陽炎と夏の残り香

「望美、好きだよ」
 突然耳元でそんなこと言われて、望美は正直驚いた。
「は?」
 突然で唐突で、さっきまで話していた話題とも関係ないし、いきなりどうしたのだろう。
 その驚き方がおもしろかったのか、望美を見つめるヒノエの瞳が可笑しげに細められた。
「は?って、せっかく愛を告白してる男にそれはヒドくないかい?」
 風に揺れる望美の髪を捕まえて、「せめてもう少し恥じらうとか」などとヒノエ。
 望美は慌ててポカンとした顔を引き締めた。
「だ、だって、本当にいきなりだったから……」
 先程の甘い囁きを思い出して、ようやく赤面してくる。照れ臭くて、望美は持てあました頬の火照りを両手で頬を押さえた。
 ヒノエは今さらながらに狼狽えはじめた自分を愉しんでいて、問いに答えを返そうとはしない。
 気持ちをなんとか落ち着けて、望美はヒノエが弄んでる自分の髪を取り返しながらもう一度聞いた。
「で、何でいきなりそんな事言いだしたの?」
「いきなり言いだしたってのもヒドイね。オレはいつだって望美を愛してるのに」
「……はぐらかそうったって、ダメだからね」
 流し目と甘い声に再び頬を染めながら言う望美に、ヒノエは自分の心が愛しい気持ちで満ちていくの感じた。
 自分の周りにいる女の中で、望美は一番変わった反応をする。それは決して滑稽なわけではなくて、ただ駆け引きのための演技でなく素直に感情を表す望美が、どうしようもなく可愛いだけなんだけど。
「別にはぐらかしてなんかいないけどね……」
 そう答えても、望美は不服そうにムスっとしている。
 そんな顔さえ可愛くてしかたがないのは、やっぱり「恋は盲目」だからだろうか。
 ヒノエはふと、庭院に目を向けた。残暑の別当邸の庭は、いつもながら趣を凝らしていて、ヒノエも、そして望美も気に入っている。
 秋の清やけさを含んだ残暑の風が、夏の残り香のように二人を包み込む。
「そうだね。どうしていきなり好きだなんて言ったか……それはこの季節だからかな」
「……夏の終わりになると口説きたくなるの?」
「ははっ、なかなかキツイこと言うね。そうじゃなくてさ、去年の今頃はいろいろあったな、って」
 そう言われて、望美もああと目元を和ませた。
 去年の今頃というと、本当にいろいろあった。源氏の仲間と熊野の協力を得るために奔走した記憶はまだ鮮明。
 あの頃の自分はいろいろ一生懸命すぎて、その自分が一年後にこうして熊野で暮らしているなんて、想像もしなかった事だろう。
 そんな望美の思考を読んだかのように、ヒノエも笑った。
「あの時は、こうやってお前と過ごせる日が来るなんて、思いもしなかった」
「ね。本当にそうだよ」
 ヒノエと同じ事を考えていたのが嬉しくて、望美は軽やかに笑った。
 鈴のような声とその横顔を見つめ、ヒノエがぽつりと呟く。
「──籠もよ み籠持ち この丘に菜摘ます児 家聞かな 告らさね 我にこそは告らめ 家をも名をも」
「えっ?」
 聞き覚えのあるフレーズに、望美ははっとした。確か今の和歌は、ヒノエに初めて会った時に言われた歌だ。──正真正銘、初めてヒノエと会った時に。
 その歌を贈ってくれたヒノエは、今自分の隣で笑っているヒノエとは一致しない。自分が時空をねじ曲げてしまったから。
 それを思い出すだけで苦しくなる。果たして自分のやった事は正しかったのか。戦を終息に導いてもなお、ただの傲慢だったのではと考えてしまう。
 隣の望美が泣きそうな顔をしているのにも気付かず、ヒノエは庭院に視線を戻し、微苦笑を浮かべていた。
「オレは、よりによってこの熊野で、初めてお前を泣かせちまったな」
 望美が海賊にさらわれた事件は今でもはっきり覚えている。特に、その後望美を泣かせてしまった事は、忘れたくてもできない出来事だ。いつもは気丈な望美が、身分を偽っていた自分にポロポロ涙を零す様には、心底狼狽えたものだった。同時に同じくらい、後悔もした。
「今となっては言い訳にしかならないけどさ、オレは何度か、自分が熊野別当だとお前に言いかけたんだぜ。でもその度に……」
 正体を隠していたと、望美に愛想をつかされる事が恐くて言い淀んだ。
「その結果、最悪な状況でバレてお前を泣かせちまうなんて、オレもまだまだ修行が足りないね」
 自嘲気味に言うヒノエの言葉を聞きながら、望美は今まで気付いていなかった、もう一つの真実に気付いてしまった。

