聖夜の祝福

「ねぇねぇ、詩紋君!」
 待ち合わせの場所で詩紋は、あかねの声に読んでいた本から顔を上げた。
「あ、あかねちゃん」
「おまたせ! ねぇ、今年のクリスマスなんだけどさ……!」
 詩紋が座っていたベンチの隣に腰を下ろしながら、あかねはウキウキと上ずった声で言葉の先を紡いだ。
「今年のクリスマスは、ウチでパーティしようよ!」
 今年は両親がいないので、ぜひうちで過ごしたい。
 嬉しそうに言うあかねに、詩紋は少し驚きながら言った。
「いい……の?」
「もちろん! 楽しいクリスマスにしたいもの!」
 これはもしかして『お誘い』なのだろうか?
 だが、詩紋が抱いた淡い思いは、次いであかねが口にした言葉に、粉微塵に粉砕された。
「皆で一緒に!!」
 言われた瞬間、少し思考回路が停止した気がした。
「…………えっ?」
「だからぁ、みんなで一緒に、ウチでクリスマスパーティしよ!」
 にこにことあかねは笑う。
 何とか気を取り直して、詩紋は確認するように聞いた。
「みんなって……天真先輩や、ランちゃんと……って事?」
「やだ、当たり前じゃない。他に誰かいたっけ?」
 他に誰とか、どういう意味で聞いたんじゃないんだけどな。
 詩紋は心の中でこっそりとため息をついた。
「あ、もしかして、せっかくのクリスマスくらい、自分たちで料理とかするの……したくない?」
 黙った詩紋に、あかねは気に触ったかという風に首を傾げてきた。
 お正月じゃないんだし、イヤなんて事は無いだろうに。詩紋は苦笑しながら首を振る。
 そして同時に、淡い期待を心の底に閉じ込めて、答えた。
「ううん、そんなことはないよ。みんなでパーティだね? うん、いいと思うよ」
「本当に!?」
 詩紋が頷くと、あかねは嬉しそうな顔でやったぁと叫んだ。
 まぁ、いいか。あかねちゃんが喜んでくれるなら。
 今年がだめでも、来年チャンスがあるかもしれないし。
 楽しそうに計画を話すあかねを見ながら、詩紋は嬉しいような、虚しいような、微妙な微笑みをうかべた。




「なぁ…………詩紋」
 翌日、なにやらバツが悪そうな顔で、天真が話しかけてきた。
「はい? なに、先輩?」
「昨日、あかねからクリスマスのことを聞いたんだけどさ……」
「……ああ」
 天真の表情の意味に気づいて、詩紋は苦笑した。
「いいのか? 俺らが行ってもよ?」
「もちろんです、皆でパーティしましょうよ。あかねちゃんが楽しみにしてるんですから」
 にこにこと言う詩紋に、天真はぽりぽりとこめかみを引っ掻きながら聞いた。
「お前らってさぁ、付き合ってたよな?」
「ええ、まぁ」
「で、なんでクリスマスを二人っきりで過ごさないんだ?」
 去年もそうだったじゃないか、と天真は言う。
 去年は付き合い始めて初めてのクリスマスだったのもあるし、まだいいけれど。でも今年も皆で、というのは少々野暮なんじゃないか。そう思うのだ。
 個人的には去年だって、初めてのクリスマスだからこそ二人で過ごすもんだと思ってはいたが。
「僕だって、二人で過ごしたいなと思わなくもないですよ」
 困ったような微笑みを浮かべながら、詩紋は答えた。
「でも、あかねちゃんは皆で騒ぎたいみたいだし、……もし今の関係が壊れちゃったら、って」
 以前よりずっと身長の伸びた自分に、腕を絡めてくるあかね。
 デート時に腕を組んで歩く様は、見る者が羨むほどのカップルぶりではあるが、実はまだ、自分たちはキスさえもしたことがない。
「もしかしたらあかねちゃん……そういう風になるのがまだイヤなのかもしれないし……」
 ふとした時あかねの言動の端々に表れる、雰囲気を逸らすようなサイン。
 あかねに対し、無理やり関係を進めるということはしたくないのだ。
 付き合い始めて2年にもなるのに、キスさえもしたことが無いというのは、かなりな問題かもしれないけど。
「そんなこと言ってると、そのうち機会を逃しちまうぞ?」
「それは……困りますけど」
「だろ?」
「でも、あかねちゃんは僕の事を好きでいてくれて、ちゃんと彼氏として見てくれては……いるみたいだし」
 年下の彼氏という立場は微妙だ。
 そう思いながらも、確信のあるあかねの気持ちに詩紋の表情から思わず微笑みがこぼれた。
「あかねちゃんの気持ちに、合わせてあげたいんです」
 そう言うと、あかねの笑顔が脳裏に浮かんで消えた。
「…………マジかよ……」
 後輩思いの先輩は感心を通り越して呆れ、思わず、といった風にうめく。
「ったく、俺は男として、お前を尊敬するぜ!」
 半ば「どうにでもしてくれ」状態で叫ぶと、天真はじゃぁな、と言って去っていった。
 その後姿を見ながら、詩紋は我知らずため息をついていた。
「僕も、ずっとこのままでいたいわけじゃ……ないんだけどね」
 でも何より、たった一人の掛け替えのない人を、大事にしたいだけなんだ。
 それが、ただ自分が、今の関係を壊すことに対して、恐れを抱いてるのだとしても。




