言の葉
庭を彩る花々が夏の色に変わる季節。 日々玄武の呪詛を探す事に奔走していたあかね達も、その日一日は休養を取る為に、静かな朝を迎えていた。 あかねは爽やかな風の通る簀子で、一人折り紙を折っていた。 そんなあかねの耳に、女房達の歓声とこちらに近づいて来る足音が聞こえて来た。 それでも手を止めず一心に折っていると、後ろからそっと大きな掌で視界を遮られる。 予想に違わぬ侍従の香り………。 「おはようございます、友雅さん。」 「おや、ばれてしまっていたか。」 隠れ鬼で見つかってしまった子供のような物言いだったが、声はそれに反して嬉しそうだった。 「おはよう、神子殿。」 名残惜しげに離れる直前、悪戯な指が耳朶を摘む。 あかねは擽ったさにびくりと身体を震わせると、恨みがましげに振り向いた。 それを微笑み一つで躱すと、あかねの手にある物を珍しそうに覗き込んだ。 「何をしているんだい?」 「藤姫の誕生日が六月十五日だって聞いたんです。私、お金も持っていないし、上げられるような物なんて何もないから、折り紙でいろいろ作ろうと思って………。」 「誕生日とは生まれた日のことかい?」 「はい。あっ、こっちの世界ではお正月に一斉に年を取るって事、藤姫に教えて貰ったから知っていますよ。でも、私の世界では当日にお祝いするんです。藤姫にはいつも助けてもらってばかりいて、何かお礼がしたかったから……。」 友雅は出来上がったばかりの鶴をひょいと摘み上げて、ほう、と感心しながら眺めた。 「良く出来ているね。神子殿は素晴らしい特技をお持ちだ。」 「私の世界の子供なら誰でも知っていますよ。ほら、これが(奴さん)で、これが(馬)と(帆かけ舟)なんです。……見えるかなあ。」 簀子に広げられた料紙で出来た蝉や魚を見て、友雅は目を細めた。 「こんな素敵な物を贈られたら、藤姫はきっと泣いて喜んでしまうね。なんとも羨ましいものだ。」 意味ありげな悩ましい流し目で見つめられ、あかねの胸は大きく脈打った。 「実はね、私の生まれた日も水無月なのだよ。」 「ええっ、嘘!何日ですか?」 「十一日だよ。」 「嫌だ!もうすぐじゃないですか。友雅さんて、秋か冬だとばかり思っていたから。」 どうしようと、おろおろするあかねの様子に苦笑した。 「ふふ、気を遣わなくて良いのだよ。今更、生誕の祝を行う年でもないしね。」 「でも友雅さんにもたくさんお世話になっちゃってるから、何か私に出来る事があれば良いんですけど。」 「それでは不思議な力を持つ可愛らしいこの手に、触れさせて頂こうか。」 考え込むあかねの手を取り、じっとその細い指と桃色の爪を見つめていたが、ふっと微笑んでそこに唇を落とした。 「……………!」 突然の行為に固まるあかねを見て、愉しそうに笑った。 我に返ったあかねが羞恥の余り、友雅の胸を叩こうと拳を振り上げた刹那、さぁっと吹いた微風に折り紙が宙に舞った。 「あっ、飛んじゃう。」 折り紙を追いかけて走り出すあかねの姿が、友雅の目に一瞬消えてゆくように映った。 「神子殿っ!」 あかねが最後の折り紙を捉まえるのと、友雅があかねの身体を捉まえたのは同時だった。 後ろから華奢な身体を、強く強く抱き締める。 「友雅さん………?」 常ならぬ友雅の様子に、戸惑いながら問いかけた。 「君が……、消えるかと思った。」 あかねの肩越しから零れる翠色の美しい髪が揺れているのは、風のせいだけではない。 それを見つめながら、あかねは廻された腕に自分の手を添えた。 「大丈夫ですよ。私、何処にも行きません。皆でこの京を救うって決めたんだもの。それまでは消えたりしません。」 では全てが終わったら………? その先を、友雅は聞けなかった。 あかねも言えなかった。 もうじき全てが終わる。そして元の世界に還る。 何もなかったように………元に戻る。 この胸に灯った恋情も灯火を吹き消すように無くなるのだろうか。それとも消えない痛みとなっていつまでも残るのだろうか。 あかねの眦に一滴(ひとしずく)の涙が浮かんだ時、友雅が低く掠れた声で囁いた。 「神子殿、……欲しい言の葉があるのだよ。」 「言葉……?」 けれどもそれは口には出来ない…、決して言わせてはいけないものだ。 友雅は唇を歪めると、そっと腕を解いた。 振り向いたあかねの髪を梳きながら、努めて明るく微笑む。 「ごめん、冗談だよ。私の言ったことは忘れてくれて構わないから。」 そのまま階に向かい、藤の花が咲き始めた庭に目をやった。 何事もなかったように立つ背中が、自分とはつり合いの取れない大人だと言っているようで、あかねの心に寂しさと苛立ちが沸き起こった。 少し前、夕闇の吉祥院天満宮で言われた言葉が、再びあかねの心に突き刺さる。 「友雅さんは…狡い。」 低く零れた声音に驚いて振り向くと、あかねは俯いて拳を握り締めていた。 「忘れられるわけ……ない。友雅さんの言葉を、私が忘れるわけがないじゃないですか。だって…こんなに……。」 こんなに好きなのに………。 ぽろぽろと零れる涙を見られたくなくて、更に頭が深く沈む。 微かな嗚咽を耳にして、友雅は堪らずあかねを抱き寄せた。 