紅 華
「殿。お帰りなさいませ」 「お帰りなさいませ」 出迎える女房たちに頷きを返しながら、友雅は階を上がる。 「只今帰ったよ。……望月の君は?」 「北の方様は、申一つ刻からずぅっと、殿をお待ちです」 友雅の問いに答えたのは、あかね付きの女房の明乃。 なんだか答える声が、いつもより低音だ。 「申の刻から?」 今は日もすっかり落ちて、もうすぐ戌の刻。 明乃の言葉に、友雅は眉を潜めた。 「ええ、殿と紅葉をみたいと仰せられて、御簾を上げたまま廂で。殿は本日、いつもより早く帰るとお方様に仰っていましたから、だからではありませんか? ……なにしろ殿は紅葉が色づき始めてから、宴やお役目で、日が落ちる前に帰っていらっしゃらないものですから」 明乃はすまし顔のまま、大げさなため息をつく。 きっとあかねを待たせている事を怒っているのだろう。友雅は思わず苦笑いを浮かべた。 「それはすまなかったね。すぐ姫君のご機嫌を伺いに行くとしよう」 「ええ、できる限り迅速に、そのようにお願いいたします」 見送る明乃に頷き一つ返し、友雅は東の対に急いだ。 友雅の邸の北の対に迎え入れられたはずのあかねは、現在東の対で日常を過ごしている。というのは、東屋の方が庭に面しているので、あかねが退屈しないだろうとの友雅の采配でそうなったのだった。 滑るように簀子を渡りながら、友雅は考える。確かに紅葉が色づき始めてからというもの、あかねと過ごすための時間があまり取れていない。 京の人間は総じて催し物好きであるので、紅葉の始まりと共に宴を催す者が多い。宴は自分の力量などを見せつける絶好の場であるので、権力者たちは先を競って宴を開くのだ。 権力者に招かれては否とも言えず、宴に参じる事となった友雅だが、そのせいで今年はあかねとまだ紅葉を愛でていない事に、友雅は今更ながら気付いた。 (……一生の不覚だな) いくら結ばれて幾年経っているとは言え。いくら紅葉が、まだ色づき始めとは言え。 大げさな……と言えなくも無いが、友雅にとってあかねと共に季節を感じることは、なによりも先ず優先すべきものだった。 共に生きている、何よりの証。 友雅はあかねの笑顔に想いを馳せながら、簀子を急いだ。 「あかね……今帰ったよ……?」 東対の廂にたどり着き、友雅は几帳の向こうに声をかけた。 「あかね?」 飛び出してくるはずのあかねが来ないことに首を傾げながら几帳の向こうを伺い見ると、あかねは座ったまま静かな寝息をたてていた。 「おやおや……」 あどけない寝顔に思わず友雅から微笑みがこぼれる。 両膝を抱えた体制で均衡を保っているあかねの肩には、大袿が掛けられていた。きっと明乃がかけたのだろう。秋始めとはいえ、夜になれば冷え込むから。 真正面に膝を落とした友雅にも気付かず、あかねは眠りこけている。 「ずいぶんと待たせてしまったようだね……」 友雅は苦笑を浮かべながら、あかねの額に口付けをした。 あかねはそれでも起きない。 このままでは風邪を引いてしまう……。友雅はそう思い、御簾を降ろし、あかねを帳台へ運ぼうとした。 「むっ……!」 が、友雅が持ち上げようと手を差し入れた瞬間、あかねは小さくうめいて身を硬くした。 一瞬起きたのかと思ったが、表情を伺ってみると確かに寝ている。 あかねは無意識の中で、ここを動きたくないとの意思表示をしているようだ。それほどに、ここで友雅を待っていたいのだろう。 「…………なるほど」 友雅の次にあかねの身を案じている明乃が、あかねを移動しなかったわけだ。 帳台に運ぶ事もできず、かといってこのままにしておく訳にもいかず、しかたなく大袿を肩にかけたのだろう。 