うつつと紛う、その夢よ
ただ天気がいいというだけで和めるような日というのはあるもので、ちょうど今日もそんな空模様だった。 鳥たちがさえずり、太陽の光がやわらかく落ちて、なのにそういう日に限って、物忌みだったりする。 「い〜い天気だなぁ〜」 あまりにもいい天気なのが羨ましくて、あかねは外を眺めながら呟いた。 気持ちのいい陽気を少しでも感じようと、廂の間すれすれに机を持ってきて寄りかかる。 季節は春も終わりに差し掛かり、初夏と表現してもいいような暖かさ。室内の空気と混ざり合い、なんとも過ごしやすい温度だった。 こんなにも気持ちのいい室温だと、眠くなる……。 「春眠暁を覚えず……だっけ?」 中学で習った漢詩がポツリを口を出る。詳しい意味は忘れてしまったが、春は眠いなぁという気持ちには思い切り同意したい感じだった。 「あ……やば……」 大きなあくびが出て、あかねは慌てて目をこする。 今日は物忌みのお供でもうすぐ友雅が来るのに、こんなだらしのない顔を見せられない。 眠いときの自分の顔はものすごくマヌケな顔をしていると解っているから、もっとしゃっきりとしなくてはと思うのだけれど、思えば思うほどに瞼が重く感じられてくる。 いっそ、すっきりするまで一眠りしようか。 「……でもなぁ〜」 せっかく来てくれた八葉を迎えもしないで、眠りこけている神子。 そんな印象を友雅に持たれてしまったら絶望モノだ。 「それに〜。せっかくだから〜。たくさんおしゃべり…したいしぃ〜」 ほとんど瞼を閉じた状態だが頑張って呟く。 独り言でも呟いていないと今にも寝そうだから呟いているのだが、いかんせん七割がた睡眠モードなのでちゃんと発音されていない。が、睡魔と戯れ始めているあかねは気づかない。 「友雅さんと…おしゃべり、して……」 そこまで呟いて、自分の脳みそが眠りの世界に抗いきれなくなったのを自覚した。 もういいや。このまま頑張っていても、結局は最後まで起きていられまい。 友雅ならばむしろ楽しげに笑ってくれるだろう。多少はからかわれても、それはそれで嬉しい。 「だいじょうぶ……友雅さん…なら……」 一度そう思ってしまうと抗えるものではなくて、あかねはすとんと目を閉じた。近づいてくる静かな足音には気づかないで。 「神子殿、失礼するよ」 その声に顔を上げると、待ち望んでいた人がすぐ側に立っていた。 「友雅さん!」 ぱっと顔を輝かせ、あかねが友雅の名を呼ぶ。 「何をしていたんだい?」 「えっと、庭を見てたんです。いい天気だからか、たくさん鳥が遊びにきてるみたいで」 「ああ、確かにね。今日はいい天気だ」 あかねの言葉に友雅も庭を見る。 それにつられて庭に視線を戻しながら、あかねはアレ? と思った。庭は、こんなに近かっただろうか? 自分はいつのまに御簾を上げたのだろうか。 浮かんだ疑問は、隣の友雅を見るなり霧散した。 友雅がひどく優しい表情で、自分を見ていたから。 「な、なんですか?」 顔が熱くなるのが止められない。きっと自分は真っ赤な顔をしているだろうなと思いつつ、あかねは誤魔化すように言った。 だが、友雅から紡がれた言葉は、ますますあかねを顔を赤くさせるものだった。 「いや、君がとても可愛らしいと思ってね」 「そ、そんなっ。お世辞はいいですっ」 「なぜ世辞だと思うのかな? 私は本当の事を言ったまでだよ。可憐な鳥のさえずりより、陽の光を受けて輝く庭より、君が美しいと。共にこのような時間を過ごせるなど、夢のようだ」 「だっ、だからおだてても何も出ないんですから!」 次から次へと出てくる友雅の台詞に口をパクパクさせながら、あかねはようやくそれだけ搾り出した。 「やれやれ、私の姫君はひどく疑り深いのだね。私はこんなにも、君を想っているのに……」 友雅はそう言いながら、あかねの頬にそっと手を添えた。 しっとりと漂う侍従の香が、自分と友雅の距離が縮まったことを知らせてくる。 「えっ? えっ? えぇっ??」 「物忌みの日の神子を守るために、八葉が一人お側でお守りする。……今日は私が選ばれたけれど、次に誰か他の男が君とこうしているとしたら……。憎らしいね、いっそ君をこのまま攫ってしまおうか?」 うろたえるあかねの視線を真っ直ぐに捕らえ、友雅が甘く囁く。 その深い色の瞳を見つめているうちに、あかねはぽろりと心のうちを零してしまった。 「……友雅さんしか……呼びませんよ」 「本当に?」 問われて、コクリとあかねは頷く。 「今一番気になってるのは、友雅さんなんだもの。優しくて、頼りになって、でもすぐ私をからかうの。なのにそんな目で私を見て、そんな風に囁いてくる……」 あかねは友雅の瞳を見つめ返した。それ以外の景色が見えなくなる。 「本当のこと、教えてください。私は友雅さんのこと…………好きです。