おぼろ音月夜

 空には生絹をかけたような雲が広がっており、その向こう側には月。
 フィルターをかけたような月夜を見上げながら、望美は京邸の渡殿を歩いていた。
「綺麗な月……」
 望美はいま、剣の夜練を終えて部屋へもどる途中だ。
 静かに鳴く虫たちの声にまじって笛の音が聞こえ、望美は立ち止まった。
 月にかかっている雲と同じくらい、おぼろげな笛の音。
 望美は音色の出所を探すようにきょろきょろと辺りを見回した。
「敦盛さん……かな?」
 この邸にいる人物で笛に連想されるのといえば敦盛。
 単純にそう思いついただけだが、間違ってはいないだろう。
 笛の音に導かれるように邸を歩くと、庭の真ん中で笛を奏でている敦盛の姿があった。
「いたいた……」
 望美は敦盛のじゃまにならないよう、柱の陰によりかかりながら耳を澄ませた。
 敦盛の奏でる音は澄みきった清水のよう。
 穏やかで、だがどことなく悲しげな音色に、望美は胸を切なくさせた。
(敦盛さんの笛って綺麗な音色だけど、でもいつも寂しそうなんだよね)
 なんとも言えない切ない音色を、どうにか元気づけてやることはできないものだろうか。
(私になにができるだろう)
 敦盛のために何かをしたくとも、いつも何も思いつかない。この寂しさから解放してあげることは、自分にはできないのだろうか?
 考えに夢中になっていたせいか、望美は持っていた剣を取り落としてしまった。
 ガチャン。と、不粋な音が響いた。
 同時に笛の音が止んでしまい、望美は顔をしかめながら柱の陰から顔を出した。
「あの、敦盛さん……、ごめんなさい、邪魔しちゃって……」
「神子か……いや、かまわない」
 敦盛はそう言って微笑を見せるが、その笑顔もどこか悲しげ。
 敦盛はたいていこんな表情をしているが、それが一層望美の心を切なくさせた。
「どうかしたのか?」
「へっ?」
 気が付くと敦盛が近づいてきていて、不思議そうに望美を見上げている。
「悲しげな顔をしている……と思ったのだが、気のせいだっただろうか?」
「えっ、あっ、その……。よ、よくこうやって笛を吹いてるんですか?」
 どうしてわかったんだろうと思いながら、しかし答えることができないので、望美は強引に話題をかえた。
 変に思われるかもと危惧したが、敦盛はなにも言わずにそうだと答えた。
「この世にあるたくさんの悲しみの念が、私の笛で、少しでも安らぎを得ることができるなら……と、そうなればいいと思っているだけかもしれないが」
「そんなことないですよ! 敦盛さんの笛は綺麗で、心に響くっていうかー、落ち着くっていうかー……」
「……ありがとう」
 一生懸命言う望美に、敦盛はくすりと笑って微笑んだ。
 彼がこのように微笑むのはまれで、望美はうっすらと頬を染めた。今が夜でよかった。赤くなっているのが敦盛に知れてしまわないから。
「神子がそのように言ってくれるから、こんな私の笛にも力があるのかと、悲しみの昇華に少しでも役立てるならと、思えるようになった」
 敦盛は穏やかな瞳で空を見上げる。
 視線の先にはなにがあるのか。その先にいるのは自分ではないことを、望美は知っている。
 こっちを見てほしい。私がここにいること、敦盛さんに知っていてほしい。
 自分はいつも見てるのにと、望美は叫びたくなった。
「………………」
 のどまで出かかった声を、望美はのみ込む。
 もう幾度、告白をのみ込んだか知れない。想いを伝える事はできない。だって今はまだその時ではない。
 今は源氏と平家が争う毎日で。平家の使う怨霊のせいで、関係ない人たちにまで害が及んじゃって。それを少しでも減らす、そして防ぐために奔走する毎日で。
 敦盛は仲間の誰よりも、使役される怨霊の痛みを気にかけている。
(そんな敦盛さんの、私は役に立ってるのかな?)
 怨霊は自分でないと封印できないが、それは自分の力ではなく神子としての───ひいては白龍の力だ。
 春日望美という一人の人間は、敦盛に必要とされているのだろうか。
「……どうかしたのか?」
 じぃっと見つめてくる望美の視線に気づいたのか、敦盛がさきほどと同じ台詞を言った。
 望美はいいえと首を振る。
(まだフェアじゃないから、言えない)
 自分は敦盛にとって必要な人間だと、胸を張って言えるような人間になるまでは。
 源氏の神子としてではなく、もっと近しい支えになるような。
「雲が出てきたな……」
 夜空を見上げ、ポツリと敦盛がつぶやく。
 先ほどまでは薄いとばりのようだった雲が、いよいよ厚みを増してきていた。
「明日は曇りになっちゃいますかね?」
「そうだな」
 敦盛は風のにおいをかいで頷いた。少し水のにおいがする。明日は雨も降るかもしれない。
「では、雨の御心が静まるように」
 小さく呟いて、敦盛はふたたび笛を唇に運んだ。
 隠れゆく月を見上げて目を細め、唇を湿らした丁度そのとき──。
「あっ、あのっ。敦盛さんっ」
 望美の声に、敦盛は視線を地上に戻して笛から唇を離した。
「なにか?」
「あっ、いやっ、そのっ、ごめんなさい」
 出鼻をおもいっきりくじいてしまったことに焦りながら、それでも望美は、持て余した想いの一片を口にした。
「あ、明るい曲にしません? 明日も晴れるようにって!」
「明るい曲?」
「そうです。ね、私のために。吹いてください。お願いします」
 それは軽いようでいて、心からの願い。
 どうかその心の片隅でいいから、一時私の事を考えていて。
「…………神子」
 明るい口調だがどことなく真摯な瞳を、しばし敦盛は見惚れた。
 黒曜石のような瞳は、雲の切れ間からのぞく月の光によって、瑠璃にも紅玉にもなる。
 動かない自分をいぶかしんだのか、望美が顔をのぞき込んでくる。
 月がまた雲に隠れ、望美の瞳の色が元に戻ったのを見て、敦盛は我に返った。
「では、そうしよう」
 かすかに微笑んで、敦盛は笛を奏で始めた。
 望美はほっとしたように体の力を抜き──知らず力が入っていたようだ──、柱にもたれかかって目を閉じる。
 敦盛の奏でる曲は明るい曲というより、なごやかな風のような曲だった。
(私を思い浮かべて、吹いてくれていますか?)
 自分は目を閉じていても、敦盛の姿が鮮明に思い浮かべられる。