「あかねってさぁ……」
 クリスマスイブの日、パーティの下準備の為に一足早く元宮家に来ていたランは、ツリーの飾り付けを楽しそうに直すあかねの後姿に向かって話し掛けた。
「なに?」
 あかねが振り向く。
「……詩紋君とキス、いつするの?」
「!? ななななななに言ってんのよ!?」
 ランのストレートな質問に、あかねは思いっきり動転し、ぶつかられたクリスマスツリーはぐらりと倒れそうになる。
「きゃ〜〜!!」
 慌ててツリーを支えようとして、今度は足元に走る電飾のコードに足を取られ、すっ転ぶ。
 ちなみにツリーは無事だったが。
「……大丈夫?」
 ランはすっかり呆れて、あかねに手を差し伸べながらため息をついた。
「あかねってさぁ、本当に現代の人間? 今時キスくらいでそんなに動転する?」
「……だって」
 だって恥ずかしいんだもん。
 顔を真っ赤に染めたまま、あかねは不貞腐れたように言い訳をした。
「そんなんじゃ、詩紋君がかわいそうよ?」
「えっ?」
「2年も付き合ってるのに、キスさえもさせてくれない彼女なんて」
「そんな、させてあげないなんて……」
 そういう訳ではないのに。
「じゃぁ、どうして? 今日だって私たちまで呼んでパーティでさ。そりゃ、呼ばれたのは嬉しいけど、ちょっとは詩紋君の気持ちも考えてる?」
「か、考えてるよ……」
「ウソね。自分が思ってるほど考えてないわ。詩紋君もすごいよね、こんな彼女を2年も相手してるなんて」
 ランの容赦ないコメントが胸に突き刺さる。
 自分をいじめている訳じゃなく、本当に本当の真実を言うランだから、一層心に響いた。
 あかねは消えそうな声で、ぽしょぽしょと言った。
「や、やっぱり、詩紋君も、キス……とかしたいと思ってるのかな……?」
「当たり前じゃない。好きなんだから。あかねはしたくないの?」
 したくない訳じゃない。ただ、どうしていいのかわからないだけだ。
「だって、ちゃんとしたキスの仕方を知ってる訳じゃないし、どどどうすればいいのかなんてわかんないもん!」
 呆れた。キスの仕方も何も、そんなしきたりがあるわけじゃあるまいし。
 ランは心底アホらしくなると共に、あかねの狼狽振りが微笑ましくなった。……もどかしくもあったけれど。
 大げさにため息をついてみせ、
「ま、クリスマスプレゼントよろしく、一発ほっぺにチューでもかますのね」