さてどうしたものか……と、友雅はしばし思案した。あかねを起こすのは忍びない。 あかねを見つめながら考え込んだ友雅は、しばらくの後、あかねの肩に掛けられている大袿をその手に取った。そしてその袿を羽織り、あかねの背後に座って、自分ごとあかねを包み込む。 外気に触れて冷えていた部分に身を寄せ、友雅はあかねを抱きしめた。 「……ん……」 あかねは気持ちよさそうに友雅に身を預けてきた。 「すまなかったね、あかね」 体が冷えるまで待たせてしまって。 友雅の声を聞いて、あかねは少し微笑んだようだった。 「ん……あ、れ?」 「起きたのかい?」 「と、友雅さん!? おかっ、おかえりなさい!?」 「ただいま」 驚きのあまり急速に覚醒するあかねに、友雅はにこにこと言い抱きしめた腕に力を込めた。 「い、いつからこうしてたんですか?」 寝顔を見られてしまった恥ずかしさに、あかねは頬を染める。今更寝顔を見られたからといって、恥ずかしがるような仲でもないのだが、やはり心の準備が出来ていないと心臓に悪い。 目覚めて最初に感じた友雅の温もりが、本当に至近距離だったことに狼狽したあかねは、友雅の腕の中から逃れようともがいた。 「離してくださ〜い」 「ふふっ、逃がさないよ」 友雅は一層あかねを強く抱きしめ、腕の中に隠してしまう。 「私とくっついているのはお嫌かい?」 「だって……い、いきなりでしたから……」 「驚かせてしまったようだね。だが、この方が温かいよ」 そう言いながら袿を少し持ち上げると、あかねの足が外気に触れた。 あかねは小さく声を上げて足を引き寄せる。 「ね?」 「そう……ですね」 予想だにしなかった冷気に、あかねも開き直ったように友雅に身を寄せた。 友雅はあかねの膝の上で両手を組む。 「今日は早かったんですね」 「ああ、だが日没には間に合わなかった。明乃から聞いたよ、ずっと待っていてくれたのだろう? すまなかったね」 「えっ、聞いちゃったんですか? ……やだなぁ」 「何が?」 「こ、子供っぽいじゃないですか、そういうの……」 呆れられると思っているのか、あかねはバツが悪そうに呟いた。 「そう? ならば私も、子供っぽいという事になるね」 「えっ!?」 「私も君と紅葉を愛でたいと思っていたよ。本当は一番に君との時間を過ごしたかったのだけれど、今年は手が離せない仕事ばかりでね」 かと思えば、大臣や大納言殿が権力を振りかざして宴に参るようにと言ってくるし……。 友雅の呟きが拗ねた子供のようだったので、あかねは思わず笑ってしまった。 「……笑い事ではないのだけれどね」 苦笑を浮かべつつ友雅が言う。彼にとって、何においても一番に置かれるのはあかねの事なのだ。 「ご、ごめんなさい。でも、宴に呼ばれるってことは、友雅さんの琵琶とか笛とかの上手さを、認めてるって事じゃないですか」 まだくすくす笑いつつ、あかねはフォローのように言う。 そうして「ね?」と振り向いた瞬間、真摯な光を帯びた友雅の瞳とぶつかった。 「本当は、琵琶も笛も、君に捧げられたものなのだよ? 私の腕も、足も、声も、心も。魂さえもね」 「友雅さん……」 近づいてきた友雅に逆らわず、あかねは瞳を閉じた。 それと同時に唇に感じる、友雅の温もり。 軽い口付けと深い口付けを幾度となく交わしてから、一度離れた。 「近いうちに必ず、君と紅葉を愛でる時間を作るよ」 「はい。……あ、でも今からでも作れますよ」 「今から?」 こくんと頷いたあかねは、軽く体を揺する。 友雅が腕の力を緩めると、あかねはす、と立ち上がり、室内の灯台をいくつか消した。 