花 酔 い

 その言葉を受け取ったのは今日の朝の事。
『で、出来たらでいいんだけどね、できたら……今日は、今日中に帰ってきて?』
 めったにされないお願いをされたので、頑張って彼女の希望通り帰宅してみれば、彼を出迎えてくれるはずの愛妻は夢の世界へ出かけていた。
 結婚をして数日。その直前まで熊野を留守にしていたツケもあって、ここのところの帰宅は日付を跨いでから。
 そろそろ新妻との時間を取りたいと思っていたし、それに、そんなに可愛らしくお願いをされてはヒノエに拒否できる訳が無い。
 だから今日は結構……いやかなり頑張って仕事を片付けたのだ。それなのに、待っていたのはこんなオチだとは。
 全く。奔放な妻を持つと、いつも驚かされる。
「姫君にも困ったものだね」
 思わず苦笑が零れる。でも別に不快な気持ちではなくて、この時間の贅沢さを実感できるような気分だ。
 ヒノエは酒盃の前で横たわっている望美の横に、片膝をついて腰を落す。
 晩酌の用意を準備万端整えて、今まで待っていたのだろう。でも待ちきれずに座ったまま眠ってしまい、そのまま横に倒れこんだ。望美はそんな風に横たわって、健やかな寝息を立てている。
「それにしても……どうするかな」
 今日という事に拘っているようだったから、気持ちよさげに眠る彼女を寝所に運ぶべきか、それとも起こしてやるのがいいのか迷う。
 花の笑顔でおかえりと言って欲しいとも思うが、寝顔もまた可愛らしいので本当に迷う。
 頬をくすぐっている髪をよけてやると、夢の中にいる望美はくすりと笑った。その唇が何かを紡いだようだったから、ヒノエはその口元に近づいて耳を澄ます。
「……朔、ほんと……? じゃ、八葉…み、んな、にも……」
 どうやら起きた訳ではなく、まだ夢の中で遊んでいるらしい。しかも、朔や八葉の男共と一緒みたいだ。
 朔はともかく、八葉も一緒というのはちょっと面白くない。戦の世では皆の龍神の神子であったけれど、今は自分だけの姫君であるはずなのに。
 そう思って、思わず忍び笑いを漏らす。自分はこんな些細な事に心を動かすような男だったか。望美を相手にすると、子供に戻ってしまったかのように妬いてしまう。
「オレを置いて、どんな夢路に通っているやら……」
 さらりと床に流れる髪を弄んでいると、桜色の唇が再び開く。
「べんけ…さん、…………どこ…に居る、の……?」
 どうやら、望美は夢の中で弁慶を探しているらしい。
 これを聞いた瞬間、ヒノエはあからさまにムッとした。
「……ふーん」
 実に面白くない。夢の中の望美が八葉と居るのは、百歩譲ってまぁ善しとしよう。でも、よりによって弁慶を探さなくてもいいじゃないか。何かにつけて甥で遊ぼうとする弁慶の顔を思い出して、ヒノエは思い切り顔を顰めた。
 もう、起こしちまおうかな。
 だって夢とはいえ、このまま望美に弁慶を探させておくのはいい気分じゃないし。
 大体、このままだと今日が終わっちまうじゃないか。望美は今日という事に拘ってたんだから。
 そう思って彼女の手を伸ばすと、突然望美がふわりと微笑んだ。
「…ヒノエ……くん」
「!!」
 大輪の花がほころぶように。
 寝言だから途切れ気味ではあったけど、ヒノエの名を呼ぶその声はどんな鳥の鳴き声よりも可憐で。
(……不意打ちだぜ……)
 彼女へと伸ばしていた手を引き寄せて、ヒノエはそのまま額を抑える。頬の温度が上がっているのが自分でもわかる。こんな顔、望美にはとても見せられない。
 心地のいい戸惑いを持て余しながら、ヒノエは望美の微笑みを眺める。
 と、寝ていた彼女が唐突に起き上がった。
「望美? 起きたのかい?」
 むくりと起き上がった望美に声をかけても、まだ半分夢の中にいるらしい。
 上体を起こしながらフラフラしている彼女を抱きしめ支えようと、ヒノエは華奢な腰に手を回した。
「ヒノエくんっ」
「ん?……って! うっ、わっ!?」
 ヒノエが抱きしめるより早く、望美がヒノエに抱きついてきた。予想だにしなかった攻撃に、ヒノエが押し倒されて倒れこむ。
「……っててっ。まさか姫君の方から抱きついてくれるなんてね。嬉しいけど、ちょっと驚いたかな。望美、どこかぶつけたりしてないかい?」
 抱きつかれたというより体当たりされた風情の抱擁に、小さく笑いながら問いかける。
 ヒノエの上に乗っている望美は、何がそんなに嬉しいのかと言うような笑顔で、ヒノエに微笑みかけていた。
「……姫君?」
「ヒノエくん、探したよ」
「は?」
 こういう場合、“おかえりなさい”と言われるのが普通ではないだろうか。なのに“探した”とは、一体何の事だろうか。
「望美?」
 訝しげな声で問いかけると、うっとりとした表情の望美が目を瞬かせた。
「え……っ? あ、れ……っ?」
 現状把握に思考回路が追いついてないらしい。
「……私、なにやってるの?」
 それはオレの方こそ聞きたい。
「ヒノエくん、い、いつ帰ってきたの……?」
「………………」
「………………」
 最後にそう質問され、二人して微妙な顔で黙り込んだ。
 ささやかな静寂が、ゆっくり二人の間におりてくる。




