その胸に秘めた想いは
≪ヒノエ≫

 望月の光を眩しそうに見上げて、ヒノエは木の幹に背を預けた。
 木の上でくつろいで、月光浴でもしているかのような様だが、その実彼は、神経の糸は蜘蛛のように張り巡らせ、いつでも周囲を探ってる。
 読んでいた文を元通りに畳んで、懐にしまう。
 この文は烏たちからの報告の文で、熊野の様子や、平家や源氏の内情を知らせてくる間諜文書であった。
 ひょんなところから、個人的には源氏についたが、源氏の先はまだ暗い。
 ヒノエはため息をついて、目を閉じた。
「龍神の神子……か」
 目を閉じてもなお感じられる月の光りのように、思い浮かぶのは望美の笑顔。
 戦場においては天照(アマテラス)のように、戦士たちに希望を与える光。
 舞うようなその剣舞を思い出しながら、ヒノエはふっと目を開けた。
 彼の神経に触れたのは、たった今思い浮かべていた望月の君。
 ヒノエが見ていることなど気づきもしないで、望美は剣の練習を始めた。
「よくあぁ毎日飽きないもんだな」
 毎日のように、望美は人知れず剣の練習をしている。
 ヒノエはそれに大分前から気づいていて、それからはこうして適当な木に登って、それを見ていた。
 見ていたのはなんとなくだ。烏たちがよこす報告の文を読むには人目を忍ぶ必要があったし、月光浴も嫌いではない。望美の剣の練習を見るのは、季節の花を愛でるのと同じくらいの気持ちで、なんとなく眺めていたいと思ったからだ。そう、ただの時間の過ごし方の一つだと。
 ふと見ると、眼下の望美は剣を下ろし、袖をまくりあげて力こぶなぞをつくっている。
 望美が逞しい二の腕にため息なんかついているのを見て、ヒノエは思わず吹き出した。
「おっと……」
 ヒノエは慌てて口を押さえた。望美に自分の居場所がバレてしまうのはあまりよろしくない。
 幸いにも望美はヒノエに気が付かなかったようで、もう一度ため息をついて練習を再開した。
 ため息をついてしまう腕であっても、己の技量を高める事を選んだらしい。──仲間を、守るために。
「やるね。なかなか見所があるよ、あの姫君」
 ヒノエは近くの枝に頬杖をついて、満足げに微笑む。
 彼女は強い。そして強くあることに対して貪欲だ。それほどの思いを抱かせる理由はなにか、ヒノエは知りたいと思った。
 皆を守りたい。守られるだけじゃなくて、皆を守れるような神子に──。
 いつかそう言っていた望美は、ひどく遠い場所を見つめていた。
 自分でも珍しいと思うが、望美の見つめる先にあるものが何なのか、知りたいとさえ思った。いや、その瞳で、自分を見つめてほしい、と。