「ほら、篝火が紅葉を照らして……」 薄闇に包まれた室内の中から、あかねは御簾の外を指差す。 そこには真っ赤に燃える紅葉と、それを照らす篝火が、夕暮れよりも紅い色を作り出していた。 その様は、いっそ畏怖を覚えるほど美しい……。 「ね?」 「本当に、美しい……まるで炎の華のようだね」 友雅も立ち上がり、あかねの横へと並んだ。 しばしその紅を見つめた後、友雅は大袿をあかねの方にかけ、御簾をくぐった。 「酒でも持ってくるよ。この紅を見ながら君と飲めたら、きっと至上の幸福だろう」 御簾の端から顔を覗かせるあかねに、友雅は微笑んだのだった。 友雅は酒と盃を用意して、あかねの元へ戻った。 こういう事は女房の仕事なのだが、あかねと過ごす夜の時間は人払いをしているので近くにいない。合図して呼べばよいものだが、そこまでする必要もないし、またあかねがちょくちょく動くのを見習って、いつの間にか友雅も自身で動いてしまうようになったのだ。 「あ、おかえりなさい〜」 それに、自分を待っているあかねの笑顔の可愛らしいこと。 友雅は闇夜の中でも鮮やかなあかねの微笑みに目を細めた。 「あっ、甘酒もある」 二つの円座を用意して待っていたあかねは、友雅の手にある盆を見て嬉しそうな声を上げた。 「君もどうかと思ってね」 体が温まるよ、と言う友雅に、あかねは満面の笑みで頷く。 「はい! いただきます」 友雅が円座に腰を降ろすと、早速あかねが提子を持ち、友雅の盃に酒を満たした。薄く濁った液体が注がれる。これは米と水のもたらす恵みだ。 礼を言って、友雅は盃を一口で空にした。 空になった盃にもう一杯、とあかねが注ごうとするのを制し、甘酒をあかねに返杯する。 あかねも礼を言い、盃を一気に空けた。 「おや、いい飲みぶりだね」 「友雅さんには適いませんよ」 なにしろあかねが飲んでいる甘酒と、友雅が飲んでいる清酒とは辛さに天地の差があるのだから。 くすくすと、あかねが笑う。 そうしてしばし、お互いに酒を注ぎながら盃を空けた。 そよ風が篝火と紅葉を揺らす。 「気持ちいい〜」 風を感じて言うあかねの頬が、早々と染まってきた。火照って上気した頬が、何とも色っぽい。 「あかね、もう顔が紅いね。篝火のせい?」 酒の回りが早いと暗に言う友雅に、あかねはぷくっと頬を膨らませた。 「もう! 私がお酒あんまり強くないの、知ってるじゃないですか!」 その様も、なんとも可愛らしい。 自分はなぜ、今までこの表情を見ないで過ごせたのだろう? 友雅は不思議でならなかった。 それほどに、自分の中でのあかねの存在が大きい。 あかねが自分の傍らにいて、くるくると変わる表情を見せる。それが世界の彩りであり、友雅の生きる意味。 「どうかした?」 気が付くと、あかねがじぃっと自分の顔を見つめていて、友雅は問いかけた。 「友雅さんは、お酒、強いなぁと思って」 すっごく今更な事ですけど。そう言うあかねの頬は朱色に染まっている。 「ああ、なぜだろうね? 父も強いから、遺伝じゃないかな?」 友雅はなおも変わらない顔色で盃を空ける。 あかねはその様子を、尊敬半分、呆れ半分で見上げた。 「こんなに強いお酒飲んでも、まだ顔色一つ変わらないなんて……」 自分はたかが甘酒を二、三杯飲んだだけで体が火照っているというのに。 「そんなに強い酒でもないよ、今日はね」 一時は、強い酒の力を借りて眠りを得ていた時期もあった友雅は苦笑する。 少し翳った友雅の微笑みに気付いたかどうかはわからないが、あかねは変わらない表情で友雅を見ている。 「なんなら、少し飲んでみるかい? 飲めないほどではないと思うのだが……?」 