特別な日をもっと特別に

 梅雨の始まりを思わせるような雨が降っているある日の朝は、いつもと同じように始まった。
 顔を洗ってダイニングへ現れた友雅は、キッチンでコーヒーをいれているあかねに向かって微笑む。
「おはよう、あかね」
「お、おはようございます……」
「?」
 あかねの様子がおかしいような気がして、友雅は首をかしげた。
 友雅の視線から逃れるように、あかねは俯いてコーヒーを運んでくる。
「どうかしたのかい?」
 顔を覗き込んでみると、心なしか赤みがさしている。
 あかねがコーヒーをテーブルに置いたのを横目で確かめながら、友雅はあかねの額に己のをくっつけた。
 その体温は穏やかで、別段熱があるわけではないようだ。
「風邪……ではないようだね」
 額を離して改めてあかねを伺い見ると、あかねは落ちつかなげにきょろきょろと視線を彷徨わせていた。じっと友雅を見つめたかと思うと、ぱっと視線を外したり、とにかく挙動不審だ。
「具合でも悪いなら、無理をしない方がいいよ」
 友雅は微笑みながら、テーブルの上にある新聞を取り上げた。三面記事を眺めつつ、座ろうとイスを引く。
「あっ、あのっ、友雅さんっ!」
 真剣なあかねの声に、友雅は動作を止めて振り返った。
 そして、顔を向けた友雅に、あかねはきっぱりはっきりのたまった。

「私と、結婚してください!!」

 唐突過ぎるプロポーズに、友雅は不覚にも、持っていた新聞を取り落とした。
 バサリと音を立ててフローリングに落ちたが、それには気づいていないようで、固まったままだ。

