あなたのお名前なんですか?

 つい先ほど新熊野権現で別れたはずの将臣の姿が見え、望美は首を傾げた。
 明らかにこちらを目指している風な将臣に、自らも小走りに近づいてみる。言い忘れた事でもあるのかもしれない。
「よぅ。まだこの辺にいてくれてラッキーだったな」
「どうしたの、将臣くん? 忘れもの?」
「いや、ちょっとコイツを預かってほしくてな」
 そう言って将臣が差し出したのは、適当に丸めた衣だった。なんだかモゾモゾ動いていて、何かが梱包されているのだとすぐにわかる。
「な、なにコレ……」
 不気味がる望美を笑って、将臣は衣を開いた。丸めたといってもそう見えただけで、実際には衣が被さっていただけだったらしく、すぐに中身が覗く。
「あ! 猫!」
 中から出てきた小さくて可愛らしい姿に、望美の目が輝く。
 将臣は望美が抱きたそうにしているのに気づいて、ゆっくりと衣ごと望美の手の上にのせた。
「どうしたの、この猫?」
「ああ、さっきカラスに襲われてるところを見つけたんだ。んで、何となくカラスを追っ払ったんだが、ケガしててなぁ……」
「えっ? あ、ホントだ」
 見ると子猫の背と足に、カラスの爪にやられたのかもしれない傷ができている。
「俺と連れの野郎じゃ、猫の世話って訳にもいかねーし、かと言って放置しとくのもどうかと思ってよ。んで、お前が猫好きなのを思い出して、預けに来たんだ」
「……って言われても、私も旅の途中なんだけど……」
 今の自分たちは、熊野別当に会う為に本宮まで旅をしている最中だ。落ちつける場所があるならともかく、その日によって場所はいろいろ。しかも宿だったり野宿だったりな毎日なのだ。
 でも知ってしまった以上、手助けできるならしてあげたい。
「首輪してないね。野良なのかな?」
「いや、それは無いと思うけど。多分どっかの貴族の邸から逃げてきたんじゃね? だけどその家がわからんからなぁ」
 それほど熊野に詳しいわけじゃねぇし……。と将臣は頭をかいた。
 う〜ん。と、二人そろって唸ってしまう。
「ま、しょうがないか。ケガが治るまで私が面倒みるよ。もしなんだったら、朔に飼えるかお願いしてみる」
「おう、助かる。悪いが頼むぜ」
「うん。じゃぁ、今度こそ、気をつけてね」
「ああ、またな」




