ハナタガイ
気合いの声と共に、数かずの戟が空を斬る。 その様子を厳しい表情で眺めていた忍人は、ふいに視界を横切った白に緊張を解いた。 「……咲いたのか……」 雪かと見紛うその白はどことなく温かみがあって、よくよく見れば薄い紅が入っている事がわかる。 ──来年もこうして、一緒にお花見できたらいいですね。 踊るようにひらりはらりと落ちるその花びらが、前の春忍人の耳に届いた優しい声をよみがえらせる。 かの声は忍人にとって、長く続いていた冬を終わらせてくれた声。 耳心地のいいその声と共に、春風のごとき笑顔が戯れのように忍人の心に触れては消えていく。 「……将軍? どうかしましたか?」 どこか遠くを見ている風の忍人に、すぐ隣にいた狗奴の副官がいぶかしげな顔で問い掛けた。 「いや……」 忍人は振り返り、何でもないと応えて兵の訓練に視線を戻す。 だが副官は忍人の視線の先をたどって、春を告げる花を見つけ頷いた。 「あぁ、なるほど。もう春ですな」 「………………」 副官の声色が、微かにおもしろがるような雰囲気を含んでいたのは気のせいではあるまい。 眉を寄せ忍人は咎めるような咳払いを向けたが、副官は険呑な視線を余裕の表情で受け流した。 忍人はもう一度、咳払いをして続ける。 「…………確か、次の予定は無かったな?」 「今日の訓練ですか? はい、あとは各自武具の手入れをして終わりです」 「──ならば、後を任せても支障はないな?」 「はい、ありません」 成人した狗奴の戦士の表情は読みづらいものだが、彼が内心笑っているだろうことは想像するまでもない。 一般兵なら縮み上がるであろう眼差しで睨んでから、忍人は副官に背をむけ歩きだした。 ゆく先は、彼の花の下が一番似合う少女の元へ──。 「……いないだと?」 目を閉じていても行けるほど通い慣れた道順をたどり、尋ねた先で忍人は眉を潜めた。 その視線の先では花器をかかえた兄弟子が、いつもと変わらぬ笑顔で頷いていた。 「えぇ、柊の所に。返すものや借りるものが色々あるからって。下官に言伝るより自分で行く方が早いと思ったんでしょうね。とても急いでるみたいでしたし」 主のいない執務室を振り返りながら、天照のような愛し子を思い瞳を細めて風早は言う。 しかし穏やかな風早とは正反対に、忍人は信じられないという表情を露わにし、いきりたった。 「なら君はどうしてここにいるんだ? 陛下の側付きだろう! まさか一人で行かせた訳ではないだろうな!?」 不快さがその分の眉間のしわをより深く刻んでいく。しかし風早は気にした風もなく続けた。 「まぁまぁ、そんなに目くじら立てないで。いえ、ちゃんと那岐を連れていきましたよ。俺はこの花瓶を出すように頼まれてまして……」 ほらねと言うようにのほほんとした微笑みで花器をかかげる風早。 ため息をついた忍人はお気楽な兄弟子に早々に見切りをつけ、さっさと書庫に向かって身を翻す。 「……行っちゃいましたか。千尋の事となると本当に気が短いな、忍人は。せっかくヒントをあげようと思ったんだけどね」 風早は苦笑を浮かべながら水をたたえた花器を持ちなおし、室内へ振り返る。 部屋の主は不在だが、執務机の上には先程千尋に春を告げた花が、この花器の訪れを待っているのだから。 「……いないだと?」 執務室でまったく同じ台詞を呟いていたことにも気付かず、忍人は眉間のしわをますます深くした。 「どういう事だ? 風早は確かに陛下がここにと!」 「そんな顔で睨まないで下さい忍人。それは私の方こそ聞きたい事です」 詰めよる忍人をぞんざいに押し戻し、柊が大げさなほど嘆く。 