友雅さんは、私のことをどう想ってるの? あっ、その……。わ、私の気持ちに応えてほしい訳じゃないんです。ただからかい易いってだけの存在だったとしても、私の気持ちは変わらない……」 口を開いてしまった以上、本当の事を教えて欲しかった。 今日の天気のように、和やかさに身を任せているだけの日はいらない。 友雅にとって本当は、からかうのに適当な対象だったからというのでも構わない。 魔法にかかってしまったように、するすると問いかけの言葉が出てくる。あかねはそれを不思議に思いつつも、何故だか違和感を感じなかった。今の状況が、起こるべくして起こったような錯覚を起こす。 真正面に見上げた友雅は、ひどく驚いた顔をしていた。あかねは必死に懇願する。 「お願いします。友雅さんの本当の気持ちが知りたいんで……きゃっ!?」 突然の衝撃に、何が起こったか理解できないでいると、困ったような友雅の声が聞こえた。 「本当に、君は……」 自分が友雅に抱きしめられているのだと知ったのは、衣ごしに伝わってくる友雅のぬくもりと、艶やかに鼻腔をくすぐる侍従の香り。 「と、友雅さん!?」 「どうしてそんなにも、真っ直ぐに私にぶつかってくるのだろうね。……私の想いも止められなくなる。とても愛おしい……」 「えっ?」 驚いて友雅の顔を伺おうとするが、抱きよせられている状態では見えない。 ほんの少し身じろぎすると、さらに友雅に抱きしめられた。 「ああ、今私の顔を見ないでおくれ。きっと情けない顔をしている……。君に溺れすぎた、情けない男の顔だ」 「友雅さん……」 あかねは心が締め付けられるような気持ちになって、友雅の髪に頬をよせた。 ゆるやかに流れる髪はやわらかくて、とても気持ちがいい。 どのくらいの間そうしていただろうか。ふと友雅が腕の力を緩め、あかねに向き直った。 「君の疑問に、答えねばならないね」 少し照れたその顔で、微笑んであかねに言う。おどけたように「柄にもなく緊張してしまう」などと言われては、あかねも吹き出さずにはいられなかった。 「私の気持ちはね……」 優しく耳に届く声を聞きながら、あかねは夢のようだと思った。 「神子殿、失礼するよ」 そう言って御簾を扇で押し上げると、友雅はするりと室内に足を踏み入れた。 さて我が姫君は……。友雅が視線を巡らすと、あかねはすぐ側で文机に寄りかかっていた。 「…ともまささん……」 そのあかねが自分の名を呼んだので、友雅は近づいて、傍らに腰を降ろした。 「何かな?…………おや」 あかねの顔を覗き込んで、寝ている姿に友雅が目を瞬く。 だがその幸せそうな寝顔を見て、友雅はふっと微笑んだ。 「やれやれ、月の姫はつれないね。こうして参ったというのに、一人夢の世界で戯れているとは」 あかねの頬をくすぐっている髪をよけてやり、友雅はため息をついた。だがそのため息は虚しいものではなくて、今の天気のように和やかなもので。 友雅の視線の先で、あかねは微かに、だがくるくると表情を変える。寝ているというのに器用なことだ。 「ふふっ、可愛らしいね」 扇を玩びながらそう呟くと、あかねの頬がわずかに染まった。聞こえてしまったかと口を噤むが、あかねは顔を赤くしたまま「おだてても何も出ない」と言った。どうやら夢の世界であかねが一緒に過ごしているのも、友雅であるらしい。 光栄なことだな。友雅は思った。 だがそれが心なしか自嘲を含んでいるように思えたのは、やはりそう感じているからであろう。 友雅は扇の陰で呟いた。 「……清らかで、残酷な姫君……」 あかねは自分が抱えている想いに気づいていないだろう。 くるくると表情が変わり、傍にいて退屈しない。それどころか惜しいと感じてしまうほどに、傍にいる時間が短く感じる。異世界の唐猫のごときと片付けられないほど、気づけば自分の中であかねの存在が大きくなっていた。 この想いは、自分でも戸惑いを覚えるほど熱い衝動。 ──だが、いずれは月へと帰ってしまうかぐや姫。 必ず別れがくると、零れそうになる想いに警告の音が鳴る。それは琵琶の弦が切れる最後の響きにも似て、友雅の心に引き攣れたような痛みを残した。 「────っ」 甘美な悪夢を見ていたかのような表情で、友雅が覚める。 痛みをこらえるように苦い顔をして、友雅は再びあかねの髪をよけてやった。 「……君は、いったいどのように思っているのだろうね」 私のこと。君のこと。そしてこれからの未来を。 あかねが自分に寄せる思いが好意的なものだとわかっているだけに、いっそう未来が恐ろしくなってくる。 いっそ、自分以外の男を物忌みに呼んでくれれば、嫉妬を戯れにのせて吐き出す事ができたのに。 「…友雅さ…しか……呼びません、よ」 微かに囁かれた言葉に、友雅がはっとする。 「神子殿……起きて──っ?」 いささか慌てたように、友雅が身構える。