蛍 川
夏のある日。 あかねは藤姫の館の一角で、扇を手に涼んでいた。 扇が織り成す風に、よく知っているしっとりした香りが混じって、あかねは顔をあげる。 「……友雅さん?」 「当りだよ、あかね」 半分ほど巻き上げた御簾をくぐり、現れたのは友雅。 あかねは瞬時に笑顔になり、友雅に駆け寄った。そしてそのまま抱きつく。 「どうしたんですか? こんなに早い時間に?」 友雅の腕の中で、あかねは見上げ問いかけた。 今時刻は午(うま)の刻。友雅は仕事の時間なはずだが……。 「所用があってね。どうせなら君のご機嫌を伺ってから戻ろうと思って。お邪魔だったかな?」 あかねはもちろん首を振る。 小さく微笑んで、友雅はあかねの額に口付けを落とした。 「久しぶりだが、息災かい?」 「久しぶりって……三日ぶりを久しぶりとは言わないですよ」 友雅の言葉にあかねは苦笑する。 「三日も会うことが適わなくては、十分久しぶりだと思うけどね?」 ここの所、友雅は帝の所用で遠出をしていた。 毎日会っていれば、三日ぶりは十分久しぶりの範中に入るだろう。 「君の元へ毎日馳せ参じているのに、三日会えなかっただけなどとは悲しいねぇ。君は私が想うほどには、愛してくれていないのかな……?」 そんなことを微塵も思っていないが、わざと切なげにあかねを流し見てみる。 案の定あかねは大慌てで否定した。 「そっ、そんな事ないですよ! 私も確かに寂しかったし、友雅さん早く帰ってこないかなーって何度も考えましたし、夜になる前にこうして会えて嬉しくて! た、ただ、ちょっとだけ大げさじゃないかな〜なんて思っただけで……って、友雅さん!」 言葉の途中からくっくっと笑い始めた友雅に、あかねは真っ赤になって非難の声をあげた。 「いやいや。君の気持ちはよくわかったよ」 「もう、知りません!」 あかねがぷぃと背を向ける。 その肩を引き寄せて、友雅は耳元で囁いた。 「すまなかった。もう笑わないから……」 その声に背筋を何かが駆ける。それは決して不快なものではなくて、むしろ快感で……。 あかねは急に恥ずかしくなって、続いて耳たぶに口付けてくる友雅を引き剥がした。 「きっ、貴船でしたっけ? 出張先」 ごまかそうと、話を変える。 引き剥がされた友雅は、だが気を悪くするでもなく答えた。 「そう、貴船の祭司殿へ、主上からの文を届けにね。貴船は蛍がまだいたよ」 「えっ、蛍? いいなぁ〜」 「今年最後の蛍だろうね。君にぜひ見せたかったよ」 もう夏も終わるころだ。この辺りではほとんど蛍を見かけなくなっている。 「蛍かぁ、今年は見てないや。貴船には、元いた世界でもよく蛍狩りに行きましたよ。また行きたいなぁ」 「そうだね。だが今年はもう無理かもしれないな。私はまたしばらく都を離れられないし、残念だが連れていってあげることが出来なくてね」 すまなげに笑う友雅に、あかねは慌てて手を振った。 「えっ、ヤダ、気にしないでください。何が何でも行きたいわけじゃ……」 「だからね、来年行こうか」 「えっ?」 「……来年の、蛍のちょうど見頃な時期に」 そう言って、友雅は片目をつむった。 瞬時にあかねの顔に笑顔が広がる。 「はい、ぜひ!」 そうしてあかねは、友雅に抱きついた。 「そういえば、先ほど言っていた事は本当かい?」 「さっき……?」 「今年は蛍を見ていないの?」 「そうなんです。この世界の事を覚えるのでいっぱいいっぱいだったから、気付かなかったみたいで……」 「それは惜しい事をした。今年は特に、美しかったよ。きっと君が都を浄化してくれたから、それを蛍も感じ取ったのだろうね」 そしてふと思い当たって、友雅は嘆息した。 「失敗したな。私も内裏への道すがら見かけただけで、宴などを開いた訳ではなかったからね。失念していた」 もっと早くこの話題が出ていれば、状況も変わっただろうに。 「も〜。気にしないで下さいって言ったじゃないですか〜。私はその気持ちだけで十分嬉しいんですって」 少しむくれながらあかねが言う。 見上げてくるあかねにそうだね、と頷くと、静かに微笑んだ。 「さて、そろそろ私は内裏へ戻るとするよ。また夜に、ね」 思わせぶりに友雅が流し見る。 艶やかな微笑みに赤面しながら、あかねはコクンと頷いた。 「お仕事、無理しないでくださいね……!」 あかねの言葉に送り出されながら、友雅は一度振り返って片手を上げた。 (また夜に……か) 友雅の衣の香りが残る中、あかねはへにゃりと表情を緩ませた。 (今日は友雅さんともう一度会えるんだぁ。