風花寒梅

 梅を見に行きたい。
 そうあかねと友雅が出かけたのは、厚い雲が空をおおう早春の日だった。
 早春といえど風はまだ刺すようにつめたい。友雅はあかねを振り返って、気遣うように声をかけた。
「寒くはないかい、あかね?」
 その吐息も、まだほんのりと白い。
 あかねはにっこり笑って応えた。
「大丈夫です、寒くないように着て来たし」
「そう? だいぶ暖かくなってきたが、今日は寒さが戻ってしまったからね、寒くなったら言うんだよ?」
「はーい」
 快活に返事をし、あかねは被っている袿をずり落ちないよう直した。
 二人が歩く梅園は今が盛り。
 梅には桜のような圧倒されるような美しさはないが、ほのかに漂う花の香りと慎ましくしっとりと花を咲かせる様に風情があると、友雅は思う。
 それをあかねに言うと、あかねも同意してくれた。
「なんだか春は桜ってイメージがあるけど、考えてみれば梅の方が一足早く春を運んでくるんですよね」
「ああ。梅は雪の残る時期から咲き始めるし、それらを一緒に愛でるのは、満開の桜を見上げるのに勝とも劣らない贅沢だね」
「そうですね。……そういえば、私たちの世界では、お花見といえば桜って感じだから、落ち着いて梅を見にきたのは初めてかも……」
「おやおや、それはもったいないねぇ」
 冷たい風に乱された髪をかきあげながら、友雅が笑う。
 あかねは重々しく頷いた。
「私もすごくそう思います。こんな綺麗なものを、落ち着いて見たことがないなんて」
 梅の周りには、桜より穏やかな時間が流れている気がする。
「ところで友雅さん…………怒ってません?」
「いきなりだね。なぜ?」
「……私が、出かけたいって言ったから」
 本来この世界の貴族女性というものは簡単には外出しない。友雅の妻として邸に迎え入れられてもうずいぶん経つが、その事に、あかねは未だ抵抗を持っていた。
 あかねが梅を見たいと言い出したとき、友雅はあまりいい顔をしなかった。しかしあかねの願いならばと、反対しないで連れてきてくれたのだ。
 上目使いに伺っている妻が可愛らしくて、友雅はくすりと笑う。
「ああ、そのことかい。別に最初から怒ってなどないよ?」
「でも私が出かけたいって言ったとき、考え込んでたじゃないですか」
「……するどいね」
 迷ったのはほんの少しのことだったのに見抜かれていたとは。友雅はあかねの観察力のよさに感嘆した。
「正直言うとね、君が外を出歩くのは歓迎できないね。邸の中ならまだしも、君の姿を世間に晒すのは抵抗がある」
 あかねが外出しないことに抵抗を持っているならば、友雅もまた、あかねの外出に抵抗を持っていた。
「でも、神子やってた時はいっぱいうろついてましたけど?」
「それはお役目だからね。しかし今は、私だけのあかねだ、そうだろう? どこぞの男に垣間見られるのは御免こうむる」
 自分の言葉を聞いているあかねの表情が曇ってきたのを見て、友雅は微笑んだ。
 あかねを袿ごと抱き寄せ、耳元で囁く。
「そんな顔をしないでおくれ。君にそんな顔をさせたいわけではないのだよ。ただの私のわがままなのだから」
「でも……」
「それに、君ならではの喜びというのもある」
「えっ?」
「他の姫君とは、このように一緒に外出するわけにはいかないからね。邸にいる君に梅の枝を届けるのもいいものだけれど、それだとこの感動を一緒に味わう事ができない」
 だたし、と友雅は付け加え、
「やはり他の男に君を見られてしまうのは嬉しくないから、その袿をしっかり被っていておくれ」
 片目をつむって紡がれた言葉に、あかねはくすぐったいような気持ちになって微笑んだ。
「それにしても、いい香り〜」
 そのとき、あかねはふと思いついて、小さく声をあげた。
「……あ」
「どうかしたかい?」
 蝙蝠扇をもてあそびつつ、友雅が振り返る。
「あ、いや、なんで梅は桜より落ち着いてみえるのかなぁって思ったんですけど……」