「……ヒノエくん、笑いすぎっ」
「くっ、くくくっ……わ、悪い……っ。いや、まさか……寝ぼけていたなんてね」
 堪えても堪えきれない笑いを漏らすヒノエに、望美は縮めた体をますます小さくした。
「どうりで、オレを押し倒すなんて大胆な事を、お前がすると思ったよ」
「ううぅ……恥ずかしい……」
 寝ぼけたまま抱きついて倒れこんだのに、まだ目が覚めなくて呆けた事を言ったなんて……。
 望美は恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤に染めた。顔から火が出るとはまさにこの事。それ程に熱くなった頬を手で抑えながら、望美は俯いた。
 ちなみに抱きついた訳は、夢の中でヒノエを探していて、後ろ姿が見えたのでそのまま背中に抱きついた──つもりだった。あくまで夢の話。
「で、オレを探して何の用だった訳?」
 弁慶の名前は出さないようにしつつ、ヒノエはさり気なく夢の内容を聞く。
 まだこの火照りが静まらない望美は、もうこうなったら笑い話にしようと口を開いた。
「あのね、今日ヒノエくんの──あっ!」
「こ、今度は何だい?」
 次から次へと忙しい姫君だ。そういう所も、退屈しなくて好きだけれど。
「今何時!? もう日付変わっちゃった!?」
「いや、まだ時司の鼓は鳴ってない。今日は終わっちゃいないよ」
「良かった〜!!」
 胸の中を空っぽにするくらいに大きな吐息を零し、望美が安堵に頬を緩める。
 そんな彼女を引き寄せ、ヒノエは腕の中に包み込んで説明を乞い願った。
「ふふっ、そんな可愛らしい顔をしてないで、訳を教えてくれないかい? そういえば、今日の朝に早く帰ってくるよう言っていたっけ。それと関係あるのかい?」
「うん、あのね……」
 望美は穏やかな笑顔をすぐに照れたものに変えて、そっとヒノエの頬に口付けた。
「!!」
「ヒノエくん、誕生日おめでとう!」
 薄紅に染まる頬は極上の錦。それをただヒノエの為だけに織り成し、望美は祝いの言霊を贈った。
「ヒノエくんが生まれてきてくれた日が嬉しい。ヒノエくんに会えて、本当に嬉しいの。この世界では、誕生日のお祝いってしないんでしょ? だから、どうしてもお祝いしたくて」
 ヒノエの誕生日は事情を話して湛快に教えてもらったのだとか、今日の酒肴はプレゼント代わりに手作りだとか、今日の為に準備してきたことを恥ずかしそうに語った。
 が、それを話してもヒノエが一言も紡がないので、望美は少々不安になってきた。彼の顔色を窺うように、恐る恐る見上げる。
「あの……ヒノエくん? もしかして怒ってる?」
 だってこの世界では、誕生日なんか祝わないっていうし。生まれた日は普通人に教えないというから、祝われても迷惑だったんじゃ……。
 見る間にしょげ返っていく望美に、ヒノエは慌てて言葉を発した。
「あ、いや……違うよ、望美。逆だ……」
「逆?」
「声も出ないほど嬉しいって事さ。まさか、今日という日にこんな驚きが待っていたとは……思わなくて」
 その顔が照れたように染まるのが、彼が驚きと喜びを感じている何よりの証。望美は見る間に笑顔になると、ヒノエの胸板に頬を摺り寄せた。
「ふふふふっ、驚いた?」
「ああ、驚いた。オレが生まれた日をお前が祝福してくれる。それがこんなに心躍ることだとは思わなかったよ」
 そう言って、ヒノエは望美を抱きしめる腕に力を込める。その甘い束縛に、望美もヒノエの背に腕を回して抱きついた。
