春の日の

 まだまだ寒い日がある中、しかし西国の地には京や鎌倉より早く春の風が吹き始めていた。
 邸の厨所で楽しげに笑っているのは望美と朔。
「望美、それちょっと多くないかしら?」
「え、そう? でももう入れちゃったよ〜」
 中身をかきまぜで味を見てみると案の定……。
「ぎゃ、しょっぱい!」
 思ったよりも舌を刺激する塩味に、望美が舌を出す。
 朔はそれを笑いながら、
「ふふっ、じゃぁ水を足して薄めましょうか」
 椀を手にとって水を足す朔。
 望美は情けなさそうな顔で中身をかきまぜた。
「たくさんになっちゃうね……」
「別に構わないわ。どうせ兄上がたくさん食べるわよ。余るようなら九郎殿や弁慶殿にわけてもいいし」
「うう、やっぱり私料理下手?」
「下手ではないと思うわ。ただちょっと思い切りがよすぎるわね」
 くすくす笑いながら言う朔の言葉は、責めるものではないけど真実。
 それだけに余計情けない気持ちになって望美はうなだれた。
「でも濃い味にしてしまうだけだから、慣れれば上手くいくと思うの」
「うぅ〜精進します」
 懺悔をするように両手を上げると、ますます朔が笑った。
 望美はぷくっと頬を膨らませる。
「もう、そんなに笑わないでよ!」
「ごめんなさい。でも望美、料理をするようになったのはこちらに来てからでしょう?」
「う〜ん、そうだな。お菓子作りとかはやってたんだけど、ご飯作る方は全然」
「お菓子作り?」
「うん、ケーキやクッキーなんかの焼き菓子……」
 聞きなれない単語に朔が首を傾げたので、望美は説明した。
「あ、ケーキっていうのはね、小麦粉に卵にバター……あ、牛乳を固めたもの? とかを混ぜて膨らませたもので、果物とかの飾りをのせて食べるの。クッキーは……なんていえばいいのかな? ケーキと材料は似てるんだけど膨らみ方が違うっていうか……どっちも甘くておいしいんだ」
「ふぅん。やっぱり望美の世界は、不思議な物が溢れているのね。この世界のもので作れないかしら?」
「どうだろう……? ケーキとか、誰かの誕生日にでも作ってみても……あっー!!」
 急に思い出したかのように、望美が大声で叫んだ。
 その声の大きさに、朔もまたびっくりしてしまう。
「の、望美? どうしたの?」
「……そういえば、景時さんの誕生日って…………いつ?」
 朔を振り返った望美の表情は蒼白で、まるで初めて戦に出るかのようなうろたえぶりだ。
 しかしその割には重大でない質問だったので、朔は拍子抜けしたように答えた。
「誕生日? 生まれた日のこと? さ、さぁ、いつだったかしら。今の季節だというのは覚えているけど」
「ほ、ほんと!?」
「ほ、本当よ。どうしたの望美? そんなにうろたえて……。兄上の生まれた日がどうかしたの?」
「だって誕生日だよ誕生日! プレゼントしなきゃ! お願い朔、景時さんの誕生日思い出して〜!!」
 肩をがしぃと掴まれた朔は、望美の剣幕にただただ驚くだけだった。




「……まぁ、望美の世界にはそういう習慣があるのね」
 所変わって朔の部屋。慌てふためく望美に、落ち着いて説明をしてほしいとのことで、場所を変える事にしたのだ。
 ちなみになぜ朔の部屋かというと、望美の部屋が景時の部屋の隣にあるので、望美が朔の部屋を希望したのだった。
「うん。っていうか、こっちにはそういうのないんだ……」
 風習の違いというか何というか。とにかくこの世界では誕生日を祝うという事がなされていないのに、ちょっと落ち着きを取り戻した望美である。
 でも先ほど朔は「今の季節」と言ったのだ。すなわち今日かもしれないし明日かもしれない。もしかしたら過ぎてしまっている可能性もあるのだ。
 そう思うと落ち着いている場合ではなく、望美は再び朔に迫りよった。
「で、朔。景時さんの誕生日、いつだか思い出した?」
「ちょ、ちょっと待って望美。私たち、あまり生まれた日の事を覚えているわけじゃないのよ」
「思い出せない?」
「兄上が私より先に生まれていたなら覚えていたかもしれないけれど……」
 覚えていないというより知らない。そう言外に言われて望美はがっくり肩を落した。
「景時さんのお母さんはどうかなぁ〜」
 一番の頼みの綱が白旗をあげたので、急に弱気になって望美は呟く。
 だがその景時の母は温泉に保養に出かけているので、もうしばらく留守だ。
「望美、そうがっかりしないで? 兄上に聞いてみたらどうかしら?」
 実は景時も覚えていない可能性を頭に抱いていたが、それは言わずに望美を元気づける。
 が、望美はちがう理由で首を振った。
「ダメ。景時さんに聞いちゃったら、誕生日を祝おうとしているのがバレちゃうでしょ?」
 こういうのは直前まで内緒にしておくからこそ、楽しいのだと望美は言う。
 だが誕生日自体がわからないのであれば本末転倒で……。
「……しょうかない、なんとか景時さんに聞いてみるしかないか……」
 でもそうして聞いた誕生日が、すでに過ぎていたらどうしよう。
 その時は来年のこの季節まで落ち込みそうだ。心の中でそう思いながらも、望美は大きく息を吸って吐いたのだった。




(……しかし、どうやって切り出そう?)