「いっ、いいです! そんなの飲んだら速攻寝ちゃいます」 酔うと笑い上戸になるか眠ってしまうあかねは、大慌てで手と首をぶんぶん振った。 「本当に、それほどでもないってば……」 あかねの様子が可笑しかったのか、友雅がのどの奥で笑いながら言う。 そうして酒を口に含み、あかねの腕を掴んで引き寄せた。 「きゃ!」 自分の膝の上に倒れこんできたあかねの上体を支えながら、友雅はあかねの顎を掴み、口付けした。 「んっ」 口移しで飲まされた酒が少し、唇の間から零れてあかねの喉を伝った。 友雅はそれをゆっくりとした動作で舐めとる。 「……っ……」 与えられた刺激にあかねがぴくりと竦む。 名残惜しげに唇を離し、友雅は挑戦的な目であかねに言った。 「ね?」 「……ばかっ」 こんな飲まされ方では、味がわかるはずがない。 だから普通に飲めたのであろうことはひとまず置いといて、突然の悪戯にあかねは友雅を睨んだ。 「………………あっ」 全くもうっ。仏頂面を浮かべたまま身を起こそうとして、あかねはふいに声を上げた。 どうかしたのかと覗き込んでくる友雅に誤魔化し笑いを見せ、あかねは内心しまったと思った。 (力が入らないよぅ) どうやら結構酔っていたらしい。今のショックもあるのだけれど、とにかく体から力が抜けている。 微々たる程だが込められる力で、あかねは何とか身を起こした。 「あかね?」 「な、なんでもないです」 「冷えるなら、中に入ろうか?」 「寒くないです。全然平気っ!」 これでお開きになってしまったら、せっかく念願の友雅との紅葉狩りなのに、勿体無さ過ぎる。 何処となくぎこちないあかねの様子に首を傾げながら、友雅は心配そうに言った。 「本当に大丈夫かい? 無理はしないで……ほら、もう少し酒で体を温めなさい」 そう言って提子を差し出してくるが、それではますます酔ってしまう。 「ももも、もう結構です」 あかねは勢いよく首を振って辞退した。 だが、それでかえって酒が回ってしまい、そのままあかねはふらりと傾いた。 「おっ……と」 倒れこむあかねを友雅は慌てて支えた。 「やはり、君は酒に弱いようだね」 くすくす笑いながら紡がれる言葉に、あかねは頬を膨らませて抗議した。 「だから、私がお酒に強くないの、知ってるくせにってさっき言ったじゃないですか……」 友雅はそんなあかねの膨れっ面の頬と、そして唇に口付けを落した。 そんな二人の横で、風に運ばれたひとひらの紅葉が、提子にたゆたう酒に舞い降りた。 白と紅の対比が、さながら錦のよう──。 |
〜 あとがき 〜 えと……11月7日に『紅都』という京都で開催された遙かのオンリーイベントで、無料配布本用に書いたお話です。 秋だし! 紅葉の季節だし! と書き出したはいいんですが、「これだ!」と思って書き始めた話ではないので、オチなしかよ!? 的なお話になってしまいました……(汗) でも話の雰囲気的には割りと好きvv 夜にほのぼの会話する話は、どうやら自分、結構好きみたいですね。 ところで、このお話のタイトル『紅華』。 タイトルを決めるときに漢字の雰囲気で決めてしまい、それが動かしがたくなってしまい、「どうよもう……」とかいう情けない悩みを抱え、苦し紛れに「コウガ」と決めてみました。 …………べにばなじゃないですよ、油では……(笑) イベントに来られなかった方(距離とか用事とか)にも、京の秋を少しでも感じていただければよいですねぇ。……無理かな(苦笑) |
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