 ──名乗って、くれてたんだ。

 たとえ望美にわからなくとも、古の歌にのせて、名も、身分も。
 望美は苦しいほどの胸の締めつけを感じて、ヒノエの手に自分の手を重ねた。
 望美の手に止められて、ヒノエは自嘲の言葉を止める。
 ひんやりとした手に振り向いて、ヒノエはぎょっとした。
「な、何で泣くんだ……っ? や、その……あの時は本当に悪かったって……」
「違うのっ!」
「違うって……。なら望美、いきなりどうしたんだい?」
 子供のように泣きだした望美を、ヒノエは優しく抱き寄せて包む。
 望美はヒノエの胸に頬をよせながら、何度も謝った。
「ごめん……。ごめんなさい、ヒノエくん……」
「ごめんって……。また何か悪戯でもしたのかい?」
 望美は腕の中で、ふるふると首を振る。
「なら……もしかしてオレに愛想が尽きて、お別れしたいとか?」
 優しく響く声に本気は含まれていなかったが、それだけにヒノエの気遣いが見られて、望美は首を振りながらまた泣いた。
 温かく大きな手に背を撫でられ、耳に心地よい声にあやされ、しばらくして望美は落ち着きを取り戻した。
「落ち着いたかい?」
「……うん。ごめん」
「ふふっ、姫君は謝ってばかりだね。で、なぜ謝ってるのか、言えるかい?」
 髪を撫でる手に促され、望美は擦れた声でぽつりとつぶやいた。
「ヒノエくんは、本当に大切な事はちゃんと伝えてくれるのに、私は気付けなかったんだなって」
「そんなことはないさ。お前は賢いからね、きっとオレの伝え方が悪かったんだろ」
「違うよ、賢くなんか……ない」
 ヒノエの謎かけに、いつも応えてきた自分。
 なのに一番大切な謎かけには気付かないままで──。
「私ね、私もね、ヒノエくんに隠してること、あるよ」
「へぇ?」
 でも炎の記憶を呼び覚ますには、まだ時間が足りない。消えてしまったヒノエを取り出す事が、どうしてもできない。
 遠く熱い記憶に手を伸ばそうと思っても、触れれば火傷のような痛みを伴うその記憶。
 あの時のヒノエの笑顔は、思い出そうとしても陽炎のように揺らめいて消えてしまう。
 望美は深呼吸し、震える声を落ち着けようとした。
「その事は、まだ話す勇気がないけど……いつか絶対話すから。必ず話すから!」
「うん」
 ヒノエにしがみつきながら必死に訴える望美に、ヒノエは再び抱きしめて頷いた。
「わかった、待ってるから。だから心を落ち着けろって」
 望美が何に捕われているのか、ヒノエにはわからない。でも、望美ならきっと負けないと思えるから、自分は待てると自信を持って応えられる。
「大丈夫だ。お前ならきっと負けない。いつまででも待ってるから。さ、泣き止め」
「……うん。…ありがとう、ヒノエくん。……ごめんなさい……」
 心を乱れさせた疲れからか、ヒノエが優しく首筋を撫でてやると、望美は眠りへと引き込まれていった。
 望美の頭をひざに乗せてやり、涙の残る目尻を拭いて、ヒノエは望美の額に口付けを落とした。
「大丈夫だ、お前なら」
 自分の懺悔をしていたはずなのに、いつの間にか立場が逆転していた。だがそんな事は些細な事だ。
 今は、唯一と定めた愛しい人が、一時のやすらぎを得られるようにと、ヒノエは祈りを乗せ、優しく笑みを浮かべた。

 

〜あとがき〜
 ネタはあれど文章を組み立てられなかったのを、アンジェ金時戦利品からヒノ神子萌えをもらって、突発的に書き上げた作品(苦笑)
 アップした時はすでに「残暑」でもなくなってますが、気にしない方向で。

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