春の日の 2

 ヒノエが来ているのは、望美にとって結構嬉しい事だった。
 彼ならば人を喜ばせる術を知っているし、交易が盛んな熊野の頭領だ。いい案を提供してくれるかもしれない。
 そしてそこに弁慶もいるとなれば、そりゃもう急がない理由はない。
 弁慶とヒノエというコンビに気を取られ、せっかく会ったのに九郎に案を聞きそびれたことにも気づかず、望美はさくさく簀子を渡った。
 長い回廊がもどかしくて、途中で庭に降り、近道で対の屋を目指す。
 途中梅の木の下で、望美は背後から引っ張られ、倒れこんだ。
 地面にぶつかる! と思った衝撃はなく、代わりに受け止めたのはしなやかな男の腕。
「やあ、久しぶり、姫君」
「ヒノエくん!」
 背後から覗き込んでくる顔を見とめて、望美はびっくりした。
「なんで? 対の屋にいるって……」
「ああ、そっちに通されたんだけど、到着が予定より早かったから、弁慶が酒が用意できるまで待てって。ただぼーっとしてるのも趣がないし、こうしてヒマ潰しに、庭にね」
「そうなんだ。あっ、久しぶり」
「梅の木を愛でてたんだけど、それに勝るとも劣らない花に会えるなんて嬉しい限りだね。……将臣風に言うと、「ラッキー」ってヤツ?」
「もう、ヒノエくんったら」
 おどけて言うヒノエの変わらなさに、望美は思わず吹き出して笑った。
「あ、そうだ。ヒノエくんに聞きたい事があって……」
「何? 熊野に──オレの女になる相談ならいつでも歓迎だよ」
「もう! そうじゃなくって……」
 望美はかいつまんで、景時の誕生日の事を説明した。
 そして祈るような気持ちで、いい案がないかヒノエの言葉を待つ。
「ふぅん。でも残念だね望美。オレは野郎に贈り物をしたことがないんでね」
 おかしさを堪えながら、にやりと笑ってヒノエは答えた。
 考えてみればごもっとも。望美は一気に脱力してしまった。
「まあ、元気だしなよ。同じ男として、欲しいと思ってるものくらいは検討つくからさ」
「そ、それを聞きたかったのに〜」
 付け加えるように添えられた言葉に、望美は情けなさそうに眉を下げながら抗議する。きっとヒノエは、わかってやっているに違いない。
 案の定ヒノエは忍び笑いを漏らしながら、体をくの字に折り曲げた。
「も〜、からかってばっかりなんだからっ」
「悪い悪い。お前があんまり予想通りの反応をするからさ」
「で、景時さんが欲しがるものってなに?」
 一刻も早く核心を知りたくて、望美はヒノエにも詰め寄った。
 しかしヒノエは驚くことはせず、むしろ自らも近づいて、望美の顎をつかまえた。
「えっ、あれっ、ヒノエくん?」
「なに?」
「ちょっと近づき過ぎじゃない?」
「ふふっ、大声では教えられないことだからね」
「そ、そうなの?」
 真正面から見つめられて、ドギマギしながら望美は頬を赤らめた。
 自分から詰め寄ったくせに、この距離に照れてしまって落ち着かない。
「それで、景時さんの欲しがるものって?」
「わからない? 恋人がこの距離ですることと言ったら、一つしかないだろ?」
「ほっ、欲しがるものってキ、キス!?」
「キス? お前の世界ではそう言うのかい?」
 首をかしげながらも、不敵な笑みを崩さないヒノエ。
「愛しい女の口付け。これに勝るものはないよ」
「くくくく口付けって言ったって……」
「何を恥ずかしがってるんだい? 今更照れる必要はないだろ?」
「だだだだだって、私たちまだ……」
 真っ赤になって俯く望美に、ヒノエはあんぐりと口をあけた。
「はぁ? まだ口付けしてない?」
「………………はい」
 ますます小さくなる望美。ヒノエは心底呆れたようにため息をついた。
「まったく、ここへ来てどれくらい経つと思ってるんだ……」
「ご、ごめんなさい」
 謝る必要はないはずだが、望美は思わずそう言ってしまった。
 くすりとヒノエは笑う。
「姫君が謝る必要なんかないよ。むしろ景時は今までなにをしていたんだか」
「あ、あのね。景時さんずっといそがしかったの。それで……」
「恋人と過ごす時間は、作るものだとオレは思うね。ま、それはそれとして、まだ口付けしたことがないなら、それを贈り物にすればいい。きっと喜ぶぜ」
「でも、そんなもの贈り物になる?」
「お前が特別だという日に祝いの言葉と花の笑顔。そして口付け。それ以上のものがあるかい?」
 なんなら失敗しないようにオレが教えて……。と、ヒノエは再び望美の顎に手を伸ばした。
「ヒっ、ヒノエくん!!」
「はい、そこまでにしてくださいね」
「……いつもいい所で割り込んでくるよな、あんた」
「日頃の行いの賜物でしょう」
 いけしゃあしゃあと言うのは、弁慶。
 ヒノエは小さく舌打ちして、望美の顎から手を放した。
「望美さん、無事ですか?」
「へっ? あっ、はい」
 思考が沸騰寸前の望美は、弁慶の問いにまぬけな口調で返事をする。
 弁慶はくすくす笑いながら、望美の肩に手を置いた。
「さ、対の屋へ行きましょうか。九郎から望美さんのことをうかがったので、花茶も用意しておきましたから」
「あ、ありがとうございます」
 さりげに肩を抱かれていることにも気づかず、弁慶の操り人形のように歩き出す望美。
 その少し後ろを、面白くなさそうな顔のヒノエが、やる気なさげについていく。
 幸か不幸か、この場所には熊野の二人の手の早さを指摘できる人物は、一人もいないのであった。