 ──もし。

(もし、敦盛さんが私を思いえがいて吹いていてくれたら)
 あたりまえのように吹く風のように、自分を感じていてくれるのだとしたら──。
 そうしたら、少しは自信を持ってもいいかな?
 傍にいても、いいかな?
(ねぇ、敦盛さん……)
 望美は唇の動きだけで、敦盛に伝えた。
「あなたは、私のことどう思ってるの?」
 音にしなかった声は、瞳を伏せて笛を奏でている敦盛には届かない。
 ただ敦盛の奏でる笛の音は、優しくつつみこむように吹き過ぎる風のようだった。
 その風はおぼろ月夜の空にも吹いて、時には雲を切らして月をのぞかせていた。

 

〜 あとがき 〜
 両想いなのかどうなのか、よくわからない話(爆)
 そして舞台が京邸ですが、ゲームの最初の方……というわけではありません。
 いやでも、この時点で敦盛さんは望美さんのこと好きですよ?(という気持ちで書いた)
 もう少し敦盛さんが望美さんを想ってる風に書いた方がいいかな〜と思ったのですが、敦盛さんって「自分は怨霊だから」とか「穢れた存在で神子に想いをよせるなど……」とか思っちゃって、なかなか心ン中出さないだろうなと思って、なら逆にほとんど出さないで……とかやってみました。
 そのぶん望美さんの心ン中を書くことになりましたが、この二人は「結局結論出るまではあいまいな関係」なのが希望なので、これでよし!(親指ぐっ)

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