「せっかく我が君が私の元へ尋ねようとして下さっていたというのに、異国からの品が、残酷にも我が君と私の絆を引き裂いたなどと。なんという悲劇なのでしょう」 「…………素直に渡来品に負けたって言えば?」 突っ込みの声に振り返れば、眠そうにあくびをする那岐の姿に気付く。 千尋の側に付き添っているはずの姿がここにあることに、忍人の不機嫌度は否応なく増した。 「どういう事だ。君は陛下の護衛代わりに付き添っていたんじゃないのか?」 「別に……千尋にムリヤリ引きずられて来ただけさ。しかも贈り物が届いたとかで、回廊途中で荷物押しつけられて放置。僕としては、ここまで書簡を運んでやっただけ誉めてもらいたいもんだね」 那岐はめんどくさげに言いながら、適当な席を見つくろい腰掛ける。 そのまま居眠りを始めてしまいそうな那岐に、柊が嫌そうに声をかけた。 「ここで寝ないでください。君には我が君から頼まれた書を運んでもらわないといけないんですから」 「嫌だね。そこにいる職務熱心な人に頼みなよ」 「出来ればそうしたい所ですが、私とて命は惜しいんですよ。……それに、残念ながらもう手遅れですし」 「は?」 柊の嘆息に那岐が顔をあげてみれば、そこにはすでに忍人の姿は無かった。 「どうでもいいですが、忍人は陛下がどこへ向かったか知っているんでしょうかね?」 「追いかけて教えてやれば? たぶん千尋の部屋で大騒ぎしてるだろうから」 「ふふっ。いえ、やめておきますよ。導きがあるなら、忍人は我が君の元へたどり着けるでしょうし、ね」 渡来の品が着いたのなら、きっと千尋は謁見の間で使者と相対しているだろう。そう思って向かった件の間には、千尋の姿どころか気配の残りすら無かった。 ならばどこへ行ったのかとあちこち尋ね歩くうち、忍人は千尋の私室まで来てしまう。 (……まさか、客人を私室で持て成しているのか? ……いや、それは無いか) そうは思っても、他に思い当たる場所は全て回った。 もし異国の使者を私室に入れていたのなら──。 ふいに浮かんだ考えにはっとして、忍人はかぶりを振る。 その時に胸中に浮かんだ重い気持ちには、気づかないまま。 「まぁ、忍人さんやないの!」 側仕えの采女に来訪を告げると、出てきたのは千尋ではなく夕霧だった。 「夕霧、久しいな。使者とは君だったのか……」 平和な時代が訪れる前からの知り合いに、忍人は我知らずのうちにホッと息を吐く。 同時にふと疑問を感じ、僅かに首を傾げた。 「確か君は豊葦原に残って大陸の工人の技を伝え、研究しているのではなかったか?」 それが何故、使者として千尋に会いに来たのだろう? 千尋の友人なのだから、いつでも私的な面会ができるはずなのに……。 「うふふ。私の国から貴重な染料が届いたんです。それで試作品を作ってみたらイイ出来になりましてねぇ。これは是非とも千尋ちゃんに着てもらいと思って……」 言いながら夕霧は片目をつむり、悪戯のように声を潜めてみせた。 「でも折角のいい織物だしね。ちょっと仰々しくしてみたんや。その方が格好がつきますでしょう?」 だが私室で試着合戦を繰り広げてしまえば、普段とたいして変わらなくなってしまうけれど。そう夕霧は笑う。 「それで、陛下は?」 「今奥で着替えてます。采女さんたちに手伝ってもろてね」 さすがに客人である夕霧は、千尋の着替えを手伝ったりはしないようだ。異国の染物をまとった千尋の姿を想像したのだろう、夕霧は奥の間を振り返りながらうっとりと呟く。 「千尋ちゃん、綺麗におなりやろうなぁ。うふふ。