「とうとう朝が来ちゃった……」
 3月5日の朝。カンに触るほど清々しい天気である。
 望美は寝不足でにぶく痛い頭を振って、布団の上に正座をして考え込んでいた。
 昨日はヒノエと弁慶と、それに執務を終えた九郎の4人に、景時に贈るものについて聞いたのだけれど、良い案が一向に浮かばないのだ。
 いや、案という案は出たのだけれど、ヒノエも弁慶も口をそろえて「口付けでも贈ったらどうだ」などと言う。
 あげくに九郎までもが「それはいい考えかもしれないぞ」などと照れながら言うものだから、それしか贈るものがないように思えてきた。
 確かに自分が贈ることのできる一番のものであるかもしれないけど……。
「それはちょっと……」
 だって自分のキスなんかが。しかも元手もかからないなんて、そんなもの贈り物になるのかな?
 別に金額が愛の証と思っているわけじゃないけど、元現代高校生としてはちょっと躊躇うものであるのだ。
 そのとき厨所からみそ汁の香りがただよってきた。はっと望美は我に返る。
「いけない! ご飯の準備!」
 さっと布団を片付けて、さっと着替えをして、望美は部屋を出た。
 そしたら部屋を出たところで、自分と尋ねてきた人物と衝突してしまった。
「わっ!」
「きゃっ! あっ、景時さん!?」
「ご、ごめんね。大丈夫?」
「大丈夫です。すみません、急いでて……おはようございます」
「おはよ〜。朔がね、朝食できたからおいでって」
 この天気と同じくらい爽やかな景時が、望美にむかって微笑んだ。
 つられて同じように微笑みかけて……。
「あっ、もうご飯出来ちゃいました? 私すっかり遅れちゃって……」
 たいした役にも立てないのだから、せめて邸のことはするべきなのに。
 しょんぼりする望美に、景時はとんでもないと首を振った。
「君はいつも邸のことを手伝ってくれてるよ。別に係りが決まってるわけじゃないんだから、交代交代できる人がやればいいって。それに──望美ちゃん、昨日夜遅くまで起きてたでしょ?」
 だからゆっくり寝られればいいなと思ってさ。
 気にしないで、という風に景時は望美の頭をポンと叩いた。
 こういう気配りが、景時のいいところ。
 そして自分が景時に惚れているところ。
 くすぐったい嬉しさを心地よく思う。望美はえへへと小さく笑った。
「じゃぁ、お夕飯は私が頑張って作りますから!」
「えぇっと〜、そのことなんだけど……」
 元気よく宣言する望美に、景時は申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「ちょっと視察に行くところがあって、今日は戻って来れなさそうなんだ。ごめん」
「えっ!?」
「母上も留守なのに、朔と二人きりにしちゃってごめんね? できるだけ急いで帰って来るからさ」
 心底申し訳なさそうに言う景時。
 望美は少し掠れた声で聞いた。
「い……つ、帰って、くるんですか?」
「えっとね〜、明日の夜……いや、日が落ちる前には帰ってくるようにするよ」
 だから、明日の夕飯を一緒に食べようと景時は笑った。
 しかし望美は笑顔を返すどころではない。
 今日景時は帰ってこない。
 帰ってくるのは明日の夕方。
 このままでは景時の誕生日を祝う時間がない。
 今、この時しか──。
「かっ、景時さん!!」
「へっ?」
 真剣な顔して自分を見つめる望美に、景時は驚いた。
 怒ったように頬を紅潮させているから、思わずちょっと構えてしまう。
「なにか、私にしてほしいことない!?」
「えっ? な、なに突然?」
「今日は景時さんの誕生日だから、私がなにか贈り物できることない!?」
「た、誕生日だから……贈り物?」
「私の世界には誕生日に贈り物する習慣があるんです。私は景時さんの誕生日が祝いたいの! でもいい贈り物が思いつかないの! なのに景時さんは明日にならないと帰ってこないのー!!」
 駄々っこのように一気にまくし立てて、望美は口をつぐむ。
 今しかないと思った瞬間、今まで考えていたことが全部泡と消えて、非常に格好のつかない告白になってしまった。
 目の前では景時が、状況がつかめず目を白黒させている。
 自分のかっこ悪さに、なんだか涙が出そうだ。
 そう思った瞬間に、瞳が潤んできた感じがした。しかしそれが雫になって落ちる事はなかった、景時に抱きしめられることによって。
「すっごい嬉しいよ、ありがとう!」
 自分が生まれた事を、生まれた日を祝ってくれる人が家族のほかにいるなんて、思いもよらなかった。
 いや、望美はすでに家族の一員かもしれないが、でも望美が祝ってくれた、その気持ちがこんなにも景時を舞い上がらせる。
 抱きしめる腕に思わず力が入ってしまったが、そんなことにも気づかないほどに。
「わわっ、景時さんっ!?」
 ちょっとむせながら、望美が驚きの声をあげる。
 その声に我に返った景時が、慌てて望美を離した。
 しかし望美は、離れていこうとする景時の胸に飛び込んだ。
「の、望美ちゃん!?」
「……もうちょっと、このままでいたい」
「で、でも……」
「景時さんはイヤですか?」
「いやじゃない! 全然!」
 胸板から伝わってくる振動で、景時が猛烈に首を振っているのがわかり、望美はくすりと笑った。
「お誕生日、おめでとうございます」
「……ありがとう」
 望美の背中に回された腕が、こんどは優しく抱きしめる。
 それを心地よく感じながら、望美は景時に聞いた。
「あの……景時さんが欲しいと思ってるもの、なにかありませんか? 私が贈ることができるもの……なにかない?」
「う〜ん、そうだね〜。でも気持ちだけで十分嬉しいよ。君がそばに居てくれて、ずっと夢見ていた穏やかな生活。俺なんかの生まれた日を、君が祝福してくれる……」
 耳に心地いい景時の声を聞きながら、望美はふとヒノエの言っていた言葉を思い出した。