えへへへへ) 溢れ出さんばかりに幸せそうに笑うあかねは、とても友雅には見せられないような締まりのない顔だった。 (…………来ない) 眠り灯台のみ灯る薄闇の中、文机に頬杖をついてあかねはため息をついた。 また夜に。そう言ったはずの友雅はまだ来なくて、あかねは灯篭の中で燃える火を見つめながらずっと待っている。 何かあったのかな? まだお仕事終わらないのかな? まさか事故なんてことはないよね? 大丈夫。友雅さんなら、たぶん大丈夫。 そこまで考えて、あかねはまたため息をついた。 (まだかな〜) 普段ならとっくに顔を見せている時刻。 来ると言った以上は、友雅は必ず来るだろう。しかし遅れる時は遅れる時で、友雅は必ず知らせをよこすのだが……。 その時、簀子の方で床のきしむ音がした。 一瞬友雅かと思ったが、しかし友雅ならもっと堂々と入ってくるし、廂で声をかけるはず。 もしかして泥棒? あかねが息をひそめて身を固くした時、いつもの香りが鼻をくすぐった。 「…………友雅さん?」 小さな小さな声で問うたが、相手にはちゃんと届いたらしい。 「おやおや、起きていたのかい?」 その声と、薄闇に浮かび上がった姿に、あかねは脱力する。 「あ〜。びっくりしたぁ〜……。泥棒かと思っちゃったじゃないですか〜」 「ははっ。それはすまなかった。眠り灯台に火が移っていたから、もう休んでいるのかと思ってね」 「友雅さんが来るのに、寝ちゃう訳ないじゃないですか」 「嬉しい事を言ってくれるね」 友雅は微笑みながら、あかねのすぐ横に腰を降ろす。 あかねは部屋を明るくしようと、他の灯台に火を移しに立ち上がった。 「ああ、ちょっと待って、あかね」 あかねが火を移そうとしているのを見て、友雅が引き止めた。 そして不思議そうな顔のあかねに、衣で包んだ物体を差し出した。 「みやげだよ。暗い方が、美しいから」 友雅は悪戯に笑ってあかねを手招きすると、あかねが正面に座るのを待って、そっと包みを解いた。 「あ……」 包みの中から姿を現したのは、木で作られた小さなカゴ。そしてその中に、いくつかの淡い光があった。 「……蛍!」 「そうだよ」 「えっ、どうして、コレ?」 今年は諦めていたものが、何気無く目の前に差し出されたので、あかねは驚いた。 目を見開いているあかねの前でカゴを開けると、蛍は思い思いに部屋を漂い始める。それを目で追いながら、友雅は答えた。 「今年は見たことがないと言っていただろう? それでは少し寂しいと思ってね」 昼にあかねに会った後、貴船に人をやって捕まえてきたのだと友雅は言う。 「あっ、ありがとうございます!」 嬉しくて、思わず大きな声で礼をのべてしまうあかね。 光が一斉に消えた。 「しぃ……」 「あっ」 友雅が指を唇に当てるのを見て、あかねは慌てて衣の袖で口を押さえる。 しばらくすると、貴船の蛍たちはおずおずと──そんな雰囲気で──光りだした。 友雅が眠り灯台の明かりさえも消す。今夜は月が明るいので、目が慣れてしまえば完全な暗闇にはならない。だがそれによって、蛍の光は一層輝きわたった。 「……綺麗……」 うっとりとあかねが呟く。 その横顔がおぼろげな蛍の光に照らされ、神秘的に浮かびあがる。 友雅はあかねに見とれながら聞いた。 「気にいっていただけたかな?」 「もちろんです。ありがとうございます」 その視線は蛍を追っていたが、幸せそうな顔に友雅は微笑んだ。 「あ、友雅さん見て……」 あかねが指を指す。 好きずきに漂っていた蛍たちが、一つの几帳に集まろうとしていた。 星の光のような不思議な色が、不規則にまたたきだす。 「天の川みたい……」 友雅に寄り添い、あかねがうっとりと呟いた。 「本当に、美しいね」 月は傾き、空は夜明けまでの刻を数え始めた。 あかねと友雅は飽きる事なく蛍を見つめている。 あと少し、寄り添っていよう。天照が顔を出すまで。 蛍の光が、朝に溶けるまで。 |
〜あとがき〜 まだ夏が始まったばかりだと言うのに、もう夏の終わりな話ですアハハ(爆) やっぱり夏の終わりは私の願望なんでしょうか? だって暑いのダメなんですよ〜!! 体力落ちるし思考回路鈍るし脳みそ沸騰するし。暑くて寝不足になるし、かといってクーラーつければ電気代びっくりだし。夏はキライです。氷河期恋しいです。 唯一夏で好きなのは雷かな。綺麗ですよね。やかましい音でも、雷だとあまり気にならない。 おっと、蛍に関係ないあとがきになっちゃった。……ドンマイ。 |
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