香 雨
「──これは、ひと雨くるかもね」 オレとしたことが抜かったね。そんな雰囲気をまといながら、ヒノエがため息をついた。 「あめ……って、雨? こんなに晴れてるのに?」 ヒノエの呟きを聞きとめ、彼の隣に座っていた望美は空を見上げた。 今二人が見上げる空はどこまでも青い。小さな雲が流れる秋空で、これから雨が降るようには、とても見えなかった。 「今はね。だけど、西を見てご覧」 ヒノエに言われて彼が示す先に視線を向ける。 その遠い遠い空には、どんよりとした厚い雲が漂っていた。 「あれ、雨雲?」 「ああ」 ヒノエはそう頷いたが、望美にはどうしてそれが先ほどの台詞と結びつくかわからない。だってその雲は、本当に遠い場所にあったのだ。嵐山の山々のさらに向こう側に。 疑問に思う気持ちが表情に出てしまったのか、ヒノエは望美を見て笑った。 「天の上は風が強そうだからね、きっとすぐにこっちに来るさ。邸まで保てばいいけど……」 「えっ、そんなに早く?」 「たぶんね」 頷きながらヒノエは立ち上がった。そして望美に手を差し伸べ、立ち上がらせる。 「名残惜しいけど、今日はもう帰ろうか。折角の気晴らしだったけど、お前を濡れねずみにするわけにはいかないからね」 「うん、わかった。……ふふっ、なんかヒノエくんって、天気予報士みたいだね」 「それはお前の世界にある役職かい?」 「そう! 今日は何時ごろから雨で〜みたいなことを教えてくれるの」 「へぇ。ならオレがその役を授かったなら、確実な予想を姫君にお教えするよ」 「ホント? ヒノエくんだったら、百発百中で予想が当たりそうだよね」 「勿論」 そんな他愛ない話をしながら、二人は嵐山から京の中心部に向かって歩き出す。 雨雲は、刻一刻と近づいてきていた。 二人が屋内に飛び込んですぐに、激しい雨が降り出した。 その勢いはまるで夏の夕立のよう。この季節になんとも珍しいことだ。 「ぎりぎりセーフ〜」 間一髪で全く濡れなかった望美は、大きく安堵の息を吐き出した。 「やっぱり邸に戻らなくて正解だったね」 そう、今二人が居るのは景時の邸ではない。右京にある空家だ。 雨雲が近づく速度が増している。きっと風が強くなったんだろう。そう言う天気予報士の言に従って、京邸まで戻るのを早々と諦め、適当な場所に雨宿りを求めたのだ。 求めたと言っても、ここは空家。もちろん二人の他に住人はいなく、邸も荒れ果てて埃っぽい。 ヒノエは簀子縁に溜まった埃を、ススキを手折ってきて掃き清める。 「ま、雨漏りはしていなさそうだし、今のオレたちには上等かな」 「そうだね」 望美もヒノエを手伝い、腰を降ろしても気にならない程度まで掃除して一息ついた。 「どのくらいで止むかなぁ?」 癇癪持ちの子供のように泣き続ける空。それを見上げながら望美が言った。 「そうだね…………今はちょっとわからないね」 厚い雲の終わりが見えないので、さすがの天気予報士も今は予測不可能だ。 望美が小さく肩を震わせたのを見て、ヒノエは彼女を抱き寄せた。 「望美、寒いかい?」 「ちょびっと。でもこうしてれば暖かいよ」 「ふふっ、そうかい?」 可愛らしく微笑む望美にヒノエも目を細めながら、ますます望美を抱き寄せる。 「? ヒノエくん、何かつけてる?」 感じる彼のぬくもりと共に柔らかな香りが鼻をくすぐり、望美は首を傾げた。 「何か……って、何?」 「んと、何か、いい香りがする」 息を吸い込むと、甘くしっとりした空気が香る。望美はヒノエを見上げた。 「何か香水でもつけてるのかなぁって」 「ああ。きっと、これの事だね」 そういってヒノエが懐から取り出したのは、小さな巾着袋。 「それは?」 「香袋。伽羅の香木が入ってるんだ」 ヒノエは望美の手の上に巾着を乗せた。確かに望美の興味を引いたのはソレらしい。