 梅雨の始まりを思わせるような雨が降っているある日の朝は、いつもと同じではなくなったのだった。




 どれほどの時間が経っただろうか。
 実際にはそれほど時間は経っていないのだが、とにかく沈黙に耐え切れなくなったあかねは、ちょっと泣きそうな声で言った。
「……何か言ってくださいよぅ……」
 その声で我に返った友雅は、新聞を取り落とした手で髪をかき上げた。
「ええと……すまない、今なんて?」
「私と……結婚してくださいって言ったんです」
 ますます顔を赤くしたあかねが、ぶぜんと答える。
「すまない、もう一度」
「だから、私と結婚してくださいって……っ!」
 何度も言わせないでくださいよぉと、あかねはもはや半泣きだ。
 しかしそんなあかねに相対している友雅の表情は固まった時のままだ。友雅としては珍しい事に、思考回路が停止しているようである。
 プロポーズの言葉を聞き返されたあかねは、そんな珍しい友雅にちょっと冷静さを取り戻した。
「あの…………迷惑ですか?」
 言おうと決意した時には好かれてる自信があったのに、いざ言って相手の反応がないと、だんだん不安になってくる。
 顔色を伺おうと、あかねは友雅の顔をのぞき込んだ。
「あ……いや……」
 ようやく思考が働き出したらしい友雅の顔に、溶けだした氷のような微笑みが浮かぶ。
「嬉しいよ、とても。でもいきなりだね。どうしたんだい?」
 愛しい相手からプロポーズされた嬉しさよりも、今は驚きの方が大きいらしい。
 あかねは自分自身も落ち着ける意味で、イスに腰を降ろしてコーヒーを一口飲んだ。
 友雅もそれに習って座ってコーヒーカップを持ち上げたので、それを待ってからあかねは口を開いた。
「あの……もうすぐ友雅さんの誕生日だなぁ〜と思って……」
「ああ、そういえばそうだね」
「で誕生日プレゼントなにがいいか考えてたんですけど、いいのが思いつかなくて……」
 共に過ごした誕生日は片手では足りなくなった。
 もともとあかねの経済力で用意できるものなどたかが知れていたし、考えつくものはすでにプレゼントした事がある。
 結構たくさん考えたのだけど、いいアイディアが浮かばなかったのだ。
「友雅さんに聞こうかと思ったんですけど、……どうせ友雅さん、また「君がいればそれでいいよ」なんて言うに決まってるんだから……」
 あかねはむすっとした顔で言った。
 恐らくそう答えるであろう友雅は、苦笑している。
「でも「私をあげる」って言っても、もう一緒に住んでるし、その……体は…………あげちゃったし……」
 そこまで言って、あかねは首まで真っ赤になった。
 すでに体を重ねる関係の二人。したがってプレゼントにはならないわけで。
「他に私があげられるものって考えたら、やっぱり奥さんになること……かなって」
 ずいぶんな理論展開もあったものである。
 しかし当人はかなり真剣に悩んだらしく、今もやっぱり真剣な顔をして言った。
 いきなりプロポーズされたわけがわかった友雅は、なるほど、と忍び笑いをもらす。
 ずいぶんな理論展開だとは思うけれど、だが同時に、これほど友雅を驚かせて喜ばせるプレゼントはないだろう。
 心の奥底に芽生えだしたなんとも言えない幸福感を感じて、友雅は心から微笑んだ。
「あかね、おいで」
 友雅は少しだけイスを引き、腕を広げた。
 あかねが立ち上がって、おずおずと友雅に近づいてくる。
 ひざの上にあかねを迎えて、友雅はあかねを柔らかく抱きしめた。
「本当に君は……」
 ときどき想像を遙かに越えた幸せを与えてくれる。これ以上の喜びはないといつも思うのに、また新たに思わせられるのだ。
「と……友雅さん? ちょっと苦しいです〜」
 羽根を抱くように優しく、しかし存在を確かめるかのように力強く友雅が抱きしめてくる。
 息苦しさはこれっぽっちも感じないが、真っ直ぐな友雅のぬくもりに照れてしまって、あかねは誤魔化すように身じろぎした。
「すまない。でも、止まらないんだ」
 言葉では10分の1も伝わらない気がして、友雅はますます抱きしめる腕に力を込めた。
 そう言われてしまうと、この甘い拘束に体を預ける事しか、できなくなってしまう。
 このままずっと、二人くっついていられたなら……。そう考えてしまう。
 そういう訳にもいかないから、互いのぬくもりを十分な時間堪能したあと、友雅は顔をあげた。
「嬉しいよ、とてもね」
 友雅の声にあかねも顔をあげて、悪戯っぽく笑う。
「拒否するなら今のうちですよ? 私、友雅さんのこと離してあげないから」
「それは望むところだね。私も君を離さない。この場合なんと返すのが正式なのかな? ええと……こちらこそよろしくお願いします……?」
 それを聞くと、あかねは本当に嬉しそうに笑って友雅に抱きついた。
 友雅も腕に力をこめ、あかねの唇に口付けを落す。二人は何度となく唇を交し合った。




