その胸に秘めた想いは
≪望美≫
「はっ!」 ──ぶぉん。 「やぁっ!」 ──ぶぅん。 満月の夜に、その月光を受けてきらめく光の軌跡があった。 それは剣を持った少女が、気合いと共に風を斬る音。 また一つ。また一つと光の筋が踊り、やがて舞うように剣を振るっていた少女は腕を下ろした。 「──ふぅ」 汗で張り付く前髪をよけながら、望美は深呼吸をした。 調子が悪くないかぎり毎日やっている稽古のおかげか、この頃はだいぶ剣の扱いに余裕が出てきた気がする。 しかしそれと引き替えに身に付いてしまったものを思って、望美はため息をついた。 「強くなれるのは嬉しいけど……年ごろの女の子としてはどうなのコレ?」 そういって腕まくりすると、下から現われたのは筋力がついて引き締まった腕。 そう見苦しくもないし、客観的に見ると大したことではないかもしれないが、この世界に来たばかりの頃と比べると明らかに逞しくなっているので、やっぱりどうしてもため息をつきたくなってしまう。 でも剣の鍛練をやめたいとは思わない。明日の身の上さえわからない戦国の世だ。身を守る──仲間を守る術は多いに超したことはない。 「……まぁ、ウエストとかは確実に細くなったしね」 なんて思い直して、望美は剣の練習を再開した。 月は傾き、十分な刻が経った頃になって、ようやく望美は剣を置いた。 「うわっ、けっこう汗かいたな〜」 額からは玉のような汗がいくすじか流れ、着物は汗を吸って少し重い。 持ってきた手ぬぐいで汗を拭こうとして、望美は髪をかき上げた。 「む〜っ。拭きにくい〜っ」 首筋を拭こうとしたが、汗で髪が張り付いたあげく、その長さでからまって、望美はやりにくそうに汗を拭った。 「髪……切っちゃおうかなぁ……」 望美はため息とともに、毛先を弄びながら呟いた。 長いこと伸ばしていた髪だけれど、今の自分には不要どころか邪魔である。 それに戦場ともなれば、汗だけでなく返り血なども浴びて、剣舞の動きを妨げるかもしれない。 そんな事を考えている望美の頭上から、聞き慣れた声が降ってきた。 「切るだなんて勿体ないことしないで、一つにくくればいいじゃないか」 「えっ? ヒノエくん?……どこにいるのっ?」 問い掛けの声に応えるように、近くの木の梢が鳴って、一つの影が降りてきた。 そして望美の立っている方へと近寄ってくる。 「こんばんわ姫君、望月の美しい、いい夜だね」 「……木の上が好きだね。いつからそこにいたの?」 呆れたような望美に、ヒノエはにやりと笑った。 「姫君が剣の稽古をはじめる少し前からかな。高いところに上るのは現状を把握するのに有効な手段だよ。敵の陣も、味方の陣もね」 「ここ、戦場じゃないんですけど」 見られていた恥ずかしさからか、望美は少々顔を赤くしながらヒノエをにらんだ。 ヒノエは斜に構えて笑む。 「そうかい? いや、やっぱり戦場だよ。恋の駆け引きをする戦場。ねぇ?」 そうやって流し見てくるものだから、望美はますます照れて、だがそれを悟られないようにと懸命に興味のないフリをした。 「知らない。好きにやってれば?」 プイと視線をそらして、汗を拭う作業を再開する。 しかし、じっと見つめてくるヒノエの視線に耐えきれなくなって、極力表情のない顔を装って、望美は静かに振り向いた。 「………………何?」 「いいや? 好きにしろって言われたから、ただお前を見てるんだけど?」 唇のはしを吊り上げて笑むヒノエの顔は実に艶冶(えんや)で、望美は自分が吸い込まれてしまうのではという錯覚を起こした。 「え……あ……。み、見てるだけならあっち行っててくれない? 集中できないんだけどっ」 もともとはヒノエがいた場所に望美が来たのだとか、さっき好きにすればと言ったばかりなのにだとか、突っ込みどころは満載なのだが、ドギマギしている本人は気付いていないようである。 突っ込める立場にあるヒノエは、しかしそれには興味を示さず、代わりに先ほどの話の続きを言の葉にのせた。 「それよりもさ、髪、切るの?」 「えっ? あっ、き、切ろうかなと思って。邪魔になるし」 望美が挙動不振なのにヒノエが気付いていないはずがない。ないのに、全然その事に触れないヒノエに拍子抜けして、望美はいささかぎこちなく返した。 「勿体ないよ。さっきも言ったけど、くくればいいんじゃない? まとめて結い上げれば、戦場でも邪魔にならないだろ?」 言いながら望美の髪を弄んでいたかと思うと、次の瞬間には自分の髪をとめていた紐をするりと解き、それで望美の髪を束ねてとめた。 