『お前が特別だという日に祝いの言葉と花の笑顔。そして口付け。それ以上のものがあるかい?』

 本当に、そうなのかな?
 自信持って、いいのかな?
 驚くかな? 拒まないでくれるかな? ……喜んでくれるといいな。

「望美ちゃん?」
 体重を預けたままなにも言わないでいる望美に、伺うような景時の声。
 何だか無性に照れくさくって、望美は真っ赤に頬を染めながら、景時を見上げた。
「どうしたの? もしかして熱ある?」
 もう、鋭いくせに、とっても鈍い人。
 無防備に自分を覗き込む顔に、望美はさりげなく口付けた。
 もとの距離に戻って望美が見たのは、瞬きを3回して、それから困ったような笑顔で頬を引っ掻く景時。
「……もしかして、迷惑でした」
「いっ、いや! そんなことはなくってねっ」
 挙動不審になりながら、景時はコホンと咳をする。
「…………もう一度したいなって言ったら……怒るかなぁと思って……」
 自分の顔の方が下にあるのに、上目使いで伺われているような気になるのはなぜだろう?
 望美は嬉しくなってとびきりの微笑みを浮かべながら、目を閉じて上を向いた。
 それを見た景時もまた、幸せそうに微笑んで、望美の唇に自らのを重ねたのだった。

 

〜 あとがき 〜
 誕生日になにか贈り物をするのは、実は苦手です。
 なにを贈るかですごく悩んでしまい、これは持ってるかな? こういうのは好きかな、嫌いかな? と思っているうちに八方塞になるのです。
 むしろ、なにかブツに出会ったときに、「これはアヤツが持っているべきだ!」と思ったものを、突然贈りつけるのが得意です。それに「遅ればせながら誕生日プレゼントとして……」なんてこじつけて。うん、迷惑極まりない。

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