綴ル言ノ葉

 やわらかな日差しが降りそそぐ廂に、あかねは御簾近くまで文机を寄せ筆を握っていた。
「……う〜ん。ダメ、思うように書けない……」
 たった今文字を綴り終えたばかりの料紙と手本とをにらむようにして見比べ、ため息をヒトツつく。
 手本にしている文に綴られた手蹟はとても優美で大らかで、しかし力強くて。反対に自分の字は弱々しく震えているようでバランスも悪い。
 その文の末にしるされている名を、あかねはじっと見つめて呟いた。
「こんな字が書けるようになりたいんだけどなぁ〜。………………私にはムリかも」
 そう言ってまたため息を零す。こんな事なら、書写の授業をもっと真剣に取り組んでおくべきだった。いや、むしろ書道を習っておくべきだったか。
「──一体、何が無理なのかな?」
 突然御簾が押し退けられ、一人の人物が姿を現した。御簾の間から入る日差しとかけられた声、そして彼の人のまとう香に、あかねはびっくりしてそちらを振り返る。
「と、友雅さん!!」
「おや、驚かせてしまったかな? 先触れは出しておいたのだけどね」
「あっ、いえ。す、すみません……」
 そういえば、先ほど誰かが来客を告げに来たような気がする。一心不乱に筆を動かしていた時だったから、内容はもちろん返事をした記憶もおぼろげなのだが。
 あれがもしやと思い起こす一方、あかねはあせあせと机の周辺を片付けようとする。今まで手習いをしていたせいで、辺りには料紙が散らばっているのだ。
「ち、散らかっていてごめんなさい。あっ、お、お仕事お疲れさまです。今日は早いんですね」
「早いかな? もう日も傾き始めているけれど?」
「えっ、あっ! ほ、ほんとだ……」
 御簾の外を見てさらに慌てふためくあかね。友雅は薄く開いた桧扇で口元を隠しながらくすくすと笑う。
「まずは落ち着きなさい。今日は何をしていたのかな? あぁ、手習いをしていたんだね。──おや?」
 片付けようと料紙をまとめるあかね。その手を逃れた紙が一枚、ひらりと友雅の足元に舞い降りた。
「あっ!」
 悲鳴めいた小さな叫びがあかねの唇から零れるのを視界の隅に見とめながら、友雅はその紙を拾う。
 あかねの手蹟でひたすら書かれた文字はただ一つ。その文字に友雅は目を細めた。
「橘…橘…橘……?」
「………………」
 見られてしまった。そんな表情でおし黙るあかねに料紙を返し、友雅は微笑みながら告げる。
「上手く書けているね。それはそうと、君がそんなにも橘が好きとは知らなかったな」
「えっ?」
「紙一面に綴るほど好きなのだろう? ふふっ。ならば白き花が咲く頃には、都一美しく咲いた枝を贈ろうか。それとも、調度に美しく描いたものの方がいいかな?」
「…………楽しみにしています」
 友雅の告げる言葉に、楽しみにしているようには全く見えない顔で答えるあかね。その表情は拗ねているようにも見える。意味を取り違えている自分に拗ねているのか、わざと意味を取り違えてからかっている事を怒っているのか。そのどちらかが判断つかなく、どう返事したものかと迷っている心の表れかもしれない。
「……橘の花より欲しいものがある?」
 含み笑いでそう問い掛けてみる。するとからかいだと気付いた彼女が今度こそ拗ねた顔をした。
「……と、友雅さん、いじわるですッ!」
「ははは。申し訳ない。いつもは花のような笑顔で迎えてくれる姫君が、今日は他の事に心を移していたようだったからね。少し妬いてしまって、悪戯してみたくなったのだよ」
「う。そ、それは……ごめんなさい」
 ぱらりと桧扇を開きながら流し目を送ると、あかねは瞬時にうなだれた。そんな彼女の顎をすくい取り、友雅はきらめく瞳を覗き込む。
「謝る必要など何処にもないよ。それよりも、私には欲しいものがあるんだが……叶えてくれるかな?」
 近づいた互いの顔の距離に頬を朱に染め、しかしあかねはすぐに心からの笑顔を浮かべ、友雅に寄り添った。
「友雅さん、いらっしゃい。お仕事お疲れさまです」
 可愛らしい微笑みを優しく抱きしめ、友雅もまたゆるやかに笑みを浮かべる。
 どちらからともなく唇の距離が縮まり、移り香のようにそっと溶け合ったのだった。




