君に咲く花 《1》
「ヒノエくん、誕生日おめでとう!」 夕闇に沈む室内をほのかに照らす灯り。 その淡い光を受けた笑顔が、言祝ぎの言葉と共に酒で満たされた提子を差し出した。 「ふふっ。ありがとう、望美」 祝い酒を受ける男もまた、微笑みを浮かべ注がれた液体でひと息にのどを潤す。 「──美味い、ね。コレ。いい酒じゃん」 「本当? よかった。今日の為に無理言って取り寄せてもらったんだ。誕生日プレゼントに、って」 気に入ってもらえた喜びから、望美は弾んだ声で空の盃を再び満たそうとする。 ヒノエはその手をそっと押さえ、そのまま彼女の頬まで昇りそっと撫でた。 「今日は遅くなって悪かったね……」 「ううん、私が勝手に待ってただけだし! むしろ、いつも忙しいのに早めに帰ってきてもらっちゃって……私こそゴメンね」 優しく触れる手にうっとりと瞳を閉じながら、望美はふるふると首を振る。 「ふふっ、お前が謝る必要なんかどこにもないよ。……そうだね、なら『待たせてごめん』じゃなく『祝ってくれてありがとう』かな?」 「ふふふっ、どういたしまして! 誕生日、おめでとう!」 本当は朝出かける前と先程とあわせて三回目の言葉。でも何度だって贈りたい。大切な人への言祝ぎは。 そしてヒノエと久しぶりにゆっくりと過ごす時間ができた事も嬉しかった。熊野に嫁いで一年。目まぐるしく動く歴史の中で、ヒノエは未だに多忙な日々を送っていたから。 「そういえばさ……」 他愛ない話の中で、ヒノエはふと思いついて顔をあげた。 「なに?」 「お前の生まれた日って、いつなんだい?」 「えっ!? わ、私!?」 それまで和やかに話していた望美の表情が、一転して驚きに固まる。 「そう、お前。……って、これは聞いちゃいけない事だったかい?」 とはいえ、当の望美は自分の生まれた日を祝ってくれている訳なのだが……。予想とは大きく違った反応をする望美に、ヒノエは戸惑い気味に首を傾げた。 不安げに曇る彼の表情を見て、望美は慌てて否定する。 「あっ、ううん! 聞いちゃいけないって事はナイです! 全然! で、でもその……」 「でも?」 「な、なんとなく内緒にしておきたいっていうか〜……べ、別にヒノエくんに言いたくないとかじゃないんだけどッ!」 しどろもどろになりながら、視線を彷徨わせる望美。 その狼狽え方があまりに面白くて、ヒノエは思わず噴きだした。 「く、ははっ。そこまで狼狽えなくていいよ。無理に聞き出そうとは思ってないからさ」 望美をゆっくりと引き寄せると、彼女は少し躊躇いながらも誘われるままに寄り添ってくる。 「でもさ、オレの生まれた日を祝ってくれるのがお前だけなのと同じように、お前の生まれた日を祝えるのは、この世界中でオレだけだと思うんだ。その権利が欲しいと思うのはオレの我儘かな?」 望美の元いた世界では誕生日は一般的な祝い事だが、この世界では生まれた日を祝う習慣は無い。 だからこそ、望美の生まれた日を知りたいと思う。その日を、この世界を選んでくれた事への感謝と共に祝いたい。 その思いを秘めながら、ヒノエは腕の中の望美に優しく問い掛けた。ヒノエの胸にぴとりと頬をつけながら、望美はゆっくりと首を振る。 「ううん。私もヒノエくんに祝ってもらえるなら、とっても嬉しいよ? ただ、ちょっと時期が悪くて……」 「時期?」 「うん、時期。なんかヒノエくんに迷惑かけそうで……」 望美は何かを危惧するようにむぅと唸って、ヒノエの胸にますます頬を押しつける。 そんな彼女の肩を抱き、こぼれる絹糸の髪を撫でながらヒノエは笑った。ぬくもりを通して笑い声が心地よく響く。 「どんな日であれ、お前が生まれた日を迷惑に思うなんて、絶対に無いと思うけどね?」 「……そ、そう? でもヒノエくんのことだから、私の誕生日を知ったら何をおいてもお祝いしようとするだろうと思って」 「まぁそれは否定しないよ。仕方ないだろ? お前を喜ばせる為なら、どんな事でもしたいと思っちまうんだからさ?」 「ホラそれ! んもぅ! それを心配してるの! ただでさえ忙しいのに、これ以上忙しくなるような事をさせたくないんだから!」 望美が上目遣いにヒノエを睨む。そんな顔さえ可愛いと思ってしまうのは、彼女が自分の事を心底心配してくれているのだとわかるから。 「でもさ、お前の生まれた日が来る頃には、もしかしたらオレも落ち着いてるかもしれないぜ?」 あえて軽い口調でヒノエが言えば、反対に望美はしゅんとしたように肩を落とした。 「それは……ないと思う。だってすぐなんだもん」 「いつ?」 「四月……六日」 「……五日後か。ふふっ、なるほど。お前が心配する訳だね」 残念ながら、確かにまだしばらくの間は気軽に時間が取れるとは言い難い。 望美の危惧している所を思い、ヒノエが苦笑交じりに吐息をこぼす。それを肯定するように望美が告げた。 「お、お祝いする為に無理してお仕事片付けようなんて思わないでね! 無理して体調崩したりなんかしたら、そっちの方が私、悲しいからね!」 念を押すというより脅迫に近い雰囲気で睨んでくる。 彼女のどことなく幼い必死さに笑いを堪えながら、ヒノエは降参するように両手をあげて頷いた。 「わかったわかった、約束するよ。お前を悲しませる事は絶対しないって」 「本当? 約束してね?」 「ああ、わかった、約束だ」 そう再び頷いてみせるとやっと納得したのか、望美はホッとしたように笑顔を見せた。 * * * * 「それにしても、お前への贈り物は何がいいだろうね?」 酒盃を重ねながら、ヒノエは腕の中に抱いたままの望美へ問う。 「え? 誕生日の? 私、ヒノエくんが選んでくれた物なら何でも嬉しいよ?」 「……言うと思った」 予想どおりと笑うヒノエ。望美は頬を膨らませてそっぽを向くことで抗議の意を示す。 「そんなこと言って……。どこかの誰かさんも同じこと言って、私すごい悩んだんですけどー」 「ふふっ、それは悪かったね。でもその理由はお前もわかってるんだろ?」 「……そりゃ、まぁ。だから私も同じ答えを返しちゃった訳だし」 しぶしぶと振り向いた望美が、言いながら不意に噴き出してくすくす笑った。それはヒノエにも伝染して、二人はしばし悪戯仲間の子供のように笑い合う。 「……結局、オレら似たもの同士?」 「だね、ふふふふっ」 同じ考えを持っている事が無性に嬉しくて、望美はますます彼に身体を預けた。ヒノエも盃を置き、背中から包み込むようにして望美を抱きしめる。 「まぁ、それはそれとしてさ。欲しいものは本当に無いのかい? もしくはしたい事とか?」 上目遣いに見上げると、覗き込むような瞳のヒノエと視線がぶつかる。猫のように切れ長なその瞳を見つめながら、望美はしばし考えた。 とはいえ、欲しいものと言ってもヒノエは時期問わずよく贈り物をしてくれているし、自分は熊野別当の妻として大切に扱われているので、暮らしにも不自由はしていない。強いて望みを挙げるとすれば、ただ一つ……。 「んー。欲しいものはやっぱり無いかな。でもしたいことなら……ある、かも……?」 思いついた願いに少々の気まずさを感じながら望美が言の葉を綴る。 「それは何?」 ヒノエもまたそうした望美の葛藤を感じ取りながら、優しくその先を促した。 彼の厚意を受け、望美はおずおずと唇を開く。 「…………ヒノエくんと、お花見、したいなぁって……」 近ごろ感じる春の息吹。別当邸の整えられた庭にある桜も、ゆるりと咲き始めている。あと数日もすれば薄紅の衣を広げたかのような姿となるだろう。 「──って、ゴメン! 無理してほしくないとか言いながら、思いついたのがこんなことなんて……ッ!」 言っちゃった。言うんじゃなかった。後悔の唸り声をあげながら望美は頭を抱える。 そしてヒノエが返事するより早く、弁解するかのように捲くしたて始めた。 「べ、別にね、無理して時間作らなくていいからね、ちょっと夕食の時にでも私を呼んでくれたらなぁってね、思っただけなの! 私持ち歩けるお食事作るから、お庭の桜の下とかで食べれたらイイなぁって……!!」 「望美」 「え、あ……ぅ?」 矢継ぎ早にまくしたてていると、静かな声に名前を呼ばれてふと我に返る。 ヒノエはびくびくしながら自分の次の言葉を待っている望美の額を、軽く小突いてそこに唇も落とした。 「本当にお前は、オレとの事になると容易く混乱するね」 まぁ、それも嬉しいけど。そうヒノエは笑う。 「イイね、花見」 「え?」 「望美はどこの桜が見たい?」 「え? え?」 受諾どころか外出さえ示唆する問い掛けに、望美はひと筋の汗を流し答える。 「えーっと。わ、私このお邸の桜でいいんだけど……」 「そんなの勿体ないじゃん。折角のお前との花見なんだし? それにお前への祝いも含まれてるとなれば、相応の場所にお連れしなけりゃ男が廃るってもんだろ?」 「そ、そうなって欲しくないからお邸の桜でいいって言ったのに〜」 ため息をつきながらの抗議もヒノエにはどこ吹く風。 これは正面から向き合って説教してやらねば。そう考えた体の動きを察知され、背後から回されていた腕にますます拘束される羽目になった。 「ちょ、ちょっと!」 「ね、望美はどこへ行きたい?」 「ど、どこって言われても……。私、熊野の名所は詳しくないよっ。去年はバタバタしてたから、お花見に出かけなかったし……」 祝言を挙げた時期と桜が重なったため、去年は花見どころではなかったのをよく覚えている。それより前に訪れた時は夏で、桜はとうに終わった時期だったし。 「ならさ、お前が知っている場所で一番の気に入りは?」 「一番のお気に入り? ん〜…………しも……」 記憶の中で思い浮かんだ地名を唇に乗せようとして、かの地との距離に慌てて口をつぐむ。 「望美?」 「ううん、何でもない! えっと、その。私やっぱり詳しくないし、ヒノエくんのオススメを教えてほしいな! なるべく近い所で!」 「……全く。望美は本当に欲が無いね。もっと我儘言って、オレに難題に応える楽しみをくれてもいいのにさ?」 苦笑混じりにヒノエがため息をついた。それを挑発的に見上げて望美が告げる。 「そんな事ないよ。わざわざ私が言わなくても、ヒノエくんなら期待以上の驚きをくれるって知ってるから言わないだけだよ。でしょ?」 悪戯な瞳で見上げれば、ヒノエの表情にもにやりとした笑みが煌めく。 「よくわかってるね、その通りだよ」 「お花見、期待してるからね?」 「ふふっ、勿論。姫君の信頼は裏切らないって」 自信たっぷりに頷くヒノエと微笑み合い、しかしふと思い立って望美は付け加える。 「…………でもあの、本当に無理しないでね?」 ──自分の夫はそこが恐いから。 |
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