 あかねは被っていた袿をちょこっとだけ浅く被りなおして、梅の木を見上げた。
 あかねが立ち止まったので、友雅もその場にたたずみながらあかねの言葉を待つ。
「梅のほうが、ゆっくり散るんだなぁと思って」
 うっとりとため息をつくように、あかねは言葉を紡いだ。
 そんなあかねを包み込むように、梅の花びらが香りと共にひとひら、ひとひらと舞い降りていく。
 桜のそれとは違い、まるでお天気雨のように梅は散る。桜は惜しいと思ってしまうほど、咲いたそばから散っていってしまうのに。
「そういえば、桜吹雪って言葉はあるけど、梅吹雪って言葉は聞かないですね」
「……あかねはなかなかおもしろい事を考えるねぇ」
 しかし言われてみれば……と、友雅は忍び笑いをもらした。
「さしずめ、梅の散る様は粉雪のごとく降る風花といったところかな。──おや」
「あっ、風で散っちゃう!?」
 急に吹いた強風に、梅の花びらが運ばれていく。なかなか収まらない風に、舞う花びらの数はどんどん増えていった。
 飛ばされていくひとひらを引き止めるかのように、あかねは手を伸ばす。しかしつかまえたかに見えた花びらは、あかねの手の中ではかなく消えた。
「えっ? あれ?」
 不思議そうに花びらの行方を探すあかね。
 それを微笑ましそうに眺めてから、友雅は空を仰いだ。
「なるほど、天も粋な計らいをしてくれるものだ」
「え?」
「よく見てごらん」
 はかなき舞人をとらえて、友雅はあかねの前で手を開いた。その花びらは、すっと溶けて水滴になる。
「ゆ、雪!?」
 目を丸くしてあかねが驚く。
「私が風花のようだと言ったのが、天帝に聞こえたらしいね」
 はてこの風花は、いったいどこから運ばれてくるのか。友雅は乱れる髪を押さえながら、風上を見つめた。
 風花と梅に囲まれてたたずむその姿に、しばしばあかねは見惚れた。
 しばらく見惚れたままでいると、遠くをのぞんでいた友雅が振り返る。
「どうかした?」
 頬を紅潮させているあかねに優しく問うと、あかねは少し照れたようにしながら首を振った。
「さて、このままここにいては風邪を引いてしまうから、名残惜しいけれど邸に帰ろうか」
「えっ!?」
「さすがに雪が降りだしてしまってはね」
 自分は大丈夫だが、あかねに万一のことがあっては困る。友雅は残念そうに苦笑した。
 しかしこの美しい情景に後ろ髪を引かれまくりなあかねは、しばらく迷って、やがておずおずと望みを口にした。
「もうちょっとだけ……ここにいませんか?」
 ちょっとだけでいいんです。
「しかし、体を冷やしてしまうよ?」
「……友雅さんが、温めてくれますよね」
 なかなか物慣れたことを言う。友雅はおもしろそうに少し眉を上げた。
 大人の駆け引きを努力しての言葉だろうが、しかし言いながら照れ、少しどもる様がまだ初々しい。
 自分が是と答えるのを待っている瞳に笑いかけて、友雅はその額に口付けを落とした。
「いいよ。では梅几帳に隠れてしばしの逢瀬といこうか」
 うれしそうに顔を輝かせるあかねの手を誘って、友雅は梅の木の影に隠れる。
 腰を降ろすとあかねを膝に迎えて直衣ですっぽりとおおった。
「あったか〜い」
 友雅の胸板に頬をよせ、あかねがつぶやく。
 近づいたぬくもりをさらに距離を縮めて、二人は唇をかわした。
 一瞬冷たく次いで温かいそれは、まるで風花が手のひらの上で溶けるかのようだった。

 

〜 あとがき 〜
 タイトルが某日本酒のようです。
 最近友あか話を書くと、熟練夫婦のような気持ちになります(笑) そりゃあね、友あか書き始めて3年にもなればね。
 ちなみにこのネタは実体験でござい。今年の3月に行った京都旅行の、北野天満宮でこんな状況になりました。その後めちゃくちゃ吹雪いたりしてびっくりでしたが、綺麗なずっと情景は忘れません。

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