 鼻歌を歌いながら洗濯物を干す景時の背中を見ながら、望美は考えこんでいた。
 九郎の補佐として忙しい毎日の景時も、今日は出かけないらしい。
 邸にいる日はいつも、ご機嫌で洗濯をする景時。
 望美も普段なら我さきにという風に手伝いに駆けつけるのだが、本日は会話の切り出し方について頭を悩ませているおかげで、手伝いも忘れ、景時の背中をじぃっと見つめるだけだった。
「よし、っと」
 最後の洗濯物をきれいに干し終え、景時が満足げな声をあげる。
 空になった桶を抱えながら、景時は望美を振り返った。
「望美ちゃん、どうしたの? 何か話、あるんでしょ?」
「えっ?」
 それまで支えにしていた両手から顎を離すと、景時の笑顔にぶつかった。
「あれ、なにもない? なんだか質問したそうにしてたからさ」
 あ、バレてる。
 まぁバレるか。これだけ背中を凝視してれば。
 望美は苦笑しながら、あります。と答えた。
 景時が自分のとなりに腰をおろすのを待って、望美は直球で質問した。こんな風になってしまった以上小細工は無用。ようは誕生日を祝おうとしているのがバレなければいいんだし。
「景時さんの誕生日って、いつですかっ?」
「た、誕生日?」
 朔と同じく、拍子抜けしたように復唱する景時。
 こういう驚いた表情は、結構よく似ていると言ったら、景時は怒るだろうか? いや、朔が怒るか。
 そんなことを頭の片隅で考えながらも、望美はずずいと目を輝かせて景時を覗き込んだ。
「そうです!」
「の、望美ちゃん、どうしてそんなこと聞くんだい?」
 望美の剣幕にちょっと腰が引けている景時。
「えっ、あっ、その……っ、さ、朔に景時さんの誕生日が今の季節だって聞いたから、いつなのかな〜と思って」
「あぁ、そうなんだ」
 慌てて弁解する望美が少し距離をとったので、景時はほっとしたように微笑んだ。
 いきなり望美が近づくのは心の臓に悪い。
「誕生日かぁ、たしかに丁度今ごろだなぁ」
 景時は何かを数えるかのように指を折り曲げた。
「あ〜、3月の5日……かな?」
 源氏と平家の戦いの最中これっぽっちも思い出さなかったお蔭で、ちょっと曖昧だけど。
 なんどか数えなおして確認すると、望美が悲鳴のような声を上げた。
「ど、どうしたの望美ちゃん!?」
「それって、明日じゃないですかっ!!」
「そ、う……だねぇ」
 むしろ気になるのは、望美の顔色が蒼白なことの方で……。
「ね、ねぇ大丈夫? 気分悪いなら休んだ方が……」
「大丈夫です。そんなヒマはありませんっ」
「えっ? どうして?」
「それは……。あっ! 私弁慶さんにもらいたい薬があるんだった! ごめんなさい、ちょっと行ってきます!」
「えっ、お〜い、望美ちゃん〜?」
 状況把握にすっかり置いていかれている景時が、脱兎のごとく邸の出口に向かう望美の後姿を見ながら呟いた。
「大丈夫かなぁ。弁慶に薬を……って、どこか病気とかじゃないといいんだけど……」
 まぁ、駆けていった望美は、元気があり余ってそうだったけれど。
 そんな景時をよそに、庭の梅の花を啄ばみにきた小鳥が、楽しそうにちゅんちゅん鳴いていた。




 さて、どうしよう。
 それは二つの意味でどうしようで、一つは明日まで時間がないということで、もう一つは、無論景時にプレゼントするものが思いつかないというどうしようだった。
「ケーキを作るのもなぁ……たぶん無理だよね」
 材料はなんとかなるかもしれないが、この世界には量りがない。あるといえばあるのだが、望美のよく知っている1kg量りではないから。
 先ほども朔に大雑把すぎると言われた自分が、ちゃんとした量りもないのにケーキを作るのは自殺行為だ。
 失敗するのは目に見えているし、そんなものを景時に渡せるわけがない。
「そうするとなにか物をプレゼントするとか……」
 でも、自分はたいしてお金を持っていない。
 それに、はたして景時が喜ぶような物を、見つけられるだろうか?
 装飾品などには興味がないだろうし、珍しい食べ物も驚くほどの興味を引けるものではないだろう。
 いっそからくりのおもちゃにしてみては!? きっと面白そうに分解するだろう。……けど、一応成人として、誕生日プレゼントにおもちゃというのはいかがかと思ったりもする。
「誰か、景時さんが欲しがってるものとか知ってる人はいないかな……」
 そう思って、自分が弁慶に薬をもらうのを口実に飛び出してきたことを思い出す。
 とりあえず、望美は弁慶のところへ行ってみることにした。
 しかし弁慶は、九郎が執務をとっている邸へ行っているのだという。まぁむしろ、普段からそちらにいる方が多いのだけれど。
 望美はそのまま九郎の邸へ向かうことにする。
「こんにちは〜」
 九郎の部屋に顔を出すと、そこにはこの部屋の主しかいなかった。
「望美か、久しぶりだな。どうした?」
「弁慶さんに会いにきたんですけど、いらっしゃいますか?」
「弁慶なら対の屋の方にいるぞ。今日は客が……というか、ヒノエが来ることになっていてな」
「えっ!? ヒノエくん!?」
 懐かしい名前に、望美は表情を輝かせた。
 その様子を小さく笑って、九郎は道を教えてくれた。
「後で景時のところにも顔を出すだろうが、せっかくだ、会いに行ってやれ。そこに弁慶もいるだろう」
「はい! ありがとう、九郎さん!」
 元気よく答えて、望美は足早に歩き出した。

 

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