除夜の鐘が鳴りやむまで

「はぁ〜」
 紅白歌合戦の映像をぼんやり眺めながら、望美は長い長いため息をついた。
 今年もあと数時間。もう少しで新しい年になるというのに望美が浮かない顔をしているのには訳がある。
 それは至って単純な理由で、せっかくの年越しなのにすぐ傍にヒノエがいないからだ。
(そりゃあね、ヒノエくんは熊野の頭領なんだから、新年ともなればやる事いっぱいあるよねぇ……)
 そんな訳で、里帰り中のヒノエが恋しくて、望美の表情は曇り空なのだった。
「──あ、もう電池ないや」
 ふて視線を落とした先の携帯がバッテリー残量少を指しているのに気付いて、望美は充電機を取りに行こうと立ち上がった。
「あらどこ行くの? そろそろ年越しそば作るわよ?」
「携帯充電するだけ〜」
 そう母に返し、望美はのそりのそりと二階へ向かう。
(……こんな気持ちになるなら、将臣くんたちと初詣行けばよかったかなぁ……)
 ヒノエと過ごせない正月を気づかって、将臣と譲が深夜からの鎌倉神社各社・初詣ツアーに誘ってくれたのは今日の夕刻。その気持ちは嬉しかったのだが、なんとなく断ってしまった。
 どうせ二人だけでは行っていないだろうし、今から連絡して出かけようか……。
 そんな事を考えながら自室のドアを開け、部屋の中にいた人影に望美はそのままの姿勢で固まった──。




 軽い耳鳴りのような音が消えると同時に、自分の体重が戻るのを感じて、ヒノエは静かに目を開けた。
 薄暗い室の中には誰もいなく、その部屋の主の不在をヒノエに知らしめる。
「……やっぱりいない、か」
 多分そうだろうと思ってはいたが、実際見て思いの外がっかりしている自分に苦笑いが浮かんだ。
「毎年夜から初詣に行くって言ってたしね」
 少し空いた時間で望美に会いにいこうと思いついたのはついさっきだった。だから当然望美に予告できてないし、部屋にいなくても仕方ないのだ。
「オレも結構バカだね」
 自分はあちらの世界の衣裳を着ているし、たいした時間も取れないから、この部屋にいなければ望美に会うことなど不可能。
 そんな微かな確立なのに、結構本気で期待していたようだ。つまりは、それだけ望美に会いたかったらしい。
 こんなにも望美の笑顔が恋しいのは、こちらで正月を過ごせないと告げたときに彼女が見せた寂しそうな微笑みのせいだろうか?
「…………ま、仕方ないね」
 とにかく会えないものは仕方がない。ヒノエは再び逆鱗を握り、瞳を閉じかけた──。