髪に触るなと怒るべきかびっくりさせるなと文句を言うべきか、はたまたまとめてもらった礼を述べるか。にわかに判断がつかず、望美は混乱した。 頭の中でぞんぶんにパニクッたあと、とりあえず既成事実の3番目の選択肢を実行する。 「あ、ありがとう……」 「どういたしまして。オレも姫君の美しい髪に触れられて、役得って、ね」 そう言って片目をつむってみせたあと、さらにその辺の樹木から細枝と何かしらの花を手折ってきて、望美に預けた。 「?」 「こうやってさ、さらにまとめれば、切らなくても邪魔じゃないだろう?」 ヒノエはするすると器用に手を動かして、細枝を簪の代わりにして髪を止めた。そして花で飾る。 「…………いいね」 感嘆するような声でヒノエがつぶやく。 自分自身が綺麗だと誉められたような気分になってしまい、望美はさらにぎこちなく礼を言った。 「ああありがとっ」 今度はヒノエの返事がなく、望美は後ろを振り返った。 そこには惚けたように自分を見つめるヒノエ。その瞳には、自分しか映っていないかのようで。 望美は無性に嬉しくなってしまい、平然としたフリも忘れて微笑んだ。 「でも、本当にこれなら、邪魔にならなくていいね〜。みんなの足手纏いになるのだけは避けられそう」 そう言いながら望美は、足元に置いていた剣を拾い上げた。結い上げた成果を確認したいようだ。 「──ダメだ」 “みんな”という言葉が聞こえた瞬間に、ただただ望美を目で追っていたヒノエが、ポツリと呟いた。 「……ダメだよ、他のヤツなんかに見せたくない」 そして望美をそっと引き寄せ、露わになっていたうなじに口付けを落とした。 望美の瞳が驚愕に見開かれ、そして二人の刻が止まる。 夜風が衣の袖をはためかせて、その感触に我に返る。 「やっ!?」 ヒノエの腕を振り払い。2、3歩離れて後ずさる。 「な、な、な、なっ……」 首筋を押さえて真っ赤になっている望美。 ヒノエは少し困ったような微笑みを浮かべ、望美を引き寄せた手を所在無さげに握りしめていた。 「やっぱり、結い上げて戦場に出るのはやめてくれるかい?」 「なな、なん、なんで……っ?」 「お前の透き通るような首筋を、他の誰にも見せたくないからさ」 その頬が照れた時みたいに赤く染まって見えたのも束の間。瞬きをした次には、いつもの不敵な笑みをたたえたヒノエがいた。 「衣通姫の光り輝く玉肌を拝むことができたんだからね、できるなら独り占めしたい。そう思うのも無理はないだろう?」 「……〜バカっ!!」 いつも通りなヒノエが、なんだかものすごく悔しくて悲しくて、望美はヒノエに向かって手を振り上げた。 が、その手は難なくヒノエに受けとめられる。優しく、でもしっかりと掴まれている一方、望美の髪を結い上げていた細枝が、空いている方の手でするりと抜かれた。次いで束ねていた紐も。さらり、と音をたてて、望美の髪が下りた。 「やっぱりこの方が似合うね。っていうか、この方がオレの好みだから、切らないでほしいんだけど」 「──っ!」 耳元で囁きついでに頬に口付けて、ヒノエはさっと望美から離れた。望美が硬直して動けないでいる間に、じゃぁ、と言ってきびすを返してしまう。 ヒノエの姿が完全に見えなくなって、望美はへなへなと崩れ落ちた。 なんなのあれは。不意打ちも不意打ち。不意打ちで乱れ打ちだ。 ヒノエの繰り出した刄を全てくらって、望美はしばらく立ち上がることができそうにない。 「…………ずるいよ……」 呟きとともに、はたっ、と望美の手の甲に涙が落ちた。 「……ずるい、よ………………」 私だけが、こんな気持ちを抱えて、翻弄されて、一人で勝手に苦しがって。 これ以上この気持ちを大きくしたくないから、構わないでほしいのに。 ただの戯れのような言葉にすら踊らされてしまうから、私に触ってほしくないのに……。 「ずるい……っ!」 ──こんな不公平な気持ちがあっていいの? なんで私だけが、こんなに好きなの……? 抱えてる想いが重過ぎて、潰されそうだよ── |
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+あとがき+ 首筋にキスするっていいなぁと思って書きました。後ろからね、不意討ちでね(むふふ) ヒノエVerもあります。 |
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