 ふと目を開けたら、リビングの照明は落ちていて、カウンターキッチンからの光が薄く部屋を染めていた。
 自分の上にあるのは詩紋のコートとこの家のひざ掛け。いつのまにか眠ってしまっていたのだと知る。
「……なに、コレ?」
 足元に硬いものを感じて視線を走らせると、自分が横になっていたソファの下には、寝転がっている天真がいた。
 反対側のソファにはランがいて、二人とも適当なものをかけて眠っていた。
 本当はオールナイトで騒ごうと思っていたんだけど、やはり、何時の間にか誰ともなく寝始めてしまったのだろう。
 詩紋は? そう思って体を起こすと、カウンターキッチンのイスに座る詩紋の背中が見えた。
「あ、あかねちゃん。起きたんだ」
 近づくあかねの気配に詩紋が顔を上げる。
 手元には本があって、きっとキッチンの電灯で読んでいたのだろう。みんなを起こさないように、部屋の隅で。
「何読んでたの?」
 寒くない? と聞いてくれる詩紋に同じく微笑みを返しながら、あかねは聞いた。
「えっとね、ランちゃんに借りた小説」
「面白い?」
「面白いっていうか……切ないかな。戦争に行っちゃった恋人を、ずっと待ってる女の人の話だから」
 昼間のランとの会話もあって、「待ってる」という言葉が胸に響いた。
 詩紋は普通に笑顔を向けてくれているだけなのに、何だか寂しそうに見えてしまう。
 どうしていいかわからなくなって、あかねはスカートの端を小さく握った。
「恋人は帰ってくるの?」
「帰ってくるよ。でもね、顔だけ見せたらすまた消えちゃうんだ」
「えっ?」
「恋人は貧乏だったから、出稼ぎの為に女の人と離れたんだよ」
 女の人は、恋人が自分を迎えに来てくれるまで、ずっと、ずっと待ってる。
 話をする詩紋の声は、なんだか語り部のようだった。
「……どうして、女の人はずっと待ってたんだろ……?」
 あかねは、詩紋の本を持つ手を見つめながら、ぽつりと呟く。
 そんなあかねに詩紋は笑い、それはね、と説明してくれた。
「恋人が、待っててくれますか? って聞いたからだよ。今は貴女を受け入れることができないけれど、そのうちきっと、幸せにするから。でもそれはいつになるかわからなくて……未来が見えなくても、貴女は私を待っていてくれますか? ってね」
「それだけで、待てるものなのかな?」
「さぁ、どうだろう? でも僕は、僕がこの女の人だったら待てると思うよ。それ程に恋人のことを好きなんだ」
 詩紋の言葉に、心臓がどくんと跳ねた。
 次いで作者の文章表現について語る詩紋を遮って、あかねは叫んだ。
「待たなくていいよ!」
「えっ?」
 あかねの声量と、話の掴めない言葉に驚いて、詩紋は唖然とする。
 目を丸くして自分を見つめる詩紋の視線に耐えかねて、あかねは顔に朱を走らせ俯いた。
 二人の間に夜の静寂が降り、時計の秒針の音が、やけに大きく響いた。
「あ、あの……あかねちゃん?」
 一体どうしたの?
 詩紋はあっけにとられたように、あかねの表情を伺った。
 だが俯くあかねの顔は、前髪によって遮られ、読み解くことができない。
「あかねちゃん?」
「今日……!」
 もう一度名前を呼ぶと、相変わらず俯いたまま、あかねはしゃべりだした。
「ランに、詩紋君の気持ちを全然考えてないって、言われたのっ。ずっと待たせて、詩紋君が可哀相だってっ」
「えっ?……ああ」
 思わず背後のランを振り返った時、ようやく合点がいった。
 あかねは小説の話ではなく、自分たちの関係について話しているのだと。
「なんで、な、何も言わないで待っててくれるの?」
「何でって……あかねちゃん、いいムードになると、さり気に話題変えようとするでしょ? だから、まだ恥ずかしいのかな、って」
 今更ながらの詩紋の洞察力に、あかねは驚いた。恐る恐る、といった風に顔をあげて、下から伺い見るように詩紋を見つめた。
「……詩紋君も、やっぱりしたいの? ……キスとか……」
「そりゃ、まぁ。好きだからね」
 優しく微笑むその表情と、穏やかな裏に隠れた真摯な台詞に、あかねはまた顔を赤くして俯いてしまう。
「どうして、何も言わないで待っててくれるの?」
 あかねはもう一度、同じ質問をした。
 詩紋は本を閉じて横に置くと、あかねの手の上にそっと自分の手を重ね、言った。