忍人さんもきっとびっくりするやろね」 「………………」 何となく気まずい気分になり、忍人は腕を組み咳払いをしてみた。 彼の仕草が照れ隠しだと見抜いた夕霧は、ころころと鈴が鳴るように笑う。 その時、奥の間から出てきた側付きの采女の一人が、心なしか顔を青ざめさせながらこちらにやって来た。 「あら、どうしたん?」 「陛下に何かあったのか?」 「そ、その……」 何かと存在感のある二人の視線を一度に浴びてしまい、采女は小さくなりながら俯く。 「報告ははっきりと簡潔に言う事だ。陛下がどうかしたのか? 気分でも悪くなったとか?」 「いえ、そうではなく…………へ、陛下が逃げてしまわれましてッ!」 『はぁ!?』 思いがけない言葉に忍人と夕霧は同時に目を見開いた。 事実を告げに来た年若い采女は、自分の責ではないというのに今にも泣きそうなほど項垂れている。 沈黙はずっと続くかに思えたが、忍人は一瞬にして我を取り戻し、即座に身を翻した。 「とにかく、俺が陛下をお探してし警護する。だから君はこの事を風早に知らせてくれ。そちらの君は夕霧の相手を。その後は普段通りに」 「は、はいっ!」 忍人の指示に采女たちが動き出す。 その様子を冷静に観察していた夕霧は、奥の間の窓から飛び降りたらしい千尋を思って一人呆れ混じりのため息をついた。 「千尋ちゃん、急いではったからねぇ。びっくりさせよなんて思わないで、来てるのを教えてあげればよかったかもしれんね」 会いたい人がすぐ側にいることを。 だが夕霧のその呟きを聞きとめた者は、幸か不幸か誰もいないようだった。 橿原宮の庭院には、風とは違うわずかに弾んだ吐息の音が響いていた。 「……もぅ、訓練、終わっちゃった、かなっ?」 足に絡む裾に悪戦苦闘しながら早足で進むのは、この国の女王。 しかし今は一国の王としての凛々しい雰囲気の衣を脱ぎ、年相応のあどけなさと悪戯をした子供っぽさが取り巻いている。 荒くなってきた呼吸を整えようと、千尋はゆっくりと立ち止まり大きく息を吐く。 「……はぁ、つ、疲れた……。この衣装重いよ……」 でも急がないと、今日の役目を終えた彼の人は、どうせまた私的な訓練とかで出かけてしまうから。 「うぅ、抜け出して来たのがバレたら、また忍人さんに怒られるだろうなぁ〜」 思わず怒られる場面を想像してしまい、頭を抱えてしまう。 「……そう思うなら、なぜこのような事をするんだ?」 「えっ!?」 よく知る声に振り向けば、まさに今思い浮べていた顔があった。───しかもものすごく怒った表情をして。 「おっ!……お、忍人さん! ! な、なんで、ここ…!?」 予期していなかった邂逅に、会えた嬉しさよりもまずバツの悪さで表情が引き攣ってしまう。 「君の部屋を訪ねたら、我が国の女王陛下が窓から飛び出したという信じられない事を聞いた。その上伴も連れずどこかへ行ったと聞いて急ぎ探している所だ」 「………………」 窓から飛び出した事までバレている……。千尋の頬を一筋の汗が流れ落ちる。 そんな千尋の元へやってきた忍人は、眉間にしわを寄せたまま睨むようにして千尋を見下ろした。 「窓から飛び出すなど、軽率にも程がある。君には一国の女王という自覚はないのか? それに確か俺は、君に宮の中でも一人歩きはしないよう、言っておいたはずだが?」 「そ、その……えーと……」 いつもは見上げる彼の顔。その身長差が今は無言の圧力を伴っていてすごく恐い。 恐縮しまくる千尋に忍人はフッと笑って続けた。 「──それとも、俺の記憶違いだっただろうか?」 「き………………記憶違いじゃないです……」 普段からあまり微笑まない忍人の微笑なのに、嬉しいどころか恐怖すら感じる。