巾着を開けると、優しい香りがふわりと色づいた。 「あれ、でも、さっきは香りしなかったよ?」 ふと不思議に思って、望美はヒノエを振り返る。今日は朝からずっと一緒にいたのに、今になって気づいたのはどうしてだろう。 「香木だけだとあまり香らないから。雨が降り出したから、香りが強くなったんだろうね」 湿気を吸って、香りが広がったらしい。 ヒノエの説明に、望美は感心したようにしげしげと香袋を眺めた。 「へぇ〜。……でも、いい香りだね〜」 「気に入ったんなら、お前にあげるよ」 「えっ! や、でも……いいよ、いらない。ごめんね、私が珍しそうにしてたからだね」 突然譲渡を言い渡されて慌てる望美に、ヒノエは思わず喉の奥で笑う。一瞬嬉しそうな顔をしたくせに、慌てて否定する様子は可愛らしい事この上なし。 「そんなもの、オレはいくつも持ってるからさ。──そうだ、それとも今度、新しいものを贈ろうか。伽羅だけじゃなく、白檀、麝香……お前の好みの香になるよう、合わせてみるのもいいね」 「やっ、あのっ、そのっ」 矢継ぎ早に提案され、望美が目を白黒させる。 それを面白そうに観察していると、やがて望美はたくさん浮かんだ考えを整理し終え結論を出したようで、おずおずと上目遣いにヒノエを見つめてきた。 「あの……本当にいいの? 私が貰っちゃっても?」 「勿論。オレの使ってたのでよければね。それとも新しいのを贈ろうか?」 「ううん、これでいい。ヒノエくんが使ってたのがいいよ」 「……お前は本当に可愛いね」 ほんのり頬を染めて告げられた台詞に、ヒノエの方こそ赤面してしまう。愛しさを煽られて、その優しい気持ちのままに望美を抱きしめた。 贈ったばかりの伽羅が、二人の間で優しく香る──。 「ああ、いいね。まるでオレの香が移ったみたいで……」 しっとりとした香は、二人の逢瀬を艶やかに彩るようで。 ついさっきまでは自らが纏っていた香だからこそ、一層心躍る。 「ね、口付けてもいいかい?」 「えっ、ちょっと、こんな所で……」 「こんな所でって、ここにはオレたちしかいないぜ? それに、いつもしてるじゃん」 「……いつもは勝手にヒノエくんが口付けてくるんでしょ」 「でも拒まないじゃないか。でももしかして、今日はイヤ?」 そんなはずは無いだろうという表情で笑まれては、何だか応えづらい。 「う。……ヒノエくんが、口付けてもいいか聞くなんて珍しいから、恥ずかしくて答えられないだけだよ。それにどうせイヤって言ってもするんでしょ!」 望美は些かへそを曲げて答える。 そんな彼女の頬に口付けを落として宥めながら、ヒノエは笑んだ。 「まぁそうだけどね。でも今日は、お前の許しが欲しい気分なんだ。ね? 香袋のお礼だと思ってさ」 それを言われると弱い。実は「お礼に何か返せないかなぁ」なんて心の中で思っていたので余計に弱い。それに、言うのは恥ずかしいけど、ヒノエとキスするのは好きだ。だから拒否できない。 ヒノエのことだから、それを全部見透かしていて、それでいて許しを求めているのだろう。 だから望美は、わざと尊大な態度で許してあげた。まぁ照れ隠しみたいなものだ。 「よ、よろしい。今日は特別に許してさしあげます」 「ふふっ、それは光栄です姫君」 つんと清ました望美のアゴを優しく引き寄せ、ヒノエは色づく唇に己の唇を重ねた。 二人の間で、伽羅の香がまたふわり──。 |
〜あとがき〜 自分雨が降る話が好きですなぁ。あと眠ってる話とかも多いですなぁ。 つまりはそういうのが好きなんです。そうゆう事なんでしょう(何がだよ) そういや、雨の日にお香を焚くと香りが長続きして、雅な気分になれます。一度練り香とかもやってみたいです。 |
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