「それで? 何故このように私の名前ばかり書いていたのかな?」
 円座に腰を落ち着け、忍び笑いをもらしながら友雅が問うてきた。
 あかねも文机の前に置いたままの円座に座り直し、先ほど片付けた紙の中から縹の薄様を取り出す。
「えっと、これをお手本にさせてもらってたんです」
 あかねが出してきたのは、昨夜友雅があかねへと送った文。
「………………これを?」
「はい。とっても綺麗な字だなぁと思って。……あれ? い、いけませんでした?」
 訝しげな表情の友雅に、あかねは急に不安げな顔をして伺い見てくる。
 友雅は首を振って否定し、続けた。
「いや、そんな事は無いよ。私の手蹟も、誉めていただけるなら光栄だ。……しかし私の手蹟は男のものだしね、君のような可憐な姫君には似合わないのではないかな?」
「そ、そうですか?」
「少なくとも、私は君の今の手蹟の方が好きだね。真っすぐな君らしく、清らげで溌剌としていて、そして可愛らしい」
 それに、もし君が私の手蹟を真似てしまったら、私は自分宛ての恋文を書くような気分になってしまう。そう友雅は嘯いて、くすくすと笑ってみせた。
 しかしあかねは友雅の冗談にも反応せず、しょんぼりと肩を落とす。
「…………でも、私の字は……」
「あかね?」
 急に意気消沈した様子のあかねに、友雅が首を傾げる。
 そのまましばしの時を待ってみたが、あかねが口を開く気配は一向に来ず、友雅は隠れ苦笑を浮かべながらあかねを引き寄せた。
「わっ!」
 大きく響いた鼓動は、引き寄せられた事と愛しい人の香が近づいた事、そのどちらに驚いたのだろう?
 思わず顔をあげたあかねは、優しい微笑みをたたえた友雅の瞳と正面から視線を結んでしまった。
「さて、私の愛しい姫君は、一体何を憂えているのかな?」
 視線が外せない。捕らえられたんじゃない。受けとめられているのだ。異世界から来た自分を、この瞳はいつでも包み込んでくれる。
 とはいえ、きっと自分だけが気にしているような小さな悩みで煩わせるのは、やはり躊躇われる。
「ん?」
 僅かに口を開いて閉じる。その逡巡を見抜いて友雅が首を傾げる。
 ──本当に小さな悩みでも、言っていいのだろうか──?
「あの、私……全然、崩し字が書けるように……その、ならないから……」
 笑われてしまうかもしれない。そんな思いから自然と頬が熱くなる。
「……友雅さんに、相応しいくらい綺麗な字が、書けるように…なりたいのに……」
 最後まで言って、やっぱり恥ずかしくて友雅の胸の中で顔を伏せてしまう。
 額を彼の胸板につけると、低く心地のいい笑い声が直接響いた。
「ふふっ、なるほど。それで昨夜の返し文は藤姫の代筆だったのか」
 昨夜届いた文を思い出しつつ、友雅はあかねの髪を梳く。彼女の髪はこの世界に留まる事を決めた日より伸ばされていて、今はようやく肩を越すほどになった。
「自信のない手蹟では、私に文を出し辛い?」
「う……はい。……ごめんなさい……」
「謝らなくていい。なるほど、そういう理由だったのか」
 文を受け取った時を思い出すかのように、友雅はわずかに天を仰いで苦笑する。
「八葉であった頃にはよく物忌みの文をくれたのに、今になって代筆の返し文が届いたものだから……私は何か、君の気に障るような事をしたのかと少し悩んでしまったよ」
「そ、そんな事……!」
「ああ、そうだね。そんな事だ」
 あかねが否定せんと顔を上げた。その拍子に乱れ頬にかかる髪を、友雅はそっと避けてやる。
「君の事となると小さな事でも気にしてしまう私を、あかねは笑うかな?」
 彼の問いかけを、あかねはすぐに首を振って否定する。
「ふふっ、ありがとう。……きっと君も同じだろう? 確かに、問われれば私は『そのような事は気にしなくていい』と答えるだろう。だがそれでも君は、美しい字が書けるよう努力したい。……違うかな?」
 問いかけの形をしているが、それはまぎれもなく確認。自分の内心の悩みなど、友雅にはとうに見通されていたのだ。
 だからあかねは、素直に頷いた。
「……はい、そうです」
「やはりね。ならば待っているから、頑張りなさい」
「……え?」
 思わぬ友雅の台詞に、あかねがぱちくりと目を瞬かせた。
 その反応が愉快だったのか、目を丸くするあかねを見て友雅が笑う。
「だから、君が納得する字を書けるようになるまで待っているから」
 ただし無理はしないように。そう告げて頬を撫でる友雅。
「ああ、そうだ。できれば時々は直筆で返し文をいただきたいね。私は今の君の手蹟も十分美しいと思っているし、やはり直筆の文の方が嬉しい」
「……時々でいいんですか?」
 それは言外に「送り辛いなら普段は代筆でいい」と言ったも同じだ。そのような事を友雅から言われるとは思わず、あかねはますます目をぱちくりさせる。
「本音はね、私は君が手ずから書きあげた文が欲しいよ? だが君が頑張っているのに、私の我儘を押しつけるような真似はできない」
「……友雅さん……」
 友雅の思いやりにあかねは心を震わせた。そんな彼女に、友雅は悪戯な表情で付け加える。
「まぁ、私もあまり辛抱強い方では無いのでね。そのうち代筆も頼めなくなるような熱烈な恋文が届くようになってしまうかもしれないが」
 片目を瞑ってみせる友雅に、あかねも思わず吹き出してしまう。そして負けず劣らず悪戯な表情を浮かべて、あかねは友雅に告げた。
「それは恥ずかしそう。……そうなったら困るので、友雅さんも私が早く字が上手くなるように手伝ってください」
「無論かまわないよ。例えば?」
「そうですね……。手始めに、私の筆の先生になってくれませんか? それで私の書く文の添削をして、時々は直に字を書くコツを教えに来てください!」
 あかねの提案は、事実上直筆で文をやりとりするも同じ。その上直に教えを乞う日を設けたいともなれば、共に過ごす刻を願う恋人たちにとって何よりも心踊る提案だろう。
「……それは面白そうだ」
 猫のようにキラリと輝くあかねの瞳。その吸い込まれそうな黒曜の瞳に見惚れながら、友雅が思わず呟く。
「お願いできますか?」
「勿論。私で良ければ喜んで──」
 友雅の応の言葉に、あかねは光輝くほどに微笑んだのだった。

 

〜あとがき〜
 久しぶりに友あかを書きました。楽しかった!
 しかしブランクありすぎて、ヒノエとの差異を出すのに苦戦しました(笑) ヒノエも「ふふっ」って笑うんだよー!! ちくしょー!! ヒノエも友雅も笑うな!! 私の拙い文章をみて笑うなー!!(爆)
 資料とかもこれまた久しぶりに引っ張り出してみたりして、やっぱり平安時代は大好きだなぁとしみじみ実感してしまったりして。

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