それぞれの想い
「月がきれいだな……」 藤姫の屋敷。自分の部屋へと続く廊下を進みながら、天真は空を見上げつぶやいた。 「月ってこんなに近かったっけか?」 現代では月をじっくり見るなんて事はなかった。空気も澄んできれいだ。そのせいか、当たり前の自然なのにとても美しく感じる。 自然のあるべき姿に魅せられていた天真は、あかねの部屋の前を通過しようとしたときに、障害があることに気づかなかった。 「おわっ!」 何かに蹴躓き、天真は危ういところでバランスを取る。 「なんだぁ?」 なにか微妙な堅さの棒につまずいた気がする。 体勢を立て直し、足元を見るとあかねが横たわっている。 「あかねぇ!? な、なんだってこんなところに……」 しゃがみこむと、あかねが寝息を立てていることに気づく。 天真は変な顔をした。 「つか、寝てるよおい。おかげでつまずいちまったっつの! おい、あかね!」 その前に自分がちゃんと前を見て歩いていればつまずく事もなかったろうに。完全に自分の事は棚に上げ、天真はあかねを揺り動かした。 「う……ん」 あかねは少しだけ表情を動かしたが、眠りの淵から戻ってくることはなかった。 「ったく、しょうがねぇヤツ」 呆れたため息とともに天真はほほ笑む。 そのままあかねを抱き上げ、室に入って床に横たえた。 あかねの寝顔を見るのは何度目だろうか?――数える程もないとは思うが――昔よりきれいになった気がする。 それは自分がこの娘に焦がれるゆえなのか、それともこの異世界で、あかねがたくさんのものに触れて成長したのだろうか。 どちらにせよ、と天真は思う。 (俺があかねを好きなのは変わらないんだよな) しかし、この少女は現在、自分ではない男のものだ。 (でも気持ちは変わらない。好きなのは……俺の勝手だ) そう開き直ることができる自分を、天真は結構気に入っていた。 あかねが自分のことを好いてくれたら、もっと楽しいだろうし、もっと幸せだろう。だが今の位置関係も悪くないと思っている。 「う……ん……?」 布団代わりの衣を掛けてやると、あかねが身じろぎした。 そして、うっすらと目を開ける。 「あ、わり。……起こしちまったか?」 まだ覚醒しているかどうか分からなかったので、小さく声をかける。 「! 友雅さん!?」 「えっ!?」 急にあかねは覚醒し、がばっと起きざま叫んだのに、天真はびっくりした。 「あ……れ……。天真君……なんだ………」 「なんだはねーだろ。廊下で寝こけてたのをわざわざ運んでやったのに」 「え、あ、ごめん」 あやまったきり、あかねは黙ってうつむいてしまった。 室の中に静寂が降りる。 そのあかねの様子に、天真はため息をひとつつき、あかねの隣に腰を下ろしてあぐらをかいた。 「なに悩んでんだよ。言ってみ?」 「えっ。な、なんでもないよ?」 「バレバレだって。お前のポーカーフェイスほど分かりやすいもんはないんだよ。いいから言ってみろって。言っとくけど、解決策を期待しても無理だからな」 昔からの友達特有のさっぱりした言い方に、あかねは小さくほほ笑んで重い口を開いた。 「あのね……。友雅さんが来てくれないの」 聞きながら天真は"やっぱりそうかよ"というような顔をした。もちろんあかねにはわからないように。 京の生活にも慣れた今、あかねの憂いと言えば恋人の友雅のことしかないはず。 それでも話を聞いて、自分が少しでも助けになればと思う。想うがゆえの悲しい性である。 (俺ってば、損な性分………) そんな天真に気づかず、あかねの話は続く。 「ここのところ全然来てくれないんだよ。前はお仕事があったとしても夜に必ず来てくれてたのに……」 言いながら心細くなったのか、あかねはしくしくと泣き出した。 「あ、おい、泣くなって!? ったく……」 そう言いながら天真はあかねを引き寄せ、軽く背中を叩いた。 あかねは天真にすがりついて泣いた。 (これは役得っていっていいのか……?) 思いながら天真は情けない気持ちになってきた。 好きな女が自分の胸の中で泣いているのはいいが、その涙がほかの男のためとは……。 「大丈夫だって。あいつのことだから、また帝とやらと話し込んでるんだろうよ。あんまり遅くなったんで、お前を起こさないようにじゃねぇの?」 「……そうかな……?」 「ああ。