が、一向にあかねは起き上がる気配を見せない。 また寝言か。そう思うのに体が動かない。後から思うと、このあとにやってくる衝撃を予想して構えていたのかもしれない。 「私…は友雅さ…のこと……好き……す」 心に押し込めている熱く暗いものが、存在を主張するようにドクンと脈打った。 「友雅……さんは、私のこと、ど…想って……る?」 唐猫のごときは、本当に。友雅は先ほど以上に痛みを訴える胸を抑えた。 あかねがポツリと呟いた寝言が、猫の爪に引っかかれたように友雅の心に刻み込まれる。 それがとてつもなく甘美過ぎて──痛い。 「本当に、君は……」 友雅はそっと、机に伏しているあかねの頭に自分の額を寄せた。 さらりと零れた波うつ髪と共に、自分の侍従とあかねの香が混ざり合うのを感じる。 このままあかねの纏う香に消えて、意志もなく包み込むように燻り続けていられたなら。 永い時にも感じられたそれは、実際には一瞬にして離れた。 あとほんの少しでも触れ合っていれば、湧き上がる衝動のまま想いを満たすための行動に出てしまうだろうから。 微熱が体中を苛んでいる気がして、友雅は大きく息を吐いた。あかねを見つめながら呟く。 「私の……気持ちは……」 かぐや姫に想いを寄せる愚かさは、一体どうすれば捨て去る事ができるだろう──? 「神子殿。起きてはくれまいか?」 「……んん〜。やめてください友雅さん〜……」 優しく揺り動かされる感触に、あかねは水の中から浮上するように意識を鮮明にした。 「……って!」 だが穏やかな寝起きはつかの間。あかねは自分の状況を理解するなり飛び起きた。 「あっ、えっ、そのっ、とも、友雅さんっ!?」 友雅を待っていて眠ってしまったことや、今見ていた夢。それらを急速に理解すると同時に、同じくらいの速度で顔を朱に染め上げていく。 そんな様子のあかねを見て、友雅は思わず笑ってしまった。 くっくっくっと忍び笑いを漏らす友雅に、あかねはますます小さくなる。 「…………す、すみません」 迎えられなかった事とか見苦しい姿を見せたとか、謝る事がたくさんあり過ぎてどう謝ったものやら。 「いや、私こそすまないね。気持ちよさそうに眠っていたから、そのままにさせてあげたかったのだけれど、少し……風が出てきたようだから、このままでは体を壊してしまうと思って」 先ほどまでの想いを微塵も見せずに、友雅はあかねに告げた。 その優しい声音に少しは冷静さを取り戻したのか、多少落ちついて、あかねはまず迎えられなかった事を詫びた。 「すみません、せっかく来てくださったのに、寝こけてて……」 「いや、気にしていないよ。君の可愛らしい寝顔も拝見できたことだし、ね」 「うわ〜。やっぱり見ちゃいました? ボケボケした顔だったでしょ? わ、忘れてください」 両手で頬を抑えながらあかね。またちょっと赤面してきた気がする。 「ふふっ、やはり神子殿は可愛らしいね。先ほどの様子だと、君の夢路に通っていた者は、光栄にも私のようだったけれど?」 面白がるような声を作って突付いてみると、面白いくらいにあかねがうろたえる。 「えっ、いや、その……そうですけど……」 まさか勝手に告白合戦していましたとは言えず、あかねが口ごもる。 それにしても、なぜあのような夢を見たのか。 知っている。自分の願望だ。友雅に好意を抱いているからこそ、同じくらいの想いを友雅が抱いていてくれないだろうかと思ってしまうのだ。 「……さて、ただ過ごすだけというのも趣がないね。琵琶でも披露しようか」 「えっ。はい、お願いします!」 本当は友雅としゃべりたかったあかねだが、友雅があかねの返事を待たずに女房に琵琶を持ってくるよう言ってしまったので頷いた。友雅の琵琶が聞きたいという気持ちも、確かにあったことだし。 でも……。とあかねは思う。 友雅の所作がそっけなく感じてしまうのは、やはりあんな夢を見た後だからだろうか。自分も友雅も、決して普段を違うわけではない。それでも違和感を感じてしまうのは、普段以上に心が近くなる夢を見てしまったからだろう。あかねはそう自分を納得させた。 だが、現実と望みとの間にある温度さに、どうしようもなく心が苦しくなってしまう。 自分のような小娘に友雅が想いを寄せてくれるとは考えられない。だが、あの夢のような時間が現実になればいいのにと願いながら、あかねは包み込むような琵琶の音に、目を閉じたのだった。 |
〜あとがき〜 書いてる最中、うっかり自分自身も眠くなってしまったりもしました(爆) 自分の書く作品でよく誰かが寝てるネタが出てきますが、単純に自分が寝るのが好きだからです。 ちなみに自分、まる一日寝ていても苦じゃありませんです(聞いてないって) |
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