おもいでの手のひら

(……なんだか…体が重いわ……)
 ひんやりと冷たい濡れ縁を歩きながら、朔は重い吐息を漏らした。
 ここ数日は熊野川の氾濫の原因を突き止める為にあちこち調べたりしたから、その疲れが出ているのかもしれない。
 なんとなく心当たりがあるものの、その探索が難航している以上、まだまだ気を引き締めてかからなければ。改めて気持ちを固め、胸の内から重い気分を振り払おうとする。
「あっ、朔っ」
 渡殿を反対側から来た兄が、朔のため息を見て声を上げた。
 渋い顔で近づいてくるのを、朔は不思議そうな顔で見上げる。そんな朔を見て、景時はますます眉間にシワを寄せた。
「兄上?」
「……朔、熱あるでしょう?」
「えっ?」
 今の重いため息を見られていたのかと、朔はぎくりとした。
 だが、せっかく気合いを入れ直したばかりなのだ。それに景時に知れると、望美たちにも心配をかけてしまう。その考えに至り、朔は気丈に答えた。
「いいえ? 別に、いつもと変わりません」
「それ、ウソでしょ〜。だって目が熱っぽそうだよ?」
 景時に言われて、朔は少なからず驚いた。確かに体は怠いが、外には出してないつもりだったのだ。朝顔を洗った時も、水鏡に映した表情はいつもと同じだったのに。
 朔が目をぱちくりさせている間に、景時は朔の額に手を当てた。
 手のひらに感じるのは、常の体温とは言い難い熱さ。
「やっぱり。ダメじゃないか、無理しちゃ〜」
 触診で確信を持たれては誤魔化す事もできず、朔は苦い顔をする。
「大した事はありません。すぐに治りますから、どうか望美たちには内密にしてくださいませ」
「そんな事言ってもさ〜、悪化したら大変だよ? ただでさえ朔は、疲れると熱出しちゃう体質なんだからさ〜」
「……でもっ、望美が京の為に頑張ってくれているのに、私が休む訳にはいかないでしょうっ」
 断固と言う朔に、景時はどうしたものかと頬を掻いた。
 景時に知られたせいで、思ったよりも消耗している自分を自覚したのだろう。朔の頬はほんのり色付き始めてしまっていた。
「でもさ〜。ちゃんと休まないと、悪化したらさらに迷惑かけちゃうでしょ? 望美ちゃんだって、朔が倒れたら驚くだろうし、心配すると思うよ〜?」
「それは……そうですけど。……でも」
「う〜ん。じゃあさ、今日は用事があって出かけたって事にしといて休みなよ〜。これなら望美ちゃんたちにも心配かけないでしょ?」
「………………」
 そう言っても渋る妹に苦笑し、景時は最終手段に出た。
「それでも休まないって言うなら、望美ちゃんたちに朔が熱出した事言っちゃうからね? そうしたらきっと、望美ちゃんも白龍もすごく心配するだろうな〜」
 望美ちゃん優しいからな〜。きっと調査をお休みにして朔の看病するとか言い出すかもしれないな〜。などと大げさなほど嘆いてみせる兄に、朔はとうとう折れた。
「……わかりました」
 どのみち景時に知られてしまった時点で、こうなるだろうと予測はできていた。実際にこうなった以上、これ以上の抵抗は無意味だ。
 渋々ながらも頷いた妹に、景時はにこりと笑って頭を撫でる。
「はい。よくでしました〜」
「兄上! もう! 子供扱いしないでくださいませ!!」
「えっ、あっ、ゴメンね? そんなつもりはなかったんだけど……」
 怒れば途端にしゅんとする景時に、朔はなんだか懐かしさを覚える。
 しかしそれは表に出さず、なるべく平静な表情を保ちながら、休む事を告げた。
「とにかく。私は休ませていただきますから、望美たちには知られないよう、兄上も漏らしたりしないでくださいね」
「御意〜ってね!」
「……もぅ」
 どこまでも軽いノリの兄に、朔は仕方のない人、という風に苦笑を浮かべた。
 口には出さないけれど、こういう時の景時の軽やかさは頼りになる事を知っている。兄に任せておけば大丈夫だと、朔はこっそり安堵の吐息を漏らしたのだった。