 しばらく互いのぬくもりを堪能した後、ふと思いついてヒノエが言う。
「……でも、欲を言えば一つ残念な事があるかな」
「えっ? な、何!?」
「祝福の口付け。どうせなら、頬じゃなくて唇に欲しかったね」
「ええっ!!」
 可憐な唇を指で撫でると、望美は面白い程うろたえて仰け反った。
「えっ、やっ、その……そ、そう思わない訳じゃなかったけど……何て言うか……照れくさくて」
「何を今さら。まだ口付けを交わしてないならまだしも、婚儀も挙げて、熊野での生活にも慣れてきたっていうのにさ?」
「いや、それはそうなんだけど……」
 でもやっぱり、自分からキスするのは恥ずかしい。自分はヒノエと結ばれた事が今でも信じられない程、奥手な恋愛初心者なのだ。
「でもさ? 今日のお前は、オレを祝福してくれる為にあるんだろ? それに……何て言ったっけ? プレゼント? お前、オレの為に色々用意してくれたんだろ? その一つだと思ってさ」
「う〜……っ」
 そうまでねだられて、ここで拒否するのは意気地なしだ。そう思ってしまう負けず嫌いの自分が憎いと思いつつ、望美はしばらく逡巡してから顔を上げた。心臓がやかましいくらいに高鳴っている。
「……じゃ、目、閉じてて……」
「ふふっ、了解」
 望美に言われた通り、ヒノエは瞳を閉じる。
 胸板に望美の手が添えられるのを感じたと思ったら、唇にも、柔らかい羽根のような口付けが落とされた。
 直前までの恥じらいとは裏腹に、名残惜しげにぬくもりが離れていく。
「……やっぱ、照れくさいね」
 そう呟く望美の顔が、何より幸せそうで。
 彼女の八重のような微笑みに、ヒノエは心底心を奪われたと思った。
「改めて、ヒノエくん、誕生日おめでとう」
「……ありがとう」
 勝手に頬の温度が上がってしまうのは、望美の照れが移ったとしか思えない。
 らしくない程赤面しながら、ヒノエはこの幸せを噛みしめた。
「ふふっ、珍しいね、ヒノエくんがそんなに照れるなんて」
「仕方ないね。お前はいつでもオレの予想を上回るから……。お前のささやかな言動一つ一つが、こんなにもオレの心を躍らせる」
 桜色の頬に手を添えて、ヒノエは彼女の唇を引き寄せる。
「望美、お前の祝いの言霊、確かに受け取ったよ。──ありがとう」
 今の気持ちを口移しで伝える。慈しみながら深く、濃厚な口付けを交わした。
「どういたしまして」
 照れた笑顔は、何ものにも変え難い極上の綾織物。
 その宝物がいつでも自分の側にあると実感できるから──。

 君が生まれてきた事に感謝を。

 

〜あとがき〜
 罠日に生まれた某生足頭領へ、誕生日創作です(ここまで書いて某はないだろー)
 先月出した本が無印EDが舞台だったもんで、今もちょっと引きずって無印EDです。って訳でもないんだけど、気分的にそんな感じで書きました。
 いやはや、せっかくエイプリルフールが誕生日なので、いっちょフザケた事でもするか! と、4/1〜2の間入り口をフザケた仕様にしておりました。
(頭領の誕生祝い創作⇒うっそー!(爆)⇒ムカついたので、水蓮に石を投げる(笑)なんて事をやってました/爆)
 その仕様時に閲覧された方、エイプリルフールって事でヒトツ、お許しくださいませ〜。

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