雨に濡れる羽衣

 梅雨。
 夏前に降る長雨。くる日もくる日も降り続く雨雫は大地を潤し、これから来る育みの季節への祝福となる。
 雨と雨の間に晴れる日もある。水に清められた空気はひんやりと冷たく、とても清々しい日。
 でもやっぱり晴れの日より雨の日のが多くて、望美が別当邸の濡れ縁でくつろぐこの日も、雨は止めどなく降り続いていた。
 嬉しそうにそれを眺めている望美に、穏やかな声がかけられた。
「ずいぶん嬉しそうだけど、何かいい事でもあったのかい?」
「あ、ヒノエくん」
 振り向けば、そこにいたのは彼女の夫にしてこの地を統べる熊野別当職にあるヒノエ。
「おかえり。仕事は?」
「ひと段落ついたよ。今は報告待ち。だから空いた時間を有意義に過ごそうと思って戻ってきたんだけど……。悔しいね。オレが居なかったっていうのに、お前がそんなに嬉しそうな顔をしているなんてさ」
 ほんの少し嫉妬を混ぜた口調で、ヒノエは片目を瞑ってみせる。
 おどけた風に言う夫に、望美は軽やかな笑い声を立てた。
「ヒノエくん。すぐそういうこと言うんだから。冗談はほどほどにしておいてくれないかな」
「ふふっ。冗談じゃないって知っているくせに、本当につれないねオレの神子姫は。──おいで」
 望美の隣に腰をおろしたヒノエは、高欄に背を預け望美に手を差し伸べた。
 その誘いに望美も抗わず、言われるままにヒノエに寄り添い、彼の胸に頬を寄せた。
「……それで? 一体姫君は何をしていたのかな?」
 さらりと零れ落ちた望美の髪を掬い取り、指を絡める。絹糸のようなその感触に瞳を細めながら、ヒノエは先ほどの問いを再び言の葉にした。
「えっとね。雨の音を聞いていたの」
「雨の……音?」
「うん。──ほら」
 望美に誘われて耳を澄ますと、いつくもの雨音が聞こえてくる。
 鳴っているのは同じ雨なのに、落ちる場所によって響く音が違うそれは、さながら神楽のようだった。
「ね。いろんな音が聞こえて、おもしろいでしょ?」
「あぁ、そうだね。恵みの雨が奏でる音。──少し、波の音に似ているね」
「あっ、ホントだ。……でね、その音を聞いてたら、ヒノエくんと一緒に聞きたいなって思って。今の時間だと、多分もう少しで一度帰ってくるだろうなって思ってたから、ここで待ってようと思ったの」
「へぇ。オレを?」
「うん。だって、一緒に聞いた方がもっと楽しくなるもの。……そう考えたら待ち遠しくって……。だから私が笑顔だったのは、ヒノエくんが原因なんだよ?」
「本当かい? それは嬉しいね」
 真っ直ぐに紡がれる好意が嬉しくて、ヒノエは愛しさのままに望美を抱きしめる。
 望美も力強い腕のぬくもりを受け止め、また自らもヒノエの背に腕を回した。
「ふふっ」
「? どうしたんだい?」
 いきなり笑い出した望美を、ヒノエは不思議そうな顔で覗き込む。
「ヒノエくんの心臓の音。そこの石に落ちる音と一緒」
 二人の側で、屋根から落ちた雨雫が庭石に当たって、鼓を叩くような音で鳴いている。
「ふふふっ。何だか面白い」
 望美はくすくすと笑って、ヒノエの胸にますます頬を寄せた。
「……そんなに面白いかい?」
 少し苦笑を含んだ吐息が聞こえる。きっと戸惑っているのだろう。証拠に心臓の音が少しだけ早くなった。
「なんだかズルイね。オレもお前の鼓動を感じたいよ」
「ダ〜メ」
「どうして?」
「だって、私がすっごいドキドキしてるのがバレちゃうもん」
 くすぐったそうに見上げられて、ヒノエも笑い声を立てる。望美ももっと笑って、二人の軽やかな声が別当邸の濡れ縁を満たした。
 どちらともなく声が収まると、望美は再びヒノエにくっついて呟く。
「…………静かだね」