「髪……切っちゃおうかなぁ……」
 そんな呟きが夜風に運ばれて聞こえてくる。
 ふっと現実の世界に戻ってくると、望美が毛先をいじりながらそんな事を呟いていた。
 ヒノエは思わず、髪を切った望美を想像してしまった。──似合わない。
 そう思った瞬間に、ヒノエは口を開いていた。
「切るだなんて勿体ないことしないで、一つにくくればいいじゃないか」
 言ってから、ヒノエは小さくため息をついた。こんな失態をするなど珍しい。それだけ、望美に髪を切ってほしくなかったのだろうか?
 あーあ。ついうっかりだね。
「えっ? ヒノエくん?……どこにいるのっ?」
 望美がきょろきょろと辺りを見回す。
 しかたない。しっかり聞こえてしまったようだから、ここは登場するか。
 ヒノエはひとつ呼吸する間に、ざっと梢を鳴らして地に降りた。
「こんばんわ姫君、望月の美しい、いい夜だね」
「……木の上が好きだね。いつからそこにいたの?」
 いつものように不敵な笑みを浮べながら近づいていくと、望美は呆れたように言った。
 そんなに木の上から登場したことがあったかなと思いつつも、にやりと笑って続ける。
「姫君が剣の稽古をはじめる少し前からかな。高いところに上るのは現状を把握するのに有効な手段だよ。敵の陣も、味方の陣もね」
 そう言うと、望美は頬を染めながら自分をにらんできた。
 その瞳には警戒の色が浮かんでいて、頑なな気持ちが垣間見えていた。いつも自分の言に惑わされて赤くなっている望美であるから、今日は流されないように、だろうか。
「ここ、戦場じゃないんですけど」
 一直線に向けられる望美の視線は、本人にその気がなくても挑まれているような気持ちになる。
 例えるなら大粒の金剛石。美しく潔癖な輝きはどこまでも人を魅了するが、その高貴さゆえに身の破滅を呼ぶ事もある。
「そうかい? いや、やっぱり戦場だよ。恋の駆け引きをする戦場。ねぇ?」
 だがヒノエにとっては、金剛石といっても美しい石の一つでしかない。逆に器を見せ付けて、溺れさせてやるのもまた一興。
 ──そう、溺れさせてやりたいのだ自分は。この高嶺の花を。輝ける光を。その光が自分だけの物になったら、どんな秘められた美しさを見せてくれるのかと。
「………………何?」
 望美が訝しげに振り返って、ヒノエははっと我に返った。
 そしていささか慌てて誤魔化す。
「いいや? 好きにしろって言われたから、ただお前を見てるんだけど?」
 自分が溺れさせてやりたいのだ。溺れるのではなく。
(溺れる? 冗談だろ、このオレが?)
 今宵の満月は冴え冴えとしていて、とても清らか。その光を受ける望美を見つめながら、ヒノエは心中で呟いた。
(……月の魔力に当てられたかな……)
 こっそりと深呼吸をすると、幾分落ち着いた。
 改めて望美を見れば、彼女は顔を赤くしてプイとそっぽを向いた。その拍子に長い髪がさらりと舞って、ヒノエの視線をさらう。
「……それよりもさ、髪、切るの?」
「えっ? あっ、き、切ろうかなと思って。邪魔になるし」
「勿体ないよ。さっきも言ったけど、くくればいいんじゃない? まとめて結い上げれば、戦場でも邪魔にならないだろ?」
 ヒノエは魅せられるように望美の髪をすくいとり、指を絡ませた。さらさらの髪は触っていると気持ちがよくて、そのまま感触を楽しみながら、ヒノエは望美の髪を一つにくくった。
「あ、ありがとう……」
 真っ赤になって礼を述べる望美。
 微笑みながらそれを受け入れ、しかしくくっただけでは味気ないと辺りを見回した。
 本当は金や銀でできた細工の髪飾りがあると良い。しかし京邸の夜の庭にそんなものがあるはずもなく、ヒノエは近くにあった植木の細枝と、隣に咲いていた花を手折ってもってきた。
「ちょっと、持っててくれる?」
「?」
 それらを望美の手に預けてから、ヒノエはくくられた望美の髪をさらに結い上げ、頭の上で止めた。花も一緒に飾れば、即席の花簪のできあがりだ。
「…………いいね」
 名も無き花を引き立て役にした、望美の美しき様にヒノエは目を奪われる。
 髪の下から現れたうなじがあまりにも艶やかで、望美が何か言ったのに、聞き取る事すらできなかった。
 何も言えないでいる自分を望美がいぶかしげに振り返ったかと思うと、次の瞬間自分をみて微笑んだ。
 ヒノエの心の臓が、どくりと鼓動を打つ。
(……マズイな)
 危険だ、この花は。
 一瞬のうちにそう判断し、目を逸らそうとしたのに、それは適わなかった。奪われたように視線が外せなくて、熱に浮かされたように心と頬が熱くて。
 望美が再びヒノエに背を向けて、足元に置いていた剣を拾った。
 不明瞭だった思考の霧が晴れ始め、何も聞こえなかった音が甦ってくる。
「……みんなの足手纏いになるのだけは避けられそう」
 一番に拾った望美の声はしかし、再びヒノエの思考をさらう。
「──ダメだ」
 自分でさえ気づかないうちに、ヒノエは言葉を紡いでいた。
「……ダメだよ、他のヤツなんかに見せたくない」
 意識の下から手が伸ばされて、望美を引き寄せた。誘われるように望美のうなじに口付けを落す。
 甘くて、危険な香りがした。
「やっ!?」
 我に返った望美が、ヒノエを振り払って離れた。
 ぬくもりが消えて、ヒノエもはっと我を取り戻す。
(──なにを、したんだ。オレは……)
 ヒノエの思考から急速に霧が晴れて、驚いたように自分の手を見つめる。この手は確かに、望美を引き寄せた手だ。
「……やっぱり、結い上げて戦場に出るのはやめてくれるかい?」
「なな、なん、なんで……っ?」
 初戦は負けたかな。ヒノエは自嘲気味に笑う。
「お前の透き通るような首筋を、他の誰にも見せたくないからさ」
 いくぶん冷静さを取り戻した頭で望美を見ると、自分が口付けを落したか所を抑えながら、驚きに口をパクパクさせてこちらを見ている。
(いや、相討ち……か)
 不適に笑って、ヒノエは続けた。
「衣通姫の光り輝く玉肌を拝むことができたんだからね、できるなら独り占めしたい。そう思うのも無理はないだろう?」
 独り占めしたいというのは嘘ではない。驚いた事に、けっこう本気だ。
 こんなに刃を簡単に晒されては身がもたないから、牽制の意味も兼ねて。それにその刃に他の男が落されないように。敵は望美一人で十分だ。
「……〜バカっ!!」
 痛そうな顔をして、望美が自分に向かって手を振り上げてくる。それを難なく受け止めて、ヒノエは空いている手で望美の髪を解いた。
 さらりと揺れて解かれる望美の髪は、枝垂れ桜にも似て──。
「やっぱりこの方が似合うね。っていうか、この方がオレの好みだから、切らないでほしいんだけど」
 耳元で囁いて、紅潮している頬に口付ける。
 さっと離れた瞬間に心が悲鳴を上げたが、それを頭から無視してヒノエはきびすを返した。
 後ろは振り返らない。振り返らなくても、目を閉じればいくらでも望美の顔が思い出せるから。
「……次は負けないよ」
 微熱を抱えた体に夜風が気持ちいい。
 望美は極上の獲物だ。食うか食われるかの刹那の戦い。
 逃がさないよ、オレが決めたから。ヒノエはにやりと笑った。



 ──こんな極上の想い、胸がどこまでも熱くなる。
          でも、覚えておけよ。溺れるのはオレじゃない。
                お前がオレに溺れるんだ。離れる事ができないくらいに──
+あとがき+
 まったく同じ場面を、キャラ視点を切り替えて書くというのは、なにげに初めてな気がします。
 上手く連動できているか心配なんですが、どうでしょうか。
 望美Verもあります。

 

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