 望美の開けたドアの音は、静かな空気の中ガチャリと結構大きく響いた。
『…………』
 望美はドアノブを握ったまま。ヒノエは逆鱗を握ったまま。双方共に体と思考を停止させてしまったので、お笑いなことに一瞬二人ともこれを夢だと思った。互いにこの奇跡を思い切り願っていたにもかかわらず、である。
 その絵画のような世界が時を取り戻したのは、望美の手から滑り落ちた携帯が床に落ちた音でだ。
 望美より一足先に我に返ったヒノエは携帯を拾い、それを望美の手に乗せながら微笑んだ。
「こんばんは、オレの姫君」
「えっ、あっ、そっ、ひの…ヒノエくん……?」
 なんでそんな自信がなさそうに問うのだろう? 愛しい彼女は相変わらずのパニック体質で、ヒノエはますます笑みを深めた。
「もちろんそうだよ。それとも他の人間に見えるのかい? こんなにイイ男は、そうそういないと思うけど?」
「……ほんとにヒノエくんだぁ〜……」
「おっと」
 泣きそうな顔で抱きついてきた望美を受けとめ、ヒノエはその髪に、頬に、そして唇に口付けを落とす。
 望美は始めくすぐったそうにしながら恥じらっていたが、何度もついばむように口付けると、望美からも優しく応えてくるようになった。
 そのぬくもりが確かなものだと確認するようにゆっくり口付けると、やがてどちらからともなく名残惜しげに唇を離す。
「──ねぇ、どうしてヒノエくんがここにいるの?」
「ふふっ、迷惑だったかい?」
「そんなわけないよ! ……じゃなくてッ」
 その時望美の言葉をさえぎるように、階下から母親の声がした。
「望美ー! 天ぷらは何がいいー!?」
 年越しそばの準備を始めたのだろう。二人の世界に突然乱入されて驚きつつ、望美は母親に応えた。
「なっ、なんでもいいー! そ、それより……!」
 ヒノエが戻った事を伝えようとしたのだが、ヒノエが人差し指を唇に当てているのに気付いて、望美はとっさに唇を閉じる。
「望美? どうかした?」
「な、何でもない! い、今友達と電話中だから、おそば後で食べるから!」
 了承した母親が階下から去っていくのを気配で感じる。
 ヒノエはほっとした様子で望美を部屋の中に引き寄せ、ドアを閉めて明かりを点けた。
 明かりの下でヒノエを見て、望美はようやっと夢でないことを確信する。
 しかしあちらの世界の衣裳に身を包んだヒノエを久しぶりに見たこともあり、胸が勝手に高鳴って、望美は別の意味で夢の中にいた。
「こんな格好だし、あまり時間もないんでね。お前の両親には悪いけど、少しでも多くお前と過ごしたい」
 今は両親に挨拶する間さえも惜しい。そう告げるヒノエに、望美ははっと我に返る。さっきの問いの答えをもらっていない。
「ヒノエくん、お仕事はどうしたの?」
 ベットに腰掛け、ヒノエに抱きついたまま望美は問う。
 彼は喜びつつ不思議そうな顔をした望美の髪の感触を楽しみながら答えた。
「その神事の合間に抜け出してきたのさ。このまま愛しい姫君の顔も見られないまま新年を迎えるのかと思うと、どうにもお前の笑顔が見たくなってね」
「そうだったんだ……」
「オレこそお前に聞きたいね。毎年将臣たちと夜から初詣じゃなかったのかい?」
「うん。誘われたんだけど……ヒノエくんと一緒じゃないのを余計に感じちゃいそうで、なんとなく断っちゃったんだ」
 照れくさそうに微笑む望美を見ているうちに愛しさを煽られ、ヒノエは望美を抱く腕に力をこめる。
「本当にさ、お前が出かけないでいてくれた事が……会えた事が嬉しいよ」
「私も。まさかヒノエくんが会いにきてくれるなんて思わなかったから、すごく嬉しい」
 ヒノエの衣に焚きしめられた香がふわりと薫って、しっとりと二人を包み込んだ。
 その時ごーんという深みのある音が聞こえて、望美はふと顔を上げる。
「あ、除夜の鐘が鳴り始めたかも」
 ヒノエを促して窓辺に寄り、望美は窓を開けた。
 そこかしこにある歴史ある寺院から鳴り響く鐘の音が、この鎌倉の地を満たす。
 二人そろって窓辺に並びながら、ヒノエが静かに言った。
「年が明けるね」
「うん」
「残念だけど、もう戻らないとだ」
「……うん」
「来年は、きっと一緒に新年を迎えられるよ」
「……うん、そうだね。その時は熊野で」
 高校を卒業したら、熊野に嫁ぐ。
 そうしたら、ずっとヒノエの傍にいられる。
「もう少ししたら……」
 もう少しの辛抱でいつまでも共に歩めるというのに、今この時の別れも寂しくなるなんて、自分はなんて欲張りなんだろう。
 繋いだヒノエの大きな手は、すでに力が抜かれている。あとは自分がこの手を離すだけなのに。
(……今鳴ってる鐘の音が消えるまで……)
 一番鮮明に聞こえる重厚な音色に思いを乗せ、それが静寂の中に消えると同時に望美は手を離した。
「ヒノエくんが来てくれて、本当に嬉しかった。私、初詣は行かないで待ってるから、一緒に行こうね?」
「ああ、約束だ」
頷いて、ヒノエは己の髪を束ねていた紐を解き、望美の手首に結んだ。
「寂しがりやの姫君の為に、これはお守り。身につけて眠れば、オレの夢が見られるよ。次の逢瀬は……そうだね、互いの初夢の中なんてどうだい?」
「ふふっ。もう、ヒノエくんてば」
 やっと笑顔に戻った望美にヒノエも微笑み、彼女の唇に別れの口付けを落とす。
「じゃあね姫君。よいお年を」
「うん。ヒノエくんも、体に気を付けてね」
 望美の言葉にヒノエがにやりとした笑みを浮かべ、それと同時に逆鱗から溢れだした光がその彼を包む。
 それはまるで除夜の鐘のように、神聖な気をばらまいて溶けた。
 ヒノエが去ったあと望美は、窓を明けたまま部屋の明かりを消し、ベットに横になる。
 除夜の鐘が鳴りやむまでは、このままでいよう。
 愛しい彼の面影を思い描きながら、新しい時を迎えられるように。

 

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