのけた。
「狼に襲われてしまうかもしれないよ?」

 

〜 あとがき 〜
 この野獣め……。
 新規開拓をしてから、友雅の手出し速度が確実に上がっているような気がする今日この頃です。
 えっ? 前からそうだった? 失礼しました。
 ありがたくも1万Hitを越え、ラブな関係を範囲拡大してみようかな〜と思い立ち、今回ちょっと三角関係にしてみました。……の割りには、三角関係っぽくないけど。
 今回の天真君には、いろいろと不幸を背負ってもらいました。うおぉ、ゴメン! 損な役でまじゴメン!!
 でもこんな位置付けの方が、天真にしっくりくるのではないかと思ってしまう私はダメでしょうか? ってかダメですね。
 あ〜、天真君ファンの方すみません。彼には貴女というステキな人がいるから、きっと大丈夫です(笑)

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