胸に縋りついて声を殺して泣く彼の人の髪に頬を埋めて、ゆっくりと息を吐き出した。 「すまない……。強く…深く想っているのは私だけだと思い込んでいたようだ。」 両の掌で頬を包んで上を向かせると、流れる雫を唇で掬いそのまま戦慄く唇へと重ねた。 柔らかな感触を堪能するように幾度も啄ばんでは離れる。 泣いて火照ったあかねの頬に、別の熱がじわじわと浸透して来た。 「もしも……、君が忘れていなかったら…それでも良いと思っていたら……、私の誕生日に君の言の葉を贈ってくれまいか。」 「でも…友雅さんが欲しい言葉って何ですか?」 「それはその時、君が心に決めた言葉で良いのだよ。」 判らないと言うように見つめて来る瞳に、いつもの涼やかな微笑で答えた。 「どんな言葉でも良いんだ。君の選んだ答えなら………。」 息も止まる程に抱き締められて、あかねはその言葉の意味を考えながらも、彼の人の香りと温もりに酔いし入れた。 そして運命の六月十日、二人は藤姫や八葉と共に、最後の決戦に挑んだ。 「こんな所にいたのか?」 前夜から続く宴を脱け出したあかねは、一人西の対の階に座っていた。 「ふふ、天真君も宴会を脱け出して来たの?」 「ああ、ここの奴等ってタフだよなあ。まだ飲んでるよ。」 天真は寝不足の身体を、簀子にごろんと横たえた。そのまま暫くの間、心地良い床の冷たさに目を閉じて浸っていた。 「……いつ、帰るんだ?」 天真の言葉に、あかねはびくりと肩を震わせた。 「明日まで待って欲しいの。……良いかな?」 申しわけなさそうに言うあかねを見て、天真は溜め息を洩らした。 「俺達はいつでも良いんだぜ。お前次第だ。」 「……判ってる。」 でも…と、起き上がるとあかねの肩を掴んで顔を覗き込んだ。 「必ず帰るんだぜ。俺達………。」 あかねは瞠目した。天真は迷っている自分を知っている。 「此処は俺達の世界じゃないんだ。帰っちまえば夢だったと思う位の出来事になる。……忘れちまえよ。」 忘れる………? この胸の痛みも……、あの蕩けるような艶やかな微笑みも、甘い囁きも………? 「………泣くな。」 「私……泣いてないよ?」 あかねは自分の目元に触れて、漸く零れ落ちる涙に気がついた。 頭では理解している。けれども心は偽れなかった。泣いている自分に気づかないのは、辛うじて理性でその身を支えていたから。 「私…………。」 その涙に天真はあかねの答えを知った。 自分を押し殺して堪えている姿が切なくて愛しくて…、思わず肩に腕を廻して抱き締めた。 「……判った。好きにしろ。但し後悔しない方を選べよ。」 こちらの世界に来てからも、いつも天真の言葉に励まされた。 最後まで心配かけ通しだったね、とあかねは苦笑した。 「天真君、ごめんね。私、後悔したくない……。だから………。」 あかねは天真の腕の中から立ち上がると、彼の人がいるであろう対の屋に向かって走り出した。 その瞳にはもう迷いはない。天真はその後ろ姿を、隠し通した想いと共に見送った。 あかねが渡殿に差しかかった時、松明の灯された薄明るい庭で、月を見つめる彼の人を見つけた。 「友雅さん。」 ゆっくりと振り向く姿は、夜の闇を背負って優美な中にも妖艶さが増して見える。 あかねは艶やかなその笑顔に、見惚れて立ち止まった。 「あ…の、友雅さん、お誕生日おめでとうございます。」 「ふふ、ありがとう、神子殿。………贈り物をくれるかい?」 あかねは一度瞼を閉じて覚悟を決めると、友雅と視線を合わせた。 「……私の元に、残りなさい。」 常にはない真摯な瞳で紡がれた言葉。 あかねは全身から歓喜が沸き起こるのを感じた。 そして………ゆっくりと頷いた。 「私………、友雅さんと一緒に生きて行きたい。此処に残りたい。」 友雅は至福の笑みを浮かべて、あかねの身体を攫った。 「一番欲しかった言の葉を、ありがとう………。」 「友雅さんが言ってくれなかったら残れなかった。私もそれが一番欲しい言葉だったの。」 「共に生きてくれるね………?」 あかねより遙かに年を重ねた自分だからこそ、捨てられないもの、捨ててはいけないものがあるのだと判っていた。 あかねはまだ幼い。一時の恋情に身を委ねてしまう事など造作もないだろう。 だから自分から乞うては……、言ってはいけなかったのだ。 だが、どうしてもあかねを想う心が止められなかった。 理性では押さえられぬ程に、あかねに溺れてしまっていた。 これが執着を知らなかった筈の自分だとは………。 自嘲しながら喉の奥で笑うと、腕の中の少女が小首を傾げて見上げているのに気づいた。 安心させようと、額に口づけを落とす。 背徳に沈む後悔と手に入れた喜びに、友雅は一人、瞼を震わせた。 「決して後悔はさせないよ………。」 そう言うと白銀の光を仰ぎ見て、永久(とこしえ)に変わらぬ誓いと極上の微笑みを、彼の人に会わせてくれた神に贈った。 終 |
あとがき ごめんなさい、水蓮さん!(先に謝ってしまおう!)駄文を送り付けてしまいました。 橘 こもと |
管理人感想 わ〜! きゃ」〜! うひょ〜!!(落ち着け) |
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