「……という訳なんです」
「なるほど、それは放っておけませんね」
 柔らかな笑顔で頷いてくれたのは弁慶。
 朔や白龍がいた場所に弁慶がいたから、望美はまず子猫のケガを見てもらえるよう、事情を話してお願いした。
「とりあえず、手当をしましょう。ヒノエ、宿のご主人からお湯を貰ってきてもらえますか?」
 ちなみにこの場所には譲とヒノエもいる。女性をこき使わない辺りは弁慶だが、譲には頼まず、八葉として合流する前からの知り合いらしいヒノエをさりげなくこき使う辺りもやはり弁慶である。
 ヒノエは一瞬イヤそうな顔をしたが、何も言わずに腰をあげ、湯を貰いに行った。
「それにしても、どこの貴族が飼っている猫でしょうか?」
「あ、それ将臣くんも言ってました。猫って、貴族しか飼ってないんですか?」
「ええ、ほとんどがそうですね」
 そもそも猫というのは昔外国から輸入されたもので、用途はもちろん愛玩動物としてだ。
 この時代、家畜以外で動物の面倒が見られるほど裕福な家は限られている。どこの貴族の飼い猫だろうというのも、その辺りからの推測だ。武士で飼いたがる家はほとんど無いだろうし。
「熊野の猫じゃないと思うぜ」
 さっそく湯を貰ってきたヒノエが、部屋に足を踏み入れながら言った。
 湯が入った桶を床に置き、弁慶が薬の用意をするのを横目で見ながら、ヒノエは望美の隣に腰をおろす。
「こんな猫は見た事ない。熊野詣中のどこかの貴族が連れてきたとかかもね」
「ヒノエ、詳しいのか?」
「あ〜、まぁね。誰がどんな猫を飼ってるってウワサ程度だけど」
 譲に問われ、少々困りながら返答する。
 弁慶が望美たちにはわからないように笑っていたが、指摘するといろいろマズイ事になりそうなので、睨むだけにしておいた。
「じゃぁ、お前のご主人様は、もしかしたらもう、熊野にはいないかもしれないんだね〜」
 もしかしたら、この猫がいなくなった事に気づかず、帰路についている可能性もある。
 望美は子猫に話し掛けながらため息をついた。迷子札でもつけていればいいのに。
「それにしても、何だかヒノエ殿みたいね、額の模様が」
 くすくす笑いながら、朔が言う。
 子猫は白い毛並みなのだが、眉間の上に一部だけ丸く赤茶色の毛が生えている。それがヒノエの宝玉のように見えるのだ。
「ほんとだ。似てるね」
 望美もくすくす笑いながら子猫を見つめる。
 当の子猫は白龍と見詰め合いっこをしていて、神子二人の視線には気づいていないようだが、そのお蔭で手当の作業がやりやすい。
「ねぇ、この子の名前、“ヒノエ”にしようか?」
 無邪気に提案された内容にヒノエがぎょっとする。
「ひ、姫君? その猫に、オレの名前をつけるのかい?」
「うん。ダメかな?」
「………………」
 猫と一緒にされるなんて、思いっきりダメだし超反対なのだが、望美の笑顔があまりにも爽やかで、ダメとはものすごく言いにくい。どうするべきか、茶を飲むフリをして時間を稼ぐ。
 そうしたら、譲が苦笑しながら助け舟を出してくれた。
「先輩。猫にヒノエと同じ名前をつけたら、混同しちゃって大変ですよ? いちいち“猫のヒノエ”って言うのも大変ですし。他の名前にしませんか?」
「そうか、そういえばそうだね」
 無邪気な望美はやっぱり無邪気に頷き、ヒノエがほっとしているのにも気づかず「いい名前ないかな〜」などと考え始めた。
 心の底から安堵しているらしいヒノエを見て、手当を終えた弁慶がとんでもない提案をした。
「望美さん、ならば名前は“湛増”にしたらどうですか?」
 その瞬間ヒノエが茶を噴出したのは言うまでもない。
「“タンゾウ”……ですか?」
「はい。熊野ではよくある、いい名前なんですよ?」
「でも……」
 その名前がいい名前なのかどうなのかはわからないが、ヒノエのリアクションが猛烈に気になり、望美はヒノエの方に視線を泳がせる。
「駄目ですかね。湛増という名前は趣味が悪かったかな? ねぇ、ヒノエ?」
 今度は呼吸方法を間違え、息をつまらせるヒノエ。変な音で鳴った喉に、望美が慌てて様子を伺う。
「だ、大丈夫、ヒノエくん?」
「……だ、大丈夫だ。ちょっと咳を堪えようとして失敗してね……」
 それにしても、どうすればいいのだろう。
 趣味が悪いといえば自分の本名を否定することになるし、かといって肯定すれば、そのまま猫の名前に決定しかねない。ここはやはり、いい名前ではあるが、猫の名前には相応しくないことを望美に説明して、納得してもらわねば……。
 アレコレと思考を巡らせるヒノエ。しかしどこまでも爽やか(に見えるだけ)な弁慶は、ヒノエの答えが出る前に追討ちをかけた。
「それでどうですヒノエ? 湛増というのは趣味が悪いすかね?」
「悪いわけないだろ!」
 思わず。とい言った風に間髪いれずヒノエが答えてしまう。
 はっ、と我に返ったときにはもう既に遅し。言質を取った弁慶がにこやかに望美に薦めていた。
「ですって。やはり名前は湛増にしましょう」
「そうですね、ヒノエくんがそこまで言うなら」
 ご機嫌で答える望美。
 ヒノエは内心「いつ“そこまで言った”んだ……」と頭を抱えたが、姫君の手前、見っとも無く撃沈するわけにもダラダラ言い訳するわけにもいかず、どうしたものか猛烈に悩んだ。
 そんなヒノエをよそに望美は手当が終わったばかりの子猫を撫でて、嬉しそうに名を呼ぶ。
「タンゾ〜。今日からお前はタンゾウだからね? 熊野でいい名前ってことは、熊野の神様のご利益があるかも?」
「ええ、きっとそうですよ。案外湛増が、別当と会うのに力を貸してくれるかもしれませんよ?」
「本当ですか!? よし! 期待してるからねタンゾウ! 早く元気になろうね!」
 タンゾウタンゾウ連呼され、なんだかヒノエは胃が痛くなってきた。
「おや、どうしたんですヒノエ? 何だか顔色が悪いようですが?」
 わかっているのだろうに、どことなく心配そうな顔で弁慶が覗き込んでくる。そんな殊勝な顔をして見せていても、もちろん瞳は大笑いしている。
「え、ヒノエくん、大丈夫? どっか痛い?」
 タンゾウ抱っこする? なんて言われてしまうと、もうどうにでもしてくれ状態になるしかない。
「皆、ここに居たのか」
 その時、戸を開けて九郎が顔を出した。
「弁慶、今後の日程と物品の買出しについて話があるんだが……。ん? なぜこんなところにコイツがいるんだ?」
「九郎さん、タンゾウの事知ってるんですか?」
「タンゾウ? いや、こいつは後白河院の猫で、確か名を……紅葉の君とか言ったか?」
「そうなんですか!? タンゾウじゃなかったんだ〜」
 いや、だから湛増っていうのは、今弁慶がつけた名前なんだけど……。やっぱり心の中でヒノエが突っ込む。
 何はともあれ、飼い主が判明し、しかも近くにいるとなれば、さっそく返しに行くべし。ということで、望美は早くも湛増……もとい、紅葉の君を抱いて立ち上がっている。
 どうすれば後白河院と連絡が取れるか、いつ届けられるかなど、九郎と朔と譲を巻き込んでワイワイやっている。
 賑やかな望美たちが室を出て行くと、ヒノエは盛大にため息をついた。
 同時に遠慮のない忍び笑いが、弁慶から聞こえてくる。
「弁慶、お前な……っ」
「残念ですね、飼い主が見つかってしまって」
「残念じゃない!」
 思い切り不機嫌にそっぽ向く甥に、弁慶はまたしても忍び笑いを漏らしたのだった。

 それからしばらくの間、ことある毎に望美が「タンゾウ元気かな〜」などと言ってヒノエにダメージを食らわせたのだが、それはまた別の話で。

 

〜あとがき〜
 唐突に思いついたので、ちょっとフザけてみました(爆)
 十六夜記の四章辺りな設定で。
 猫を抱いてる将臣と望美が若夫婦のようだとか思いながら書いてました。
 で、某ヘタレ陰陽師軍奉行的にダメダメなヒノエにしてみました。ふふふ、ふふ……。

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