どうしても会いたいんだったら、藤姫にでも頼んで夜でもいいから来いって言えばいいじゃねぇか」 「……うん」 ようやく泣き止んだあかねを床に押し込んで、天真は室を出てため息をついた。 (俺って……本当に損な性分…………) 本当にもう、ため息が止まらないくらい。 だが、結局は損な自分が気に入っている天真だった。 「天真殿。……ちょっと……よろしいでしょうか?」 「あん?」 呼び止められて振り返ると、そこには微妙な顔をした藤姫が立っていた。 雲が重くのしかかるような日だった。 振り向いた天真に藤姫の言葉は続かず、どうしたものかと黙っている。 しかたなく天真は藤姫の元まで歩み寄った。 「どうしたんだ?」 天真に改めて聞かれ、藤姫は回りを見渡し、 「その…。ここでは何ですから、私の部屋へ来て頂けますか?」 「……ああ」 自分の部屋へと先行する藤姫の小さな後ろ姿を見ながら、天真は思案した。 藤姫が自分に相談、ということは十中八九あかねのことだろう。そして今あかねのの問題と言えば友雅のこと。そう検討をつけた。 (またかよ……) 天真は歩きながら人知れずため息をついた。 「で、友雅がどうかしたんだ?」 室に入るなり、天真は先手を打って藤姫に問いかけた。 藤姫はびっくりして目をぱちくりさせた。 「ご存じなんですの?」 「いや、存じねぇよ。でもあかねがらみだろうと思ったら、そういう展開かなって」 藤姫は天真の察しの良さに感心したようだ。 そして天真に再度促されて、ようやく話を始めた。 「実は、神子様が友雅殿に文を送ったのですけれど、その返事が私に来まして」 天真がこの間進めたとおり、あかねは友雅に夜遅くてもいいから来てほしいとの文を書いた。その手紙は藤姫の使者を通じて、確実に友雅に届けられたはずだ。 そしてその返事は、なぜか藤姫の元へと届き、その内容は藤姫からあかねに伝えてほしいという伝言だったのだ。 「その文には、内裏で問題が起こってしまい、その対処に毎日内裏に参内したまま仕事をしている。神子様の元へ通う暇もなく申し訳ないと、私からお伝えしてほしいと」 「ふ〜ん」 天真はあぐらをゆっくりと解き、足を投げ出しながら言った。 「あかねにそう言えばいいんじゃねぇの? あいつだって理由があるならちゃんと諦められると思うぜ。そんなんで悲しんだりしないよ」 それを聞いても、藤姫の表情は晴れなかった。 てっきり、あかねを悲しませないように言えないでいるとばかり思っていた天真は、藤姫の様子に眉をひそめた。 「なんか……、問題があるのか?」 藤姫はどう言ったものかと、口を開閉しながら言葉を探した。 「その……友雅殿が女性の元へ通っていると、噂を聞きまして……」 「なんだと?」 「内裏の女房や近隣の姫君の元へ、夜に通っておられるのだとか……」 そういう噂を聞いたが為に、友雅の意図しているところが分からず、あかねに伝えることができないのだと藤姫は言った。 天真はようやく合点がいった。 噂はあくまでも噂だけれど、それがあかねに耳に入ったらあかねはどう思うだろう? きっと悲しむだろう。 それが藤姫からの言伝てを聞いた後だったとしたら、なおも傷つくことになるだろう。 「あのヤロウ……!!」 天真は憤りを感じて拳を強く握った。 そのとき藤姫がするどく叫んだ。 「! そこにいるのは誰ですか!?」 「!!」 柱の影に人影が見えた。御簾を通してもわかるその影は……。 その声にびくんとすくんだ人影は、足音荒く室を遠ざかっていった。 「あかね! ……ちっ、聞かれちまったか」 天真はそう毒づいて、あかねを追いかけるべく立ち上がった。 「天真殿! 神子様をお願いします!」 「ああ! ……わかってる!!」 「今にも雨が落ちてきそうだな〜」 あかねはそう言いながら、藤姫の室へ向かって歩いていた。 誰も来てくれないし、やることもなく暇である。だから藤姫の元へ遊びにいこうとしているのだった。 空気は十分な水気を含んでおり、今夜は雨になるだろうとあかねは思った。 「雷は鳴らないといいなぁ。藤姫が怖がるもんね」 つぶやきながらも歩き続けると、藤姫の室が見えてきた。 いきなり現れて驚かそうと、あかねは残りの距離を足音小さく近づいていく。 あかねが藤姫の室の前の柱に身を潜めたとき、中での会話が耳に届いた。 「内裏で問題が起こってしまい、その対処に毎日内裏に参内したまま仕事をしている。