これは相当怒っていると判断し、千尋は謝罪と共に正直に理由を話すことに決めた。 「ご、ごめんなさい忍人さん! その、注意を忘れていた訳じゃないんですが……」 「ですが、何だ? 覚えていたというのなら、それ相応の理由があるのだろう?」 「……お、忍人さんに会いたくて……っ!」 恥ずかしさを堪えて千尋は叫ぶ。 たかだかそんな事で部屋を抜け出したのか。軽率にもほどがある。そんな返事を覚悟していたのに、予想に反して忍人からの返事は無かった。 呆れのあまり返事をする事すらできないでいるのだろうか? 沈黙が苦しくて、千尋は俯き焦ったように続きをまくしたてた。 「だって、桜の花が咲いたんです! 忍人さんとその……一緒に見たくて。今日のお仕事も早めに終わらせたいと思ったのにアレコレ仕事が増えるし、夕霧にムリヤリ連れてかれちゃうし。早くしないと忍人さん、すぐ訓練とか見回りとかで出かけちゃうからっ! だから、その…焦っちゃって……」 一気にまくしたてたのでちょっと息切れしてしまう。 呼吸を整えるべく大きく息を吸い込んで、ふと忍人が沈黙したままなのに気づき、恐る恐る顔を上げた、 「……忍人、さん?」 視線を上げていくと、千尋の瞳に、腰に片手を当てた忍人が、もう一方の手で口元を押さえている姿が飛び込んできた。 武人の逞しい手のひらで隠れきらない目元に、うっすらと上気した色。 「まったく。君にはいつも驚かされる……」 「えっ?」 「そんな風に言われたら……怒るに、怒れない」 「えっ、あっ……」 急に気恥ずかしくなって千尋は俯く。 「くっ……」 忍人が不意に噴き出した。続いて千尋も小さく笑い出す。 春めかしい趣きにはまだ足りない庭院に二人の笑い声が軽やかに響いた。 「行こうか」 「えっ、どこにですか?」 「桜を見に。行くんだろう?」 差し出された手。よく鍛錬をする忍人の手のひらは大きくて皮が堅くて、触れるだけでドキドキする。 千尋がおずおずと自らの手を重ねるのを待って、忍人は彼女を誘ってゆっくりと歩き出した。 「実を言うと、俺も君と桜を見に行こうと、君を探していた」 「え、そうなんですか?」 「ああ。だが一足違いで君は移動した後で…………焦っていたのは俺の方かもしれないな」 知らず必死になっていたらしい過去の自分に、忍人は笑う。しかしそれは自嘲ではなく、千尋を想う故の自分を呆れ半分に受け入れる為のものだった。 「私こそ……その、約束破ってごめんなさい」 一人で抜け出した事を詫びると、忍人は穏やかに頷く。 「これからは軍の予定が終わったら必ず執務室を訪ねる。……だから勝手に飛び出していかないでほしい」 すれ違うのも一人歩きするのも二度と御免こうむりたい。 そう嘆息する忍人に千尋は不謹慎とは思いつつ嬉しくなった。だってこれから毎日彼が自分の元を訪れてくれるのだから。 「はい! 約束します!」 「…………まったく、君は……」 あからさまに嬉しそうな表情の千尋に、忍人は気楽なものだと眉根を寄せる。しかしその表情の奥では確かに微笑んでいる事を、この世で千尋だけが知っているのだった。 |
〜あとがき〜 会員制サークルに投稿した作品です。 つか、忍人さんを怒らせるのって楽しいですね(笑) 楽しすぎて、怒りの表現が過剰になりそうで困りました(爆) 今回初めて忍人さんの話を書いてみたんですが、難しいです。そしてそれ以上に夕霧の言葉遣いに悩みまくりました。あと性別の扱いとか(爆笑) |
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