「あぁ、そうだね」
「こんな日は、世界中に私たちだけみたい」
「……望美」
 いつか京邸で交わした戯言を口にする望美に、ヒノエの表情が少しだけ曇る。
 目ざとくそれを見つけて、望美はヒノエに向かって強気な笑みを浮かべた。
「あ。心配してる。……心配しなくても、私は月に帰ったりしないよ? だって私の帰る場所は月じゃないもの」
「望美」
「私の帰る場所はヒノエくん、あなたの隣。だからどこにも行かないよ」
 挑むように言われた言葉に、ヒノエの瞳が細められる。
 そして腕の中の彼女を壊さないよう、そっと。しかし力強く抱く。彼女が微笑んで瞳を閉じるのを見て、その唇に己のを重ねた。
 雨に包まれた二人だけの世界。夢のような世界だが、感じるぬくもりが夢でない事を告げる。
 何度も求めて、濡れた唇を離した。
「……やっぱり、お前は月に住まう天人みたいだね」
「またそう言う……んむっ」
 不満げに眉を寄せる望美の唇にそっと人差し指を添えて黙らせ、ヒノエは笑う。
「だって、お前はいつだってオレの願いを見通す。──龍神の神子は千里眼を持っていないはずなのにね。ねぇ、どうしてそんなにも、オレの求めている言の葉がわかるのかい?」
「……そんな事言ってたら、私にとってはヒノエくんの方が不思議だよ。私が落ち込んでたりした時だってすぐ気づくし。この間だって、隠れて驚かそうとしてた事に気づいてたし……」
 ついこの間考えていた企み事が早々とバレてしまったのを思い出して、望美はついつい唇を尖らせ、拗ねる。
 ヒノエもその時の事を思い出し、くすくす笑った。
「それは仕方がないな。オレはいつだってお前を見てる。小さな変化でもすぐに気づくくらいに、ね」
「私だってヒノエくんを見てたいよ。だけど、ヒノエくんはお仕事で邸にいない方が多いし……だからってお仕事の邪魔したくないしっ」
 彼の立場は誰よりもよくわかっている──わかっているつもりだ。邪魔をしたくないし、するつもりもない。でも本当は寂しい事を、彼には知っていてもらいたい──知っているだろうけど。
「だから、その分私はヒノエくんの事を考えるんだよ。だから……ヒノエくんの欲しい言葉がわかる……んだと思う」
 威張りぎみで紡がれていた言葉が、だんだんと自信なさげに小さくなっていく。
 だってやっぱり私の想像だし。ヒノエくんが欲しい言葉は、他にもあるかもしれないし。
 そう思って望美は少しヘコんだが、唐突にヒノエに抱きしめられて瞳を白黒させた。
「わっ!!」
「──やっぱり、お前って……っ!」
「わ、私っ? な、何?」
 オドオドしながら先を促す。期待と怯えが半分ずつ混ざった緊張の顔。
 そんな望美の可愛らしい様子に、ヒノエは溢れるほどの笑みを浮かべ、極上の声で告げた。
「サイコーな妻だよ!!」
 心からの賛辞に、望美の表情にも大輪の花が開くような笑みが浮かぶ。
「なんてったって、サイコーなヒノエくんの奥さんですから!」
 二人の笑い声が雨音に混ざって、しばし濡れ縁には雅やかな神楽が響き渡った。

 

〜あとがき〜
 にじいろ歌留多弐枚目に投稿した駄文。
 とりあえず、この二人は梅雨だろうが何だろうが、いちゃいちゃベタベタしてなよ!と思って書きました(笑) 梅雨でジメジメしてても、こいつらはいちゃいちゃベタベタしていればいい! みたいな。
 八葉の仲間とかが近くにいたら鬱陶しいとか思ったかもしれませんが、雨の降る世界にはこの二人しかいないので全然問題なしです。
 とりあえず、このバカップルめ!みたいな感じでご容赦願えれば嬉しいです。

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