神子様の元へ通う暇もなく申し訳ないと、私からお伝えしてほしいと…」 (友雅さんのこと……? やっぱりお仕事忙しいんだ……) 聞こえてきた話の内容に、あかねは肩を落とした。 だが仕方がない。自分は、忙しい友雅にワガママを言って困らせるような子供ではないはずだ。 天真と同じように藤姫が自分を気遣っいるのだろうと思ったあかねは、藤姫の気持ちを嬉しく思いながら、そんなことないよと否定しに出ようとした。 その時。 「なんか……、問題があるのか?」 「…………その……友雅殿が女性の元へ通っていると、聞きまして……」 (えっ……!?) 声こそ出さなかったものの、あかねは聞こえてきたことが一瞬わからなかった。 「内裏の女房や近隣の姫君の元へ、夜に通っておられるのだとか……」 (友雅さんが……他の……女の人のところに……?) 目の前が一瞬真っ暗になり、あかねはよろけた。 危ういところで柱に寄りかかり、それでも頭が宙に浮いているようだった。 (友雅さんが……他の……女の人のところに…………) 頭の中でいろいろな情報と想いが渦巻き、あかねは自分を見失いかけた 「誰ですか!」 静かだが凜とした藤姫の声に、あかねははっと我に返ると、その場から逃げ出した。 なにもかもわからなくなった。 友雅の気持ちも。自分の気持ちも。 あかねは行く当てなく館内を走った。 「あかね!」 力強い手に引き留められて、あかねはよろけながら立ち止まった。 「あかね!」 肩をつかまれ、その人物の方に向き直らされたあかねは、目の前にいる人物――天真をうつろげな瞳で見上げた。 「あかね! しっかりしろ!!」 あかねの意識を戻そうと天真が叫ぶ中、あかねはぽつりとつぶやいた。 「わかってた……はずだったの………」 「あかね……?」 「こっちでは私たちの世界と常識と違うんだってこと、わかってた……はずだったのに……」 あかねの目から涙がひとしずく、そっと舞落ちた。 「友雅さんが、他の女の人のところに行くのも普通だって、わかってたはずなのに……」 いつのまにかその事を忘れていた。 友雅が、自分の耳元で愛をささやいてくれたから。 何よりも安心を与えてくれるその声と温もりで、あかねを包んでくれたから。 流れ落ちたひとしずくをきっかけに、あかねの目からは止めどなく涙が溢れてきた。 声を押し殺して泣く。 「あかね、泣くな。あんな男なんか忘れちまえって。京の常識だろうがなんだろうが、好きな奴を一人に絞れないような奴なんか、恋人にしておくことない」 「忘れられないよ……」 静かにつぶやくあかねに、天真はこくりと喉を鳴らして、そっとあかねを抱きしめた。 「天真君………?」 「忘れろよ。俺が……忘れさせてやるよ。だからもう泣くな。悲しむな。……俺が守ってやるから」 「…………」 このまま天真の腕の中へ倒れ込めば楽なのだろうか? だが、自分が好きなのは……。 黙ったままのあかねの顔を、天真はのぞき込んだ。 「あかね、俺は……」 打ち明けることのないと思っていた自分の気持ちを伝えようとした瞬間、天真は腕の中で涙を流す少女を発見した。 その涙は、自分ではない男のため。 「あかね……」 「忘れ、ら、れない。こんなに苦しい、のに……好き」 最後の言葉は風の中にも消えてしまうそうなほど小さかったが、しっかりと天真の胸へ突き刺さった。 もう一度抱きしめようとしていた腕が、宙で停止する。 あかねは天真の腕の中をするりと抜け出て、走り去ってしまった。 「あかね…!」 それを寸でのところで引き留めることができなくて、天真は延ばした腕を見つめながら舌打ちした。 にわかに追いかけるべきかの判断がつかない。 そんな天真の頬に、降り始めた雨が風に乗って一滴舞い降りた。 きっと屋敷の外に行ってしまったであろうあかね。このままだと濡れて風邪を引く。 「くそっ」 天真はおもしろくなさげな表情を浮かべて、あかねのあとを追うべく走り出した。 室の外にたたずむ友雅に、御簾の内から静かな女の声がかけられた。 「少将様、お待ちしておりましたわ。そのようなところに立っていないで、こちらへいらして下さいませ」 友雅は少しばかり驚いたが、一つため息をつくと御簾を閉じた扇で押しのけ中に入った。 「どうして私がいると分かったのです、栞姫?」 