「そりゃ、あかねちゃんが好きだからだよ。大切にしたいと思うから、焦らないで、ゆっくり関係を進んで行きたいんだ」
「詩紋君……。私、どうしたらいいのかな?」
 詩紋の温かくて大きな手に、ほろり、と不安がこぼれた。
「どうすることもないよ。あかねちゃんは、あかねちゃんらしく、あかねちゃんの思うように進んでいけばいいんじゃない? それに……」
 詩紋は少しだけバツが悪そうに笑って、
「僕も、あかねちゃんに嫌われたくないから、先に進めないでいるのかもしれないし、お相子だよ」
「詩紋君でも、そう思うの?」
「当たり前だよ! だってあかねちゃんを傷つけたくないもの。いつもいつでも、あなたに嫌われたらどうしようか、って思うよ?」
 詩紋がそんなことを考えているなんて、思いもしなかった。
 いつも自分を大切にしてくれていて、ランに指摘されるまで全然不安にも疑問にも思わなかったから。
 今話をしたことで、あかねは詩紋が自分に向けてくれていた愛情の大きさに気がついた。ランの指摘通り、自分は詩紋の事をあんまり考えていなかったのだ。
「詩紋君に、どうすれば気持ちを返せるのかなぁ……」
 皆、どうやって進むのだろう?
 あかねはぽつりと呟く
 それを聞きとめた詩紋が、少々悪戯っぽく言った。
「じゃぁさ……してみる?」
「えっ?」
「……キス……」
「えっ!?」
 途端に叫んだあかねは、慌てて口を抑えた。この部屋には天真とランが眠っているのだ。
 あかねの視線の先を追いかけながら、詩紋が付け加える。
「大丈夫、先輩たち寝てるよ。誰も見てないと思うよ」
「〜〜〜〜」
「さっき『待たなくてもいい』って言ってたよね?」
「そ、それは…………」
「やっぱり、恥ずかしい?」
 心の準備ができていないのならしないまで。楽しみは取っておくことができるのだから。
 あかねを気遣いながら言う詩紋に、だがあかねは一大決心をし、こくんと頷いた。
「えっ?」
 恥ずかしいという言葉に対して頷いたのか、それともいいという意味なのか、にわかに判断がつかなかった詩紋は首を傾げた。
 そんな詩紋の手に指を絡めながら、あかねは真っ赤な顔で俯いて、ぽしょぽしょと是を告げた。
「……いいの?」
「うん」
「無理しなくても良いのに」
「うん、大丈夫。詩紋君となら、不安じゃないと思うの」
 などという言葉を、そんな不安そうな顔をして言わなくても。
 あかねの言葉と表情のギャップに詩紋は小さく笑った。微笑ましい。
「いいんだね?」
「うん。……よし、いいよ」
 あかねの力み具合が面白くて、詩紋は重ねて笑う。
 その自分を見て少し膨れているあかねの耳元で、
「目、閉じて……」
「う、うん……」
 初めてのキスは、羽毛布団の羽根より軽かった。
 さっと唇を啄ばんで離れると、暗めの照明でもはっきりとわかるあかねの赤い顔が見えた。
「なんか……気持ちいい?」
「そうだね」
「なんか……嬉しいい」
「……そうだね」
 恋人たちは額をくっつけ合って笑う。
「あ、そうだ……!」
「どうかした?」
 何かを思い出したかのようなあかねの声に、詩紋が首を傾げる。
 あかねはリビングの時計を振り返った。今は真夜中。時計の針は2時半を指していた。
 今日は聖なる日。イエス・キリストが生まれ、全ての愛が祝福される日。
「詩紋君、メリークリスマス!」
「メリークリスマス、あかねちゃん」
 そしてもう一度、今度は眠りの淵よりも深く口付け合った。
 キッチンの真っ直ぐな光だけが、二人の愛を見守っていた。

 

〜あとがき〜
 詩紋君ってばテクニシャン……(爆)
 あ、テクニシャンってのは夜のナニについてではなくてですね、この場合恋愛進化についてのテクニシャンです。ふふふ、あかねの逃げ道なくしてます(爆)
 個人的に思うのですが、彼は友雅さん以上の口説き師になると思います。直球天然口説き文句&さわやかスマイルは無敵だと思うわけですよ、はい。
 そういえば、作中あかねがキスという言葉に動揺していますが、なんだか大正時代の婦女子のようですねぇ。話の展開上動揺してもらいましたが、普段のあかねちゃんにはもうちょっと大胆になってほしい……せめて昭和とか(それかよ!?) いや、昭和というのは冗談ですが。

BACK

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送