「ところで……」
「はい?」
 ふと思い出したように声をあげる友雅に、あかねも顔を上げた。
「私の誕生日は、来週ではなかったかな?」
 友雅の視線の先には、壁にかかったカレンダーがある。
 6月のページには、11日の欄にあかねが書いた「TOMOMASA‘s Birthday」の文字。
 一緒に住んでいるのだし、なにも今日プロポーズしなくてもいいのではないか。今年の誕生日は土曜なのだし、二人でゆっくり過ごす時間もあるだろうに。
 ほんの少し不思議そうな友雅に、あかねは恥ずかしそうに言った。
「あの……今からなら、友雅さんの誕生日に結婚……できるかなと思って」
 つまりあかねは、誕生日プレゼントはプロポーズではなく妻になることにしたいようなのだ。それはまた急な話である。
 おっとりしているかと思いきや、意外に強引なことをしでかすあかねに、思わず友雅は吹き出した。
「えっ、ど、どうしたんです?」
 突然笑い出した友雅に、あかねがうろたえる。
 ひとしきり笑ったあと、友雅はあかねの顎に手を添えながら言った。
「そうなると、残りの日は大変だね」
「む、無理でしょうか……」
「そうは言ってないよ。我々の努力次第と言ったところかな」
 まず両親の説得だねと言う友雅に、それをすっかり忘れていたあかねは目をぱちくりさせた。
「あっ、忘れてた!」
「婚姻届をもらってきて記入。それにいろいろな書類の名義人変更……」
「あ〜〜」
 間に合うかなぁ……。不安そうに頭を抱えるあかねを抱き寄せて、
「我々の努力次第と言っただろう?……私の誕生日に、妻になってくれるのだろう?」
「……はい」
 恥ずかしそうに、しかししっかりと頷くあかねに微笑み、友雅はあかねを促して立ち上がった。
 あかねの手を引いてサイドボードの前まで誘うと、戸棚から小さな箱を取り出す。
「君に先を越されてしまったけれど……」
 友雅の手の中にあるのはビロードの小箱。
 そのふたを開けてあかねの前に差し出しながら、友雅は言った。
「君を愛している。私の妻になってくれるかい?」
「これって……っ」
 箱の中に収まっているのはシンプルだが可愛らしいデザインのダイヤモンドリング。
「せっかちなのはどちらだろうね。これを見かけた時、君に婚約指輪として贈りたくてつい買ってしまったんだ。君はまだ学生だから、卒業するまでプロポーズしないと決めていたのだけど……」
 自分を笑うように友雅が微笑む。だがそれは嘲笑ではなく、止められない想いを愛おしむ微笑みだった。
 差し伸べられた手に誘われるように、あかねが左手を出す。
 友雅は取り出した指輪をあかねの指にゆっくりとはめた。
「近い未来の奥方殿。これからの私の時間を、全て君に捧げよう」
「わ、私も……」
 感極まって涙が零れそうになったけれど、幸せの笑顔に雫はいらない。あかねは深呼吸してから、改めて友雅に言った。
「これから、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく、姫君」
 抱きついてきたあかねを受け止めながら、友雅も笑う。
 恋人たちは、何度抱き合っても足りないから。




「友雅さん、友雅さんの誕生日を結婚記念日にできるように、頑張りましょうね!」
 冷めてしまう前にと、忘れかけていた朝食をとりながら、あかねが言った。
「ん? そうだね」
「今日…………婚姻届もらいに行きませんか?」
「別に構わないけど、遅い時間でももらえるのかな?」
「そうじゃなくて……。ずる休みして、二人で」
 猫のようにきらめく瞳が、内緒話のようにもちかける。
「……大学は?」
「今日は大事な授業はないんです。ずる休みも、こういうのなら大目に見てもらえ……………やっぱりダメ、かな?」
 強気だったり、急に弱気になってみたり、あかねはなかなか忙しい。
 しかしその瞳の奥底で輝く光に目を細め、面白がるように友雅も応えた。
「善は急げ……と言うからね」
 片目をつむる友雅に、あかねの表情が嬉しそうに輝く。
「じゃぁ今日は婚姻届をもらいに行って、他になんの手続きしなきゃならないか調べて……。あ、夜になったらウチ行きます? 急にじゃ無理かな……」
 ウキウキと楽しそうに計画を立てるあかねを眺めながら、友雅は幸福そうに目を細めた。
 二人の道は、改めてここから始まる──。

 

〜あとがき〜
 友雅さん誕生日おめでとう!
 もういい加減ネタがなくなってきて今年は危うかったのだけれど、そういえば王道中の王道「結婚話」を書いてないことに気づきました。
 否、正確には「プロポーズ話」。知り合いの既婚者に唐突レポートかましてびっくりさせました(爆)
 内容的にはちょっととりとめない話になってしまったのですが、久しぶりに想いを止められない友雅さんを書いて、昔の情熱を思い出しました。それがうまく伝わるといいけれど……。

BACK

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送