栞姫と呼ばれた女は顔を隠していた扇を閉じ、友雅の方を見た。 「風が貴方の香りを届けてくれましたから」 「覚えていたのですか?」 意外そうにつぶやく友雅に、栞姫は小さく笑って言った。 「忘れる女性などいないでしょうね。一度は貴方と睦言を交わした者ならばなおのこと……」 友雅は苦笑した。 「それはそれは……」 「酒の席をご用意しておきましたの。こちらへ」 誘われるままに一歩踏み出しかけた友雅は、はっと我に返った。 「栞姫、今宵私は……」 「…………存じ上げております」 小さい女の声だったが、その音は凛として響き、友雅の言葉の先を奪った。 「別れを……告げに来たのでしょう?」 友雅を見つめる栞姫の瞳が寂しげに揺れた。 「どうか半刻だけ。哀れな女に最後の時間をくださいませ」 「栞姫………」 友雅は一つ深呼吸をし、請われるままに酒の席に近づいた。 腰を下ろし、脇息にもたれかかると、栞姫が近づいてきて杯に酒を満たした。 ふわりと優しい香りがする。なつかしい香りだ。 かつてこの香りに、戯れのような愛を語らったことがある。 友雅は懐かしげに目を細めた。 「どうしてご存じだったのですか?」 私が別れを告げに来たと。 視線でたずねられ、栞姫は銚子をコトリと置いて言った。 「噂を聞きましたわよ、今までお付き合いした方のところへ現れていると。女房の噂話は、どんな伝令よりも早いのです」 「それは……怖いですね」 くすくすと笑いながら紡がれた言葉に、友雅の苦笑してあいづちを返した。 「私の所へいらっしゃるのはいつも望月の日でしたから」 だから、今宵来ると思って。 そう言って栞姫も杯を口に運んだ。 なにもかもが懐かしい。 この姫は変わっていない。昔のまま、察しが良く頭の良い女性だ。 自分が世界を冷めた目で見ていることを知りながら、同じような睦言を返してきた姫君。 昔の自分を見ているようだ。そう友雅は思った。 栞姫が、空になった友雅の杯に再び酒を満たした。 「栞姫……」 今日自分がここに来た理由を果たそうと、友雅が口を開いたとたん、それは女の細く白い指によって塞がれた。 「わかっています。……理解しております。だから、言わないで……?」 栞姫は友雅の胸板に額を寄せた。 「栞姫!」 「どうか……しばし、このままで……」 その声は、少しだけ震えていた。 しばしの間すべてが止まり、静寂が降りた。 しばらくして、栞姫は頭を上げると小さくため息をついた。 「少将様……お変わりになったわ……」 「貴女は変わりませんね。相変わらず美しい」 友雅がそう言うと、栞姫はくすくすと笑って返した。 「そういうことは、一人のために取っておかれるのがよろしいわ。そのためにこんなことをしているのでしょう?」 「…………やはり、貴女には敵いません……」 友雅は参った、と言うように苦笑した。 「どんな方ですか?」 「私という闇を照らす、輝かしくも美しい月ですよ」 「それは…敵わないはずですわね。私は貴方を照らし出すことはできないわ」 同じような闇を持つ者としては。 「私たちは似た者同士だったのでしょうね」 友雅が言った。 この姫も、どこか冷めた目で見ているから。 「そうですわね。私にも照らし出してくれる月のような方が現れるといいのだけれど……」 「きっと現れますよ」 「本当にそう思っていらっしゃるの?」 「ええ、もちろんです」 そう言ってほほ笑むと、栞姫はあいまいな笑顔を浮かべた。 「そろそろお暇します」 「……はい……」 友雅は杯を置いて立ち上がったが、栞姫はその場から動かなかった。 昔からそうだった。この姫は迎えてくれても送り出してはくれない。 「お元気で」 栞姫はもう何も答えない。 友雅はゆったりとした動作で御簾を押しのけ、室を出ようとした。 「少将様」 小さく呼ばれて、友雅は立ち止まった。 だが振り返ることはなく、ただ動作を止めただけだった。 同じく先程の場所から動く事なく栞姫が言った。 「近くにいらした時はいつでもお寄りください。今度は……親しき知己として。その時には、ぜひ望月の君のことをお聞かせくださいませね」 友雅に届いた言葉は少し、震えていた。 友雅は小さくほほ笑んだ。 「……ありがとう。栞姫」 |
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