 近くに人の気配を感じて、部屋で横になっていた朔は目を開けた。
「……兄上?」
 茵の横には景時の姿が。それを見とめて、朔はぼんやりとした声で名を呼んだ。
「あっ、朔! 起こしちゃった? ご、ごめんね。す、すぐ出ていくからっ!」
 無断で妹の寝所に入った事に気まずさを感じて、景時は焦った様子で持っていた盆を置こうとする。が、焦っているので盆上に置いた薬壺などを倒し、余計に慌てた。
「あっ! あぁ〜っ!」
 そこには朔を休ませる為に柔らかな脅しを口にした兄の貫禄は微塵もなく、まるで主人の為に働いたのに逆に迷惑をかけてしまった子犬のようだ。
 しょんぼりしている景時にくすりと笑い、朔は兄の着物の袖を引いた。
「構いません」
 熱にほんのり桃色の頬で、自分を見上げてくる妹。その様子にうっかり見とれて、景時は拾ったばかりの薬壺の中身をまたぶちまけた。
「あっ!! あぁ〜……」
 しょぼくれながら、また丸薬を拾い始める。
 その作業をしながら、景時は先程の朔の笑顔を思い出して微笑んだ。
(朔もキレイになったなぁ。小さい頃はあんなにお転婆姫だったのに……)
 一緒に過ごした記憶は少ないが、その僅かな記憶の中で朔はいつも景時の後ろを追い掛けてきた。そして精一杯景時の真似をして遊び、疲れて、それで熱を出す。
 その度に景時は母に怒られ、そして詫びを兼ねて妹の見舞いに行くと、やっぱり朔は嬉しそうに笑ったものだった。──今のこの笑顔のように。
「なんだか、昔に戻ったみたい……」
 景時の懐かしむ気持ちが伝わったのか、朔も目を細めて言う。
「そうだね〜。あの頃は本当にお転婆だったからね、朔は」
「……もぅ、それは忘れてください」
「あはは〜。でも忘れるのはちょっと無理かな。大切な妹との思い出だもんね〜」
 照れて頬を膨らませる朔に、そんな仕草さえも懐かしいと感じて景時は和やかに笑う。
 そしてふと思い出したように、盆を振り返った。
「あっ、そうだ。弁慶から熱冷ましの薬を貰ってきたんだけど、飲める?」
「えっ?」
「あっ、大丈夫! 朔が具合悪いって事は誰にも言ってないからさ〜。熱は早く下げたほうが朔も辛くないだろうし。飲めたら飲んだ方がいいでしょ? あっ、なんならお祓いしようか?」
 白龍の神子の浄化能力には適わないものの、陰陽の術を学んだ景時も、体に触れた穢れを取り去る術の心得がある。
 妹の身を案じ、自分に出来る事をアレコレ模索している景時に、朔はゆっくり起き上がってから言った。
「そこまでしていただかなくても大丈夫です。……その薬、いただけますか?」
「えっ? あっ、はいはい〜ちょっと待ってね〜今すぐ……あっ、やばっ」
 朔の世話がやけるのがそんなに嬉しいのかと思うほど、景時はご機嫌で盃に水を汲む。その水を溢しそうになっても、そのご機嫌さは変わらない。
「……もぅ、兄上は変わりませんね」
 小さい頃の記憶は朔の中にもある。
 せっかく煮詰めた薬湯をぶちまけ、もう一度用意するはめになったり。
 退屈しないようにと戯けて見せ、笑わせ過ぎて逆に朔の具合を悪化させてしまったり。
 物語を読み聞かせてくれた事もあったが、景時が同じ物語しか読めなかったせいで、途中で眠ってしまったり。
 その記憶の中の景時と、今の景時は面白いほど重なった。
「えっ、そ、そうかな〜? 結構成長したと思うんだけど……?」
「いいえ、変わりません。不器用な所も、お調子者な所も。……優しい所も」
「朔?」
「……少し、あの人に似ています」
 今は亡き想い人の姿を思い浮かべ、朔は微かに笑う。
 珍しく自分から黒龍の事を口に出した朔に、景時は少し戸惑いながら話題を変えた。
「さ、朔は……キレイになったね」
「そうですか?」
「うん、そうだよ。オレの妹とは思えないくらいしっかりしてるし。器量もいいし。いいお嫁さんに……あっ」
 結局黒龍との夫婦時代を連想させてしまいそうで、景時は慌てて口を噤む。
 そんな兄を見て朔はくすりと笑い、渡された熱静めの丸薬を口に含んだ。
「……また、会えるよ」
 水で丸薬を嚥下した朔に、景時は躊躇いながら声をかけた。
「兄上?」
「今すぐには無理でもさ、五行の力を整えてさ、それを怨霊を作って乱している平家を討伐して、今の世を平定すればさ……」
 そうすれば、また黒龍はまた生じる。
「その黒龍には朔の記憶はないだろうけど、きっと朔を大事にしてくれるよ。神が人に寄せてくれる心は、変わらないんだから」
 陰陽師として目には見えない力と接する事の多い景時は、力強く言う。
「……そうですね」
 真摯な景時の言葉に、朔は柔らかな微笑みを浮かべた。
「私の心も、きっと変わりません」
「うんうん。ま、その為に、朔も出来る事をしていかなくちゃね。それと、あまり無理はしない事」
「はい」
「あ、もちろんオレも頑張るよ?」
「ええ、信じています」
 景時に支えられながら朔は茵に再び横たわる。
 体を冷やさないよう、肩まで掛衣をかけてやりながら、景時は優しく言い聞かせた。
「朔、早く熱を下げなさい。色々と頑張らなくっちゃでしょ?」
「はい」
「うん、いい子だ。ゆっくりお休み」
 また子供扱いされたけれど、今度は朔は抗議しなかった。
 話しているうち子供の頃の記憶が甦り、兄の変わらない扱いを心地よく感じる。
 ふと思い出して、朔は閉じかけた瞳を僅かに開けた。
「……兄上」
「ん?」
「よろしければ……その、少し傍にいてくださいませんか?」
 朔が子供の頃、景時は朔が眠るまで、ずっと手を握って傍にいてくれた。
 さすがに今は手を握ったりはしないが、その代わりに景時は、朔の額の髪を除け、大きな手のひらで撫でた。
「御意〜ってね。お前が眠るまで傍にいるよ。だから安心してお休み」
「……はい。お休みなさい」
 古き日の思い出が、再び色をまとって流れ出す──。

 

〜あとがき〜
 いつものごとく会員制サークルに投稿したヤツですが。
 会報ではサークルのお友達と合作という形で、挿絵を描いてもらっちゃったのですようへへ。可愛いすぎる梶原兄弟が絶賛萌えでしたvv
 で、話のネタとしては、設定資料集の朔の病歴「疲れると熱を出す」って事に異常に萌えて、じゃぁ熱出してる時お兄ちゃんどうしてるかな? と妄想した結果、犯行に及びました。
 こんなやり取りがあったら全力で萌えるんだぜ!! という萌の産物。

BACK

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送