柱に刻み込む時

 その柱の傷は、ずいぶんと昔からあるものらしかった。
「何だ、これは?」
 よく使い込まれた感のある柱に垂直に走る傷はひとつふたつではなく、たくさんある。
 腿から胸くらいまであるそれらに、ヒノエは首を傾げた。
「ヒノエくん? なにか見つけた?」
 柱を拭いていた手を止めて何かを見ているヒノエに、望美が声をかける。
 望美を手に入れるためにこの世界に来たばかりの彼は、初めて見るものすべてに興味を示す。
 この世界に滞在するために提供された有川家の一室で、今度は何を見つけたのだろう。
「これは何だい?」
 示された先にあるものを見て、望美の瞳が懐かしさに和む。
「ああ! これね、私たちの身長の記録だよ。懐かしいなぁ」
「身長?」
「そう。毎年始業式の日に──春の日に計ってね……。ほら、ここに日付とか名前が書いてあるでしょ?」
 下の方はほとんど消えてしまっているけど、よく見ると「望美7才」とか「将臣8才」などという文字が見える。
 望美に示されたものを見て、ヒノエも小さく微笑んだ。
「なるほどね。姫君たちの成長記録ってわけか」
「そうそう! そうなの!」
 この傷のある柱のまわりには、過去に過ごした時間がある。
 ヒノエはふと思いついて、望美の手をとった。
「なぁ、今のお前の背丈も、ここに記しておかないかい?」
「えっ? 私?」
「そう。──まだしばらくはこちらの世界で過ごせばいいけれど、オレは絶対、いずれお前を熊野に連れていくよ?」
 ふと真面目な表情を浮かべ、ヒノエは望美にささやく。
 望美をこの世界に戻し、また自らも追い掛けてきた訳は、望美も、望美を取り巻く人々にも納得させて彼女を熊野に迎えるため。
 いずれは望美の心を決めさせ、あの世界に戻ろうと思っている。
 驚いている望美を優しく抱きよせ、「だからさ……」と呟くように告げる。
「この世界に残していくお前の両親や有川の家の人たちに、お前の存在を残していくために……」
 ヒノエの提案に望美はかすかに瞳をうるませた。
 望美もまた、いずれは熊野へと心に決めていた。もう二度と、彼と会えなくなるのは嫌だ。自分だけこの世界に戻されたのだと知った、あの時の想いを味わうのはもう──。
 だが同時に、その決断は今度こそこの世界に別れを告げるもの。だからこそ、望美はヒノエがくれた時間で何かを残したいと思っていた。
「……ありがとう」
 ヒノエの気持ちが嬉しい。
ヒノエの気遣いが誇らしい。
「ね、ヒノエくんのも書いておこうよ」
「えっ、オレもかい?」
「そう! ……って、えっ? ダメかな?」
 表情を曇らせたヒノエに、途端に自信なさげな顔をする望美。
 そんな彼女の様子に吹き出し、ヒノエは忍び笑いをもらしながら答えた。
「いや、オレなんかの記録も残したらさ、お前の父上が不快に思うんじゃないかなってね。大事な娘を奪った盗人野郎だろ、オレは?」
「う〜ん。不快っていうか、泣きだすかもね」
 望美も二人で挨拶に行った時の事を思い出す。突然のことに驚いた父は、激怒したフリをしながらも涙ぐんでいたから。
 虚勢をはる父の姿を思い出し、望美もヒノエも笑いだす。
「そうかもね。お前は周囲に愛されているから」
「まぁね。あっ、でもやっぱりヒノエくんのも書こうよ! お父さんなんかがいつでも八つ当りできるようにさ」
「……八つ当り用なのかい?」
 ちょっと情けなさそうな顔をしたヒノエは、苦笑いしながらも望美の提案を受け入れた。
「やった! じゃあ私、三角定規と彫刻刀とペン借りてくるね! あっ、そうだ。将臣くんたちのも書かないとね!」
 嬉しそうに笑いながら、望美が部屋を出ていく。
 彼女が戻ってくる時には、きっと面倒くさそうな顔の将臣と、仕方がなさそうな苦笑を浮かべた譲もいるだろう。誰も望美には勝てないから。
 その様子を思い浮べながら、ヒノエはまた忍び笑いをもらしたのだった。

 

〜あとがき〜
 会員制サークルに投稿したもの。……つっても、主催は自分なんで、変な気分ですが(笑)
 正月に久しぶりにじいちゃん家に行ったら、子供の頃にイトコたちと背丈を競争した柱を見つけまして、懐かしいなぁって思って書いてみました。

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