+ LOVE 定額 +

譲と望美の場合
「先輩? お待たせしました」
 そう言って譲が教室のドアを開けると、彼を待っているはずの人は机につっぷしていた。
「……先輩?」
 近寄ってみると、かすかに安らかな吐息が聞こえる。もしかしなくても寝ているようだ。
 それをしばらく見つめて、譲は苦笑するようにそっと息をはいた。
「まったく、仕方のない人だな。せっかくいい知らせを持ってきたのに」
 そう言いながら、自分の学ランを脱いで望美の肩にかけてやる。
 陽はすでにかなり傾いていて、窓の向こうに見える海に沈もうとしていた。
 鮮やかな朱色が、望美の髪を照らしだしてほんのり光る。
「少しだけですからね」
 下校時刻にはあと少しある。望美を起こすのはそれからでいいだろう。
 さっきまでは待たせる側だったのに、あっさりと待つ側になってしまったなぁと笑いながら、譲は望美がいる前の席に横向きに座ってチラシを取り出した。
「あなたの一番愛している人をひとり決めておいてください、か……」
 それは部活が終わって着替えた後に、同級生からもらった新定額プランの広告だった。
 特定の相手との通話やメールが、どんなにしても月315円というのは魅力だ。特に自分たちの場合、家が近くなのにもかかわらず、しょっちゅう電話なりメールなりしているのだから。二人とも同じ携帯会社を利用しているのだし、申し込まない手はない。
 望美に説明できるように内容を確認し、そしてふと、譲は隣で眠る望美を見た。
(……果たして先輩は、一番に俺を選んでくれるだろうか……)
 望美の気持ちは知っている。自分の気持ちも伝えた。自分達は自他ともに認める「恋人」同士であるはずだ。
 なのに、ふと譲は不安になる。望美が知らないうちにどこかへ──自分の手の届かないところへ行ってしまうのではないかと。
「俺の一番愛してる人は、先輩なんですよ?」
 わかってますか?
 最後の一言は音にならず、唇が形作っただけだった。
 譲のつぶやきは望美の夢の中までは届かないようで、望美はなにも反応しない。先程からとかわらず、安らかな吐息が聞こえるだけだ。
 こんな風に不安になるのは、自分に自信がないからだろうか?
 目の前にはずっと、越えられないと感じていた壁があったから、無理ないかもしれないが。
 その壁は、今はもうない。
 その壁の影さえもわからなくて、その事実が自分を不安にさせるのだろうか?
 譲はくすりと笑った。
「相当なコンプレックスだったからな、兄さんは」
 自由に力強く生きている兄が、羨ましかった。
 今でもときどき、望美が自分を想ってくれるのは、兄がいないからだと思ってしまうくらいに。
「俺も被害妄想が激しいな」
 そう、自分でも呆れてしまうくらいだ。
 自分でも呆れてしまうくらいに自信がないから、望美の一番になれてないんじゃないかとか、そう考えちゃう駄目思考回路。
「……もしかして俺、先輩の気持ちはかるためにこれ見せようとしてるのか?」
 いくらなんでも駄目過ぎだ。そうまでして自分を──いや、この場合望美を──信じることができないのか……。
 なんだか無性に情けなくなって、譲はチラシを破って捨ててしまおうとした。
「──見せて」
 それを押し止めたのは望美の手。
 いつの間に起きていたのだろう。自分の手のうえに軽く添えているだけなのに、譲はぴくりとも動けなくなった。
 望美は譲の手から、チラシをさらう。
「へぇ〜。こんなのができるんだ〜。いいね」
「せっ、先輩っ!? 今の……っ」
 譲がうろたえた声を出すが、望美は気にせず聞いた。
「いつ申し込もっか?」
「えっ?」
「コ・レ。いつ申し込む?」
「いや、その……」
「なぁに? ……もしかして、私とはイヤなの?」
「そっ、そんなことは! 全然!!」
「よかった。じゃあ次の日曜でも……部活ある? あ、あってもその後に行けばいいか〜」
「あのっ。せ、先輩こそ、俺でいいんですか?」
「……他に誰がいるの?」
「えっ、いや……」
 まさか「兄さんのが」などとは言えず、口籠もる譲。また自分が望美の気持ちをはかろうとしていたなどと告白することもできず、何も言葉にできなかった。ただ、一言質問することしか──。
「……眉間にシワ〜」
「わっ」
 苦しそうな表情の譲に、望美はそっと手を伸ばして──眉間をぐりぐり押した。
「またなにか、将臣くんと比べて落ち込んでたんでしょ?」
 ちょっと意地悪そうな笑みで下からのぞいてくる望美。
 自分が何に悩んでいるかなど、この人にはお見通しのようだ。
 嬉しいような情けないような。微妙な表情で譲はつめていた息を吐き出した。
「先輩にはバレバレですね」
「まかせといて。でさ、これってどう申し込めばいいのかな?」
「えっ、本当に申し込むんですか?」
「当たり前でしょ。だって私たち、近所に住んでるくせにたくさん電話とかするじゃない。申し込めば、気がねなく電話できるよ」
「──でも、俺」
「私はさ」
 譲の言葉を遮って、望美は言った。
「譲くんは、自分に自信がないなら、気が済むまで悩んでいればいいと思う。譲くんが将臣くんの影を気にしてるの、私は知ってる。今に始まったことじゃないし、まぁ無理もないと思うから、私はいくらでも付き合うよ」
 一番のライバルだったんでしょ? と望美は笑った。
「……先輩……」
「でもね、たまには自分の手を見て。私が手をつないでるのは、将臣くんじゃなくて譲くんなんだよ?」
 望美はそう言って、譲の手を引き寄せた。
 冬色が深まるこの季節に、つないだ手はひんやりと冷たい。しかしそれは一瞬のことで、すぐに譲の温かなぬくもりが伝わってきた。
「すみませんでした」
「……それより、ありがとうのがいいなぁ〜」
 おねだりするかのように見上げてくる望美。
 譲はどこかふっきれたようにふっと笑って、うなずいた。
「ありがとうございます、先輩。……愛してますよ」
「………………私だって、譲くんだけなんだからね」
「はい」
 陽はもうじき沈んでしまうが、二人の心は、温かなままであることだろう。

 

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